君宛の文章を書くのは初めてだったと思う

江川キシロ

君宛の文章を書くのは初めてだったと思う。

 世間は私のことを名探偵だとかはやし立てたけど、君だけはそうは書かなかったね。

 新聞やテレビが寄ってたかって僕の話を聞きたがったけど、君だけは傍にいるだけであれだけの本を出してくれたね。

 最初の出会いはいつも思い出せないけど、君の本を読めばいつでもあの日に戻れるようだよ。

 

 週刊誌にあらぬことを書かれたときも、君はこう言って笑って言ってくれたね。

「探偵として食っていくんだから、遭遇する事件は多くないとダメですよ」

 いつも倫理を重んじていた君の発言としては信じられない部類に入るけど、正直元気づけられたよ。


 世の人は僕らをホームズとワトソンだと言ったけど、僕はそんなに頭が良くないし君の文章に口出ししたことはなかったと思う(だよね?)。

 君のことを信用しているから、読まずとも許可は出すよ、なんていったときかな。君が唯一怒ったのは。

「ほかの誰にどう読まれたとしても、どうでもいいからでしょう」

 笑ってしまうぐらいには図星だったけど、あの時僕はどう返事したのかな。どこかに書いてあるとしたら恥ずかしいな。

 しかし、結局君の本を半分ぐらいしか君の生きている内に読み切れなかったのは残念だったな。君が僕のことをどう思っているか書いてあるだなんて、あんまり考えてなかったから。

 君が死んでしまってから、君の新しい言葉を聞けず読めなくなってしまってからは、この読み残した本たちが生きる支えだったんだ。

 僕はあまり覚えていないことも君は書き漏らさずに書いていてくれた。いつかの朝食のメニューなんて、卵焼きの焼き加減まで書いてあったから、少し擽ったい気持ちになってしまったよ。

 

 君がいなくなってから後釜狙いを数人雇ってみたけど、三日と続かない。

 君のようにさりげなく傍にいてくれる人も、注意してくれる人も、君のように文章を過不足なく紡げる人もいない。

 だから、結局今もこうやって君の傍で一人だ。

 君の文章に惚れて傍に置いていたのか、君が傍にいてくれたのか、傍にいる君の文章だから惚れたのか、君に惚れたのか、僕が君を束縛してしまっていたのか、君の慈悲をいただいていたのか、君が僕のことを……好いていてくれたのか、もうわからない。

 理解できないことは沢山あったけど、こんなに頭を抱えることはなかったんだ。

 君なら、わかるんだろうか。

 君に面白がってクイズを出したこともあったが、もう答えてくれないだろうか。流石に愚問だって笑ってくれるだろうか。


 

 僕は君のように面白い話も出来なかったし、あまり些末なことに注意が向けられなかったから、本なんて書けないと言った時も、君はふてくされながらこう言ったね。

「そう言って、私よりいい文書いたりするの知ってますからね」

 その時は笑ってごまかしたけど、本当に書けないんだ。

 君の書く文が誰のどの文より気に入っていたから、そんな君の目の前に駄文を吊り下げたくなかったんだ。


 君の書く僕は、僕の虚像だったけど、僕そのものだったんだ。

 君の書く僕を読んで僕らの部屋を訪ねた人たちは、驚きはすれど失望はしなかった。それは君の言うように僕が依頼をしっかりこなす男だからじゃなくて、真実の僕を君が書いていたからだと思う。

 だから、君の本の中の僕は、今でも君と笑いあって、事件に取り組んで、悪人を捕まえて、輝かしい日常を過ごしている。

 


 

 

 僕がさっきから自分のことを卑下して書くのを君は怒っているだろうね。

 でも、こんなに君が大事だと知っていながら、君を殺してしまった自分を馬鹿だと言って何が悪いと正面切って言ってもいい。

 君は僕が少し法の道を踏み外しても、決して書かなかった。知らないふりをしてくれていた。

 それは、君が優しいからだと思っていたけど、違ったんだね。僕が、君以外の人のために行ったことだったから。

 だから、僕が君のために人を殺した時に怒ったんだ。

 僕は、君が怒った理由が分からずに必死に出ていこうとする君を引き留めたが、振り返った君の顔は泣いていたね。あんな顔の君は見たことがなかったから、少し驚いてしまって、僕もどうかしてしまって、あんなことになって、君は死んだ。

 君がいなくなっても、世間はなんともなかった。僕はこの世の終わりだと思ったのに。

 君を殺して、ようやく被害者の遺族たちの気持ちが理解できたんだ。本当に僕は馬鹿だ。


 

 君の亡骸を手放すことはできなかった。

 君を食べることも考えたけど、君の体にナイフを入れることはできなかった。

 手を尽くしたけど、そろそろ君が君でいられなくなりそうなんだ。頬を撫でると皮がずり落ちてしまいそうで、君に触れることすらできない。

 いや、君が生きているときに君に触れたことはなかったから、これも変な話だね。

 君の横で君の本を読むのは、君が話しているようで心地よかった。不思議と匂いも蠅も気にならないんだ。

 


 そろそろ、指が動かなくなってきた。

 おそらく、君のことだけを綴った文章が、この遺書が初めてであることを願う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君宛の文章を書くのは初めてだったと思う 江川キシロ @kishiro_asahina

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画