05.ポルックス

 どこからか誰かの泣いている声が聞こえる。


 視界は未だに暗いままだ。



「どうして……どうして……………」



 その声は意識を手放す前に聞いた声と良く似ていた。


 ああ、泣かないでくれとラートリーはぼやけた思考の中でそう思った。



「大丈夫、まだ大丈夫だから……」



 声の主に一体何が起きたのかも、何が大丈夫なのかも分からないが、ただ泣いている人物が悲しみの渦にいることだけはわかった。



「だから、このまま………………」













この想いごと消えさせて





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 ハッと目覚める。ラートリーは湖の傍の草の上に寝転がっていた。


 既に日は傾きかけていて、空は茜色に染まる頃だった。


 何か酷く悪い夢でも見ていたかのように心臓の鼓動がうるさい。


 ラートリーは深呼吸して自分の状況を今一度確認しようとした。



「確か、黒い手に引きずり込まれて、誰かの声がして意識を失って……それから……?」



 それからがなかなか思い出せない。


 どうして自分はここにいるのか。記憶違いじゃなければ確かに自分は湖の底へ沈みかけていたはずだ。


 それなのに、今こうしてラートリーは生きて地上にいる。


 誰かが助けてくれたのだろうか。


 いや、こんな辺境に自分以外の人間が来るとは思えない。



「『だめだよ』、か」



 あの声の主は一体誰なのか。どこか聞いたことのあるようなないような……。


 それ以上考えても分からないものは分からないので、ラートリーはとりあえず市街地へ戻ることにした。


 びしょ濡れになった髪や服は魔法で乾かし、この後会うカストルにどんなことを聞くかを考えながら箒に跨る。



(あの湖は一体……)



 ラートリーは疑問に思いつつも、胸に微かに残る悲しみのことを考えたら、誰かがそこで助けを待っているような気がしてならなかった。






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 暫くしてメブスタに戻ってきたラートリーはアルヘナのシンボルとも言える沢山の噴水のうちの1つを訪れていた。


 特に理由はない。ただそういう気分だったのだ。


 噴水の水はオレンジ色の空を映していてどこか寂しさを感じる。


 そうしてただ眺めていると、後ろから誰かに声をかけられた。



「ねえ、もしかしてラートリー?」



 振り向くと、そこにはアルヘナの神である兄弟のうちの、弟の方のポルックスがいた。



「え、ポルックス!?」


「そうだよ、久しぶりだねラートリー!元気にしてた?」



 彼は昔と変わらず明るくて元気な様子を見せた。彼の笑顔は他の神々からも愛されるほど和むものだ。


 ラートリーの心の隅で蹲っていた悲しみも、ポルックスの笑顔で浄化されたような気がした。


2人は近くのベンチに座り話し始めた。



「いつからアルヘナに来てるの?」


「実は今朝目覚めて、メブスタを訪れてたところなんだ」


「そうなんだぁ!」


「ポルックスは最近どうなの?仕事とかやっぱり大変?」


「あ〜、まあね」



 ポルックスの歯切れの悪い回答にラートリーは少し違和感を感じたが、元よりのんびり屋のポルックスのことだ、とそれを無視して話を続ける。



「そういえば、これからカストルとお話しにいくんだ」


「お話?」


「そう、多分私が寝ていた間に何があったかとか、これからのこととか」


「あ〜、毎回ラートリーが目覚めたらやってるやつだ」


「そうそう、ポルックスも一緒に行く?」



 その問いかけに、ポルックスは答えなかった。


 ポルックスは俯いてしまい、ただ彼の特徴的な金の目が揺れながら夕日に照らされていた。



「……俺はいいかな」



 彼はそう言って苦笑いする。とてもだが彼らしくない。


 2人は類に見ない兄弟想いで、何をするにも一緒だったはずだ。だからこうしてアルヘナの神にも2人で1つになっている。


 だからこそラートリーは驚いてしまった。



「ちょっと、色々あってね」


「……そうなんだ」


「ごめんね、折角誘ってくれたのに」


「ううん、こちらこそごめんね」



 ラートリーは悪くないよ、とポルックスが慌てて否定する。


 夕日はもう、見えなくなっていた。



「それじゃあ、カストルのとこに行ってくるね」


「うん、気をつけてね!」



 箒に乗って浮いたラートリーにポルックスが手を振りながら笑顔で別れの挨拶をする。


 風が、焦げ茶色の髪をした兄とは違って、綺麗な薄茶色をしたポルックスの髪を揺らしていた。


 ラートリーはそれを見て、何とも言えないような気持ちになった。









「……じゃあね、ラートリー」







                     ----------





 カストルの家について、彼がいる部屋まで案内してくれたのは午前中に会ったグラディーだった。


 グラディーは先の件について謝罪してきたが、あれはラートリーが身分を証明するものを持っていなかったのが悪いのであって、気にする事はないとラートリーは言ったが、なかなか聞き入れて貰えない。



「だからそんなに謝らないでください」


「いえ、カストル様のご友人に対してなんという無礼を……」



 正直そろそろ面倒になってきたラートリーはグラディーを少し脅すことにした。



「それ以上謝るなら騎士団本部を壊しますからね!」



 これが思ったより効いたのか、グラディーは顔を青くしながら「はい!」と返事をした。


 ラートリーは冗談ぽく言ったつもりなのか、グラディーに本気に捉えられたとは気づいていない。


 ラートリーはもう少し自分の影響を考慮すべきだろう。


 そうこうしているうちにカストルの執務室についた。



「ここがカストル様の執務室でございます」


「案内ありがとうございます」


「いえ、とんでもない」



 それでは、と言ってグラディーはその場を離れた。


 ラートリーは目の前のドアを3回ノックし、中から入室許可の返事を貰ってからドアを開けた。



「こんばんは」


「ああ、そこで掛けて待っててくれ」



 ラートリーを呼んだ当の本人であるカストルは、グラディーの時と同じく書類仕事に追われているようだった。


 神様も色々大変なんだな、とラートリーは苦手な紅茶を1口啜る。





                     ----------




 仕事を一旦中断したカストルが、ラートリーの向かい側に座る。



「待たせた」


「ううん、それより、だいぶ仕事が忙しそうだね」


「……まあな」



 よく見ればカストルの目の下には隈ができており、今ここでのお話は止めて寝かせた方がいいのでは?とラートリーに思わせるほどだった。



「それよりも、お前にいろいろ説明する方が先だ」



 そう言ってカストルが渡してきたのは2枚の紙。


 1枚は眠っていた間に起きたことが、もう1枚には各国の情勢が書かれていた。



「どっちから先に説明した方がいい?」



 ラートリーは大雑把に眺めて、まずは自分が眠っていた間に起きたことを知りたいと言った。



「わかった。お前が眠りについたのが大体500年前なんだが、本当に色んなことが起きたよ」



 まず、『グノーシス偽の神々』という組織が現れたらしい。彼らは『200年戦争』で荒廃した土地を領地として建国した挙句、カストルたち12神の国民を殺し始めた。グノーシスは「これは戦争だ」なんて言っていたが、カストルたちは相当怒りが沸いたという。


 なのでカストルたちはグノーシスを鎮圧した。グノーシスは、何か禁術でも使ったのか知らないが、神と同等の能力を持っていたらしい。


 その戦争のせいで何百何千何万と人間が死んだ。……そして神も。


 この出来事をカストルたちは『グノーシス事件』と呼んでいる。


 今もグノーシスは小規模で存在しているが、いつどこで何をするのかは分からない状況であり、ラートリーも気をつけろとのことだった。


そしてもう1枚の紙だが、現時点でカストルが把握している限りの、アルヘナを除く各国の情勢を書いてくれていた。


 まあこれは後で確認してほしいとのことで、ラートリーが留意すべき点と言えば、神がいない国だったり、神の世代交代した国があるところだという。


 あとは代替わりした後に連絡が取れなくなった国の神がいるとか。



「まあざっとこんな感じだな」


「流石に情報量多すぎない?」


「仕方ないだろ」



 確かに仕方ないといえど、500年の間にこんなことが起きていたなんて信じられないだろう。


 様々なことがいきなりのうちに変わりすぎて、ラートリーは一瞬ついていけなさそうに思えた。



「……かくいうアルヘナも、今、少し危ないんだ」



 そう言ったカストルはどこか険しい顔をした。その顔はラートリーが何度か見た事のあるものだった。



「どうしたの」



 カストルは目を瞑り、1つ深呼吸してから答えた。



「…………実は、弟のポルックスがいなくなった」


「……え?」



 カストルの顔は、更に険しくなる。膝の上の拳は力強く握られていた。


 それはカストルが弟のポルックスを大事にしている証拠である。


 ラートリーは突然の事態に、先刻噴水の前で会った、夕空の下で元気に笑い、それでもどこか儚しげだったポルックスを思い出していた。

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西の塔には魔女がいた @genkaiazuko

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