04.食堂ビオス
やっとの思いでたどり着いたメブスタにはたくさんの露店が立ち並んでおり、それに比例するかのように買い物客で溢れていた。
どうやら近くの商店街には食堂がたくさんあり、時折いい匂いがラートリーの鼻を刺激する。それにつられて腹が悲鳴をあげれば、初めて自分が今朝から何も食べていないことに気づく。
「流石にそろそろ何か食べないとね」
ラートリーはとりあえず商店街を見て回ってみることにした。
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商店街の食堂を見て回っていると、実に様々な食べ物がある。昔ながらのものはもちろん、この数百年の間で生まれたラートリーが食べたことのないものや、他国から伝わってきたという食べ物まで。
何を食べようかと悩むのは毎回目覚めてからのお楽しみにしていることだったりする。
「おや?」
また暫く歩いていると、ラートリーの目に留まったお店があったらしく、ラートリーはそのまま食堂の看板の方へ行ってみる。
「『食堂ビオス』…?あ、これ美味しそう」
看板には店名と一緒にメニューとその絵が載っており、さらにラートリーの食欲を煽る。
大衆食堂というのもあり、無駄に洒落ているお店よりかは比較的入りやすそうだと思い、この食堂で腹ごしらえをすることに決めた。
「いらっしゃいませー!」
入店と同時に歓迎の声が響く。店内は想像通りの食堂といった感じで、まだ昼間だというのに飲んでいる人がたくさんいて賑やかな場所だ。
ラートリーは隅にある空いていた席に座って鞄を下した。すると若くて元気そうな女性の店員がこちらに近づいてきた。
「いらっしゃいませお客さん、もしかしてここは初めてですか?」
「はい、ちょっと気になったので入ってみました」
「そりゃあいいセンスだ!よかったらうちのおすすめ食べます?」
「なら、それを一つ。あとお水をお願いします」
「あいよ!」
その店員は好印象を持たせる笑顔で颯爽と厨房に注文を伝えに行った。
待っている間は暇だなとボーっとしていた矢先、隣の席に座っている、恐らくアルヘナの住民と思わしき三人から声をかけられた。
「よお嬢ちゃん、あんた見ねえ顔だな」
「どうだ?俺たちと一杯やらねえか?なんてな!」
「ごめんなさいね、この人たち昼間から飲んでるのよ」
まったく嫌になるわね、と女性が言っている向かい側の席で二人の男性はケラケラと笑っている。よっぽど機嫌が良いのだろう。グラスの中のお酒がどんどん減っていくのが見てわかる。
「いえ、まったく気にしていないので大丈夫ですよ」
こういったことはやはりどの時代でも起こりうることであり、最初の方は嫌だったが次第に慣れていった。
「そういえばメブスタについて聞きたいことがあるんですよね」
「おお!なんでも聞いてくれ!」
「ありがとうございます。実はここに来るのは初めてなんです。だからどこがおすすめとかあったら教えてほしくって」
そう言った瞬間、三人の目が輝きだした。そんなにメブスタが気に入っているとは…。
「そうね、やっぱ森の近くの花畑じゃない?」
「いやいや、まずは街からだろ」
「そりゃ違うなお二人さん、メブスタといったら広場のでかい噴水だろ!」
「はあ?あんなのアルヘナに沢山あるじゃない!」
聞く相手を間違えたのか、それとも三人のメブスタに対する熱量が高かったのかはラートリーにはわからなかったが、まさか喧嘩に発展するとは誰も予想できないだろう。
事態の収拾がつかずどうしようか悩んでいると、今度はいい匂いがこちらに近づいてきたのにきづいた。
「はい、おまちどうさま!」
「わぁ…!美味しそう!」
目の間に置かれたのは食堂ビオスの看板メニューだというステーキだった。出来立てだからか、湯気が上がっていてとても熱そうだ。
流石おすすめメニューということもあり、見た目と香りが素晴らしかった。
今はこんなものがどこでも食べられるのか、と感動しながら肉にナイフを入れる。
肉はスッと刃が入るほど柔らかく、肉汁が溢れ出してきた。
そして小さく切った肉をそのまま口に運ぶと…。
「!!!」
なんだこれは。めちゃくちゃ美味いじゃないか!
塩コショウで味付けがされているが、それが肉本来の味を邪魔することがないように絶妙なバランス調整がされている。さらに肉も柔らかさと歯ごたえの良さが共存しており、まるで溶けていくようなこの心地に口の中で肉汁が広がっていくのがわかる。
「はは、お客さん美味しそうな顔をして食べますねえ!」
その言葉にラートリーは大きく頷く。こんな上等なものを食べて不満をこぼすのは底辺貴族くらいだろう。
「それよりあんたたち、さっきから何でそんなに騒いでいるんだい」
「このお嬢さんにメブスタのおすすめの場所を聞かれてねえ」
「そしたら見事に三人とも違う場所を出すから討論してるってわけだ」
とても美味しいステーキのおかげで忘れていたが、そういえば隣の席でメブスタの三人が言い争っていたのをラートリーは思い出した。
肉が冷めて固くなってしまわないうちに食べてしまおうと考えていたラートリーは肉を頬張りながら耳を傾けた。
「花畑に街に噴水ねえ…」
「やっぱり花畑よ!この時期なら満開だし」
「いいや、まだメブスタに来たばっかならまずは街を知ってもらわねえと」
「アルヘナといったら噴水!全部が同じデザインじゃないから見て楽しめるだろ!」
女性の店員が各意見を聞いてうーんと唸る。そして突然、何かを思い出したかのようにあ!と声を出して溌剌と答えた。
「やっぱりこの季節なら湖じゃない?」
「あー、確かに!」
「あそこは知る人ぞ知るってところだもんな」
「姉さんいいチョイスじゃないか!」
「そうでしょう?」
先ほどまであんなに喧嘩をしていたとは思えないほど、今度は元気な笑い声が聞こえてくる。
そして一人はさらにお酒の注文をした。
「どうだい嬢ちゃん、湖は」
口にお肉がなくなった頃、それまで耳を傾けることしかしなかったラートリーに一人のおじいさんが話しかける。
ラートリーは一口水を飲んでから店員をいれた四人の方へ向き直った。
「確かに、この時期のアルヘナは湖がとても綺麗だと聞きました」
「じゃあ道を教えるから行ってきなよ!」
「また会ったら感想聞かせてくれよ!」
…ということで、ラートリーは四人の言っていた湖へ向かうことへなった。というより向かわざるおえなかった。
代金を払い食堂から出ていく(その時に出した硬貨を見て店員が驚いていたのはまた別の話)。そして先ほどもらった手描きの地図を見てみる。
これがまたわかりやすくて、きっとあの元気なお姉さんはよくこうして観光客に道案内をしているんだろうと思った。
食堂から湖までは少し距離があったが問題ないだろう。そう思って空を見上げる。
太陽はまだ真ん中まで昇ってきていなかった。
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「やっと着いた」
ここまでは半分徒歩、そこから疲れて箒に乗って来た。ここがどれだけの辺境なのかは周りの草木が物語ってくれている。
言われてたどり着いた湖は実に透明な青色をしていて、春風に吹かれて水面に小さい波が立っていた。
なるほど、こんな人がいない場所のこんな綺麗な場所を知っているのは地元の人しかいないわけだ。
ラートリーは心の中で食堂で出会った四人に感謝しながら湖に近寄った。
しゃがみこんで水面に顔を覗かせてみると、波のせいで輪郭がぐちゃぐちゃになった自分が現れた。
それがなんとなく面白くて手を伸ばしてみる。
嫌な予感がした時には、もう遅かった。
「!?」
水面から黒い手が出てきてラートリーの腕を掴む。咄嗟に魔法を出そうにも黒い手の力が強くてそのまま春の冷たい水の中に引きずり込まれた。
暗くて息ができなくて苦しい。ラートリーは今この一瞬で何が起きたのか、自分がどのような状況に置かれているのかを正しく理解できていない。
(とりあえず早く上に行かないと…!)
ラートリーは上へ向かってもがくが、黒い手は今度は足を引っ張っているようでうまくいかない。
暗くなっていく視界がよりラートリーを焦らせる。
(こいつ…!!)
魔法でこいつだけでも吹っ飛ばそうか、そう考えていた時だった。
『だめだよ』
そう、声が聞こえたような気がした。
そして同時に黒い手が足を離して、湖の底へ戻っていく。
聞いた声はどこか聞いたことのあるような懐かしい反面、聞いたことのないような声色だった。
しかし今のラートリーには、そのことについて微塵も気にする余裕などあるわけもなく、ただ体が沈んでいくのを感じながら、ラートリーは暗くて冷たい視界の中で意識を手放した。
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