幸福線感情沿い

高黄森哉

幸福線感情沿い


 ふわぁぁ、とあくびをしたら、ベッドから飛び起きて身支度を始めた。いつものようにシリアルを食べ、いつものように髭をそり、女子高生を拾いたいところをぐっと抑えて、普通の通勤をしようと志すのだ。


 俺は叫びそうだった。今日は休みの日ではないかと。


 しかし、そうではなかった。理由は、俺が一日、寝ていたからだ。つまり、今日は仕事の日なのである。そんな馬鹿な。休日というのは、精神的時間によって定義されるべきである。しかし、社会をひっくり返すよりも、己が逆立ちして過ごす方がはるかに簡単であった。たちしょんべんが顔にかかろうが構わない、という意味だ。


 なんか違うな。顔についた違和感の飛沫がぬぐえない。なにが、違うのだろう。間違い探しの始まりだ。そうだ、きっとお隣さんが洗濯物をしていない。たしかに、いつもこの時間に洗濯をするはずなのに。まあいい。そんなことは実際、どうでもいいのだ。さて、朝食を喰おう。


 そして、捻った蛇口からはとろとろと赤黒い液体が流れ出た。おかしい! 実におかしい。おかしいぞ。今日は何かが違う。そのくさい、なにかが腐りきった液体には、黒い髪の毛が入っていた。水道局は異常者向けのサービスを開始したのだろうか。それなら、なぜ俺は対象者なのだ。


 まあいい、と思う以外に逃げ道はつぶされたらしい。さて、でも、そんな異常なことばかりでも、会社はいかねばならない。私生活がどうだろうが、出勤さえ出来ればそれでよい、という考え方は、資本主義妄信者の我々には、あまりにも自然な価値観だった。それがいくら病的でも。先の赤黒い液体を飲むようなものでも。


 さて、俺は外に出た。いつもを装い、ふつうな感じで、なんの変哲さも感ぜられない外部への第一歩を踏み出した。ここで自身は完全に平均の模型だった。もし、平均値チャンピオンシップがあれば、俺こそが最右翼だろう。それなのに、それなのにだ、それなのに。


 俺は叫んだ。今日は仕事の日でもない!


 道には大量に人が死んでいた。マンションの四階、このマンションがなぜ四階建てかというと五階建てからはエレベーターが義務だから、からの景色は、非現実極まる光景である。死体に沸くウジ式に道に人の死骸が張り付いていた。俺は目をこすった。目が痛い。これは夢じゃないぞ。


 一体なんなんだ。建物を降りて地上に出ると、すさまじい死臭がした。そのむわっとした感覚で、そういえばそろそろ夏だな、と思い出した。なんとなく、陽気な腐敗様だ。死体も観光客のような服装だ。それが異常で、しかし俺の心を麻痺させていた。


 どうしたってんだろう。ここまで、まさにどこかへ、行きそうな服で、どうして死んだ。そのどこかというのはまさか天国か。それはしっくりくるバカンスだ。すべての顔は満足げに天を仰いでいる。ここで寝ころび集団死した団体の死因は、どうやら毒のようで、各々が自由に口から泡を繰り出している。


 このかんと照り付ける三重の太陽はアスファルトに陽炎を落とした。その鉄板の上で焼かれる人々からは、焦げ臭いにおいすらした。俺は、三重県の日本晴れがちな気候は大好きだが、今日だけはそれが憂鬱に照っていた。晴れではなく干ばつで、人への砂漠化だった。


 ノアの箱舟に一人、乗り遅れたのかもしれないな。己ができる精いっぱいの合理的判断である。だからこの状況は逆ノアの箱舟なのだ。俺は一人だけ天界への船へ乗り遅れたのだ。それが昨日、あったことである。きっとそうだ。この幸せな顔を見ろ。それとも、昨日笑気ガスがこの片田舎を襲ったのか?


 俺は死体から一枚の遺書を取り上げた。そこには、この現状を読み解くヒントどころか、答えが書いてあった。それはこんな具合だ。


「今日は素晴らしく幸せな日です。今日よりも幸せな日はないでしょう。聞くところによると、全ての戦争紛争は今日だけは色々な理由で停戦になったそうです。また、警察が言うにはすべての犯罪は今日、起こらなかったようです。あらゆる難病は治るか、患者はまったく無理のない形で受容を達成したそうです。過去の後悔も、未来の不安も、すべての不幸は救われ、私たちは幸福になりました。これは全くの偶然です。今日だけで、町ゆく人は優しく語り掛け、微笑み、ふれあい、融け合い、重なり、つぶれ、一つとなりました。不幸の障害がなければ、いくらでも人間はつながりあえるようです。さて、我々は議論し、懸念しました。今日だけ、このような日であり、明日からまた薄汚いごみの日が再開されるかもしれない、と。ならば! 今日で終わらせてしまおう。ここで重要なのは、我々はもう後悔はないのです。一人残さず、一つ残さず、したいこと、したかったこと、やりきりました。過去を清算し、未来の希望をかなえました。もう、これ以上、幸せにはなれませんし、それ以上の幸福も望みません。さよなら」


 俺は、未来永劫意味をなさない信号機の、傍にある縁石に座りながら、目の前にある死体をおかずに、遺書をじっくりよんだ。遺書の紙は真っ白く、卒業式にノートで気まぐれに折った、折り鶴を想起させた。また、これまた卒業式の祝うために首をもがれたこれより死ぬしかない花束を思い出した。


 そうか、俺は死ねない。なぜなら俺は、この世界に苦しみ、悲しみ、業を煮やし、憎み、恨み、不満を持ち、後悔し、失望し、憂鬱になり、くじけ、折れ、くずおれ、退廃し、頽落し、堕落の末、気がふれ、それでも無能で、ただ漫然と、無意味に、戦わず、得ず、負け、その他、もろもろ。


 人間は、不幸を燃料に生きる原動機だ。不幸がなければ満足して、そこでお終いだ。したがって、社会は死なない。俺の生きる場所は変わらない。そう悟った時、地面がせりあがり、日常が顔を出した。なすすべもなくその割れ目に墜落していった。不幸付きの原動機へと。そんな、普通の毎日へと。

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幸福線感情沿い 高黄森哉 @kamikawa2001

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