第12話 考え方
「……なんで」
愛の教団の教えが、認められない――
はっきりとそう彼女に言ってのけたロボに対し、ルクシアは信じられないものを見るような目を向ける。
「なんでそんな、ひどいこと言うんですか。 こんなにもいい言葉だったのに、みんなとっても幸せそうだったのに」
それらを全部、否定するようなことを——と、言いかけたところで、言葉が止まる。 何かが胸からこみあげてくるような感覚を必死に胸元で抑え込むような、苦しそうな表情をルクシアは見せてきた。
「確かに俺も……いい話だとは思ったよ。 でも、なんとなく分かる。 あの教えの通りにこの世が平和になるのは、無理だって」
「そんなこと……っ! でもこの村は、みんな仲良く平和に、差別もなく暮らしてるじゃないですか!」
「それは、この村が小さいからだ。 もうちょっとわかりやすく言えば、ここに住んでるやつらが少ないからだ」
「それってどういう」
「種類が少ないんだよ、心の傷の」
ロボの考えでは、この村に今住んでいる人たちや、この教壇を始めたあの話の中の夫婦は、もともと他者に愛されるぐらいで癒えるような浅い傷しか心に負ったことのない人たちなのだろう、ということらしい。
疫病や災害など相手が怒りのぶつけようのない存在だったり、傷ついてからすぐに施しを受けることができたり、そもそもそう簡単に傷つくことのない心を持っていたり……そういった者らはたとえ辛い目に遭い心を痛めようと、愛によって癒されることは可能だろう。
だが、この世にある心の傷が必ずしも、皆そうというわけではない。
明確にあの者によって傷つけられたと分かる場合、傷を負ったまま長い時を過ごしてきた場合、何度も何度も、癒す間もなく傷つけられてきた場合、傷を負いやすいもろい心を持っていた場合……そういった傷は、どれだけのことをしても癒せることはない。 深い傷を負ったまま、暮らすしかない。
そしてどんな理由であれ心に傷を負ったままでいる者は、きっと他者にもそれを求めるだろう。 お前も俺と同じように、つらい目に遭ってしまえばいい、と。
「——結局、みんなの心の傷が癒えることはない。 俺だって、いまさらどれだけみんなに優しくされたところで、チビの時に人間どもに散々傷つけられた恨みは消えないし、俺の仲間を殺した奴らに復讐する気持ちは消えない」
「で、でも、でも……」
何も言葉が出てこなくなったルクシア。
彼女はうるんだ眼を強くこすって、エルジェベドの方をふるふるとかすかに揺れる顔で見つめる。 まるで、何かを求めるように。
「ルクシア」
「ぅ……はい」
これ以上彼女を傷つけるわけにはいかない。 それこそ、一生ものの傷となってしまうから。
でもこれだけは、言っておかなければ……エルジェベドは一度小さく深呼吸し、できる限りの優しい声で彼女に向かって告げる。
「私も……ロボと同じ意見だ。 愛の教団の考えは素敵なものだとは思うが、きっそ彼らの夢が叶うことはないと思う」
「どうして、ですか?」
「それは……あっ、そこ」
突然、エルジェベドはルクシアの腰あたりを指さし、妙なトーンの声を上げる。
「へ?」
「いや、ちょっと大きめの虫が止まってたから」
「えっ、嫌! 虫は、虫は苦手なんです!」
ルクシアは慌ててあたりを見渡しながら、全身をパタパタとはたくように叩いて回る。
エルジェベドはその様子を見て、何かを確信したかのように、悲しそうに小さく何度か頷いた。
「——虫なんていないじゃないですか! こんな時にそんな嘘つくなんてひどいです!」
「でも、仮にもしそこに虫がいたとしても、そいつだって日々懸命に生きているんだぞ? それを叩き潰すような真似してよかったのか?」
「でも、虫は怖いし、危険なものもいるし――」
そこまで言って、ルクシアは何かに気が付いたのかとっさに頭を抱えてうずくまった。 いま彼女がどういう表情をしているのか分からないが、そこから聞こえてくる唸り声のようなものを聞けば、なんとなくだが察しはつく。
——たとえどれだけ心に深い傷を負い、皆に必死に助けを求める人がいたとしても、そのような者でさえ耳の近くを飛ぶ羽虫のように忌み嫌うものだって存在する。 また、羽虫のようにしか扱われないものもいる。
そこに理由は存在しない。 いや、実際にはあるのだが、様々な文化が長い年月をもって発展していき、その「嫌う」、「嫌われる」という関係がもはや常識となるまで浸透した今となっては、もはやないのも同じなのだ。
そうなってしまえば、たとえどれだけ他者を愛し、尊び、支えようとする者がいたとしても、誰からの愛も受けることのできずにその一生を終える者が多くあらわれる。
実際、エルジェベドもそうであった。 彼女は割と運のいい方であるので今は大切な仲間もできたが、彼女以外の吸血鬼はそう意幕はいかないだろう。
「——何度も言うが、私は決して彼らの考え方を悪いものだとは思わない。 むしろ、素晴らしい、とてもいいものだと思う」
「……」
「だが、それと同時に、やっぱり実現は無理だとも思う。 愛による平和など……そんなうまい話があるとは、とても」
「そう、ですよね」
ルクシアが体を起こし、真っ赤になった顔をこちらへとむける。
その様子を不安そうな顔で見守る二人をよそに、彼女は無理やり作ったような笑顔を見せながらも、自分は元気だと言わんばかりの声で語る。
「わたしが浅はかでした。 確かに、そんなことがもしできるのならエルジェベドさんもロボさんも、苦しかった過去なんてないはずですしね」
「ルクシア」
「ほんと、馬鹿でした! なんでそんな単純なことに気が付かなかったんだろ――」
「ルクシア」
「……はい」
「そうやって、自分を下げるのはもうやめろ」
「——分かりました」
一通り感情の盛大な上がり下がりを体験した結果か、今の彼女は元通りのおとなし目な性格へと戻った。
さっきまでとは違いすっかり落ち着いた様子で一度目を閉じ、大きく息を吐くと、彼女はまれに見せるような真剣な目をこちらへとむけてきた。
「確かに、あの方たちの理想の実現がほぼ無理だってことはわかりました。 でも、私はあきらめません」
「そっか」
「まあ、お前がそれでいいなら、いいんじゃないか?」
そういうと、エルジェベドは何かを手に取って立ち上がり、ルクシアの前まで歩み寄った。
その手に握られているのは、あの時——教会を出る際にもらった、お菓子の袋。 ルクシアが持っていたものと同じものだ。
彼女はそれをルクシアに手渡し、優しい声で囁きかける。
「これは、お前にあげる。 私が持っているよりも、ルクシアに食べてもらった方がいい気がするんだ」
「あ……ありがとうございます」
「じゃあ、俺のも。 お前が持ってる方が似合う」
ロボも、彼女に倣い自分の持っていたお菓子の袋をルクシアに渡した。
両の手に小さな袋を持ったルクシア。 彼女はそれらを数秒ほどじっと眺め、顔を上げると笑顔で
「ありがとうございます!」
と、元気よく言ってきた。
——
次の日——
「皆さん、昨日の夜は顔を出せずにすいませ――おや?」
エルジェベドらをこの村へと誘ってきてくれたあの老人――いや、司祭は彼女らのいるはずの小屋を再び訪れた。 しかし、そこには誰の気配もない。
家具や部屋の中は以前よりも少しだけきれいになったような気がするが、それが余計にここには誰も住んでいないという感覚を強めてきた。
「皆さん、どこに……」
司祭はその様子を不思議に思い、部屋の中へと入っていく。
あたりを見渡しても、やはり誰もいない。 司祭の足音以外の音も、この部屋からは聞こえてこなかった。
一体どういうことなのか。 もしかしたら、この部屋以外のどこかにいるのだろうか。
そう考えた司祭がこの小屋から出ようと振り返ったその時、部屋の真ん中のテーブルの上に、一枚の紙が置かれているのに気が付いた。
試しに彼は、それを拾い上げ確かめてみる。 それはどうやらあの日、エルジェベドらに食事を渡した時に一緒に添えておいたメッセージカードのようだが、その後ろにはおそらく彼女らが書いたのであろう文があった。
『親切な司祭さんへ
あなたがこのメッセージを読んでいるときには、私たちはもうこの村を出て、どこか遠いところまで行ってしまっていることでしょう
勝手な行動であることは、重々承知しています。 しかし、私たちには旅を続ける目的があるのです。 それがどれだけ長く辛いものであっても。
その目的は、あなたに詳しく言うことはできませんが……それほどまでに大切なものなんだと思っていただければ、うれしいです。
数日の間、私たちに親切にしてくれて本当にありがとうございました。
そして、今後もうあなたに合うことはないでしょう。 さようなら
吸血鬼と、その仲間たちより』
一行ずつ慎重に、大切に、じっくりとその手紙を読んでいく司祭。
そして最後の名まで読んだとき、彼は
「そうでしたか……お大事に」
と、その手紙に対して一度深く礼をし、折り目や皺のつかないように丁寧に胸のポケットへとしまった。
彼はこの小屋を出る時にも、もう誰も住んでいない部屋の中に向かっての一礼を忘れなかった。
——
「結局、出て行くことになっちゃいましたね」
暗い夜の獣道を歩くエルジェベドら一行。
そんな中、唐突にルクシアがそう口を開いたのだ。
「あの村なら、もう少し滞在してもよかった気がするんですけどね」
「向こうから襲ってくることもなさそうだからなぁ」
「それはそう、だが……」
エルジェベドの様子が、少しだけおかしい。
普段は見せることのないような、ばつの悪い顔をしてうつむいている。
「ルクシアの考えを聞いて、彼らの大切なものを否定するような思いを持つ私があそこに居続けるのは、失礼な気がしてな……」
「そうですかね。 あの皆さんなら許してくれそうな気もしますが」
「正直、居心地が悪い……」
今度はその顔が、病んでいるときのような色の悪いものと変わった。
どうやらあの時、彼女もまたルクシアのように心を痛めていたのかもしれない。
「元気出してください!」
「分かった。 ちょっとは出す」
「そんなノリで出るものなのか……?」
「ああ、あと改めて言うと、ルクシアの方が正しいと私は思うぞ。 正直、自分の考えの方がこの世の多くの者には受け入れられないものだと、思ってる」
なんとなく、皆がここで一度足を止めた。
そばには何も目立ったもののないただの道であり、その行為にも意味はない。
どういうわけか。 ほんの気の迷いが、彼女らをそうさせたのか。
それは、誰にも分からなかった。
「——じゃあ、行こうか」
彼女らは、再び歩き出した。 どこともわからぬ所へ向けて――
吸血鬼と月夜の旅 @haruka_workroom
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