第5話 【不死身】

「"奇跡"か……」


 縁切りの神様が消えた教会で、野山はヨロヨロと立ち上がる。"奇跡"は消えた。それでも神杉は今尚野山を圧倒する力を持っている。にも関わらず、神杉は狼狽し、後ずさってしまう。

 "奇跡"を断たれた。それは神杉にとって、文字通り生まれて初めての事だ。

 言葉に出来ない程の不安感と焦燥感。それが神杉を後ずさらせた。


「"奇跡"ってのは、最善を尽くして、その上で願うもんだ。やっぱり、お前みたいなやつが使って良い力じゃない」


「ふ、ふん! 随分と強気じゃないか! 結局、僕より強くなった訳じゃないだろう? ピアスだって全部壊れてる。万が一僕に勝とうだなんて……!」


 そこで唐突に、ベロン。と、野山がバカにするように舌を出した。

 は?と声を漏らした神杉は、その舌の先で輝くピアスを見つけて、ギリッ!と歯を鳴らす。

 『ピアスが全て壊れればゲームオーバー』、神杉の言葉に嘘はない。ならば、野山はまだ勝負の土俵際に立っていた。


「のぉやまぁぁぁあああ!!」


 バリバリと赤い雷を纏いながら、神杉は突進する。

 ここでもし、何の情緒もなく神杉が後ろに引いて雷を放ち続ければ、野山はじり貧だっただろう。

 完全に神杉は冷静さを失っていた。

 それに対して野山は、いたって冷静に、最後の術を放つ。


「【神鳴り】」


 バリバリバリッ!!

 青白い光がサーベルから炸裂し、神杉の赤い雷を引き裂いた。


「のや……!」


 何か口を開いた神杉は、その先を続ける事なく、光の奔流に飲み込まれる。

 ゴォォオオン……。と雷の着弾音が教会に反響し、遅れて、パリンッ。とピアスの割れる音が鳴った。


「俺の勝ちだ、神杉 要」


 仰向けに転がる神杉は、完全に白目を向いて気絶していた。【神鳴り】が直撃して五体満足なのは、"奇跡"ではない、彼の実力だろう。

 野山は神杉が消し飛ばなかったことに安堵しながら、もう一度サーベルを構えた。

 勿論、ディーが閉じ込められた水晶へ向けて。


「ディーは返してもらう」


 野山がサーベルを叩きつけると、水晶に亀裂が入る。それは一気に水晶に広がると、カシャンッ。と軽い音を立ててくだけ散ってしまった。

 支えを失って落ちてくるディーを、野山はそっと受け止める。


「……野山」


「大丈夫か?」


 うっすらと目を開けたディーは野山を見つけて、ポツリと言葉を漏らす。


「……う」


「あ?」


「ありがとう」


「気にすんな。まだ何も解決法してないんだからな」


 そう、神杉を倒したとはいえまだディーの右目には『ウロボロス』が残ったままだ。

 この呪いを解くまではハッピーエンドとは言えないだろう。


「もういい」


「今度は何だよ」


「呪いはもういい。野山、ボロボロだし」


 野山は先ほどの神杉との戦闘で、満身創痍という言葉すら生易しい程血塗れになっている。

 顔に着けていたピアスが弾けたせいで顔面は血だらけ、その体も雷に焼かれた火傷が見え隠れしていた。


「何言ってんだ。ここまで来たらお前が嫌でも呪いを解くまでとことんやるぞ。先ずは桜を探して……」


「もういいってば!」


 ディーは自分を抱き上げている野山の手を押し退けて、地面に転がる。

 その際ディーの服に着いた砂ぼこりや野山の血は、『ウロボロス』の修復力によってすっかり消えてしまう。


「おい……」


 野山が手を伸ばすが、ディーはそれを弾く。


「野山……死にそうじゃん」


 消え入る声でディーが呟く。


「死なねぇよ」


「嘘つき。私みたいに怪我が治るわけでもないのに……!」


「ディー……」


「私なんて見捨てれば良かった」


 ポロリと、ディーの目から涙が落ちる。


「幾らでもチャンスはあったじゃん! 仲間を呼べば私を捕まえるなんて簡単だったんでしょ!? 一人でもそのピアスを使えばどうにでもなった筈! それか私に素直に協力するふりをして陰陽師に引き渡すとか

、何でそんなにボロボロになってまで……!」


 ディーはここまで、まるで役に立たなかった。それどころか、圧倒的弱者だった。

 【ホワイト】の寄越した化け物に圧倒され、【unknown】の刺客であるアシュラにあっさりと組み伏せられ、【陰陽師協会】の"青薔薇"に惨敗した。

 別に、ディーは自分が最強だとかそんな傲慢な自負があった訳じゃない。だが、"蛇の呪い"があれば少なくとも逃げ切れるのではと、そう考えていた。

 しかしそれは甘い考えで、そして、そんなディーに野山はずっと手を貸してくれている。


「なんで……!」


「ディー」


 矢継ぎ早に叫ぶディーに野山は手を差しのべ、言う。


「それは俺一人が助かる道だ。お前を助けられない」


「……っ!」


 唇を噛んだディーは、溢れる涙を止められなくなる。ただそれだけのこと。ただ野山はディーを見捨てられないから、助けたいから手を差しのべる。


「良いの……?」


 尚不安げに手を伸ばし返すディー。


「今さら聞くなよ」


 野山が呆れた様にディーの手を握りしめた時、教会に場違いな拍手が鳴る。


「良いね! ボーイミーツガールって言うんだっけ? こう言うの」


 拍手をしていたのは、『荘園』を突破した"悪意"だ。野山は咄嗟にサーベルを抜いて、ディーの前に立ち塞がる。

 彼の間の悪さは正に悪意の成せる技だが、野山がサーベルを抜いた理由はそこではなかった。

 彼は野山をここまで連れてきてくれた張本人だ。神杉の裏切りにも、彼の助言が無ければ気づけなかった。だからと言って、手放しで信用出来る相手でもない。

 つまり、一難去ってまた一難だ。


「"校長"、見逃してくれないか?」


「何言ってんだ! ここまで協力したのも、お前と神杉をぶつけたのも、全部その『ウロボロス』を奪う為だ! 不死身の存在……みすみす逃す訳あるかよ!」


 血に染まった片手剣を赤く、鈍く光らせながら、"悪意"は二人へと迫ってくる。

 野山にとっては、こうなるの自明の理だった。警戒していなかったわけではないが、だからと言って、神杉相手に温存出来る訳もなかった。


 "悪意"は裏切る為に、そのために野山をここまで連れてきたと言って良い。神社にて、野山と『荘園』の戦闘を眺めていたのが何よりの証拠だ。


 ここで"悪意"に阻まれディーを奪われる。

 その後は……想像したくもない。彼が以前に言い放った『学園での生徒としての生活』も、今ではどこまで信じて良いのやら。

 正に最悪のシナリオ。"悪意"にとっては予定調和のシナリオが進もうとした瞬間、教会の外から、目映まばゆい光と共に文字通りの横やりが入る。


「ダメだよクリスチャン、二人の邪魔をしちゃ」


 光の速度で現れた『クルト様』は、"悪意"の本名を囁きながらその肩にそっと手を触れる。


「てめっ……!」


 "悪意"が片手剣を振り抜く前に『クルト様』の手のひらから光が溢れ、それは丸い球体となって"悪意"を飲み込んでしまう。

 ギュゴンッ。と光の球が収縮し、またたいたかと思うと"悪意"共々消えてしまった。


「【ホワイト】……! と、桜!?」


 野山は太陽を象った白い仮面に警戒を示しながら、その後ろについてきた桜に目を見開く。


「ディーさん! 野山さん……どわー! 野山さん血だらけ!?」


 野山は相変わらずのリアクションを見せる桜に安堵のため息を吐きながら、まだ安心するには早いとかぶりを振る。


「【ホワイト】だな? 何で桜といる」


「そう警戒しないで欲しいな。私は邪魔なんてしないよ、大丈夫」


「か、彼は【ホワイト】のリーダーのクルトさんです。私をここまで連れてきてくれて……」


「お前が?」


「警戒しないでおくれって。あぁ、さっきの光の球体はインターバルがいるんだ。どうせ連発出来ない」


 早々に手の内を晒したクルトだったが、それで『はい、そうですか』と納得するわけにもいかない。


「もう一度聞くぞ、何で桜といる」


 結局、野山にとって重要なのはその1点だ。【陰陽師協会】によって捕らわれた筈の桜。その桜を連れて現れた【ホワイト】のトップ。

 【ホワイト】とはディーを巡って一悶着起こした仲だ。盲目的に『クルト様』を信じられる訳がない。


「おや、ディーと呼ばれるその子を助けたいと思うことの、どこが変だと言うのかな?」


「お前の信者はこの子を捕まえようとしていた筈だ」


「日本の信者は、ね。どうも私の教団は一枚岩では無いらしい」


ーー何を企んでる?


 ニコニコと微笑む『クルト様』を、野山は怪訝そうに睨み付ける。

 【ホワイト】の教義は『全てを白日の下へ』。

 つまり、秘匿された裏の世界を表に引きずり出す事を目指している。まさかそのトップである『クルト様』の思想がそこから外れている事はあるまい。


「お前が【unknown】の"校長"を敵視するのは分かるが……」


「校長? あぁ、クリスチャンの事か。いや、うん。"校長"ね。そうだね、彼の『全てを闇の中へ』と言う理念には賛同しかねる」


 そこまでは分かる。だが、まだ彼の行動原理には結び付かない。何か桜を助けたメリットがある筈。


「……まさかお前、桜の正体に気付いてんのか?」


「え!?」


 その言葉に何より驚いたのは、桜本人だった。

 彼女曰く、600年程前に記憶を失ってから、その記憶を求めながら世界を彷徨ってきたらしい。


「その様子だと、君も気付いているのかい?」


「えぇえ!?」


 先程よりも驚愕した顔で桜に叫ばれ、野山は苦々しく呻く。

 『正体を知っているのか?』とでも聞けばまだ弁明の余地もあったろうが、『気付いているのか?』と聞くのは自分も知っているかのようなニュアンスをはらんでしまっている。


「あぁ、だがそれは……」


「おや、私が気にするとでも?」


 チッ。と野山は舌打ちする。と同時に、『クルト様』のコードネームを思い出していた。

 "善意"。それが彼のコードネーム。

 野山を騙し、煽り、神杉と戦闘させ目的を達成した(しかけた)"悪意"とは対照的に、野山を助け、助言し、ディーを助けさせ自らの目的を達成しようとしている。


 その方法は、野山が桜を初めて見た時から浮かんでいた物だ。しかし行わなかったのは、桜が自分の正体を知ったとき、何が起きるのか分からなかったからである。

 最悪記憶を取り戻したその【厄災】が、日本で暴れまわるかもしれない。そして、"善意"たる『クルト様』はそれを望んでいる。【厄災】をもって、世間に全てを知らしめようとしている。


「けれど、それ以上の方法はないでしょ?」


 "善意"は無邪気にそう笑う。

 もし野山が断っても、彼は桜に真実を告げるだろう。


『ディーを助けさせてやるから、お前が引き金を引け』


 "善意"は暗にそう言っているのだ。

 わざわざ桜を連れてきたのがその証拠。


「卑怯者が……」


「人を使うのが宗主の仕事なのさ」


 野山は不安そうに自分をみる桜とディーに気付いて、ふぅ。と一つ息を吐く。

 そして、意を決して桜の方へ視線を向けた。


「桜、ディーを助けるためには『ウロボロス』を弱らせる必要がある。お前の躍りで、やってくれ」


「で、でもさすがに不死身の存在を弱らせるなんて……」


「出来る。お前ならな」


 そして、野山は桜の正体を告げる。


「お前が黒死病の死神……死の舞踏を踊る、世界最悪の死神だからだ」



















 踊る、踊る、踊る。

 彼女は一人で踊っていた。


 踊る、踊る、踊る。

 彼女は皆と踊っていた。


 楽しげに、狂喜的に、市民の手を取って踊っていた。


 不安げに、胡乱げに、聖職者の手を取って踊っていた。


 魅惑的に、官能的に、教皇の手を取って踊っていた。


 踊る、踊る、踊る。

 彼女は皆と踊っていた。


 踊る、踊る、踊る。

 彼女は一人で踊っていた。


 だだっ広い墓場で、彼女は死人と踊っていた。



















 黒死病は根絶されていない。

 人間が根絶出来た病気は、天然痘ただ一つだけである。故に、黒死病はその猛威こそ薄れはすれどこの世界から消えていなかった。


 ならばその化身たる黒死病の死神が、未だ世界のどこかに居たとしても何らおかしい事ではない。


「そう……でしたね」


 ポツリと呟いた桜のその瞳がより一層黒く染まる。

 黒死病の化身へと、変化していく。

 否、巻き戻っていく。


「桜……!」


 野山の懇願するような呼び掛けを聞いて、桜はゆっくりと顔を上げる。


「大丈夫、です。今のところは……」


 黒い、全てを飲み込んでしまいそうな真っ黒な瞳だ。しかしそこには確かに桜の意志が見える。


「やりましょう、野山さん」


「あぁ……頼むぞ、桜」


 ディーを『ウロボロス』と切り離す準備を始めた三人を見て、"善意"はうぅん。と唸る。

 "善意"にとって、この光景は完全に予想外だった。黒死病の死神である桜が、その記憶を取り戻して尚、人に尽力する。


「それほどあの女の子に肩入れしたのか……てっきり、見境なしに躍り始めるんだと思ってたのに」


 死の舞踏。

 誰も逃れられることの出来ない死の誘い。かつては教皇すら死に陥れたと言う、文字通り『ガード不可』の絶対攻撃。

 その昔ヨーロッパを恐怖に陥れたその舞踏、【ホワイト】に伝わる伝聞録には、こう綴られていた。


『彼女はただ、楽しげに死人と踊っていた』


 つまり黒死病の死神は踊るのを楽しんでいた筈で、記憶を取り戻せばその性根も戻るものだと"善意"は踏んでいた。

 果たしてそれは間違いだったわけだが……。


「彼女にとっても、600年は長かったか」


 思考の末に、"善意"はポツリと一人ごちる。

 実のところ、それは少し違う。彼女を変えたのは、つい数時間前の、桜とディーの会話だ。


『桜ねぇが何者だろうと、私がどれだけ普通だろうと、私は桜ねぇと一緒に居たい』


 そうディーは言ってくれたのだ。


「私も、貴方と一緒にいる努力をしたいです」


 野山が最終調整に入った頃、桜はそう呟く。

 600年の間、桜は人を避けて過ごしてきた。山の中で、ただぼんやりと日々を生きていた。

 それは自分の舞踏の性質に気付いていたからだ。命を奪い、衰弱させる。

 それでも桜は踊る事が好きだった。だから誰も居ない山の中で、ずっと一人で踊っていた。


 人と生きるなら、踊れない。踊るならば人とは生きられない。600年、彼女は一人で踊っていた。『誰かと一緒に踊りたい』と、そう願いながら。


 記憶を失って100年程経った頃、たまたま山の中で死んでいた男を弔う為に踊った時、思いがけない事が起こった。

 パチパチパチ。と、何処からともなく拍手が響いたのだ。びっくりして音のする方を見れば、男の死体が、腐りかけた手を持ち上げてパチパチと打ち鳴らしていた。

 それは、決して称賛ではなかったのかもしれない。自分の願いが産み出した、歪な幻想だったかもしれない。でも、それでも、彼女は嬉しかった。

 それからだ、彼女が墓場で踊るようになったのは。


『すごかった』


 ディーが桜と初めて会い、そう言ってその躍りを褒めた日も、桜は墓場で踊っていた。

 パチパチパチ。と、虚しい万雷の拍手の中に、可愛らしい音が混ざっていた衝撃を今でも覚えている。


『どうして? 褒めてるのに……』


 この時、600年の時の中で初めて、桜の心が踊った。そのディーが、一緒に居たいと言ってくれたのだ。桜にはそれで十分だった。

 だからこそ……


「これで、踊るのは最後ですね」


 立ち上がり、野山の儀式の終わりと共に現れた『ウロボロス』を、真っ直ぐ見据える。そして一言、自分の最後のわがままを口にした。


Shall we dance?私と一緒に踊りませんか



















 『ウロボロス』は自らの尾を噛んだ蛇である。

 それが成す輪は不滅を意味しているとも言われ、そのマークはその道に通じていなくても一度は見たことがあるかもしれない。

 しかしてそこに現れたのは、ギョロリとした巨大な赤い蛇の片方の目玉だった。

 たった片方でも、山そのものが現れたのではと錯覚する程の大きさを有する目玉を見て、教会の前で戦闘を続けていた内の誰かがポツリと呟く。


「ヨルムンガンド……?」


 その呟きが集団に波及する前に、それぞれのチームのリーダー格たちが声を上げる。


「退却ゥ!」


reterat!撤退だ!


「解散! 後は各々適当に!」


 『百鬼』、【unknown】、『伽藍堂』が三者三様の指示を受けて、その場から散会していく。


 一説では、世界を囲む蛇、ヨルムンガンド。それが世界を一周して自らの尾を噛む光景を、人々がシンボルとして捉えた結果が『ウロボロス』であるという。

 しかし、その姿を見たものは殆どいない。それは『ウロボロス』が普段は自らの巨体故に、異界にその身を引っ込めているからだ。


 だからこそ、今『空を割って』現れた『ウロボロス』を見た者たちは、とても幸運だったのかもしれない。


「最悪じゃ……!」


 或いは、"百鬼"の呟き通り、その余りにも巨大な目玉だけを覗かせる『ウロボロス』に睨まれていることは、とても不運だったかもしれない。


「誰が呼び出した! 『触媒』は何だ!? 世界蛇などお呼びでないぞ!」


 身動きの取れない者たちが背負われて、或いは浮かされて運ばれていく中、意識的にか無意識的にか、その場で最も高い実力を持つであろう"百鬼"が、悪態を付きながら殿しんがりを勤めていた。

 危険な一番後ろを走りながら、"百鬼"は逃げ損なった者たちの尻を蹴っ飛ばして前方に転がしている。


「あー……確か今回の騒動の中心にいる女の子が『ウロボロス』の一部を宿してるらしいわね」


 その"百鬼"に付き添っているのは、先程まで対立していた"猫又"である。

 しかしこの緊急事態に一々細かいことは気にしていられない。手荒な救出活動を手助けする"猫又"を歓迎しつつ、"百鬼"は空に現れた巨大な目玉を見つめる。


「まさか、会長の仕業か?」


「いやいや、さっきから会長の霊力消えてるし、野山がディーって子を助けるためにやったんでしょ」


 "百鬼"の疑いを、"猫又"が一蹴する。

 現にその会長が放っていたであろう雷はさっきからピタリと止んでいる上に、野山の霊力は今尚感じられた。


「どういう理屈だ。まさか本体を倒せば、その少女に宿る『ウロボロス』も消えるとでも言いたいのか? 『ウロボロス』は不死だぞ」


「『リンクを切るって』豪語してたわよ」


「なるほど、藁人形の理論か……しかし、それでも簡単ではなかろうて」


 しかし、その"百鬼"の予想は直ぐに裏切られる。

 教会から目玉に向かって、強力な呪いが一直線に突き刺さったのだ。

 教会から遠く離れた"百鬼"たちでも怖気おぞけが走る程の邪悪な呪い。

 黒死病の死神の呪いだ。

 それに直接晒された『ウロボロス』は声こそ上げずとも、大気を震わせながら、ギョロギョロと目玉をしっちゃかめっちゃかに動かしている。


「事前に教会周りに、認識阻害用とバリアー用の結界を張っておいて正解でしたね。二重の意味で」


 それは『あの目玉が一般人に見つからない』、そして『あの呪いが結界から外に出ない』という二つの意味だということだろう。

 "猫又"の軽口を無視して、"百鬼"は空の上の光景に、ただただ、ため息をついた。


「野山め、何てものを飼い慣らしておるんじゃ」
















 影が踊っていた。

 軽快に、快活に、黒死病の死神が踊っている。


 クルリクルリと手を取って、捕まりゃ終いの死の舞踏。

 クルリクルリと嘲笑い、踊らにゃ損と囁くステップ。

 クルリクルリ、カラカラと、骨になっても踊りゃんせ。


 それはかつて人類を、無差別に殺した無情の死神。

 野山はその無差別に指向性を持たせ、撒き散らされる呪いを『ウロボロス』に向かって浴びせ続ける。が……


「ちっとも弱った気がしねぇ!」


 『ウロボロス』は桜が精気を吸い取った端から再生し、声にならない空気の振動を響かせ続けている。

 振動は留まることなく、既にボロボロだった教会をさらに破壊していく。

 これが不死、神杉が欲した永遠の力だ。


「どうしましょう野山さん! 天井まで落ちてきてますよ!?」


「取り敢えず桜には踊ってもらうしかねぇ。幸い、『ウロボロス』の再生と拮抗出来てる。だから、あともう一押し……!」


 『ウロボロス』を弱らせる為に何か無いかと熟考する野山の肩に、ディーの小さな手が置かれる。


「私がやる」


「ディー……」


「もう私しかいない。そうでしょ?」


 実際それしか手はなかった。

 野山たちの作戦は単純だ。『ウロボロス』を弱らせ、ディーと『ウロボロス』の間にある繋がりを断ち、ディーを不死たらしめている原因を取り去って彼女を普通に戻す。


 だがその為にディーを頼っては、本末転倒ではないか。


「野山、お願い。私にも何かさせて」


 この場には、野山、ディー、桜の三人しかいない。『クルト様』こと"善意"は、『ウロボロス』が現れた途端、旗色が悪くなったと悟ったのか姿を消してしまっていた。


「……分かった」


 野山は頷いて、直ぐ様準備に取りかかる。


「ディー、『ウロボロス』を直接叩くんだ。微々たるもんでも良い。あいつの再生を他に剃らせればそれで十分」


「うん」


「そして『ウロボロス』をこれ以上こっちに呼び出すのは物理的に無理。ここで目玉に殴りかかっても桜の呪いに巻き込まれちまう」


「うん……」


 続きの言葉を察したディーは、静かに拳を握り締める。


「お前を"あっち側"に飛ばす。『ウロボロス』がいる異空間に」


「……」


 つまり、ディーは『ウロボロス』と直接対面することになる。

 何の因果かその一部がディーに宿り、彼女を不死にして今回の騒動を巻き起こした張本人。その『ウロボロス』と、彼女は対面するのだ。


ーー或いはもう少し早く、こうするべきだったのかもな。


 誰にも聞かれないよう、野山は一人心の中で呟く。

 ディーを呪った『ウロボロス』。その真意を聞くには、いずれにせよその異空間へと出向く必要があった。

 それがたまたま、今だったと言うだけの事。


「準備は良いか? ディー」


 複雑怪奇な魔方陣の上にディーを乗せて、野山は問う。準備は良いかと。


「大丈夫」


「よし、行ってこい!」


 ディーの背中をバン!と力強く叩いて、野山は魔方陣を起動させた。



















 ディーが魔方陣によって転送された先は、広大な森の中だった。

 生い茂る木々がざわめき、普段ならあり得ない『ウロボロス』以外の存在を歓迎している。


「『ウロボロス』……」


 ディーが見つめる先に、そいつは鎮座していた。

 ディーは何も『ウロボロス』の間近に転移したわけではない。寧ろかなり離れているであろう。しかしその場からでも、『ウロボロス』の全容は見て取れない。

 精々本来は目玉がある筈の空っぽの眼窩と、少しだけ開いた口が見えるだけだ。


 その体を覆う深緑色の鱗は一つ一つが規格外のサイズをしており、それが一つ落ちるだけでも人間は殺されてしまうだろう。

 裂けた口の中には『ウロボロス』自身の尻尾があり、遥か彼方から伸びるそれを、『ウロボロス』はしっかりと噛んでいた。


 その口が蠢いて、山彦の様な呟きを叫んだ。


『『『何故来た』』』


 『ウロボロス』にとっては囁き声でも、人間にとっては絶叫に等しい。

 圧倒的な音圧に晒されながらも、ディーは表情を変えない。


「呪いを解いて欲しい」


『『『ふむ……折角、死にかけていたお主に授けた不死だと言うのに』』』


「これのせいで苦労した」


 ムッ。と眉を潜めるディーに、『ウロボロス』はクツクツと笑う。

 森が、いや異空間が盛大に揺られて、木々がざわざわと揺れる。


『『『それのお陰で生き延びられただろう?』』』


「それは……まぁ、そこは感謝してる」


『『『素直でよろしい』』』


「でも、何で私に?」


 ディー以外にも研究所には悲惨な目にあった子供たちがたくさん居た。

 何故その中でわざわざディーを選んだのか。


『『『別に、大した理由はない。気まぐれだ』』』


 それは圧倒的に上位の存在の、気まぐれ。

 ただそれだけの事。


『『『神とはそう言うものよ。それに、右目を通して随分と楽しませてもらった』』』


 そう言って笑う『ウロボロス』に、ディーはもしやと言葉をかける。


「そっちがメイン?」


『『『ばれたか。そう、お前は口実だ。よって、呪いを解くつもりもない』』』


「はぁ……」


 結局、ディーも野山も桜も神杉たちも、『ウロボロス』の気まぐれに付き合わされただけなのだ。

 只の気まぐれで大きな騒動を起こした『ウロボロス』は、しかし少し面白くなさそうに声を低くする。


『『『しかし、ここまで来るとは思っていなかった。予想外だ。今我が身を蝕む呪いも、また然り』』』


「罰が当たったね」


 べー。と下を出すディーに、『ウロボロス』は無い筈の目を丸くした。


『『『ハハ、ハハッハハハ! なるほど! 確かに、これは私の因果応報と言えよう! ハハハハ!』』』


 ハハ……!と笑った『ウロボロス』は、何やら準備運動をしているディーに首を傾げる。


『『『何をする気だ』』』


「お仕置き」


『『『ほほぅ、私に? しかしこの巨体、どうやって傷付ける? 悪いが私は……』』』


「悪いけど」


 『ウロボロス』の言葉を遮って、ディーは森を駆ける。


「私、今負ける気しないから」


 とっくに治っている筈なのに、野山から叩かれたディーの背中には熱い痛みが脈打っている。

 今、この時だけは、ディーは誰よりも強くなれる気がした。



















 ズシンッ!と音がして、空に現れている『ウロボロス』の目玉が揺れた。


「ディー……!」


 異空間で戦っているであろう少女を心配しながら、野山は好機を伺う。

 ディーと『ウロボロス』の繋がりを断つには、もう少し『ウロボロス』を弱らせる必要がある。かといってあまり『ウロボロス』を弱らせては、世界にどんな影響があるかも分からない。


「それに今の今まで思い至らなかったのが情けねぇ……」


 野山は今の今までただ弱らせれば良いと思っていたが、『ウロボロス』は世界を支える蛇だとも噂される。それを弱らせれば何が起きるかなど一目瞭然だ。

 いや、そもそも弱らせる事自体が非現実的で、その先に思考が向かないのは当たり前だろう。

 黒死病の死神などと言うド級のイレギュラーが無ければ、成し遂げられない事だった。


 とにもかくにも、今野山が出来るのはタイミングを見て『ウロボロス』とディーの繋がりを断つ事だけだ。

 しかもディーを異空間から回収しながら、だ。


「やるしかねぇよな」


 そう、やるしかないのだ。最早野山以外の誰にも、その役割は担えない。

 思えば短い旅路だった。

 時間にしてたった二日。一体何がどう転んで会長を打破し、あまつさえ『ウロボロス』と対峙することになるのか。

 一体これからどうしたものかと、今後の進退について真剣に頭を悩ませるが、それどころではないと、今はその思考を頭の片隅に追いやる。

 そして、確実に弱っていく『ウロボロス』をじっと睨んだ。


 弱ってしまえば、『ウロボロス』とディーの繋がりを断つのに、何も難しい事はない。ただ力の限り、切りつけるだけ。

 だからこそ野山は、残っている力を振り絞り、サーベルを握り締めた。

 ディーには死なない等とのたまったが、実際のところ野山の体は既に限界を迎えていた。霊力で補って何とか立っているものの、その霊力もここで尽きてしまうだろう。


「その後は、時の運だ」


 野山の黒い相貌に、ユラリと微かな綻びが映る。


「ここ……だ!」


 振り下ろされたサーベルは確かにその綻びを捉え、一瞬拮抗した後、プツンッ。と音を立てて消え去った。


「の、野山さん!」


 桜が叫んだのと、『ウロボロス』がギョロリとした目玉を野山に向けたのは同時だった。その細長い瞳孔に光が集まり、よくもやってくれたとばかりに放出される直前、目玉をこちらの世界と結び付けていた『空の裂け目』が、巨大な魔方陣に切り替わる。


「ディー……!」


 野山は掠れた声で、異空間に消えた目玉の変わりに現れたディーを呼ぶ。


「桜、頼む!」


「は、はい! 勿論!」


 目玉が消えて唖然としていた桜は、野山に言われてディーの落下地点まで走る。

 そう、『ウロボロス』との繋がりを断った今、ディーは普通の少女だ。あの高さから落ちれば死んでしまう。

 おっとっと、おっとっと。と何度か位置を変えた桜は、教会のど真ん中に落ちてきたディーを見事キャッチした。


「セ、セーフ!」


「……何も空に出さなくても」


 一命を取り留めたディーは、息つく間も無く野山に悪態をついた。


「あれしかなかったんだ。文句言うなよ」


「死んでたかもしれ……アイテッ」


 コツン。と桜に頭を小突かれて、一瞬キョトンとしたディーは気恥ずかしそうに目を伏せて、ポツリと呟く。


「ありがとう、桜ねぇ。野山も」


「当然です! ね、野山さん?」


 同意を求められた野山は、ふっ。と息を吐いて、気が抜けた様に笑みを溢した。


「そうだな。これでディーは……」


「ディーじゃない」


 感慨深げな野山の声を、少女が遮る。

 そうだ。ディーとは、研究所で付けられた『実験体D』から来ている。彼女の名前は、ディーではない。


梨鈴りり。それが私の名前」


 野山は呆気に取られたように押し黙って、しかし直ぐに、微笑みを取り戻す。


「そうか、梨鈴。初めましてか?」


「それは寂しい」


「それもそう……か」


 そこまで言葉にしたところで、気力だけで立っていた野山はその気力すら使い果たし、前のめりに倒れ込む。


「野山!」


「野山さん!?」


 慌てて体を支える二人に全てを任せて、野山は意識を深く沈ませる。


 かくして、"蛇の呪い"に侵された、不死身の『実験体D』は死んだ。

 ディーという少女が死ぬための物語は幕を下ろし、梨鈴という少女が生きるための物語が幕を上げる。

 梨鈴の生誕……いや、復活を、ボロボロの教会が静かに祝福していた。



















「丸く収まっちゃったか。参ったな」


 そんな教会の様子を、少し離れた丘の上から"善意"が見つめていた。

 混乱に乗じて認識阻害の結界を壊そうとしていたのだが、"思わぬ邪魔"のせいで、どうやらその前に決着がついてしまったようだった。


「まぁ、今回は私の負けかな」


「ハッ、良い気味だぜ」


 バカにしたように笑うのは、土まみれの"悪意"だ。長大な片手剣を携えながら、"善意"に敵愾心を剥き出しにしている。


「土の中に生き埋めにしたのに……よく戻ってくるよ、全く」


「俺の計画が崩れたのにテメーだけ上手くいくなんて許せるかよ」


 "悪意"は、"善意"によって教会から排除された後、"善意"を妨害するためにわざわざ戻ってきたらしかった。

 そのお陰で"悪意"も"善意"も、結局企みを達成出来なかった。


「今回は引き分けってことで」


「今回はな」


 二人はどちらともなく背を向けて、別々の方向に歩き出す。

 またいつか対立するだろうと確信しながら、今はただ、互いに背を向けて歩き続けた。



















 結果から言えば、【陰陽師協会】は大改革に踏み切らざるを得なかった。

 それは会長の退陣の影響もそうだが、何より二大柱とされていた『荘園』と『百鬼』が壊滅的なダメージを負ったことが問題だ。

 『荘園』は恩人である神杉を追う形で引退。『百鬼』はその中に紛れていた『伽藍堂』のメンバーが、『百鬼』としての居場所を失い、傷に倒れた物を含めればその戦力は半減したと言っても過言ではない。


「で、"百鬼"のおやっさんが会長に推薦されて、そもそも『百鬼』自体が空中分解寸前と……」


 そう呟くのは、自身も先の騒動で重傷を追い、病院のベッドに寝転がる"河童"だ。

 任務の際に付けている仮面を今は外し、その端正な顔立ちを見せつけている。


 『百鬼』のリーダーである"百鬼"は相応の実力者で、人望もある。それは『百鬼』の面々を引き連れていた事からも明白だろう。

 しかし会長になるとなれば『百鬼』のリーダーは続けられない。【陰陽師協会】の上層部は会長の空席を取るか、『百鬼』の壊滅を取るかで揉めているそうだ。


「他の奴らは会長にならないのか?」


「会長の器となれば日野さんが居るが、彼は前会長と懇意だった。疑いの目が向けられている」


 答えるのは"河童"のお見舞いに来ていた"火男"だ。

 先に傷を完治させた彼は、既に任務に駆り出されているそうだ。

 【陰陽師協会】のゴタゴタが片付くまでは忙しくなると、"火男"は仮面の奥でため息をつく。


「ふーん。まぁ、もう会長とか居なくても良いんじゃないの?」


「それは俺も同感だ」


 これは騒動以降【陰陽師協会】の中で広がっている話である。今回の大騒動は会長が大きな権限を持っている事に起因したという見方だ。

 一人に大きな権力を持たせるのは止めた方が良い。少なくとも平の陰陽師の多くはたちはそう考えているようだった。


「しかし、【陰陽師協会】の進退よりも気になるのは彼だ」


「あぁ、野山……まだ目を覚ましてないんだって?」


 この件の一番の功労者である野山は、無理が祟って三日三晩眠り続けていた。

 命に別状はないと言うことだが、心配せずにはいられない。


「麗しい嬢ちゃん二人に心配されて、まだ目覚めないたぁ贅沢な王子様だなぁ」


「それも、同感だ」


 "火男"は、さて。と呟いて立ち上がると、これ見よがしに腕時計を見つめて口を開く。


「では、任務で忙しいのでそろそろお暇させてもらう」


「おいおい、そこは『傷が早く治ると良いな』とかさぁ」


「早く現場に復帰出来ると良いな」


「おいおい……」


 軽口を叩いて病室を後にしようとした"火男"は、その出入り口に差し掛かったところで、目の前を走り去る影を見つけて立ち止まる。

 危うく当たるところだったと影の正体を見ると、黒いワンピースの端が曲がり角の先に消えていくところだった。


「あれが噂の死神か。何やら急いでいたが、まさか……」


 少し間を空けて、"火男"は大胆な予想を口にする。


「野山もとうとうお迎えが来たか」


「ーーっんでだよ!」


 冴え渡った"河童"のツッコミは、生憎誰にも届かなかった。



















「野山さん!」


 野山の病室に飛び込んで来たのは、相変わらずの黒いワンピースを着用した桜だった。黒死病の死神としての記憶を取り戻した彼女は、しかしそれまでと何ら変わらない態度でベッドに寝転ぶ野山に駆け寄ってくる。


「大丈夫ですか?」


「……ここは、病室か。運んでくれたのか? ありがとな……」


「あぁ、いえ。引き返してきた陰陽師の方々が保護してくれましたから……」


 第一声でお礼を述べる野山に、桜が慌てて訂正をいれる。


「本当に、大丈夫ですか? 急に倒れてびっくりしたんですから」


「あぁ、死なないとか言った手前、ディー……じゃなくて梨鈴には悪かった」


「梨鈴さん、拗ねてましたよ?」


「はは……まぁ、生きてるから許して欲しいな」


「それは私じゃなくて……」


 桜が言葉を続ける前に、病室に近づいてくる足音が聞こえてきた。


「野山……!」


 桜以上の勢いで飛び込んできた梨鈴は、ギョッとしている野山を見つけると、その目をキッ。と尖らせる。

 そしてツカツカとベッドまで早足で近付き、野山のほっぺを掴んで横に伸ばした。


「寝坊助!」


「ふ、ふまん。ふぁもねへはのはほれのふぁいは」


「バカ! アホ! 間抜け!」


「ふぃふぃ?」


「オタンコナス!」


 一通り叫んだ梨鈴は、両手を野山のほっぺから離し、力無くダランと下げる。


「死ぬかと、思った……」


「すまん……不安にさせた」


「別に、もういい。ちゃんと生きてるから」


 言いたい事も言ったし。と言って、梨鈴は、ふん。と息を吐く。

 "蛇の呪い"から解放されたディーは、呪いの付属品であった白いゴスロリ衣装を脱ぎ捨て、藍色の和服を身に纏っている。

 その上……


「何か背伸びたか?」


 梨鈴の身長が明らかに伸びている。

 具体的には、110cmほどだった身長が、今や150に届かんとしている。


「あぁ、呪いが解けたから」


「そうか。何年も寝ちまったのかと驚いたぞ」


「もしそうなら殴り殺してた」


「ははは……」


 冗談ではない声色に恐怖を滲ませながら、野山は改めて梨鈴を見る。


「……何?」


「いや、和服姿のお前を見るのは新鮮だなって思ってよ」


「あぁ、これ。陰陽師協会からもらった。今のとこ、服これしかなくて」


 梨鈴が言うには、呪いが解けると共にゴスロリ服は消失。【陰陽師協会】に保護された際に着物を贈られたそうだ。

 その後諸々の問題が片付くまでこの病室からの外出を禁止されているらしく、着物以外の持ち合わせが無いとの事だった。


「全部終わったら買いに行きゃ良いさ」


「うん、そうだね。……ねぇ、野山も一緒に行かない?」


「あん? 女物の服には疎いぞ。何なら桜に……」


 桜に話を振ろうと部屋を見渡す野山だったが既に病室内に桜の姿はない。

 話に参加してこないと思ったら、いつの間にか退室していたようだ。


「なんだあいつ……」


「ね、どうなの?」


「ん? あぁ、良いぜ。怪我が治ったらどこへでも連れてってやるよ」


「やった」


 にわかにはにかんだ梨鈴を見て、野山は思わず窓の外に目を剃らす。

 しかしそこで神社での戦闘で愛車を壊されたことを思い出し、あぁ!と声を上げた。


「『荘園』の野郎らはどこだ!? 車を弁償させてやる!」


「『荘園』、引退したって。神杉と一緒に……」


「あーくそ!」


 本気で悔しがる野山に、梨鈴は、フフッ。と微笑む。


「また買えば良いじゃん。野山、お金たくさん貰えるってよ」


「それ労災とかなんとか……いや、まぁそうだな」


 どうせ車を買う足しにはならないだろうが、レンタカー位は借りれるだろう。


「温泉も行きたい」


「あぁ……大分以外のとこにも行ってみっか」


「あとね、温泉卵がたべたい」


「良いな、それなら……」


 ぐう~~っ。と、食べ物の話をしたからか、野山のお腹が盛大に鳴った。


「何か買ってくる?」


「良いのか? じゃ、おにぎりを頼む」


「ん」


 頷いた梨鈴は、実に自然な動きで、積み上げてある野山の荷物から財布を抜き取る。


「おい、こら」


「仕方ないじゃん、私無一文だし」


 そう言って笑うと、梨鈴はそのまま病室を飛び出してしまった。

 一人残された野山は、よく笑うようになったと満足げに息を吐いて、


「あれなら彼氏位直ぐ出来るだろうな」


 とどこか他人事な台詞を呟いた。



















【不死身】


 死について散々語ってきた本書だが、ここで漸く不死身について触れようと思う。

 不死身とは文字通りの死なない身体であり、世界中の権力者が求めてきた人類の夢である。


 神話には度々、不死身になれるアイテムが登場するが、成功例は少ない。

 寧ろ不死身になることのデメリットや、不死身故の悲劇を描いている作品が多い印象である。

 ここまで来ると、最早人は不死身を望んでいないのではないのではとまで思えてくる。


 結局、花は儚いから美しいのだと、古代の人もそう結論付けたのだろう。





【陰陽師協会『大図書館』

 人々と『死』の歩み 著 トリエント 

           p135より抜粋】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ウロボロスの欠片 @Kinoshitataiti

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ