第4話 【縁切り】

【自殺】


 自ら命を断つ行為は、ありとあらゆる宗教で禁止されている。

 いや、訂正しよう。『三大宗教においては』禁止されている。

 キリスト教、イスラム教、仏教。この世界で広く信じられている三つの宗教は、様々な理由で自殺を禁止している。

 では禁止されていない宗教とはどんなものがあるだろう。


 ジョーンズ・タウンと言う街をご存知だろうか?

 本書を手に取り、わざわざ読もうとする物好きである読者の皆様なら聞くまでもないかもしれない。

 ジョーンズ・タウンとは別名『人民寺院』とも呼ばれ、とあるカルト宗教の信者たちがその宗主と共に作り上げた『理想の街』である。


 少し調べれば、動画投稿サイトから底辺ブログまで、ジョーンズ・タウンに関する数多くの記事を見ることが出来るだろう。

 人種平等を掲げ、自給自足の生活のために村まで作り上げた彼らの末路は、900人越の集団自殺だった。

 同時多発テロ以前はこの事件の被害者数が最大だったと聞けば、その事の大きさが分かりやすいだろうか。


 彼らは何故自殺に至ったのだろうか?

 生活が苦しかった?

 何か耐えられない悲しみがあった?

 生きる意味を見出だせなかった?


 否、彼らは死ぬ理由を見出だしてしまったのだ。

 何かのために明日を生きたいとか、穏やかに暮らしたいとか、そう言った生きる意味を、死ぬ理由が上回ってしまったのだ。


 このジョーンズ・タウンの集団自殺を始め、『オウム心理教』、『ブランチ・ダビディアン』、『太陽寺院』、『ヘヴンズ・ゲート』、『神の十戒復古運動』といった新興宗教では、時折似たような事例が見られる。

 本書において新興宗教を頑なに取り上げてこなかったのは、この致命的なまでの『死』に対する向き合い方の違いにある。

 無論、全ての新興宗教が集団自殺を引き起こす訳ではない。

 しかし新興宗教を取り上げる上で、『人民寺院』の様に"ズレ"を持つ宗教たちは、避けては通れない道なのだ。


 では新興宗教以外で自殺を容認する様な宗教は無いと言うと、それは嘘になる。

 マヤ神話における『イシュタブ』と呼ばれる女神は、首にロープを巻き付けて空からぶら下がっている。

 マヤ神話では、首吊り自殺をした者は、戦死者や生け贄の犠牲者、出産で亡くなった女性と同様に天国へ向かうとされていた。

 病気や悲しみに苦しむ者は、首吊りによって『イシュタブ』の元へと向かい、天国へ導かれたのだ。


 今同じことをのたまう宗教家が現れれば白い目で見られる事必至だが、古代であればその限りではない。

 自殺しなければいけない程の苦しみは、古代では現代よりもっと深刻な問題となる。

 不治の病は今より遥かに多く、寿命も短く、少し体が弱ければ明日にはコロリと死ぬかもしれない。

 そんな者たちへのせめてもの救いとして見出だされたのがこの『イシュタブ』なのだろう。


 そもそもの話、集団の団結高める為に使われる宗教が、集団を壊滅させかねない自殺を容認するなど甚だおかしい事なのだ。

 マヤ文明でそれは救いとなり得たのだろうか。

 この手の話は踏み込むと、安楽死やら反出生やらまで広げる事も出来るが、生憎安楽死や反出生の神はいないためここで切り上げる事とする。


 しかし、自殺が生き詰まった者への救済としての意味合いを持っていたであろうマヤ神話はともかく、自殺を是とした新興宗教は、例外無くいずれ破滅的な最後を迎えそうである。

 これは先程も述べた宗教が団結を高める為に使われると言う事にも起因するが、そもそも、どんな人も道半ばで死んで良いわけがないからだ。


 『死』を語る上では、こういった倫理観を失ってはならないと常々思うのだ。




【陰陽師協会『大図書館』

 人々と『死』の歩み 著 トリエント 

            P127より抜粋】












 スポーツカーは別府を離れ、再び高速道路を走っていた。

 目的をディーの死に方を探すことから、呪いを解く方法を探すことに切り替えた三人は、少し前よりも楽しげに会話を繰り広げる。


「呪いっつーと真っ先に思い浮かぶのは呪術だが、他人を不死身にする呪いなんて呪術にはねぇ」


 陰陽師である野山が、運転しながら呪いについて解説している。

 その耳や鼻にはピアス開け、首からはじゃらじゃらとしたアクセサリーを下げている。

 俗にパンクファッションと呼ばれるそれは厳つい印象を与えるが、その奥に見える柔和な雰囲気が歪に顔を覗かせていた。

 野山は元々ディーを追っていたのだが、返り討ちにあった結果その逃走を手伝う羽目になっている。

 しかし今では自分の意思でディーを助け、呪いを解いてやろうと動いているようだ。


「そうなの? じゃあ"蛇の呪い"って何?」


 後部座席に座るのはディー。

 真っ白なゴシックドレスに腰辺りまである長髪、そして整った顔。

 まるで西洋人形の様な見た目だが、その右目は呪いによって赤く染まり、瞳孔は蛇の様に縦に伸びている。


「知らねぇよ。蛇っていうと神様を想起させるが……そもそも何で呪いなんだ? 何度も言うが人を不死身にする呪いなんて聞いたことねぇ。て言うか蛇って何だよ」


「私は知らない。研究者たちが"蛇の呪い"って呼んでただけ」


 ディーはかつて10年近く研究者に監禁されていた。今はそこから脱走した後の逃走劇の真っ最中な訳だが……。


「研究所は【unknown】に潰されたんだろ? 資料とかも残ってねぇだろうよ」


 ディーを追う組織の一つでもある【unknown】は、ディーがいた研究所を真っ先に壊滅させていた。

 競合相手が邪魔だったのか、彼らの理念である『全てを闇の中に』に反していたからか、それは分からない。

 【unknown】とも一悶着あったものの、何とか撃退し、そのリーダーである"校長"から降参宣言を受け取っている。

 それを信じて良いかはともかく、直ぐに追ってくる事はないだろう。


「後、事情知ってそうなのは【ホワイト】の連中と【陰陽師協会】の会長か……」


「【ホワイト】が一向に追ってこないのも不気味ですね」


 助手席で、うーん。と腕を組んで唸るのは死神の桜だ。

 妙齢の美女と言った様相だが、その真っ黒なワンピースの下は肉がなく、朽ちた骨があるのみである。

 ディーから死神だと断言されてはいるが、実は彼女は何百年も前からずっと記憶喪失であり、自分の出自を一切知らない。

 故に彼女の真の正体は誰にも分からない。


「まぁ、追ってこないに越したことはねぇ。あんな化け物と戦うのは二度とごめんだからな」


 【ホワイト】はアメリカ発祥の過激な宗教団体である。宗主である『クルト様』を筆頭に、『全てを白日の下へ』という理念を掲げて行動しているらしい。

 その理念故、ディーたちは昨日、白昼堂々【ホワイト】が仕向けた化け物に襲われている。


 これは仲間たちからの連絡を一切無視している野山は預かり知らぬ事だが、【ホワイト】の日本支部は【陰陽師協会】の会員たちによって既に制圧されている。

 そしてその陰陽師たちが野山を捕捉して後を追ってきているのだが、三人がそれを知る由はない。


「【ホワイト】の連中にディーについて聞くのは無理だろうな。明らかに話が通じない感じだったし」


「残るは会長さんですが……」


「"校長"が言ってた事が気になるな」


 ディーの捕獲を野山に命じたのは正に【陰陽師協会】の会長である神杉しんさん かなめであり、彼も何かしらディーについて知っていそうではある。

 しかし、【unknown】の"校長"から、研究所のボスが会長であると聞いたばかりだ。"校長"の言葉をどこまで信用して良いかはさておき、逃走劇を行っている今、野山から会長にコンタクトを取る術はない。


「で、野山が言ってた呪いを解く当てって?」


「あぁ……ディーの言う"蛇の呪い"、蛇と不死身は密接な関係性があって、先ず思い起こされるのは『ウロボロス』だ」


「『ウロボロス』……」


 『ウロボロス』とは蛇が自らの尾を噛んで円環を成した形の事で、その輪は不滅を意味すると言う。


「俺は、その『ウロボロス』の"欠片"が何かの拍子にディーに宿ったんじゃないかと思ってる」


「宿る? 蛇の欠片が?」


「と言うより『ウロボロス』の……あー、少し説明しにくいんだが、呪術や呪いでは相手の一部や自分の一部を利用する事がある。それを使って人形に他人を憑依させたり、自分の変わり身を作ったりな。つまり、そいつの一部と何かをリンクさせて同一の存在にしちまうって手法だ」


「私の中に『ウロボロス』の一部があるから、私も不死身になってる?」


「多分な。お前の場合、身代わり人形の主従が逆転してるんだろ。お前が負った傷が『ウロボロス』に変換されて、お前は再生する。それが不死身のカラクリだ」


 そこまで聞いたディーは、おもむろに右目に手を伸ばす。


「そっか、だから蛇の目が……」


 次の瞬間、グチャッ!と言う湿っぽい音と、鮮血が後部座席に広がった。


「おい……ここで潰すなよ」


「ひぇぇええ」


「……無理か」


 引き気味の野山と悲鳴を上げる桜を無視して、ディーはものの数秒で再生した右目を窓の反射で確認している。


「あのな、『ウロボロス』の一部だって不死身なんだから、そこを潰したからどうにかなるもんでもないだろ」


「確かに」


 ディーは納得したように頷いてから、で?と後部座席から運転席へと顔を覗かせる。


「どうやって呪いを解くつもり?」


「まだ説明の途中だっただろうが、話の腰を折りやがって……。まぁ、とにかく。その右目とお前のリンクを切り離してやれば良い。縁切りの儀式でもやれば、それで呪いは解けるだろ」


「それって野山には出来ないの?」


「ざっと見てみたが、その『ウロボロス』とお前の繋がりはかなり強力みたいだ。相手は不死身、スタミナも無限と思って良い。縁切りは力の綱引きになるからな、俺じゃ切り離せない」


「役立たず」


「悪かったな、役立たずで……だが、今向かってるのはその縁切りをやってくれる神社だ。そこならきっと何とかしてくれるだろうさ」


 そう言うと、野山はハンドルを切って高速道路の出口へ向かう。


「もう降りるの?」


「直ぐそこだからな」


 別府を出て、スポーツカーが向かうのは隣の大分市だ。

 県庁所在地のここは必然的に人が多く集まり、別府とは別方向の発展を遂げている。


「大分市は大分県の県庁所在地で、勿論温泉も湧いてる。さらにここは『三角州』と呼ばれる特殊な地形で、山から流れる水が……」


「良いから、早くその神社に行ってよ」


 野山のうんちくを断ち切って、ディーは運転席をゲシゲシと蹴りながらしきりに急かす。


「分かったって、少し位聞いてくれても良いだろ?」


 ぶつくさ言う野山の運転で、スポーツカーは立ち並ぶビルの隙間を通り抜け、街と山の境目にある神社にたどり着く。

 そこにはこじんまりと、しかし、しっかりとした社が建てられており、鳥居には立派なしめ縄も取り付けられている。


「で、どうやって縁切りするの?」


「神様の力を借りるんだ。言っただろ? 綱引きになるって。『ウロボロス』と神様で綱引きしてもらって、それを横から俺が切るって言う作戦で……」


 野山が言い終わる前に、ガコン。と音がして、おみくじの自動販売機の取り出し口からポロリと一つ、おみくじがこぼれ落ちた。

 野山が恐る恐るそれを拾って開いてみれば、『大凶 願事:今は叶わぬ。時を待て』と書いてある。


「どうやらここの神様には荷が重い様で……きゃあっ!?」


 思わず呟いた桜に向かってホウキが飛ぶが、それをディーが殴り飛ばして破壊する。


「ったく、お前は学ばねーな。昨日お地蔵さんにも同じような事してただろ」


「め、面目ないです……」


 呆れたようにホウキの破片を拾い集める野山に、桜は、あはは……。と弱々しく笑う。


「しかしそうか……『ウロボロス』は随分と強力な存在らしいな。他の手を考えるか」


「他の手って……やっぱり野山が綱引きするの?」


「最悪それで賭けに出ても良いが……」


 野山は"奥の手"でもあるピアスを擦りながら、思考を巡らせる。


ーーピアスに蓄えられた霊力は膨大だが、ディーと『ウロボロス』を切り離せるとは思えねぇ。神様でも駄目なら、もっと大きな儀式場が必要か?


 ウンウン唸る野山を尻目に、桜とディーは小さな神社の探検に意識を移していた。


「わ、ディーさん。見てください。この木、穴が開いてますよ」


「ホントだ。何かいる?」


「……虫が沢山」


「うえぇ……」


 先に覗き込んだ桜が顔をしかめたのを見て、ディーは思わず後退る。

 初めて年相応の反応を見せたディーに、桜は少し驚いたような顔をしてから微笑んでみせた。


「虫は苦手ですか?」


「研究所で内臓にねじ込まれてから嫌い」


「あ、あはは……」


 研究所でのトラウマを話してくれるようになったのは進展か、はたまたディーがただ単に無頓着なのか、他人には推し量れないが、恐らく前者だろう。

 少なくとも桜はそう思っておくことにした。


「ディーさんは呪いが解けたらどうするんですか?」


「ん?」


 唐突な質問に、ディーはキョトンと首を傾げる。


「普通の少女として暮らしますか?」


「……そうなるかも」


 ディーはその後に関しては大して考えていないのか、少し間を空けて曖昧に頷いた。


「じゃあ私とはお別れですね」


「何で?」


「何でって……私はほら、普通じゃないですから」


 桜は人間ではない、異形の化け物だ。

 本来ディーが関わって良いような存在ではない。ディーが普通になりたいと願うのなら尚更だろう。

 しかし、ディーは本気で理解出来ないと言うように顔をしかめて、そっと桜の手を握る。


「私が普通になるのに、周りが普通である必要はない」


「ディーさん……」


「桜ねぇが何者だろうと、私がどれだけ普通だろうと、私は桜ねぇと一緒に居たい」


「ディーさん!」


 桜は思わずガバッ!とディーに抱き付いたが、ディーの、骨が痛い……。という冷めた呟きを聞いて慌てて離れる。


「す、すいません」


「うんん、大丈夫。それより野山、いつまで悩んでるの?」


「気楽なもんだなお前ら!?」


 真面目にやってるのは俺だけかと、野山は悲痛な叫びをあげる。

 実際その通りなのだが、そもそも専門的な知識を持っているのは野山だけなので、それも致し方ない。


 しかし、だからこそ、誰もその男の接近に気付けなかった。

 或いは万全の状態の野山なら気付けたかもしれないが、現在の野山は桜に生気を吸い取られて弱っている。

 その男はパリッとしたスーツを着用していた。それだけなら只のサラリーマンだったが、異様なのはその胸ポケットに真っ赤な薔薇を刺していることだった。

 男性は静かに鳥居をくぐり、ディーの姿と、その奥にいる野山を確認して、ゆっくりと口を開いた。



「【陰陽師協会】です」



 野山が駆け出したのと、その男の左右に魔方陣が展開されたのはほぼ同時だった。


「逃げろ! そいつらは『荘園』だ!」


 その声に、ディーと桜は困惑する。

 【陰陽師協会】は野山が所属している組織だ。仲間が来たなら、形はどうあれ喜ぶべきだろう。

 これもまた、二人が知識を持っていないのが災いした。

 【陰陽師協会】において胸ポケットの植物は『荘園』の所属を表す。

 前日、【ホワイト】の日本支部を制圧した仮面の集団『百鬼』と並ぶ、【陰陽師協会】の喧嘩屋だ。


「お前は退いてろ、野山」


 左の魔方陣から伸びてきた影が、野山の足を掴んで引っ張る。


「うぉっ!?」


 勢いよく転んだ野山は、そのまま伸びてきた青黒い影に縛り上げられてしまった。


「くそ! こいつをほどけ!」


「お前、立場が分かってねーようだな」


 影の出所であろう男が、魔方陣から這い出るや否や地面に転がる野山を睨み付ける。


「『伽藍堂』の"名無し"が歯向かってんじゃねーよ。お前らは任務に失敗した。それを俺たちが受け継いだ。それだけの事じゃねーか。何をそんなに慌ててる? もしやコイツらを助けようってんじゃねーだろうな」


 男のスーツの胸ポケットには、芍薬が咲き乱れている。

 芍薬の花言葉は「恥じらい」や「はにかみ」だが、目の前の男からおおよそそのような慎ましさは感じられない。


「お前が"芍薬"か。『荘園』の粗暴野郎が……!」


「あ? 何だって?」


 野山が発した安い挑発は二人を逃がすため、"芍薬"を引き付けるための物だったが、粗暴野郎は簡単にそれに乗ってしまう。

 ゴスッ!

 "芍薬"は野山の顔を蹴り上げ、ギロリと見下ろす。


「この世界じゃ粗暴だろうが何だろうが、強いやつが勝つんだよ」


 苛つかせたお返しとばかりに、野山は"芍薬"に蹴り上げられる。

 "芍薬"は【陰陽師協会】でも筋金入りの粗暴者だ。それこそ他部署の野山が噂を頻繁に耳にするくらいには暴力的である。

 ゴスッ!ゴスッ!と蹴り上げられる度に、地面に血がポタポタと落ちる。


「おい、"芍薬"。標的を追え……」


 もしやこのまま野山を蹴り殺してしまうのではという勢いだったが、魔方陣を展開していた男の呟きに"芍薬"は足を止める。

 "芍薬"が野山に集中している間に、桜とディーは神社の奥へと姿を消してしまっていた。

 野山を見捨てたのは白状と言えば白状だが、野山が二人を庇うように自ら前に出たのを見て逃げを選択出来たのは、冷静な判断とも言える。


「"赤薔薇"の旦那ぁ……。それは俺じゃなくて一向に出てこねぇもう一人に言ったらどうです?」


 "赤薔薇"が呼ばれた男が展開した魔方陣は左右に二つ。つまりもう片方から一人出てきても良い筈だが……。


「"青薔薇"は気まぐれだ。期待していない」


「はぁ……仕方ねぇっすね」


 "芍薬"はため息をついて、野山の横を通りすぎようとしたが、野山は蹴り上げられた顔を赤く腫らしながら"芍薬"を睨み付けた。


「"芍薬"……あの子を捕まえて何をするつもりだ」


「あ? 俺が知るかよ」


 思わず足を止めた"芍薬"だったが、"赤薔薇"に、おい。と促されて再び歩を進める。


「協会の会長……神杉しんさん かなめが、裏でヤバイことをしてると聞いた」


「戯れ事だ」


 今度は歩みを止めない"芍薬"の代わりに答えたのは、"赤薔薇"だ。


「分かるさ、お前らにとっちゃあの人は大恩人……信じたくないだろう。だが、ディーは会長が頭をやってた研究所で非人道的な実験を繰り返されていた」


 その情報は敵対組織である【unknown】のリーダーである"校長"からもたらされたものであり、野山もそれを信じている訳ではない。

 この話をしたからと言って、"芍薬"と"赤薔薇"が自分達を逃がしてくれるとは思っていない。そもそも、彼らを説得しようなど微塵も思っていない。

 ならば狙いは一つ、ただ二人の気を引く事だ。


「神杉は、善人の振りをした悪魔なんだよ」


「てめぇ……!」


 とうとう耐えきれなくなった"芍薬"が振り返ったが、"赤薔薇"はそれを咎めるような事はしなかった。

 標的を追うより何より、目の前の嘘吐きの男を排除する。二人の意識はそれに統一されていた。

 そのお陰で、作戦通り、まんまと、彼らは上空から迫る赤い光に気付けなかった。


「ていっ」


 余りにも軽い掛け声と共に、神木の枝から降ってきたディーは、何の躊躇もなく"芍薬"にライダーキックを食らわせた。

 キックはクリーンヒットし、"蛇の呪い"による怪力と重力によって威力を増した一撃は、いとも簡単に"芍薬"を地面にめり込ませた。


「"芍薬"!?」


 悲鳴も上げることも出来なかった"芍薬"の身体の上で、ディーは赤く輝く右目で次の標的を見据えている。

 "赤薔薇"は冷や汗を流す。魔方陣を展開している今の状態では、彼はディーに対抗する事が出来ない。

 いっそ魔方陣を閉じようかとも考えたが、それでは接近してくるディーには間に合わない。そこで彼が取った行動は、一か八かの賭けだった。


 なにもしない。

 つまり、仁王立ちである。彼が賭けたのは一向に姿を見せないもう一人。気まぐれで、しかし『荘園』の最高戦力を張る"青薔薇"。


「"青薔薇"……。"青薔薇"!? 何をしてる! 早く来い!」


 果たして賭けは失敗した。

 いや、正確には半分失敗した。


 殴り飛ばされ、鳥居の向こうへと吹き飛んだ"赤薔薇"と入れ替わる様に、制御を失って消えかけた魔方陣から、スーツ姿の女性が勢いよく飛び出してきたのだ。

 その胸ポケットには、青い薔薇。


「ハハッ!」


 快活に笑った"青薔薇"は、直ぐ様自分への攻撃に転じたディーの拳を真っ向から、その額で受け止めた。

 ゴチンッ!と痛々しい音が響くが、痛みに顔をしかめたのはディーの方だった。


「固いでしょ」


「石頭め」


 普通、人を地面にめり込ませたディーの怪力を真正面から受け止めれば、後方に吹き飛ぶどころではすまないだろう。

 しかし、陰陽師たちは多かれ少なかれ、霊力で自らの身体を補強している。

 とは言えディーに取り憑く"蛇の呪い"以上の身体強化。並の霊力では不可能だ。

 "青薔薇"は『荘園』最強たるそのでたらめな霊力で、それを悠々と行っていた。


「"赤薔薇"が必死に呼ぶから何かと思えば、只の怪力娘? これなら寝てても良かったなぁ……」


「一人しかいないのに、随分と余裕」


 "青薔薇"はにこりと微笑むと、次の瞬間には、フッ。とその顔から笑顔を消した。


 そこから先は一瞬だった。

 "青薔薇"はディーを地面に押し倒すと、ダンッ!とその腹を踏み抜き、胴体の真ん中に大穴を開ける。

 ディーの口から血が吹き出たのを確認すると、パチンッ。と指を鳴らし、援護に向かってきた野山を不可視の打撃で後ろに転ばせる。


 そして流れる様に懐からナイフを取り出すと、それを生気を吸い取る躍りを開始していた桜に向かって投げつける。

 ナイフの先がパラパラと幾重にも枝分かれし、それらが伸びたかと思うと鳥籠の様に変形して、桜をその中に閉じ込めてしまった。


 ピチャッ。と、ディーが吐いた血がようやく地面に落ちる。


「ぐっ……くそ……」


野山は呻き声を上げて起き上がろうとするが、血だらけのブーツに顎を揺すられ、昏倒してしまう。


「ホント、『伽藍堂』の連中は無駄に頑丈ね」


 "青薔薇"は称賛とも呆れとも取れる呟きを溢して、小さくため息をつく。

 時間にすれば10秒も満たないだろうか、それでも"青薔薇"相手には『よく持った』と言わざるを得ない。


「さて、化け物共」


 回復しかけていたディーの足を踏み潰しつつ、"青薔薇"は二匹の化け物に微笑みかける。

 その口から出る言葉は、圧倒的強者からの、提案と言う名の命令だ。


「この男が殺されるのと、二人が私と一緒に来るの。どっちが良い?」


















 結果から言わずとも、二人が"青薔薇"の言葉に逆らえる訳がなかった。二人は連れ去られ、後には気絶した野山だけが残される。


 その野山の顔に、フワリと影がかかる。

 糸の束の様な、はたまた人の顔の様な……。


「情けない。女を守れず何が男か」


 声はすれど姿は見えず、しかし影と声だけのそいつは、只ならぬ存在感を発している。

 その声に野山がうっすら目を開けると、声は、おぉっ。と感嘆の色を示した。


「良かった、良かった。我が参道のど真ん中に墓標が立つかと思ったぞ」


「貴方は……」


 呟いた瞬間、野山の頭にズキズキとした痛みが走る。思わず顔をしかめると、声は優しく野山を諌めてきた。


「よい、喋るな。実に強力な妖術を食らった後だ。まだ辛かろう」


 そう言って、野山の顔の上で糸の束の様な影をゆらゆらと動かし、声は一方的に話しかける。


「お主が食らったあの妖術は記憶を飛ばす物だったようだ。わしが咄嗟に繋ぎ止めなければ、そのままあの二人の娘との記憶は流れておったぞ。わしの神社は縁切りに傾倒してるとは言え、縁結びも出来なくはないからの……。まぁ、そもそも縁とは切るも結ぶも人の子次第なのだが……」


「……」


 講釈を垂れ始めた声の正体は十中八九、縁切りの神様だろうと野山は心の中で呟く。

 神とは総じて気まぐれな物だが、人が倒れていると言うのにここまで気ままに話す神も珍しい。


「……であるから、人と言う字はヒトとヒトとが支えあって……」


 盛大に話が脱線し始めたのを察して、野山は頭の痛みに耐えながら声をふり絞る。


「なんで……」


「ん?」


「なんで助けたんですか?」


「お主をバカにするため」


「……」


「冗談じゃ。半分な」


 半分かよ。とツッコム気力すらなく、野山はただ空を見つめる。

 目の前でチラチラと細い糸の様な影が動いているのが鬱陶しいが、助けてもらった手前文句も言えない。


「さて、どこまで話したか……まぁ、良いか。とにもかくにも、お主、どうしたい?」


「どうすると言うのは……」


「あの娘たちを追うか? 正直、お主はただ返り討ちにあっておっんで終わると思うが……お主は真面目なやつじゃ。ここで逃げても罪悪感からは逃れられまい」


「……」


「しかし、死にたくはなかろう? そこで今お主を繋ぎ止めておるわしの糸をチョキンと切ってやる。するとお主の中から二人の記憶は失われ、金輪際お主が二人に関わる事は無くなる……」


「それはダメです」


「ほう、どうしてじゃ?」


 チョキチョキと影がハサミの様に動いて、その刃先を野山の首に押し当てる。

 今、決定権を持つのは神だ。野山がいくらその気だろうと、神の気分一つでどちらにでも転ぶ。


「昨日知り合ったばかりなのであろう? そもそも捕獲するために追っていたのではないか? それとも、情でも湧いたか? 或いはあの少女か女かに欲情したか?」


 問いを、投げ掛ける。投げつけ、自問させる。それこそが神の本分だとでも言わんばかりに。


「さぁ、答えよ」


「……俺は、捨てられた子供だった。【陰陽師協会】に入ったばかりの日野さんに拾われて、俺は育てられた」


「ほう? つまりあの少女に同情したと? 何ともつまらない。普遍で、平凡で、凡人じゃ」


 刃が、野山の首に食い込んでいく。

 紙にハサミを入れる様に、神が操る影のハサミがスーッ。と野山の体を縦に這う。

 そして、影のハサミは最後に刃を閉じようと、その刃が野山の頭に触れた時……


「違う」


 野山が呟く。


「同情なんかじゃない。あいつは、ディーは俺なんだ。昔の俺そのものなんだ。生きるのが辛くて、でも死にたくなくて、幸せを夢見て悪夢を突きつけられてる。『あいつを助けないって事は、俺を助けないって事』なんだ」


 野山の独白に神は沈黙で応じる。

 少なくとも直ぐに刃が閉じられる事は無さそうだ。


「俺は俺を見捨てたくない……誰も助けてくれないと絶望していたあの頃の、口先だけの無力な大人たちにはなりたくねぇんだ……!」


 それが野山の本音だった。

 自分は自分が嫌悪したあの大人たちとは違うのだと、彼はただそれを証明したかったのだ。


「……時は、満ちた」


 神がそう呟くと、野山の眼前まで迫っていたハサミがハラリとほどけて糸になった。

 それらは複雑に交わりながら、一本の線として纏まっていく。野山のその言葉を待っていたと言わんばかりに、糸は軽やかに絡み合っていく。


「おみくじでわしは言ったな『時を待て』と。野山、結局は全てお主次第なのじゃ。よくやった、そして、あえてもう一度言おう『時は満ちた』」


 糸の隙間から溢れる太陽の光が、チラチラと野山を明るく照らしている。

 やがて一本の線は大きな輪となり、パサリと野山の手元に落ちた。


「縁に満ちた、わしの渾身のミサンガじゃ。持っていけ、うんと願いを込めてな」


 辺りに漂っていた圧倒的な存在感がフワリと消えて、霧散する。


「ま、待って下さい!」


 ガバッ!と思わず起き上がった野山は、頭の痛みが消えていることに気づく。

 それどころか、桜に奪われた筈の精気もすっかり元に戻っていた。

 神様が治したのか、時間が経って勝手に治ったのかは定かではないが、野山は祠に近づくと静かに手を合わせた。


「ありがとうございました……」


 返事は無かったが、野山の手元に残ったミサンガが呼応するようにその右手に巻き付く。

 頷いた野山は、ふぅ。と息を吐いて、『荘園』を追おうと車に向かったが……


「げ! 壊されてやがる!」


 当然と言うか何と言うか、野山のスポーツカーはボッコボコにへこんでおり、屋根が潰されサイドミラーは折られ、所々から煙がシューッと空に立ち上っていた。

 最早ここまで壊しておいて炎上していないのが逆に丁寧だと言わざるを得ない。終いには、はがされたボンネットが申し訳なさそうに元の位置にそっと載せてあるのを見て、野山はガックリと肩を落とした。


「余計な親切心だバカ野郎……!」


 それはそうと、足を奪われてはディーと桜を探すに探せない。

 どうしたものかと頭を悩ませていると、ふと上空に影がかかる。続けて、バババババ……。と断続的な回転音と、下に向けた風圧が襲ってきた。

 野山が上を見上げれば、そこにいたのは【unknown】の紋章を掲げたヘリコプターである。

 ヘリの側面からは、小太りのアメリカ人といった見た目の【unknown】のリーダー、"校長"が身を乗り出しており、拡声器を片手にこちらに話しかけてきた。


「こ、"校長"!?」


「陰陽師、今暇か? 暇だよな! 相乗りタクシーしようぜ!」


 唐突な誘いに、野山は困惑する。

 あくまでも"タクシー"にではなく、一緒に来いと言うその誘いにだ。


「お前、どうしてここに……」


「っと、日本ではライドシェアって馴染みないんだっけ?」


 一方で"校長"は、カルチャーショックってやつか。とどこかずれた言葉を吐いている。

 そもそもタクシーではありませんが……。と言う秘書のツッコミは、誰の耳にも届かなかった。


















 怪物や魁偉と相対する陰陽師の野山と、超能力者専門の学園を運営する"校長"。

 二人の立場は違えど、一度対立したとは言えど、根本的な目的は同じだ。


「まーつまり、俺としては神杉に好き勝手やられたら困るわけよ。【陰陽師協会】としてもそこは変わんないだろ?」


「そうだな……」


 神杉お抱えのチームである『荘園』が出張ってきた以上、【陰陽師協会】の会長である神杉がほぼ黒であることは疑いようがないのだが、"校長"がもたらした情報は信じるとしても、野山はまだ"校長"自身の事を完全には信頼出来ず、取り敢えず話を合わせる為に曖昧に頷く。

 どちらにせよ、野山は"校長"に助けてもらわなければあの場から動けずにいた。今は従わざるを得ない。


「お仲間の陰陽師には連絡出来ねぇの? 【陰陽師協会】の連中はチームを組んで行動するって聞いたぜ?」


「あぁ……俺は『伽藍堂』に所属している。が、連絡は出来ない。神杉にくみしてる奴らがどれだけ居るか分からないからな」


「ま、そりゃそうか。しかし、難儀だな。誰も信じられないってのは……そもそも何で一人で任務やってんだ?」


 その信じられない人間に"校長"が入っている事に気づいているのかいないのか、"校長"は少しずつ踏み込んだ質問をしてくる。


「『伽藍堂』はそう言うチームだ。構成員のコードネームは"名無し"のみ。一体何人いるのか、どこにいるのか、全部は俺も把握していない」


 野山は細かい所は隠しながら、最低限の情報を協力者に打ち明ける。

 言葉通り、野山は幾人かの動向を把握している。その内の数人が【unknown】や【ホワイト】に潜入している事も。

 しかし野山は『伽藍堂』のメンバーリストはおろか、リーダーすら知らない。


 誰も全体像を把握しておらず、横の繋がりも、ともすれば縦の繋がりすら無い。

 『伽藍堂』とは、そう言うチームだ。


「なるほどね……」


 "校長"もとい【unknown】はそんな事情をどこまで把握しているのか、ふむ。と短く頷いてみせた。

 或いは最初から、野山の所属についてはそこまで気にしていなかったのかもしれない。


「まぁ、とにかくだ。お前は助けを必要してる……そうだろ? 俺の生徒達にディーと桜を連行した奴らを追わせてる。俺たちもその後を追う算段だ」


「それは……バレないのか?」


 相手はプロだ。学生が行うお粗末な尾行では、直ぐにバレてしまうだろう。

 もしバレていれば、逆に罠を張って待ち構えられる可能性すらある。


「大丈夫だろ。透明化出来る生徒を送ったし」


「いや、それより『荘園』の連中は魔方陣でワープする筈だ。どうやって追ってるんだ?」


「さぁ? 『追えるか?』って聞いたら『追えます』って返ってきたから任せてるわ」


「えぇ!?」


 純粋に、何の駆け引きも嘘も無く、野山は声を上ずらせる。

 この"校長"、まさかとは思うが生徒達の名前すら把握していないのではないか。それは教育者としてどうなのかとも思ったが、"校長"と言う立場の人間が学園の全ての生徒の名前を記憶している方がおかしいのかもしれない。

 担任がクラスの生徒の名前を覚えていないのならともかく、"校長"はそんなものなのかもしれない。


「そ、それで。どこに向かってるんだ?」


「あ? あぁ……。福岡だよ、福岡市。何か福岡県の中に福岡市って都市があるんだろ? 変だよな。何で県と市の名前を同じにするかね。ややこしいだろ」


「いや、覚えやすいからだと思うが……」


「あ~。お前いちごアイスとベリーベリーストロベリー一緒にするタイプ?」


「は?」


「いや、いいや。今のは俺の例えが悪かった。忘れてくれ」


「いちごアイスとベリーベリーストロベリーは全く違うだろ」


「忘れろって言ってんだろ? ヘリから突き落とすぞ」


 そんな脅しを受けては、野山としては黙り込むしかない。

 対等に接しているようで、ここは【unknown】のヘリの中。いつどんなビックリドッキリメカが飛び出してきて野山を殺しにかかるとも分からない。


「で、では……作戦を練りたいのだが」


「あぁ、作戦ね。カチコミして二人を取り戻す。じゃダメなのか?」


「そのカチコミが難しい。【陰陽師協会】の会長である神杉はかなりの実力者だ。若くして会長に登り詰めたのも納得な程にな。それにプラスして『荘園』までいる。最悪、【陰陽師協会】全体が敵に回る事も考えなくてはいけない……」


「ふーん。じゃ、なるべく敵の情報共有をお願いするぜ」


「そうは言うがそう簡単に渡せる情報でも……。まぁ、強いて言うなら『荘園』と『百鬼』。この二つとの衝突は出来るだけ避けたい」


 野山がVサインで示した二つのチーム。

 先ほどから名前が上がっている『荘園』と、それと双璧を成す『百鬼』。


「『荘園』は少数精鋭、六人の陰陽師からなるチームだ。コードネームはそれぞれ"赤薔薇"、"青薔薇"、"芍薬"、"菊"、"百合"、"鳥兜"。こいつらは三人一組での対個人に特化してやがる。『荘園』との三対一だと、どんなやつでも先ず勝てない」


「へぇ、その割りにはお前ら善戦してたじゃねぇか」


 "校長"は野山たちと『荘園』の戦闘を見ていたかのような口調でそう言う。

 実際観察していたのだろうが、助けに入らなかったのは出来なかったからなのか、どうなのか……。

 しかしここで"校長"に疑いの目を向けても意味はない。今は上空。"校長"の命令一つで野山は簡単に殺されてしまう。

 野山はあくまでも平静を装って、話を続ける。


「三対三だったからな。そもそも"青薔薇"が途中参加だったし……あいつらだって俺の裏切りや桜の存在はイレギュラーだった筈」


「そりゃそうか。対個人特化の連中を寄越したって事は、ディーとだけ戦う気満々だったってことだもんな」


 "校長"は、うんうん。と頷いて、それで?と続きを促す。


「『百鬼』はどんな連中だ?」


「『百鬼』は……対団体に特化したチームだな。特徴的なのはその数。名前通り、ぴったり百人の陰陽師が所属しているチームだ」


「百人! ……って多いのか?」


 "校長"は超能力者専門の学園を運営している。その生徒の数は悠に100を越えるだろう。しかし……


「お前の生徒達の人数もかなり多いだろうが……強さはピンキリの筈だろ?」


「まぁな……」


 実際、"校長"が今回日本に連れてきている精鋭メンバーは50人とちょっと。それだって多少妥協して連れてきた、所謂数合わせの面子もちらほらいる。

 ディーを完封してみせたアシュラの様な人材もいれば、多数居てもディー一人に蹂躙される人材もチーム内に混在しているのだ。


「『百鬼』が恐ろしいのはその平均値だ。『百鬼』は一定以上の功績と実力を持った陰陽師で構成されてる。明確な基準があるわけではねぇが、高難易度の任務を一人で完遂したり、特殊な術式で他とは一戦を画していたり、とにかく粒揃いだ。そんな奴らが徒党を組んで、最大100人で殲滅戦を行う……」


「なるほど、そりゃ恐ろしいな。文字通りの『百鬼夜行』って訳だ」


「実際に『百鬼』が百人全員集まる事はそうそう無ぇだろうが……」


 その"そうそう"が今回は起きかねない。何故なら敵は【陰陽師協会】の会長、つまりトップだ。

 その権限で、『百鬼』を全員動員することも不可能ではない。


「状況はよく分かった。じゃあそれを元に作戦を立てるとして……」


 ガサゴソと座席の下辺りを探り始めた"校長"は、スルリと二人分のパラシュートを取り出した。


「……ん?」


ーー飛び降りるのか?いや、まだ街中だし、まさかな……。


「もうそろそろ目的地付近だ。飛び下りるぞ」



















「『百鬼』を全員集める? バカじゃないの?」


 猫の仮面を着けた"猫又"は、電話先の相手に悪態をつく。

 電話の相手は【陰陽師協会】会長の神杉 要。"猫又"の上司でもあり、先程任務を終えたばかりの彼女からすれば、寝耳に水どころか、それはまさしく残業の要求だった。


「そりゃ、私は『百鬼』の小隊を率いるリーダーではあるけどさ。私から全体に連絡なんて……は? もう集まってる? 私たち以外? 逆に何でよ」


 何が逆なのかは置いておいて、その集まりの速さは確かに異常だった。『百鬼』の面々は日本はおろか海外にまで散らばっている。

 それらを全て集めて一ヵ所に集合させるのに、一体何日かかると思っているのだろうか。


「あーはいはい、奇跡、奇跡。あんたそれ好きね~。コードネームも"奇跡"だったっけ? ……うっさいわね。猫好きなのよ。良いでしょ別に。てか私たちは襲名制だし……あ? さっさと来い? まぁ、福岡ならもう居るけどさ」


 神杉が要求してきた集合場所は福岡県の首都、福岡市だ。先の任務で佐賀から福岡への移動を完了していた"猫又"達は、この奇妙な一致に重々しいため息をつく。


「分かったって。直ぐ行くから。はい、じゃーまたねー」


「また"奇跡"か。まるでこちらの動きをコントロールされているようで気にくわないな」


 "猫又"が電話を切ったのを確認して、天狗の仮面を着けた"天狗"がボソリと呟く。

 他のメンバーも、口には出さないが概ね同じ意見の様だ。

 神杉は偶然に愛されると言うか、運命が味方していると言うか、とにかく都合の良い展開を起こす事に長けている。

 ただ彼の天才的な頭脳でそれが行われているのか、それとも本当に偶然なのか、それは分からない。しかしただ一つ確かなのは、また神杉の都合の良い様に何かが転ぼうとしていると言うことだ。


「どうする? リーダー」


 ひょっとこの仮面を着けた"火男"が、心配そうに"猫又"の顔を覗き込む。

 彼はこのメンバーでは魔方陣を展開する役目……つまり移動の要を担っている。彼が目的地に着きさえすれば、"猫又"達は一瞬でそこにワープ出来る。

 彼の、どうする?と言う言葉は、移動するのなら、"火男"一人で先に行ってこようか?と言う意味の問いかけらしい。


「悪いけど先行してくれる?」


「了解した」


 短く答えると、"火男"はぬるりと姿を消した。

 変装して人混みに紛れていっただけなのだが、あまりの手際の良さに姿が消えたかのように錯覚してしまう。

 とにもかくにも、"火男"がここから目的地にたどり着くには数十分程かかるだろう。


「さて……」


 取り敢えず"猫又"は、リーダーとして、一人の人間として、何が起こっても良いよう準備をすることにした。

 そして真っ先にする事と言えば……。


「じゃあ少し時間も出来たし……昼ご飯でも食べましょうか」


 腹が減ってはなんとやら。昨日から働き詰めの彼女らは、取り敢えず腹ごしらえをすることにした。



















「ふぃー、パラシュート降下部隊、無事着陸!」


「ほ、本当に街中に降りる奴があるか!? 光学迷彩だか何だか知らないがいつ見つかるかとヒヤヒヤしたぞ!」


「うるせぇなぁ。俺たちの技術にケチつけんのか?」


「いや、それは……」


「まぁ、俺も実践投入が初めてのこいつを信用はしてなかったけどな」


「おい……」


 コントの様なやり取りをしながら、二人はそそくさと路地裏に入り、二人を透明化させていたパラシュートを背中から外す。


「うん、無事たどり着けたな。どうする? 先ずは飯でも食うか? 昼時だし」


「いや、一刻も速く二人の下へ向かう」


 軽口を叩く"校長"を一蹴して、野山は駆け出す。

 が、その足は路地裏を出て直ぐ止まる事になった。

 何故ならその路地裏の先の道路には、熊の仮面を着けた双子が歩いていたからだ。


「あれ?」


「野山さん?」


 双子は一瞬顔を見合わせると、野山と背後にいる"校長"を見比べて、スルリとそれぞれの得物であるハンマーとノコギリを取り出した。


「えっと、どちら様?」


 "校長"のひきつった笑顔を肯定する様に、野山はボソリと呟く。


「『百鬼』の"カムイ"と"ウカム"だ」


 バッ!と"カムイ"と"ウカム"は跳び上がると、壁を走って"校長"へと襲いかかる。


「え! 俺!? ギャァァアア!」


 余りにも突然の出来事に身を縮めて叫ぶことしか出来なかった"校長"だったが、


「待て! そいつは協力者だ!」


 と言う野山の言葉に、双子の動きがピタリと止まる。

 双子の武器はギリギリどころか"校長"の首の皮を少し裂いていたが、それでもなんとか命までは奪われなかったようだ。


「なぁんだ」


「野山さんも捕まったのかと」


 "カムイ"と"ウカム"は、ほっ。とため息をつくと、ノコギリとハンマーを仕舞った。


「えっと……どう言うこと? 『百鬼』は敵じゃねぇの?」


 状況を飲み込めない"校長"が目を白黒させていると、野山は悩ましげに、うーん。と唸る。


「『百鬼』は敵だ」


「だ、だよな?」


「だが『伽藍堂』は敵じゃない」


「は? ……あぁ、そう言うことか」


 野山は、『伽藍堂』のメンバーはどこにいるのか分からない。と言っていた。

 それはつまり、どこにでもいる可能性があると言うことだ。【unknown】や【ホワイト】はもちろん、【陰陽師協会】の他のチームの中にも。


「『伽藍堂』はそう言うチームって訳ね……」


 双子は『百鬼』の"カムイ"と"ウカム"であり、『伽藍堂』の"名無し"でもある。


「キキキ! 私たちだけじゃないよ!」


「ヒヒヒ! 僕たちの小隊は全員『伽藍堂』!」


 二人が所属するのは"猫又"率いる小隊だ。

 わざと集まっている訳ではないが、小隊は相性の良い者達で組む関係上、自然と似たような者達が集結したのだろう。


「お前たちだけか? "猫又"はどうした」


「"猫又"は"天狗"を引きずって昼ご飯」


「"妖狐"はショッピング」


「"火男"は先に目的地に向かってて」


「僕たちはお腹空かないから街を探索中!」


 双子は息をピッタリ合わせて、間を開けることなくツラツラと状況を交互に話す。

 まるで事前に打ち合わせでもしているかのようだが、この二人にそのようなものは一切必要ない。


「相変わらずの以心伝心だな、感心する」


「へへ~」


「でしょ~?」


「いや、感心してる場合か!」


 蚊帳の外に追いやられていた"校長"が、とうとう痺れを切らした。

 確かに今は一刻も速くディーと桜の救出に行かなければいけない筈だ。先ほど野山もそれで焦っていた筈なのに、何故急にそんなに落ち着いてしまったのか。


「すまん、説明すれば良かったな。陰陽師は魔方陣を使ってワープするんだが……その魔方陣の使い手である"火男"が既に目的地に向かってるらしい。それに俺たちも相乗りさせてもらおうっつー算段だ」


「あぁ、なるほどね……。じゃあ生徒達はそのまま向かわせとくか、内と外から挟み撃ちって感じで」


「それで行くか」


 何ともフワフワした作戦だが、これ以上の妙案も無いだろう。と言うか、これ以上の案を出せないと言っても良い。

 しかしそれを聞いていた双子が、悪戯っぽく笑って追加の妙案を提出してきた。


「キキキ! 良いね、乗った」


「ヒヒヒ! どうせならもっと派手にやろう」


















 福岡市は九州一の都市を自称するだけあり、その敷地の殆どがビルで埋め尽くされている。しかし西側には山が広がっており、豊かな自然と歴史ある神社などが多数存在している。

 今回『百鬼』と『荘園』が集められたのはこの西側の山のエリアであり、山中の教会を取り囲む様に、彼らは配置に付いていた。


「同窓会か?」


 そこにやってきたのは、ひょっとこの仮面を着けた"火男"だ。


「"火男"か、思ったよりお早い到着だね。最後に声をかけられたと聞いてたけど?」


 "火男"に軽く手を上げるのは、河童の仮面を着けた男性。恐らくコードネームも"河童"だろう。


「たまたま福岡に居たのでな」


「また"奇跡"か。不気味でやだね」


「同感だ」


「あ、そうだお前。あのメール見た?」


 その言葉に、周りの陰陽師達は心中で首を傾げる。

 "河童"と彼らは同じ『百鬼』のチームだ。さらに言えば"河童"の周りに居たのは彼と同じ小隊の仲間たちであり、"河童"と"火男"に送られつつ、自分達に送られてないメールとは……。と心配になるのも仕方ない。

 学校等で『え、その宿題知らない……』となるのと似たような感覚だろうか。


「あぁ、見た」


「俺ビックリしちゃったよ。マジなの? あれ」


「少なくとも、送り主は信頼出来る」


「まぁね。あ、そう言えば他の奴らは?」


「俺がワープさせる手筈になっている」


 曖昧な表現で会話する二人のせいで、結局メールの全容は分からぬまま、話題が次へと切り替わっていく。

 或いはここで誰かがそのメールについて深く追及していれば、少しは違った結果になったかもしれない。


「んじゃ早速呼んじゃえよ。皆待ってるんだから」


「そうだな」


 そう言って"火男"が展開した魔方陣から飛び出してきたのは、猫の仮面を着けた"猫又"……ではなく、完全に修復したサーベルを引き抜いた野山であった。

 突然の今回のターゲットの登場に、陰陽師たちは一瞬、ポカンと固まったが


「貴様……!」


 と直ぐ様臨戦態勢に入る。

 しかし、その横っ面を強烈な平手打ちが襲った。


 バチン!


 勢い良く振るわれた平手打ちは顔に直撃し、その鶏の仮面を砕きつつ遥か後方へと吹き飛ばした。

 平手打ちを行ったのは、野山ではない。先ほどまで"火男"と雑談していた"河童"である。


「出番だ『伽藍堂』!」


 "河童"の掛け声と共に、あちこちで『百鬼』のメンバーが他の『百鬼』のメンバーを襲い始めた。

 『伽藍堂』はどこにいるのか分からない。そう、例え【陰陽師協会】内でもそれは変わらない。

 先ほど、"猫又"から他の『伽藍堂』のメンバーへ一斉にメールが送信された。

 メールの内容は、神杉の横暴と、それを止める為に野山が動いているという事実。

 正直、それを伝えたところで一体何人の『伽藍堂』がこちらに付いてくれるか分からなかったが、この様子だと『百鬼』の中に居た『伽藍堂』は全員野山の方へ裏切ったと見て良いだろう。


「て、てめぇら! "名無し"共め! 裏切るのか!?」


 それでも『百鬼』、百人の内何人かが裏切ったとて揺るぐ戦力ではない。

 あちこちで戦闘音を響かせながら、首謀者である野山を討ち取ろうと数十人の陰陽師がそれぞれの得物を手に野山を狙っている。

 通常ならここでゲームオーバーだろう。あくまでも、通常ならだが……。


「今だ! 行け"一年生"、"二年生"!」


 どこからともない合図と共に、バッ!と木々の間から、特殊スーツに身を包んだ少年少女が飛び出してきた

 "校長"が運営する学園の、50を越える生徒たちだ。

 不意打ちで倒れた者も含めれば、『百鬼』とそれ以外の者たちの数はあっという間に逆転してしまった。

 それでも合間を縫って野山に襲いかかる陰陽師たちを、遅ればせながら魔方陣から飛び出した"猫又"や"天狗"たちがなぎ倒していく。


「ふっざけんなガキ共!!」


 それでも『百鬼』が中々壊滅しないのは、今叫んだこの男のお陰である。


「ぐは!?」


「うっ!」


 ゴシャン!と金棒が振り下ろされ、"火男"と"河童"が吹き飛ばされる。

 鬼の仮面を着けた、コードネーム"百鬼"。

 『百鬼』全体のリーダーであり、名実共にNO.1の男だ。

 『荘園』の"青薔薇"と同等かそれ以上の実力者である彼は、乱入してきた"校長"の生徒達と裏切った陰陽師達を金棒の一振でなぎ払いながら、野山の方へと猛進する。


「あれが"百鬼"か……! 噂に違わぬ強さみてーだな」


 "百鬼"を迎え撃とうとサーベルを構えた野山の前に、"カムイ"と"ウカム"が躍り出る。


「先に行って、野山さん!」


「足止めは任せて! 作戦通りね!」


 "百鬼"の金棒と"カムイ"のハンマー、"ウカム"のノコギリが衝突し、ボンッ!と辺りに衝撃波が広がる。


「悪戯小僧……!」


「引けよ、ジジイ!」


「世代交代ってやつだ!」


「奇々!」


「怪々!」


「「六の式! 快刀乱麻!」」


 ズガガガガ!と不可視の斬撃が"百鬼"に降り注ぎ、思わず怯んだその横を野山が抜けていく。


「ぬぅ! 誰か止めんか!」


 飛びかかる犬の仮面を着けた陰陽師を、六本腕のアシュラが弾き飛ばす。


「行け! 陰陽師!」


「すまん!」


 ほんの数時間前まで争っていたアシュラに背中を任せて、野山は教会の扉に突撃する。

 勢い良く開かれた扉の先に居たのは、スーツを着こんだ六人。

 それぞれ胸ポケットに、赤薔薇、青薔薇、芍薬、菊、百合、鳥兜が咲き誇っている。


「『荘園』か……」


 基本三人組で動く、対個人特化の『荘園』のメンバーが六人。

 野山一人では突破は不可能と言っても良い。


「野山ぁ、お前も諦めが悪いなぁ?」


 その状況を理解している"芍薬"が、怒りを含んだ笑みで野山を睨み付ける。


「神杉が何をしようとしているのかは分からないが、ディーの様な子に人体実験をして、そしてその子を使って何か企んでいる。許せる訳ねぇだろ」


「神杉さん、だろ?」


 苛立たし気な口調で"芍薬"が立ち上がる。


「お前なんか俺一人で十分だ。ボコボコにしてやんよ」



「確かに、お前らは俺一人で十分だな!」



 唐突に、野山や『荘園』以外の声が教会に乱入してきた。声の主は、いつの間にか野山の横に立っていた"校長"だ。


「あ? 何だおっさん」


「【unknown】のリーダーやってる"校長"って者だ。まー実のところこの界隈でリーダーやるってのは中々大変でな?」


 "校長"は喋りながら、そのポケットからくしゃくしゃになった紙を取り出して、何やらその紙を吟味し始める。


「気をつけて」


 今まで後方で静観していた"菊"が、静かに口を開く。


「そいつ、強い」


 その言葉を受けて、『荘園』のメンバーは身構える。"菊"は感知や探知が得意なタイプだ。

 その"菊"が警戒を示した。一体何が飛び出すのかと"校長"に注視していると、ズルリ。と、紙の中から長大な片手剣が取り出された。


「……はぁ!?」


 "芍薬"の驚愕を他所に、"鳥兜"が駆ける。


「先手必勝……!」


 "鳥兜"の判断は間違っていない。実際、その片手剣はかなりの重量に見えた。簡単に振り回せる物でもあるまい。

 若しくは何かしらの範囲攻撃を行える術があるのかもしれないが、それも発動する前に仕留めれば関係ない。

 よって"校長"が何かする前に仕留めると言うのは間違っていなかった。正にパーフェクトな回答。ただ一つ、実力の差を見抜けなかった事を除いては。


 ドンッ!と轟音が響いて、"校長"へと駆けていた"鳥兜"の姿が消えた。

 正確には、"校長"が振り抜いた片手剣に弾き飛ばされ、教会の壁に穴を開けて山中へ消えていった。


「ヒュウ~ッ」


 "青薔薇"が楽しげに口笛を吹いて、一歩前に出る。


「次はお前か? 『荘園』最強なんだってな」


「えぇ、だから随分と久しぶりよ。挑戦者に成り下がるのは」


 ピリピリとした雰囲気の中、"赤薔薇"は野山の姿が消えているのに気づく。


「しまった、抜けられた! "芍薬"、"百合"、野山を……!」


「駄目よ、野山を追っちゃ駄目」


 リーダーである"赤薔薇"の指示は、最強である"青薔薇"の言葉にかき消される。


「このおっさん行かせたら、神杉さんの悲願もクソも無くなるわ」


 対個人に特化した『荘園』の、最強がそこまで言う相手。ゲームブレイカー、はたまたジョーカー。

 いや、それすら生ぬるい。あくまでも、ゲームブレイカーはゲームを壊すだけだ。


「こいつは……この悪意はここを通しちゃいけない……!」


 側近や秘書からすら腹黒と言われる彼は、その言葉にただ、はは。と短く笑った。


「なんだ、俺のコードネーム知ってるのか」


 勿論、"青薔薇"が彼のコードネームを知っていたわけではない。その偶然の一致は、そのコードネームを着けたのが彼の親であると言えばまた見方も変わってくるだろうか。

 正に、彼の根本を突いた一言。


「俺を止めれると良いな、精々頑張れ」


 "校長"改め"悪意"は一言呟いて、自分の創造する最悪の未来に想いを馳せた。


















ーー最悪……。


 ポツリと、そんな言葉がディーの頭の中に響く。


ーー人間ってこんな値段にしかならない訳?


 誰の声だったか……どこか聞き覚えのある声だった気がする。


ーーチッ、良いわよ。連れてって。


ーーお母さん?


 困惑する他の誰かの声を聞いて、ようやく思い出した。


「あのクソババア……」


 何でこんなことを今さら思い出したのだろうか。

 何でこんなことを今さら悲しんでいるのだろうか。

 何でこんなに苦しいんだろうか。

 何で、何で、何で……。


「良いね、素晴らしいよ」


 ぼんやりと歪んだ顔が、にこやかに笑っている。

 まるでくもりガラスの向こう側の様な……。

 ふと上を見上げれば、歪んだ光が目に入ってくる。


ーー眩し。何だろう、この光。見たことある気がする……。そうだ、野山のサーベルの……


「術式が気になるかい? そこからじゃろくに見えないだろうがね」


ーー私は、一体どうなっているのだろうか。


「水晶の中はどうだろう? まぁ、苦しくても直ぐに終わる。もう少しの辛抱だ」


ーー苦しい……そうだ、苦しい。右目がズキズキと痛んでいる。右目が……右目の筈だ。右目でなければいけない筈だ。


「君の中の『ウロボロス』を取り出して、僕に移す。それで儀式は完了だ」


ーー『ウロボロス』……うろぼろす。結局、こいつは何だったんだろう。何故私にその欠片が宿ったんだろう。


「全て偶然だ。【unknown】の"悪意"まで巻き込めたのは少し出来すぎだったけど……。実験で君が不死性を獲得し、その原因が『ウロボロス』にあると分かった。そこで僕は君を囮に【unknown】と【ホワイト】を呼び込んで、巻き込もうとした」


ーー偶然?本当にそうなのだろうか。この身に宿ったこれは、本当に偶然だと?


「『荘園』、『百鬼』、『学園』に"悪意"。『伽藍堂』もか。随分と巻き込まれてくれた。その因果を、繋がりを、僕はもらう」


ーーこいつが言っている事は訳が分からない。ただ一つ、このままでは不味い事になると言うことはよく分かる。


「おっと、ご校閲を垂れている場合じゃなかったね。野山君のご登場だ」


「……野山?」


 くもりガラスの向こう側に、サーベルが光るのが見える。サーベルは時折発光しており、そこに浮かびがある文字が目に痛い。

 つーっ。と、左目から溢れた涙が頬を伝う。

 何でこんなに悲しいんだろうか。

 何でこんなに苦しいんだろうか。

 一体、私が何をしたというのだろうか。

 私はこのまま死んでしまうのだろうか。


「嫌だ……」


 苦しい。胸が、胸の奥がズキズキと痛んでいる。


「嫌だよ……」


 ぼんやりとしか見えない野山の顔が、確かにディーの方を真っ直ぐと見据えた。


「大丈夫」


 そして、宣言する。


「大丈夫だ」


 野山のサーベルが煌めき、神杉が赤い雷を身に纏い、二人の戦闘が開始した。


















 野山は圧倒的に劣勢だった。

 当然だ、神杉は【陰陽師協会】のトップ。肩書きなら【unknown】トップの"悪意"と同格、実力は言わずもがなだ。

 本来なら、神杉にとって野山は歯牙にもかからない雑魚。それでも劣勢で収まっているのは、野山が着用している霊力を溜め込んだピアス達のお陰だ。

 そのピアスが、パリンッ。と一つ割れた。


「あらら、もう一つ目が割れちゃったね。全部割れたらゲームオーバーだよ、頑張って」


「チッ」


 野山は舌打ちして、サーベルの構えを変化させる。

 神杉の言うとおり、今この戦況を劣勢に抑えているピアス達が全て壊れれば、野山は負けてしまう。

 ピアスは霊力を使いきると壊れてしまう為、目に見えて限界が近づいてくる。

 野山としてはなるべく温存しながら戦いたかったが、神杉は出し惜しみを出来る相手ではない。


「【アラビアン……】」


 野山が変化させた構えでもって術を発動しようとしたが、"運悪く"、防御に霊力を回していたピアスが弾け飛んだ。


「チッ!」


「おや、残念」


 故に、野山は神杉へ向かって放とうとしていた術を、背後から迫ってくる攻撃への防御に回さざるを得なくなった。

 横なぎに振るわれた長大な光のサーベルは、赤い雷と直撃して霧散する。

 その余波で教会のガラスが砕け散ったが、そんなものは意に介さず、二人は次の術に移った。


「【百夜物語】!」


「おっとっと」


 野山が発動した術は鋭く神杉の喉元へと迫ったが、神杉はそれを軽く身を捻って避けてしまう。

 野山の術は神杉の服の一部を切り裂き、天井に丸い風穴を開けた。

 【百夜物語】は剣先から波動の突きを放つ術だ。その速さは勿論、なんと言っても不可視であるのが最大の強み。最も、見えたからといって人に避けれるような速度ではないのだが……


「あいつ、術の発動より先に動きやがった……!」


 不可視で高速の攻撃を予測して避ける。簡単に言うが、術の発動まで野山はその切っ先を自由に変更出来る。

 予め動いたとてそこに合わせれば良いだけ。それを神杉は軽々と避けて見せた。

 つまり、野山が放つ場所を決めて術を放つまでの一瞬のタイムラグで体を捻り、直撃しかあり得なかった渾身の術を紙一重で避けて見せた。

 文字通りの"神技"いや、神杉がそれを狙った訳ではないのなら、"奇跡"と言わざるを得ない。

 そしてその"奇跡"と同時に、また一つ野山のピアスが砕け散った。


「くそ!」


 野山はピアスに貯めている霊力をある程度把握している。無論、どの術がどれほどそれを消費しているかも同様だ。

 しかしあくまでも"ある程度"、少し見誤ればピアスは想定よりも速く砕けていく。

 そしてその目算を、これまでの三回、全て外している。


ーーこんなことは初めてだ。別にピアスの霊力を多く見積もってる訳じゃない。『俺が少なく見積もってた分、現実が、それを想定外に下回ってくる!』


 それが何故かと問われれば、たまたまと答えるしかない。そう、たまたま。別に神杉が何か細工をしたわけでも、術を発動したわけでもない。

 ただの"奇跡"だ。

 ただ野山が前のピアスより霊力が貯まっていないピアスを使用しただけ、ただ野山が"ある程度"を外しただけ。

 そこにはタネも仕掛けもありはしない。


 野山がどれだけ奮闘しようと、事態が野山にとって悪い方へ転がっていく。

 これが"奇跡"、これが"運"。そして、神杉が【陰陽師協会】の会長足る由縁だ。


「君は何でこの子を助けるのかな?」


 神杉の問いかけと共に雷が降り注ぐ。

 その一つ一つが野山の張った障壁にクリティカルヒットし、確実に防御を剥いでいく。


「お前こそ、何でこんなことやってんだ? 不死身になって何をするつもりだ」


「何でって、出来るならやるだろう」


「はぁ?」


 また一つ弾け飛んだピアスに顔をしかめながら、野山は神杉の答えに耳をすませる。

 神杉の動機が分かれば、或いは話し合いが出来るかもしれない。そう思ったのだ。

 しかし、その浅はかな思考は直ぐに吹き飛ばされた。


「いや、だからさ。それは問いかけになってないんだって。君は何でジュースを飲むの? 水で良いじゃないか。そっちの方が美味しいからそうするんだろう? サプリメントで栄養を取れるからって全部をサプリメントで賄うバカはそういないだろう? 皆『そっちの方が良いから、良い方を選べるから』やってるんだろう?」


「……」


 野山はその言葉を理解出来なかった訳ではない。理解出来たからこそ、神杉という男のスケールの大きさに、黙り込んでしまったのだ。


「不死身になれるならなっておきたいと思わないかい?」


 虫歯になりたくないから歯磨きをするように、神杉は死にたくないから不死身になれる。

 『なれるからなる』、彼はその凄まじいまでの"運"と"奇跡"でそれをなし得てしまう。


「それで周りがどうなっても良いってのか?」


「別に君達にはどうもしないさ」


「ディーはどうなる」


「死ぬね。『ウロボロス』を引き剥がせば当然死ぬ。右目が消えるんだよ? 死なない訳ないじゃん」


「……」


「あぁ、君は牛肉を食べる度に牛にお経をあげるタイプ?」


「いや、もういい」


 神杉と常人とでは、見ている景色がまるで違う。

 今までこんなものに従っていたのかと思うとゾッとしてしまう。神杉は人の情など持ち合わせていないのだ。


「もう手加減無しだ」


「あのさぁ……」


 神杉はうんざりしたように目を細めると、ユラリとその姿を消した。


「消えた!?」


「邪魔なんだよね、君みたいなのは」


 野山は背後から聞こえてきた声に向かってサーベルを振り抜いたが、それは軽々と片手で受け止められてしまう。


「"悪意"なら僕を止められたかも知れないのにね」


 神杉は野山の首を掴み、ゆっくりと宙に持ち上げた。当然野山は苦悶の表情を見せるが、神杉は一切顔色を変えず、淡々と続ける。


「君ごときが、僕に、勝てるとでも?」


「ぐっ、カハッ」


 野山に。キッ!と睨み付けられた神杉は軽くため息をついて、その手のひらに赤い雷を生み出す。


「止め……っ!」


「神罰に討たれろ」


 ビシャンッ!

 雷が空気を裂く轟音と、遅れて響いたゴロゴロという余波に紛れて、野山のピアスが連続して砕けた。

 ピアスの霊力で致命傷は避けたようだが、衝撃と共に吹き飛ばされた野山は教会の壁に叩きつけられ、苦悶の呻きを漏らす。


「うっ……ぐ……!」


「しぶといなぁ。咄嗟に全部防御に回したのは流石だけど、結局ゲームオーバーには変わりないよね」


「いいや、まださ……」


 野山は、今一度サーベルを握り締める。

 結局、野山が勝つには神杉の裏をかくしかなかった。直接戦って勝てる訳が無いからだ。

 そして野山は、戦いが始まってからずっと、神杉の"奇跡"について考えていた。

 彼の"奇跡"は絶対的だ。だが、完璧ではない。


ーー【百夜物語】はあいつの服を切り裂いた。"奇跡"が完璧なら、そもそも当たりすらしない筈。


 当然ながら、当たる筈だった攻撃を回避する"奇跡"と、野山のミスを誘発する"奇跡"ではその度合いはまるで違う。

 そう、神杉の"奇跡"は完璧ではない。上限がある。彼は『"悪意"なら止められたかも』と言っていた。圧倒的な力なら、"奇跡"は圧殺出来る。

 野山はそこに勝機を見出だしていた。

 確実とは言わないまでも、この絶望的な状況を切り開く一手を。


「頼むぜ、神様」


 そっと、野山は手首のミサンガにサーベルを押し当てた。

 縁を司る神様が編んだ、特別なミサンガに。


「……なんだ、そのミサンガは」


 神杉がここで初めて、警戒の色を示す。

 何の変哲も無いミサンガだが、『何も無さすぎる』。ミサンガやお守りは、多かれ少なかれ願いが込められ、それに応じて力を示す。

 野山のミサンガにはそれが感じられない。


「くそ、止めろ!」


 神杉が駆け出すが、間に合うわけもない。

 プツンッ。と断ち切られたミサンガは、地面に落ちながら明るく輝く。


「良くやった野山よ」


 ミサンガは落下しながらハラリとほどけ、シュルシュルと形を変えていく。自らが放つ光で影を作りながら、そのシルエットが巨大なハサミの形を成した頃、教会に不遜な声が響き渡る。


「さぁ、神杉 要。貴様の"奇跡"、切らせてもらうぞ!」


 ズズイ。と影のハサミが神杉へと迫り、その大口をスラリと開いた。


「この……く、来るな!」


「それは出来ぬ相談よ」


 縁切りの神は容赦なく、ブツリと"奇跡"を断ち切った。


















 神杉の"奇跡"が断ち切られる少し前、福岡から少し離れた広島にある【陰陽師協会】の支部の一つで、桜は檻に入れられていた。

 桜はディーとは違い神杉の計画に組み込まれていない上、そもそも妖怪や怪物側の存在だ。陰陽師に捕まれば、こうして閉じ込められてしまうのは自明の理だった。


「二人とも大丈夫でしょうか」


 寧ろ心配すべきは捕まっている自分の身だと思うが、桜はこう見えて600歳を越えている。こう言った状況は幾度も経験していた。


「えっと、何か使えそうなものは……」


 桜は辺りを見渡すと、檻の天井付近の窓に鉄格子を見つける。


「あれにしましょうか」


 跳びはね、軽々と窓の鉄格子まで手を伸ばした桜は、ポキリと鉄格子を折ってしまった。

 彼女も言動こそ普通だが、れっきとした化け物なのだ。

 そしてそのまま、手に持った鉄格子を檻に勢い良く打ち付ける。


 ゴギィン!ガギィン!と鈍い音を連続で鳴らして檻を歪ませ、そこからスルリと抜け出した。

 人間では一見通れなさそうな隙間だが、桜のワンピースの下は骨である。つまり頭さえ通ってしまえば後は猫のように簡単にすり抜けられる。


「さて、後は見張りに見つからないように……」


 今さらこそこそと歩き出した桜の背中に


「ねぇ、そこの君。ちょっと良いかな」


 と声がかけられる。

 見張りかと臨戦態勢で振り返った桜は、そこにいた人物の姿に目を見開く。

 その少年は真っ白な、太陽をかたどった仮面を着けていた。それは正に【ホワイト】に所属する者の象徴である。


「え? 【ホワイト】? で、でもここは【陰陽師協会】の……」


「先ほど制圧させてもらった。まぁ、私たちの支部を壊滅させたお返しかな。っと、今はそれどころじゃない。君を連れていかなければ」


「ど、どこへ? というか貴方は誰ですか?」


「これは申し遅れた。私はクルト、【ホワイト】の教祖だよ。どうぞよろしく」


 過激な宗教団体である【ホワイト】のトップ。その肩書きに似合わぬ見た目の『クルト様』は、ペコリと可愛らしく頭を下げてそう言った。

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