第3話 【温泉】

【温泉】


 本書ではこれまで人の『死』について語ってきた訳だが、当然ながら神話は何も『死』に関する話ばかりではない。

 ここでは一つ、癒しの温泉について語ろうと思う。


 温泉の歴史は長い……。

 約1300年前、日本書紀においてオオクニノヌシとスクナビコナの日本創成コンビが、温泉にて傷を癒したという話が記されている。

 さらに言えば紀元前500年頃には、古代ローマで傷病者を癒すお風呂が確認されており、こちらは『テルマエロマエ』等でご存知の方も多いだろう。

 この時から温泉は人々に愛されていたのだ。


 使用した者の傷をたちまち癒す不思議な場所。

 この手の話は一般的に、『癒しの泉』として語られる。

 ここで注目したいのは『水』である。

 古来、『水』は清らかな物として描かれてきた。

 "聖水"に代表される水の浄化の力は、現代ファンタジーにおいても散見される。

 水はそのイメージを、長い時を経た現代まで保っているのである。


 不思議な事と言えば、その水の癒しの力は、基本的に神からもたらされた物ではないと言う点である。

 例えばウルズの泉の源流は、ユグドラシルから涌き出る水であり、ウルズが産み出した訳ではない。

 聖水も儀式によって清められた水ではあるが、神がもたらしたかと言えば少し違う気がしてしまう。

 若返りの泉もその存在がどこかにあると噂されるのみで、こちらは伝承の中に神の文字すら見られない。


 温泉もまた例外ではなく、オオクニノヌシたちは温泉を発見しただけで、彼らが特別な力で掘り当てたり作り出したりしたわけではない。

 第一人者と言う意味では正しいが、彼らからもたらされたかと言われると答えはノーだろう。


 つまり、『癒しの泉』という存在の裏には、神すら越えた何かが見え隠れしているのだ。

 "それ"は正に人々の【死への恐怖】である。

 人々が傷つき、疲弊し、もう自力ではどうしようもないと絶望したとき、『癒しの泉』に微かな希望を見るのだ。


 これこそは宗教の根源であり、本質である。

 さて、ここまで語った所で、ようやく本書の本文である『死』の話に戻ろうと思う。


 先ほどから羅列している『癒しの泉』たちと【温泉】には、大きく違う点がある。

 それは、温泉は危険なものとして描かれる事がある、と言う点だ。


 どういうことかと言うと、これは火山……ひいては硫黄ガスのせいである。

 硫黄ガスは人体に有害な気体であり、火山の近くではこれにやられてしまう人や動物がしばしば見られる。

 それは古代においても同様であり、温泉……もとい間欠泉の近くには、それ相応の硫黄ガスが噴出する危険性があった。

 間欠泉の事を『地獄』とも呼ぶらしいが、さもありなんといったところだろう。


 温泉で有名な大分県には、『地獄の温泉』と呼ばれる場所がある。

 ここから吹き出る温泉は実に色とりどりで綺麗だが、かつては人々が近寄ることを避けられていた程、強力な毒ガスを放っていたと言う。

 そう、【温泉】とは『死の恐怖』と『癒しの泉』が入り交じる、実に特異な場所なのだ。





 現在、色鮮やかな『地獄の温泉』は、大分の一大観光地と化している。

 かつては忌み嫌われ、避けられていた『地獄』のテーマパーク。

 宗教の二面性を現すのに、ここまで最適な例もそうないだろう。

 大分県に行った際にはぜひ、立ち寄ってみて欲しい。


【陰陽師協会『大図書館』

 人々と『死』の歩み 著 トリエント 

            P27より抜粋】























 時に、夜とは恐ろしい物である。

 暗く、視界が遮られるその時間は、事件も事故も多く起こる。

 それは街頭が増え、死角が減った現代においても変わらない。


 その集団は闇に紛れていた。

 特殊部隊もかくやという真っ黒なスーツに身を包み、暗闇に紛れながら目標に近づいていた。

 彼らに課されたミッションは、とある少女の確保。


 集団の中心にいる黒髪の男が片手を上げると、彼らは素早く散会し、少女が乗っているスポーツカーを取り囲んでいく。

 公園の駐車場に停まっているスポーツカーの中は電気が灯っておらず、今が深夜ということもあって少女たちは寝ているようであった。


 最も、彼らはそう言った時間を狙って襲撃を仕掛けている訳だが……。

 ジリジリと円を縮めながら、彼らはスポーツカーに近づいていく。

 やがてスポーツカーの後部座席に座る少女の姿を確認した一人が合図を出し、全員がそれを把握した。


 一人がそっと右の拳を前に突き出すと、拳の隙間からシュルシュルと蔦が伸びていく。

 しかし、蔦がスポーツカーに到達しようかという直前、ボウッ。と、闇の中に赤い光が灯る。


「えっ!?」


 蔦を伸ばしていた一人が動揺の声を出した瞬間、それはスポーツカーの窓から飛び出してきた。

 赤い光は闇夜に直線を描いたかと思うと次の瞬間には相手を殴り飛ばす。

 光はユラリと揺らめくと、スポーツカーを取り囲む集団を睨み付けた。


 その赤い光は、少女の右目から発せられていた。

 少女の名はディー、純白のゴシックドレスを着用し、腰まで伸びる長髪が夜風に靡いている。

 端正な顔立ちはその服装も相まって西洋人形を思わせるが、その右の瞳は赤く輝き、瞳孔が蛇の様に鋭く尖っている。


「あれが"蛇の呪い"……! 総員、戦闘準備!」


 スポーツカーを取り囲んでいた面々がディーの方へ集まるが、彼女は余裕の表情を崩さない。


「全員でかかってくると良い。なるべく殺す勢いで」


 数分後、スポーツカーの電気が灯り、運転席からパンクファッションの男性が顔を出した。

 男性の耳や鼻、唇にはピアスが開けており、パンクファッションも相まって厳つい印象を与えるが、その奥にある柔和な素顔が見え隠れして少し歪に見えてしまう。

 彼は野山。陰陽師であり、つい昨日までディーを捕らえようと追いかけていた。

 しかし返り討ちにあい、その結果彼女の逃走を手伝う事になってしまっている。


「何事だ? こんな夜中に……」


 野山は眠そうに欠伸をしながら、目の前の光景を眺める。

 公園の駐車場に転がる特殊スーツの集団と、その前で退屈そうに足を伸ばして座るディー。

 どうやら全員ディーに負けてしまったようだった。


「襲撃、捕まえようとしてきたから倒した」


「何も全員地面に転がさなくてもだな……一人くらい捕まえて尋問するんだよ、こういう時は」


「なるほど」


 ディーは納得して頷いたかと思うと、近くにいた少女の両腕を掴み、ヒョイと持ち上げる。


「えっ! 私!?」


「誰でも良い、行くよ」


「嫌だーっ! 浚われるーー!」


 少女が叫ぶが、ディーに叩きのめされた彼らは一人も動けない。

 少女はそのままスポーツカーまで運搬されると、後部座席に雑に放り込まれた。


「ぎゃっ!」


 情けない声を上げた少女を追い込むようにディーが勢いよく車に乗り込み、乱暴にドアを閉める。


「野山、車出して」


「はいはい……」


 ディーが乗り込むと、スポーツカーは颯爽と公園を去っていく。

 暗い公園の駐車場で、微かな呻き声だけが聞こえていた。



















「わ、私は【unknown】所属のトリトン……」


「【unknown】ね、なるほど。トリトンはコードネームか?」


「その通りだ……」


 スポーツカーを夜の高速道路で走らせながら、両手を上に上げたトリトンに尋問が行われていた。

 トリトンは萎縮しきっている様で、肩を縮こませてびくびくと怯えている。

 トリトンは何とか逃げ出そうと辺りを見渡しているが、隣にはディーが居る上にここは高速道路。

 下手に飛び下りればただでは済まないだろう。


「【unknown】ですか。何だか秘密組織っぽくてカッコいいですね」


 助手席から顔を出したのは死神の桜だ。

 最も桜は現在記憶喪失であり、誰も彼女の真の正体については知らないのだが……。

 一見すると妙齢の美女だが、その黒いワンピースの下に肉は無く、朽ちた骸骨があるのみである。

 かなりおぞましい姿をしている桜だが、今はただ無邪気に笑みを浮かべていた。


「【unknown】はそんなに可愛い組織じゃねぇぞ。特に、特殊能力を持った子供たちを集めた【学園】っつー傘下組織はやべー」


 そう言って、野山はバックミラー越しにトリトンを見つめる。

 トリトンは透き通るような青い目を持ち、水の様に流れる長髪は金色に光っている。

 その美しさは正に絵に描いたようであった。


「私たちはその【学園】の"一年生"だ。私も、皆も、何かしら特殊な力を持ってる……」


「お前の力は?」


「海洋生物と話せる。後は水を少々操れて……」


「それでトリトンか、女性ってのが気になるが……。それで、お前たちは何でディーを襲ったんだ?」


 トリトンは少し俯いたが、ディーが目を細めたのに気付き、慌てて口を開く。


「"校長"に指示されて来た。私たちの行動理念は知ってるか?」


「あぁ、『全てを闇の中に』だったな。特殊な存在は徹底して世間から遠ざけるべきだってのがその"校長"の信念なんだろ?」


 つらつらと答えた野山の言葉に頷いて、トリトンは続ける。


「そこでとある実験場から逃げ出したお前を捕まえようとしたんだ。も、もし過剰に抵抗するようなら殺すことも許可されてた……」


 それを聞いて、車内に沈黙が広がる。

 相手を殺そうとしていた等と話せば、その場で自分が殺されてもおかしくはない。

 トリトンは、言ってやったとばかりに目をギュッ。とつぶった。彼女の信念は相当強いようだ。


「ふーん、殺しても良かったのに」


 しかし、ディーから返ってきた言葉は予想外のもよだった。


「何でよ!?」


「死にたいから」


「説明になってない!」


 ディーはとある研究所から逃げ出しており、そこで非人道的な扱いを受けていた。

 再び捕まるくらいなら……。という経緯があるのだが、捕虜にそこまで話す程三人は親切ではない。


「ところで、次の目的地だが……」


「私を置いて話を進めないでよ!」


 もう捕虜の事は放っておこうと、野山が強引に話題を切り替える。


「大分にある、地獄の温泉に行くぞ」


「地獄?」


 ディーが身を乗りだし、


「温泉ですか?」


 桜が首を傾げた。

 地獄の温泉とは何とも凄まじい言葉の響きだが、その実態はテーマパークである。

 珍しい温泉を巡り、その土地に伝わる逸話を見ながら温泉饅頭でも食べようという観光地なのだ。


 かつて人々は、地面から湧き出る異様な噴出物を見て、その土地を忌み嫌い、近寄らなかった。

 単純に熱いお湯が危険だったというのもあるが、その理由は何よりその異常な"色"にある。


「赤に染まってるかと思えば白濁し、海の様に青く溜まったかと思えばお湯が滝となって降り注ぐ……そして近くでは動物が毒ガスでバタバタ死んでいく。こんなもん、近づこうと思う方がどうかしてる」


 野山は『べっぷ地獄めぐり』のホームページを写し出したスマホを、ディーに手渡す。


「……逆に癒されそうだけど」


「まぁな。温泉ってのは基本、健康に良いものだ」


「じゃあ何でわざわざ行くの?」


 そんなディーの疑問を、トリトンが鼻で笑う。


「日本人なのに知らないんだ?」


 ディーは少しムッとすると、トリトンを睨み付けた。


「お前たちみたいなのに10年近く捕まってたからね」


「お言葉だけど、別に私らはあんたを実験したい訳じゃないから」


「わざわざ闇夜に紛れて奇襲した癖に。説得力がない」


「あんたに何が分かる」


「説明も無しに分かってもらおうとするのは止めた方が良い」


 今にもトリトンに掴みかかりそうなディーだったが、野山に、おい。と諌められ、大人しく席に座り直す。


「……。【温泉】ってのは、古くから傷を癒す場所として信仰の対象にもなってきた一方で、近くから噴出する硫黄ガスのせいで動物が急死する。何てことがよくあった。今回はそっちの『死』の伝承を探ろうって訳だ」


 野山が窓の外を指差すと、海岸線から上がってくる太陽に照らされて、町のあちこちから湯気が立ち上っているのが見えた。


「あれが大分の別府。二千を越える『地獄』があると言われる、一大観光地だ」


 野山がハンドルを切ると、車はゆっくりと高速道路の出口へと向かっていく。

 ゲートを通って一般の道路に出る間も、モクモクと空に浮かぶ湯気が見えていた。


「はー! 湯気が至るところから! 中々奇妙な光景ですねぇ……」


「日本の温泉街は大体こんなだな。桜は来るの初めてか? 俺も別府は初めてだが」


「温泉入れないので……」


「あぁ……胴体が骨だったな、お前」


 ディーは談笑する二人から目を剃らし、空に浮かぶ湯気を見つめて、温泉か……。と、ボソリと呟く。


「入りてぇか?」


「別に」


 ツーン。と、ディーはそっぽを向いてしまう。


「まぁ、どちらにせよ、『死』に関する話の為に温泉には行くんだ」


 野山はそう言うと、スマホを操作してナビを開いた。


「今から行くのはガスの噴出口だ。元だがな」


「さっき言ってた動物が死ぬやつ?」


「あぁ。ただ昔は原因不明で、書物に記されてる文章から"恐らくガスのせい"と予測したもんだ」


 断定は出来ねぇな。と野山は続ける。


「なんか、薄くないですか?」


 唐突にそんなことを言うのは、桜である。


「薄いってのは?」


「だって昨日は閻魔大王の話をしてたのに……」


「何言ってんだ。温泉は世界各地にある『癒しの泉』の系譜でな?」


「あー……長くなりそうなので良いです」


 野山は、んだよ……。と寂しげに呟いて、運転に意識を戻す。

 野山の運転する車は暫く市街地を進んでいたが大きな道路を少し外れたかと思うと、いつの間にか山道を走っていた。


「ここら辺には昔ガスの噴出口があって、通った家畜が次々と死んじまってたらしい。祈祷したら収まったってんで、奉納相撲を毎年やってたんだってよ」


「奉納相撲?」


 聞きなれない単語に、ディーは首を傾げる。


「文字通り、神様に相撲を捧げるんだ。お賽銭みたいなもんだな」


「へぇ」


「ピンときてねぇだろ」


 適当に返された声に、野山はため息をつく。


「とにかく、それを見に行こうって話だ」


「いや、見に行くって。もうとっくの昔に閉じてるだろ」


 咄嗟にそう反論したのはトリトンだ。

 実際、家畜が死ななくなったと言うことはもうガスは噴出していないと言うことだ。

 今行ったとしても、何もない岸壁が佇むだけだろう。


「まぁな。だが結局のところ見たいのは毒ガスじゃなくて、そこに残る"信仰"だ。祠の一つでも残ってたら上々かな」


 そう言ってしばらく車を走らせていたが、祠は一向に見当たらない。

 木々の間を抜け、崖の下の町並みを流し見て、細い道を行き……


「無いな。伝承は確かにあるんだが」


「そもそも、そのお話ってどのくらい前なんですか? 300年とか?」


 退屈そうにため息をついて、桜がそう言う。


「西暦1600~1800年位だからそんなもんかな……」


「そんな前の祠なんて残って無い。さっさと次の場所に行こう」


 ディーが痺れを切らして野山の座席を叩くが、野山は、あのなぁ。とディーを諭す。


「昨日見た閻魔堂はもっと古いぞ? 日本には1000年残る物だってあるし、たかが300年。奉納相撲までやってたっつー場所が消えてたまるかよ」


 そうは言っても祠は見つからないので、ディーは苛立ちを抑えられない。

 文句を言わなくなったものの、ゲシッ。と野山の座席を無言で蹴り上げた。


「いてっ、分かったよ。もう少し進んで何も無かったら戻る。あんまり山の奥に入っても危ないからな」


「ん」


 ディーの賛同を得て車は再び走り出す。

 しかし、走り出した途端、ゴツン。と鈍い音を立ててスポーツカーは停止してしまった。


「何だ? いや、まさかな……」


 野山は訝しげな表情でスポーツカーから降りると、手早く辺りの地面や崖を探る。


「野山? どうしたの?」


「結界だ。誰かが山に結界を張りやがった……」


 良く見れば、空や背景に曇りガラスの様なモヤが浮かんでいる。


「結界?」


 首を傾げるディーの後ろで、トリトンがククク。と不敵に笑っている。


「何がおかしいの?」


「結界が張られたってことは……"二年生"が来たんだよ」


「どういう……?」


 バババババ!と、静かだった山に唐突なプロペラ音が襲来する。

 シャープな迷彩柄のヘリコプターは、野山たちの頭上で停止するとゆっくりとその側面をスライドさせた。


「上か……!」


 開いた側面から見えた人影は身を乗り出したかと思うと、何の躊躇もなくヘリコプターから垂直落下した。


「嘘だろ!?」


 ズドンッ!と砂煙を上げて着地したそいつは、何事も無かったかのようにのっそりと顔を上げる。


「ディーはどこだ?」


 特殊部隊もかくやというゴツイ装備の上からでも分かる鍛え上げられた肉体に、傲岸不遜を体現したような顔。

 岩石の様な印象を与えるその男は、無表情を貼り付けたまま近づいてくる。

 対してディーは不機嫌そうに顔を歪めてスポーツカーから渋々降りてきた。


 戦闘態勢の男に比べて、まるでやる気が感じられない。


「おい、ディー……大丈夫なのか?」


「大丈夫、どうせ死なない」


「そう言う問題じゃねぇよ……」


 のんびりと男の前に躍り出たディーは、自分の2倍はある男を見上げて、睨み付ける。


「あんたも私を捕まえるの?」


「"校長"からのご命令である」


 言うや否や男の拳が襲いかかり、受け止めたディーの足元が、ミシッ。と大きくひび割れた。


「重っ……!」


「不死身らしいな」


 呟いて、男は拳をもう一つ追加する。


「潰して持ち帰るとしよう」


 ギギギギと音を立てて地面が軋み、上からかかる圧力にディーが顔をしかめる。


「私は引っ越しの荷物じゃないんだけど?」


 ディーの右目が赤く輝いたかと思うと、男の体が持ち上げられて徐々に浮かび上がる。


「お、おぉ?」


「結界を解け」


「……無理だな」


 男が言い切る前に、ディーは崖壁に向かって男を投げつけていた。

 しかし男が叩きつけられる事はなく、スーツを突き破って生えた背中の4本の腕が、岩壁への直撃から守ってしまう。


「名乗るのが遅れた」


 ストッ。と優雅に着地して、男は六本の腕でユラリと構えた。


「我はアシュラ。6本腕の鬼神である」


「顔が3つないじゃん。偽物」


「三面は視界が歪んで苦手なのだ」


 直後、アシュラの6本腕とディーの蹴りが衝突する。

 蹴りの衝撃がアシュラの後方へと突き抜け、岩壁にベコッ!と大穴が空いた。


「チッ。ガードが固い……!」


「悪くない蹴りだ、蛇姫よ」


「私はディーだ!!」


 吠えて、ディーが拳を振るうが2本の腕に受け流されたかと思うと、さらに4本の腕がディーの手足を掴み、動きを封じてしまう。


「憐れな。ディーと言うのは偽名であろう? 実験体D。わざわざ人から与えられた名に固執するとは……」


「うるさい。昔の名前なんてどうでも良い。あの時の私は死んだ、殺されたんだ。あんたみたいなやつらに」


 アシュラは、ふむ……。と呟いて、残った2本の腕で合掌した。


「ならば尚更分からぬ。今は解放されたのだろう? 殺されたお主は生き返った。その筈だ」


「お前たちが追ってこなければそうだったかもね」


「それは違うぞ、ディー」


 ギュッ。と、アシュラはおもむろに拳を握り締める。


「お主は死にたがっているそうだな。それは何故だ?」


「それは……!」


「こう思ってるのであろう? 『こんな体で生きていきたくない』と。分かるぞ。傷つけられ、虐げられたその傷痕は……そうそう消えるものではない。消してしまえるなら死にたくもなろう」


「黙れ。理解者ぶるな」


「事の顛末はそうだな……研究所で非道な実験をされていたお主は何とか逃げ出し、自由になった。しかしお主はその心の傷を消せず、今も苦しんでいる。その傷を癒すのを諦め、死ねば全て消えると思い込み……」


「黙れ!」


「適当な理由を付けても無駄だ。お主の心の傷はそれでは癒えない。向き合わなければならぬのだ。このままでは死んでも、逃げても、お主は救われぬ」


「黙れ!! 私はそんな……! ただまたいつか捕まってあの研究所に戻される位なら……!」


 ディーは手足をじたばたとさせるが、アシュラの腕はピクリとも動かない。


「そんな理由で同情を引こうとしても無駄だ。自らの傷から目を背け、『それらしい』理由で隠そうとも……結局、お主の傷は癒えない」


「誰が……!」


「死ぬ理由を探すでない。ならば、良い報せをやろう。その研究所は先日我らが壊滅させた」


「……え?」


 暴れていたディーの動きが、ピタリと止まる。


「不思議に思わなかったのか? 陰陽師や、宗教団体や、我らの様な組織が追ってきているにも関わらず、その研究所がお主を追ってこないのに」


 ディーの右目の赤い輝きが薄れていく。


「良かったな。お主の死ぬ理由は無くなった」


「……っ!」


「ところで、まだ死にたいか?」


「わ、私は……!」


「少し頭を冷やせ、蛇姫よ」


 ゴッッ!!

 凄まじい勢いで振るわれたアシュラの二つの拳が、ディーの体に大穴を開けて貫通した。


「グゥッ!?」


 悲痛な叫びと共に、ディーの口から鮮血が迸る。


「ディー!」


ーーくそ!奥の手を使うしかねぇか!?


 野山が折れたサーベルを片手に走るが、その前にトリトンが立ち塞がった。


「トリトン……!」


「形勢逆転ね。悪いけど、加勢には行かせないから」


 トリトンが両手を空に掲げると、別府の上空を漂っていた水蒸気が誘われるように集まってくる。

 トリトンの『水を操る力』だ。


「くそ、地の利はあっちのが上か」


「言っとくけど、私結構強いわよ? ディーが居ない上に、弱ってるあんたなんかに負けないから」


「途端に強気じゃねぇか。良いのか? それで負けたら相当ダサいぞ」


「言うじゃん」


 ニヤリと口角を上げて、トリトンは集まった水を球状に分裂させた。

 その内の一つがボコボコと泡立ったかと思うと、ピチュン。と高圧のレーザーが発射され、地面に風穴を空ける。


「なるほどな……」


「さぁ、避けられるかい?」


 分裂した水球が、一斉にボコボコと泡立ち始める。

 野山は折れたサーベルを引き抜いて、小さく舌打ちした。



















 ディーと野山が戦闘を始めたその上空、滞空するヘリコプターにて、小太りの男が下を覗き込んでいた。

 男は金髪碧眼と言う典型的な白人男性の見た目をしており、その体型でなければある程度イケメンと呼ばれる類いだっただろう。


「あのディーって子は本当に不死身なんだな。驚きだぜ」


 ヘリコプターの側面から身を乗り出し、その飛び出た腹を風で揺らしている。

 ヘリコプターの操縦士は、はぁ。とため息をついて、男に話しかけた。


「"校長"、あまり身を乗り出さないで下さい。落ちますよ?」


「大丈夫だって。それに、我が生徒たちの勇姿をしっかりとこの目に納めないといけないからな」


「また心にもないことを……」


 "校長"とはトリトンやアシュラが所属する【学園】のリーダーであり、指導者だ。

 本来現場に来るような立場ではない筈だが、相当ディーが気になっているのか、それとも別の目的があるのか……。

 一部の生徒たちから『腹黒タヌキ』と称される彼は、戦況を俯瞰して舌舐りしている。

 "校長"は山を見下ろしながら、後方にいる秘書へと話しかける。


「結界は?」


「今のところ異常無しです。"二年生"は相変わらず連携が上手いですね」


「"三年生"は腕っぷしも強いが、我も強くてなぁ……。アシュラもその気があるが、大丈夫か? あいつデリカシーも無いしなー……」


「それ、貴方が言いますか?」


 秘書の呆れた声は、"校長"には届かない。


「それはそうと、何で陰陽師協会の会員が一緒にいるんだ? 確かあそこには依頼を蹴られてたよな?」


 "校長"はディーを捕まえる為に陰陽師協会へと依頼を出していたのだが、その依頼は陰陽師協会のリーダーであるかなめに断られている。

 にも関わらず陰陽師協会の会員がディーと共にいると言うことは……。


「あいつ、やりやがったな?」


 依頼を蹴った上でのその対象の横取り。

 誰がどう見ても信用問題に関わる事態だが、"校長"は楽しそうに笑っている。


「良いじゃねぇか。俺らと真っ向からやりあおって事だな? 受けて立とうじゃねぇか」


「"校長"、アシュラが捕縛に成功したようです」


「あぁ、もう終わったみたいだな。あいつには簡単な仕事だったか……」


 そう言えばと、"校長"は視線を横にずらす。


「トリトンの方はどうなった? まさかあそこまで弱った陰陽師にゃ負けねぇだろうが……」


 そこまで言いかけた"校長"は、そこに広がっていた光景に目を見開く。


「……ヘリを旋回させろ」


「は? まだアシュラたちの回収を終えていませんが……」


「良いから早くしろ! 死にたいのか!」


 "校長"が首を傾げた操縦士を怒鳴り付け、ヘリは大きく旋回して山の上空を離れていく。


「何だ? 何故山から離れる。手筈では我らを回収していく筈だろう?」


 再生途中で動けないディーを縛り上げていたアシュラは空を見上げ眉を潜めていたが、ギャア!と言うトリトンの悲鳴を聞いてそちらに振り返る。

 振り返ってしまう。


「おや、ようやくこちらを見ましたね」


 影が、踊っていた。

 クルリクルリと、桜のワンピースの端がフワリと浮き上がって、ワンピースは光に透かされ、その骨の胴体がくっきりとした影となって、地面で踊っている。


 その手前で、トリトンが荒い息で跪いていた。


「トリトン!」


 アシュラは直ぐ様駆け出すが、ガクンッ。と膝が折れる。


「ぬぅ! 力が入らん!?」


「大人しくしててください。ディーさんのお腹に穴を開けて……私は怒ってるんです」


「不死身の者の心配とは滑稽な。それとも、同類の貴様には痛々しく写る物なのか?」


 アシュラの言葉に桜はムッ。とするが、野山が片手を上げてそれを制止する。


「結界を解け。俺たちを逃がせばお前たちに危害は加えない」


「バカを言え、超常現象を『隠す』事を目標としている我々がここまで大規模に動いているのだぞ。諦められるか。それに、我に結界を解く権限は無い」


「……なら仕方ねぇな」


 野山は観念したようにため息をついて、折れたサーベルを天に掲げる。


「何をする気だ? 我を殺して見せしめにでもするのか?」


「んな訳ねぇだろ……破壊するんだよ、結界を」


 キラリ。と野山の右耳の三つのピアスが光を放つ。

 それらにヒビが入ったかと思うと、そこから漏れだした光がサーベルの刀身に集まっていく。


「何だそれは……」


「普段からピアスに霊力を貯めてるんだ。とは言えあんまり使いたくはねぇ」


 カッ!と光が大きくなり、天を突かんばかりの長大な半透明の剣が現れた。


「【アラビアン・ワンナイト】」


 ブォン。と重々しい風切り音と共に、剣が振るわれ、山を覆っていた曇りガラスの様なモヤがズルリと"ズレ"る。

 結界は切られた端からバリバリと音を立てて崩れ去り、その亀裂の間をヘリコプターが抜けて逃げていく。

 光を放っていたピアスは砕け散り、長大な剣も空気に溶けて消えていった。


「ふざけた技だ……結界を簡単に切り裂いてしまうとは」


「あんまり使いたくねぇって言ったろ? 見ての通りピアスの分しか使えねぇんだ」


 それに少し痛いしな。とピアスが砕けたことで流血している右耳を押さえながら、もう片方の手で野山は項垂れるディーを担ぎ上げる。


 スポーツカーに向かう途中、野山は息が上がっているアシュラに話しかける。


「あー……お前らが"二年生"だったな? 次は"三年生"か?」


「知らん。決めるのは"校長"だ。そもそも、"三年生"は本国に待機している。日本にはいない……」


「良いのか? そんなこと俺に教えて」


「先ほどの技、見事だった。我なりの手向けだ。それと、ここから逃げるなら早くした方が良い……結界を張っていた他の"二年生"が駆けつけてくるぞ」


 野山は静かに頷くと、スポーツカーにディーを押し込み、桜が乗ったのを確認して颯爽と去っていった。


「アシュラさん、良かったんですか?」


 トリトンの問いに、アシュラは、ふっ。と短く笑いを溢す。


「他の"二年生"が駆けつけてきたとして、先ほどの技をもう一度使われたらどうなる? あの得たいの知れない女もいる中、あの剣を振るわれれば我々は全滅だ」


「わざと遠ざけたんですか?」


「あちらも、無駄な戦いはしたくなかろう」


 そう言って、アシュラはゴロンと地面に寝転がる。


「腹が減った……昼は"校長"に牛丼でも奢ってもらうとしよう」


 アシュラは満足げに目を閉じて、遠くから近づいてくるヘリコプターの音を聞いていた。




















 スポーツカーは山を下り、別府の街中を走っている。

 昼間になったこともあってか、街に到着した時に比べ、辺りを歩く人が多くなっていた。

 温泉街に活気付いた声が溢れる中、スポーツカーの中は静まり返っている。


「ディー、大丈夫か?」


 野山が何度目かの問いかけを行うが、ディーは俯いたまま何も話さない。

 アシュラの言葉が相当堪えたのか、それとも自覚していなかった本心を引きずり出されて困惑しているのか。


「まぁ、どうせなら温泉にでも行くか」


「良いですね。あ、でも私……」


 桜の胴体は朽ち果てた骸骨だ。普通の温泉には入れないだろう。


「家族風呂にでも行けば良いだろ。ディーもそれで良いか?」


 ディーが僅かに頷いたのを見て、野山は小さく息を吐く。


「桜、スマホでナビ開いて調べてくれ」


「あ、はい。分かりました」


 桜は野山から受け取ったスマホを開くと、うわ。と困惑した声をあげる。


「野山さん、めちゃくちゃ不在着信入ってますけど……」


「同僚からだろ。無視して良い」


「い、良いんですか?」


「こんな状態のディーを引き渡すわけにはいかねぇよ」


「……ですか」


 正直、桜は野山のその言葉を聞いて心底ほっとしていた。

 今の意気消沈したディーでは野山とまともに戦う事は出来ないだろうし、手の内がバレている桜の"踊り"を、野山が真正面から喰らってくれるとは思えない。

 野山がその気になれば、仲間を呼んで……いや、野山一人でも今の二人を制圧するなど造作もない事だろう。


 野山の気が変わらない様に祈りながら、桜はスマホを操作してナビを開く。


「次、右です」


「あぁ……」


 ハンドルを回しながら、野山は、そういえば……と独りごちる。


「【ホワイト】の連中は追ってこないな」


 【ホワイト】とは『全てを白日の下に』と言う理念を掲げて動く、アメリカ発祥の過激な宗教団体だ。

 ディーたちは昨日その【ホワイト】に追われて大変な思いをしており、無論ここに来てからも警戒はしていた。

 しかし、白昼での襲撃を寧ろ嬉々として行う【ホワイト】が一向に襲ってこないのは、逆に不気味でもあった。


「諦めたんじゃないですか?」


「だと良いが……」


 不安そうに呟く野山のスマホから、ポーン。とメールの着信音が鳴る。

 全ての連絡に無視を決め込んでいる野山が知る由も無いことだが、そのメールにはこう記されていた。




『【ホワイト】の日本支部を潰した。

【ホワイト】の連中からお前が向かった場所も聞きだした。今から向かうから待ってろ。』




















 時間は遡り、野山たちが福岡から大分へと向かう高速道路を走っていた深夜。

 長崎西部の田舎にポツンと建つ教会の一室で、真っ白な太陽のお面を着けた数人がざわざわと話し合っていた。


「失敗したらしいです。幹部、どういたしますか?」


「『祭壇』での追跡は出来ている。"アマテラス"を増やして捕まえるのだ。何としてもあの少女を『クルト様』の下へ……!」


 彼らは一度ディーを拐おうとしたところを返り討ちにあっており、そのディーが宗主である『クルト様』からの所望だと言うことで、次は更なる強行手段をとるつもりのようだ。


「し、しかし。"アマテラス"は、その……」


「ごちゃごちゃ言うな! 教義に反する気か!?」


「い、いえ! 滅相もない!」


「なら早く準備を始めろ!」


 幹部と呼ばれる男に急かせれて、会議に集まっていた他数人が慌てて部屋を飛び出していく。

 幹部も、はぁ……。と重々しいため息をついて部屋を出ると、コンコン。と教会の入り口の扉を叩く音が聞こえてきた。


「こんな忙しいときに……おい、お前。入信希望者でなければ追い払っておけ」


「は、はい」


 幹部はそこら辺を歩いていた信者の一人に任せて入り口に背を向けたのだが


「ギャア!?」


 と言う叫び声を聞いて振り返る。

 床に転がる信者の向こうに立っていたのは、ひょっとこの面を着けたスーツ姿の男性だった。


「……誰だ?」


「【陰陽師協会】です」


 そう言うと、男性の左右にブゥン。と二つの魔方陣が浮かび上がる。


「し、侵入者だ! かかれ!」


 近くにいた信者たちが雄叫びを上げて突進していくが、左の魔方陣から伸びてきた茨の鞭に体をからめ捕られた。


「いでででで!?」


 その鞭を追うように魔方陣から猫のお面を着けた女性が飛び出してくる。


「行くわよ、あんたたち」


 その声に応える様に、左右の魔方陣から次々とお面を着けた陰陽師が現れた。

 ある女性は狐面に刀を携え、ある双子はお揃いの熊の面にハンマーとノコギリを振り回し、ある青年は天狗の面に怪しく光る右手を振りかざしていた。


 教会の奥から信者が飛び出してくるが、陰陽師たちはそれを軽々と薙ぎ倒し地面に転がしていく。


「"アマテラス"だ! "アマテラス"を出せ!」


 幹部の叫び声が教会に響くと、ドン、ドン。と教会の床が大きく揺れる。


「キキキ! 下だ!」


「ヒヒヒ! ヤバいの来るよ!」


 熊の面の双子が楽しそうに笑い、揺れの中心へと飛び込んでいく。


「"カムイ"! "ウカミ"! 待ちなさい!」


 猫の面の女性が制止するが、双子は聞く耳を持たず、ミシッ。と床にヒビが入ったのを見てキヒヒ!と声を上げる。


「おぉぉお「おぉおぉぉ「おお」ぉお」!!」


 歪な響きの叫び声を上げ、床をぶち破って、つるりとした化け物が飛び出した。

 顔には【ホワイト】の太陽のお面を着けているが、その体には一切の衣服を身に付けていない。

 そののっぺりとした3m超の肌色の体に凹凸は見受けられず、四本の腕で立ち、二本の足を祈るように組み合わせている。


 そんな異形の化け物を見ても、双子は一切怯まない。


「奇々!」


「怪々!」


「「一の式! 【切磋琢磨】!」」


 ギャリギャリギャリ!とお互いのハンマーとノコギリをこ擦り合わせながら、二人は"アマテラス"へと飛びかかった。


 グシャッ!

 ミヂッ!

 とそれぞれの武器が左右の足に直撃するが、"アマテラス"は痛がるどころか、手を伸ばして双子をむんずと掴む。


「じゃ、邪「魔をす「るなぁ」ぁああ」!」


 ゴシャンッ!と双子が凄まじい勢いで叩きつけられ、二人は


「うぐっ!?」


「ぐあっ!?」


 とうめき声を上げる。


「"天狗"、援護を」


 狐の面の女性の言葉に天狗の面の青年は頷くと、ダンッ!と大きく跳躍した。


「ん、「んん「ん」?」?」


 "アマテラス"は自分の顔の前に現れた青年を、羽虫を潰すよう気軽さで叩き落とそうとしたが、その右手から放たれるオーラがそれを一瞬躊躇させ、慌てて一歩退いた。


「判断が遅いな。【悪鬼の右手】」


 青年は"アマテラス"の頭をガッシリ掴むと、そのまま地面に叩きつけた。


「「「ぎゃぁぁあああ!?」」」


 "アマテラス"のお面が砕け散り、その下にあった六つの目と三つの口が露になる。

 青年の右手から逃れようと"アマテラス"は暴れるが、青年はびくともしない。


「"白狐"!」


 いつの間にそこにいたのか、青年の背後には狐の面の女性が静かに佇んでいた。


「大丈夫です。痛みはありません……」


 女性は腰から下げた刀に手を添えて、フウッ。と息を吐く。


「【石切いしきり】」


 スパンッ。と存外に軽い音を立てて、"アマテラス"の首に断面を作り、そこからじんわりと紫色の血液がにじみ出した。

 暴れていた胴体がドスン。と力無く地面に倒れたのを確認して、青年は頭から手を離す。

 ごろりと頭が転がって、幹部の足元にコツンと当たる。


「そ、そんな……"アマテラス"が……!」


 わなわなと震える幹部を茨の鞭が縛り上げ、地面に叩き伏せる。


「ぐっ!?」


「あんたがここのリーダーね? 野山……あー、陰陽師が追ってたディーって女の子を知ってるかしら?」


「あれは『クルト様』の物だ! 貴様らなどに渡すものか!」


「ダメだこりゃ、お話出来ないタイプ……"火男"、アレは見つかった?」


 女性が顔を上げると、"火男"と呼ばれたひょっとこの面を着けた男性が、ぬるりとドアの隙間から現れた。


「あったぞ、『祭壇』だ」


 "火男"の手には一辺20cm程の立法体が握られており、それはチカチカと青い光を明滅させている。


「そ、それは!」


 叫んで立ち上がろうとした幹部を踏みつけつつ、女性は"火男"に笑いかける。


「やりぃ。どう? 読み取れる?」


「1分くれ」


「OK。皆ー! 残り時間1分! 遅れたら置いてくからね!」


「ふざけんな! 1分で制圧しきれるか!」


 奥の方から"天狗"の抗議の声が聞こえるが、女性は知らんぷりして"火男"に向き直る。


「どう? どこに向かってる?」


「大分……生体反応は三つ。野山とディー……もう一つは分からないな」


「大分ぁ? 逆方向じゃん」


「別動隊へ伝えて向かわせよう」


「チェッ。私たちはここでお仕事終わりか。つまんないの」


 女性がつまらなそうにため息をついていると、指示通り1分で制圧を終わらせた面々が集まってきた。


「あ、皆。今回のお仕事はここで終わりだよ。乙~」


「おい、お前の指示で1分で終わらせたんだぞ?」


「野山は大分に向かってるらしいし、しょうがないじゃーん。私のせいじゃないし」


「お前な……」


 呆れた様に首を振る"天狗"だったが、諦めて話を切り替える。


「それで、ここからどうするつもりだ?」


「そうね……どうせなら、次の仕事にでも向かおうかしら」


 陰陽師は縛り上げた信者たちを連れて、魔方陣の中へと消えていく。

 後には、誰もいないボロボロの教会だけが残された。




















「はぁ~……良い湯ですねぇ……野山さん、本当に一緒に入らなくて良かったんですか?」


「女性二人と一緒に入れるかよ」


 扉の向こうから野山の声が聞こえてくる。


「私の体に見るところなんてありませんけどね」


 桜の胴体は骸骨となっている。

 従って胸等の部分ももれなく骨となっているのだが……。


「気持ちの問題だ……」


 真面目ですね。と苦笑して、桜は湯船で足を伸ばす。


「ディーさん。落ち着きましたか?」


「うん、少しは」


 ディーは久しぶりに声を発して、ふぅ……。と息を吐く。

 湯船に浸かる小さな体には傷一つ見えないが、今まで不死身になる"蛇の呪い"にかまけて、一体どれだけ傷ついてきたのだろうか。


「これからどうするんですか?」


「え?」


「また死ぬ方法を探しますか?」


「アシュラに言われて、死にたいのか分からなくなった」


「そうですか……」


 アシュラは、ディーが自らの傷から逃げ、死のうとしていると糾弾していた。

 実際死のうとするのは褒められた行動ではない。

 桜も野山も、ディーが自殺を思い直す方法を考えていた。


 自殺を"逃げ"と評するアシュラも間違っていないだろう。

 しかし、そんな単純な話でもない。

 

「別に、死にたいって言うんならそれで良いんだぜ」


 唐突に、扉の向こうから野山の声が飛んできた。

 ちょっ!と桜が止めようとするが、野山は続ける。


「相談してくれれば良いんだ。ディー、お前が何に悩んでるのか、何で死にたいのか。言ってくれれば良いんだ。俺たちはお前の力になる。絶対だ」


「野山……」


 じんわりと、ディーの目に涙が浮かぶ。


「野山は、心臓を抉られたことってある?」


「……無いな」


「46回」


「は?」


 その数字の意味が分からなかった訳ではない。

 ディーと言う少女がどれだけ傷つけられていたのかと言う事実を、野山は飲み込みきれなかったのだ。


「46回、心臓を抉られた。78回、右腕を切り落とされた。143回、首を切られた」


「ディー……」


「数えきれないくらい……内蔵を取り出された」


 ポロポロと零れた涙が、温泉に混ざって消えていく。


「今でも思い出す。どうせ死なないからって、麻酔も使ってもらえなかっ……た。」


 ギュウッ。と膝を抱いて、温泉に浸かりながら、ディーは肩を震わせていた。


「いっ……痛かった。怖かったし、辛かった……。いつまで続くんだろうって……」


 桜はただ俯くディーの手を、ギュッ。と握りしめる。


「大丈夫ですよ。だって、もうその研究所は無いんですから」


「ありがと、桜ねぇ」


 グスッ。と鼻をすすって、ディーは顔を上げる。


「この呪いを解きたい。普通に……戻りたい」


「そうか、わかった」


 扉の向こうで、野山が呟く。


「俺に任せろ。呪いを解く方法なら、幾つか手立てがある」


「ありがとう……」


 ゆっくりと、ディーは湯船に浸かり直した。

 大きな浴場の端で、桜とディーは静かに肩を寄せ合う。


「そう言えば今日、初めてディーさんに触りましたね」


「そうだっけ?」


 嬉しそうに笑う桜から逃げるように、ディーは顔をプイッ。と横に向けた。




















「野山、遅い」


「いや、10分そこらだろ。一時間近く入ってたお前らに比べたら短けーよ。て言うか牛乳まで飲んで満喫してるじゃねぇか」


 ディーは空のコーヒー牛乳のビンを持って、桜の膝の上で足をプラプラさせている。


「中々美味しかった」


「まぁ、温泉と言えばだしな……って、おい。そのコーヒー牛乳の金どうしたんだ?」


「野山の財布から」


「何勝手に取ってんだ!? 桜も止めろよ!」


「あ、いや。すいません……余りにも自然に取り出してたので許可を貰ってたのかと……」


「あぁ……もう良い。さっさと行くぞ」


「はーい」


 ビンをゴミ箱に投げ入れて立ち上がったディーは、ふと野山の右耳に当てられたガーゼを見て眉を潜める。


「それ、痛かった?」


「あ? この位なんて事ねーよ。それより、何か食べに行こうぜ。腹が減って仕方ねぇ」


 適当にはぐらかされてしまったが、ディーもそれ以上は何も言わず、野山の横について歩く。


「肉が食べたい」


「牛丼屋にでも行くか」


「焼き肉は?」


「そんな金はない」


 二人はしばらく押し問答をしていたが、結局牛丼屋に向かうことになる。

 ディーが譲歩するようになったのは成長か、心境の変化か……。

 しかし牛丼屋のカウンターに座ったディーは、開口一番こう言った。


「一番高いメニューで」


「遠慮とかねぇのかお前は!」


 やはり、あまり変わらないのかもしれない。

 とんでもない量のトッピングが載ったどんぶりがディーの前に置かれた頃、牛丼屋の入り口の方がにわかに騒がしくなる。

 何事かとそちらを向けば、30人近い学生服の少年少女が、小太りのアメリカンな男性に連れられて入店してきた。


「ねぇ、あれって……」


「あぁ、トリトンとアシュラもいる。【unknown】だな」


「な、何しに来たんでしょうか?」


 三人がひそひそと話していると、こちらに気づいたトリトンが少し驚いた様な顔をしてから軽く手を振ってくる。

 ディーが手を上げて答えると、トリトンは微妙な面持ちではにかんだ。


「32人。空いてる?」


 先頭にいた男性……"校長"が流暢な日本語で店員に尋ねる。


「えー……ギリギリ入れます……かね」


 店員は広くはない店内を見渡し、席の数と定員をざっと計算してそう答える。

 しっかりと対応しているものの、その言葉には困惑の色が滲んでいた。


「良かった! よし、お前ら。さっさと食って帰るぞ」


 ウィース。はーい。と各々の返事ののち、昼前でガラガラだった店内があっという間に埋まってしまう。

 テーブル席が埋まらない内に、"校長"はススーッとカウンター席の方へ歩いてきたかと思うと、何の断りもなく野山の隣に座った。


「陰陽師だな?」


 メニュー表を開きながら、"校長"は喋る。


「そうだが……まさか全員で襲いに来たのか?」


「んな訳あるか。降参だよ、降参。"二年生"じゃ役不足だったらしい」


「案外アッサリ諦めるんだな」


「そうだ……と言いたいが、俺にも立場がある。最後の足掻きをさせてくれ」


 "校長"は『定番メニュー』を注文して、野山の方へ向き直る。


「俺は【高校】の名の通り、教育機関を運営してる。そこでは超常的な力を持った子供たちが沢山居て、それに応じた教育を受けさせる事も出来る」


「……」


 野山はチラリとディーを見るが、我関せずで牛丼をがっついている。


「まぁ詰まるところ、ディーが俺たちの監視下に入ってくれれば、殺す必要も捕まえる必要もなくなる。ディー、どうだ? 【高校】に入学する気はないか?」


「ない」


 ディーの答えは簡潔かつ明瞭だった。

 "校長"は少し残念そうに、そうか……。と呟いて、前に向き直る。


「まぁ、気が変わったらいつでも歓迎するぜ」


「うん、覚えとく」


 "校長"を見ようともしないディーに、野山は心の中で、ホントかよ……。と呟く。


「そうだ、最後に一つ教えてやる」


「ディーで実験してた研究所のボスについてだ。実はボスだけ取り逃がしてな……と言うか、研究所に居なかったんだが」


「ボスが誰なのか分かってんのか?」


「少し脅したら部下が簡単に吐いてくれたぜ。そいつが言うには……」


 ボスの名を聞いて、野山は驚愕して目を丸くする。


「そんなこと……あり得ないだろう」


「信じるも信じないもお前が決めろ。ただ、俺から言えるのは『神杉しんさん かなめが研究所のボスだった』って事実だけだ」


 神杉 要とは陰陽師協会の会長、つまり実質的なトップである。陰陽師協会全体は彼の一存で動かせると言っても過言ではない。 

 野山にディーを追うという依頼を持ち込んだのも彼である。

 そんな会長が、非人道的な実験に手を染めていた。信じがたい話だが、"校長"は至って真剣な面持ちで続ける。


「気を付けろ、陰陽師協会の連中は信用しない方が良い」


「……分かった。一つの情報として受け取っておく」


 あくまでも慎重な姿勢を見せた野山たちは、空の丼を残して店を後にする。

 三人が店から居なくなったのを確認して、"校長"の隣に座っていた秘書が、はぁ……。と息を吐く。


「今度は何を企んでいるんです? 研究所のボスの件は、彼の部下から得た物では無いでしょう? 信用性だって低い……そんな情報を教えてどうするつもりです」


「いいや、情報は100%正しい。俺の勘がそう言ってる」


「またそれですか……」


 秘書は呆れつつも、それ以上の追及を諦める。

 この"校長"は勘がずば抜けて良い。

 一件ちゃらんぽらんで、生徒たちから腹黒と呼ばれる程性格の悪い彼が【unknown】のリーダーをやれているのは、この勘のお陰だ。


「では、これからどうなさるおつもりで?」


「漁夫の利だ。"一年生"、"二年生"両方に準備させておけ」


「かしこまりました……」


 秘書はテキパキとスケジュール表に予定を書き足していく。


「まぁ、見てな。悪い方には転がさねぇからよ」


「へい、牛丼お待ち!」


 ドン!と置かれた牛丼に、"校長"はペロリと舌舐りした。

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