第2話 【閻魔大王】

【閻魔大王】


 日本において『死』を語るなら、閻魔大王は外せない。著者はおフランスの生まれであるが、現在日本に在住する身としては語らざるを得ないだろう。

 閻魔大王の出自は複雑だ。冒頭でも述べた通り、彼は元々インド神話における黄泉の国の王、ヤマであった。


 しかし中国に渡った際に閻魔大王となり、その中で十王と言う仲間を引き連れる事になる。

 閻魔以外の十王は、中国に以前から存在していた神たちだ。

 秦広王、初江王、栄帝王、伍官王、閻羅王、返成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王。

 詳しくは後述する【十王】の項を参照いただきたい。

 閻羅王が今で言う閻魔大王なのだが、それよりも注目したいのは泰山王だ。


 泰山というのは実在する山であり、そこは魂が還る霊山とされていた。

 そこを治めているのが泰山王こと泰山府君である。彼は冥府の支配者であると言うイメージをそのままに、インドの仏教と混じって十王の一人となった。

 これは冒頭で述べた、漠然とした黄泉の国のイメージが現在の天国と地獄に固まった、その一例でもある。


 興味深いのは、泰山府君は祖霊信仰、自然信仰の神であったという点だ。

 祖先の魂が還る山、そこには漠然とした霊山という名の敬意が存在していた。

 その敬意が形を成し、泰山府君となったのだ。

 これは日本の神道にも見られる物で、神道における山の神は、祖先の魂が山に還ったものであるとされていた。


 ではそんな日本に渡った閻魔大王はどのように変化したのだろうか。

 ちょうどその頃、日本では疫病や天災が起きていた。他にも貴族と武家の対立、寺や僧侶の汚職、抗争……。

 世は荒れに荒れていた。


 また、この時期は仏教における【末法】とも重なる。【末法】とは、御釈迦様が無くなってから1500年目であり、人々が信仰を忘れる時代だとされていた。

 人々は【末法】が近づいていると恐れ、不安の中で地獄に関心を寄せるようになる。

 正にそんな時、注目されたのが十王信仰だ。

 そして地獄の裁判官たる閻魔大王は、人々を救う地蔵菩薩と同一視されるようになる。


 地蔵菩薩は六道(p24 【六道】の項を参照)を姿を変えて駆け回り、人々を救うとされていた。

 つまりその地蔵菩薩の地獄での姿が、閻魔大王だとされたのだ。

 この話はさぞかし不安な民衆の心を掴んだ事だろう。恐ろしい地獄の大王が、実は人々の味方だったのだ。


 こうして閻魔信仰と呼ばれる独特の信仰が生まれる事となる。

 日本各地に『閻魔堂』が建立され、十王図や十王像と共に祀られる偉大な閻魔大王は、民衆の間で高い人気を誇る事となった。

 現代日本において、十王の中で閻魔大王のみが異常な人気と知名度を誇っているのも、これが理由であろう。


 因みに閻魔と日本の自然信仰に繋がりについては、少し別の話をする必要がある。

 ここで重要になってくるのは、閻魔卒と呼ばれる三匹の鬼の存在だ。

 彼らは閻魔大王から派遣され、死が近い人の前に現れてその魂を閻魔大王の下へと運ぶのだ。

 ちなみに、この際肉体とはくは地上に縛られるため、あの世へ行くことはないとされている。

 鬼たちは魂のみをあの世へ運んで行くのだ。

 そう、正に【死神】である。


 この鬼たちの重要性を理解するには、鬼そのものの成り立ちについて語る必要がある。

 日本において、古くは鬼というのは不定かつ目に見えない物であった。

 病や不幸事など、人にはどうしようもない邪なその現象を、鬼のせいだとしていのだ。

 そしてこの鬼は、祀られなかった祖霊の成れ果てだとされていた。無論一例ではあるが、鬼が自然信仰、祖霊信仰と結び付いていたのだとすると興味深い。


 病や不幸事などの『死』を運んでくる【死神】としての鬼は、いつしか地獄の大王の部下となり、閻魔大王は祖霊信仰を取り込んでさらに威厳を増していった。

 祖霊信仰が変化した中国と違い、祖霊信仰そのものが他の宗教に取り込まれてしまうというのは、日本独特であろう。


 日本は南蛮貿易、シルクロードを通して西洋の文化を、遣唐使や遣隋使、朝鮮使節団を通して大陸、もといインドの文化を取り込んできた。

 この『思想の終着点』とも言うべき極東の島国において、その代表格である閻魔大王がここまで複雑な過去を持つのは、ある意味当然なのかもしれない。




【陰陽師協会『大図書館』

 人々と『死』の歩み 著 トリエント 

            P10より抜粋】



















「死に関する話なんてごまんとある。そこの桜が死神だとして、どの死神かってのを特定するのは至難の技だぞ」


 スポーツカーのアクセルを踏みながら苦言を呈するのは、陰陽師である野山だ。

 野山はパンクな服に身を包み、耳にはピアス、首からはジャラジャラと鉄のネックレスをぶら下げていた。

 先刻までは夜の闇に紛れてよく見えなかったのだが、その鼻や唇にも幾つかの鉄の輪っかがぶら下がっている。

 彼自身は端正な顔立ちをしているにも関わらず、そのゴテゴテとした装飾のせいで妙な威圧感を纏っていた。


 そんな彼は陰陽師であり、蛇の呪いに侵された少女、ディーを捕まえようと追っていたのだが、死神である桜に返り討ちにあい、そのままディーの逃走劇を手伝うことになる。


「……暗いとこだと分かんなかったけど、野山って変な格好してる。何か……痛そう」


 後部座席でふんぞり返る少女が、件のディーである。

 彼女の右の瞳は赤く染まり、その瞳孔が蛇の様に尖っている。まだ全体的に幼さを残す少女の顔において、その異形の瞳は一際目立つものとなっていた。

 また彼女は純白のゴスロリ衣装に身を包んでおり、腰まで伸びる長髪と相まって西洋人形の様なイメージをたたえている。


「パンクっつーファッションだよ! 後ゴスロリ衣装着てるお前に服をどうこう言われたかねーわ!」


「これは呪いの一部、趣味じゃない。破っても脱いでも元通りになるから諦めた」


 言われてみれば、昨夜岩の槍に貫かれた筈の彼女の身体も服も、何事も無かったかのように綺麗になっていた。


「うっそだろお前。どこの世界にゴスロリ着させる呪いがあるんだよ」


「知らない。桜ねぇのそれは自前? それとも買ったの?」


 ディーは横に目をやり、今まで二人の言い合いを静観していた死神の桜に話しかける。


「え? あぁ、この服ですか? さぁ……どうなんでしょうか?」


 妙齢の美女といった雰囲気の彼女は、真っ黒なワンピースを着用しており、肩程まで伸びた黒髪が彼女のやや大袈裟な動きに合わせて揺れている。

 死神だと言いはしたが、彼女は現在記憶喪失であり、彼女が本当に死神かどうかは誰にも分からない。

 それでもディーが桜の事を死神だと断言するのは、その黒いワンピースの奥にある胴体に理由がある。


「桜ねぇの"これ"もそうだけど、気になることだらけ」


 そう言って、ディーは桜のワンピースをペラリと捲った。


「ギャアッ! 何するんですか!?」


 桜は慌ててワンピースを押さえるが、顔を赤くしているのは桜のみで、一応は異性である野山さえもミラー越しに見たその光景に思わず顔をしかめる。

 何故ならワンピースを捲った先に、朽ち果てた骸骨が見えたからだ。


「やっぱ骨なのか、そのワンピースの下……全身が骨のスケルトンならともかく、胴体だけ骨ってのは珍しいな」


「……少しは顔とか赤くしてくださいよ」


「骨に欲情する趣味はねーからな。それで、折角追手である俺を返り討ちにしたのに、何で死にたいんだ? このまま逃げるんなら付き合うぜ。拒否権も無いしな」


 現在野山は桜によってエネルギーを吸い取られており、ギリギリ動ける力しか残されていない。

 それでも逃げるのに付き合うと言ってしまえる彼は、余程真面目な様だった。


「私は馬鹿じゃない。いつまでも逃げられると思わないし、また捕まってあいつらに実験される位なら死んでおきたい」


 表情を変えず、ディーはそう言い切った。

 野山は複雑そうな表情で聞いていたが、はぁ。と息を吐いて運転に意識を戻す。


「逃げながら、死神にゆかりものある場所を回って欲しい。お仲間を見れば桜ねぇも何か思い出すかも」


「つっても、死神でもお前を殺すのは難しいと思うけどなぁ? 岩の槍に腹貫かれても動いてたんだからよ。お前のその"呪い"は相当強力だぜ」


「でも不死身の怪物を倒す話は幾らでもある」


「そう言う奴らは『不死身染みてる』だけで、不死身じゃねー。お前は不死そのものだ。勝手が全く違う」


「じゃあやっぱり桜ねぇにお願いするか……」


「いや、そもそも私は貴方を殺したくないですけどね!?」


 当の桜の言葉は無視されて、ディーと野山の話は進んでいく。


「取り敢えずディーの要望通り、死神に関する場所に行くが……お前らそもそもどのくらいその手を話を知ってんだ?」


 ディーと桜は顔を見合せると、桜は、あはは……。と微妙な顔で微笑む。


「私は記憶喪失ですし~」


「私は子供だし」


「何も知らねーってことだな。よく分かったよクソッタレ」


 舌打ちして、野山は道端のコンビニに向かってハンドルを切った。


「あれ、コンビニに寄るんですか? 先ほど食料を買ったばかりですよね」


 つい先刻夜が明ける前に、しばらく止まらなくても良いようにと、最低限の水と食料、そしてガソリンを補給していたのだ。

 買い忘れかと桜が首を傾げるが、野山は苛立たしげに、ちげーよ。と車を停めた。


「降りろ、日本でいちばん身近な『死』に会いに行くぞ」


 車を降りて桜とディーが野山に着いていくと、野山はコンビニの駐車場を出て公道を歩いていく。

 この辺りは住宅街で車もそこそこ往来しているが、平日の昼間とあって歩いている人は殆どいない。

 人と言えばどこからか現れた杖代わりのカートを押す腰の曲がった老人が、三人の珍妙な集団に、にこやかに挨拶をする程度であった。


「そういえば、ここってどこら辺? 逃げるのに夢中で地名とか見てなかった」


 交差点にあった看板を見て、ディーがふとそんなことを呟く。


「お前、逃げ出すにしても無計画過ぎるだろ……ここは福岡県の南、筑後っつー片田舎だ」


「筑後……福岡って九州の?」


「そうだ。ほら、そんなことよりお目当ての物が見えてきたぞ」


 野山が立ち止まったところにあったのは、小さなお堂。そこに鎮座しているのは優しい顔をした地蔵菩薩であった。

 ディーはどこかドヤ顔の野山と穏やかな顔のお地蔵様を交互に何度か見比べて、ようやく口を開く。


「馬鹿にしてる?」


「何でだよ! 日本で『死』と言えば閻魔大王だろ!? あの【人々と『死』の歩み】って本にも書いてあったんだから間違いねーって!」


「その本は知らないし、こんな優しそうな顔した神様が閻魔みたいに罪が云々とか言うわけ無いじゃん」


「指差すなこのバチアタリ! 良いか!? 閻魔大王ってのは地蔵菩薩のお姿の一つだとされてるんだぞ!」


「へー……こいつが?」


「こいつとか言うなって!」


 どこまでも失礼なディーだったが、お地蔵様が穏やかな微笑みを崩すことはなかった。

 野山は一先ずそれにほっと胸を撫で下ろしてから、ポケットから取り出したコーヒーをお地蔵様の前に置く。


「ほら、お前らも並んで手を合わせろ。お地蔵様は道祖神……つまり旅の安全を守ってくれる神様でもある。この逃走劇が上手くいくように祈っとけ」


「私は死にたいから上手くいかなくても良い」


「捕まったら本末転倒だろうが! 良いから祈っとけ! 怒った時一番怖いのはこのお地蔵様なんだからな!?」


 そこまで言われて、ディーはようやくお地蔵様に向かって手を合わせた。

 ギリギリの力しか出せない野山は一連の流れだけでもかなり疲弊したのか、ゼーゼーと肩で息をしている。


ーーこのクソガキ!話すだけで何でこんなに疲れなきゃいけねーんだ!


 成り行きで面倒なことになったと頭を抱えながら、野山も静かに手を合わせる。

 桜はと言うと素直に手を合わせていたが、思い付いたように目を開け、そっとお地蔵様に向かって手を伸ばす。


「……おい、何してんだ。止めとけ」


 野山の静止を無視して桜の手がお地蔵様に触れた瞬間、バチンッ!と青白い火花と共に桜の右手が大きく弾かれた。


「っったぁぁああ!?」


 思わず尻餅をついた桜の頭上から、追い討ちとばかりにレンガが落ちてくる。


「ひっ!?」


 レンガが桜に直撃する寸前で、横なぎに振るわれたディーの細腕がレンガを粉々に砕いた。

 ゴシャンッ!とレンガにしては重い音を立てて崩れ、破片が辺りの道路に散らばる。


「は、ははは……ここまでします?」


「だから止めとけって言ったろ……」


 ため息をついた野山は、散らばったレンガを慎重に拾い上げる。

 何か特別なレンガというわけではなさそうだが、そのレンガに加えられた霊力の強さに陰陽師である野山は辟易とする。


「随分と嫌われてるな。何かやらかしたのか?」


「だから記憶喪失なんですって~」


「そうだったな……って、おい! 何してんだ!」


 野山がお地蔵様に向き直ると、そこではディーがペチペチとお地蔵様を叩いていた。

 一見純真無垢な少女がお地蔵様と戯れているほのぼの映像だが、"蛇の呪い"により、ディーは霊力を込められたレンガを砕けるほどの怪力を持っているのだ。

 下手したらお地蔵様が破壊されかねない。

 ディーも先ほど桜に起こったことを見ている筈だが、その手を止めようとはしない。


「うーん、何も起きない……」


「何も起きてない内に止めろ! ヤバい天罰が来たらどうすんだ!」


「叩くだけじゃダメだった。次は強めに……」


「やーめーろー!」


 野山は何とか止めようとするが、彼の力では振り下ろされるディーの腕を止められない。

 無慈悲な握り拳がお地蔵様に襲いかかったが、その数センチ上空で、ディーの拳の軌道が大きく横に逸れた。


「あれ?」


 盛大にからぶったディーの拳は、お地蔵様の横の地面に、ぽすん。と力無く着地する。

 納得がいかないのか今度は右ストレートを試みるが、やはり横に逸れてしまった。


「……チッ」


「舌打ちするな。全く……お地蔵様が優しくて良かったな」


「良くない、良い感じに死ねそうだったのに」


「お前が死ぬような事が起こったら俺らまで巻き添えだろうが。良いからもう行くぞ」


 散らばってたレンガをお堂の横に寄せた野山は、不満そうなディーの腕を引き、お堂を後にする。

 ふと、チラリと桜が振り返ると、先ほどお堂の横に寄せた筈のレンガが綺麗サッパリ消えていた。


ーーあれ、レンガは……?


 疑問に思ったのも束の間、真っ直ぐ前を向いていた筈のお地蔵様の顔が横に向き、にジッと見つめられている事に桜は気付く。


「へぅっ!?」


 思わず跳び跳ねた桜は、恐怖の余り変な声を出して野山の腕にしがみつく。


「何だよ、どうしたんだ? 急に」


「い、いやいや! ほら! お地蔵様のお顔がこっちを!?」


 野山が、はぁ?という顔で振り返ったが、お地蔵様の顔は既に元に戻っている。

 無かった筈のレンガの破片も、何事も無かったかのようにお堂の横に積み上がっていた。


「あ、あれ~?」


 まさか自分にしか見えないのか?

 このままジワジワと誰にも分からないまま追い詰められるのだろうか?

 桜の脳内に、そんな考えが冷や汗と共に流れてきたところに、予想外の野山の声が飛んできた。


「……まぁ、随分と警戒されてたし、無理もないな。気を付けろよ。お地蔵様は容赦ねーから」


「え、信じてくれるんですか?」


「当事者にしか分からないってのは定番中の定番だろ。それに、右手弾かれたの見てるからな……あれはどう考えても尋常じゃない」


「の、野山さん~~!」


「バカ止めろ! くっつくな! こちとらエネルギー吸い取られて殆ど力入らねえんだから!」


 ディーの腕を引き、桜にしがみつかれた野山はヨタヨタとした足取りで歩いていく。


「桜ねぇだけズルい。私は何もないのに」


 一方で軽く受け流されただけのディーは、不機嫌に頬を膨らませたまま、未練がましく野山に引きずられている。


「自重してくれ。そう言うこと繰り返してるとそのうち取り返しのつかないことになるからな!?」


「それで構わない」


「構わなくねーよ!」


 野山の悲痛な叫びがディーに届くのは一体いつになるのか……。

 相変わらず田舎道に人は見当たらないが、お地蔵様が一柱、複雑そうな笑顔で三人を見つめていた。


















 突然だが、野山は陰陽師であり、陰陽師協会に所属している。

 陰陽師協会とは、文字通り陰陽師たちの組合だ。

発足したのは平安時代、安倍晴明が活躍していた時代である。

 正に陰陽師の全盛期と言っても良い時代だが、いつの世にも落ちこぼれは存在する。

 陰陽師協会は、そんな落ちこぼれの集団であった。  

 故に、陰陽師協会の発足理由も実に情けないものである。

 曰く『安倍晴明の寄生虫』

 いかに安倍晴明と言えども、全ての問題に対応出来るわけではない。

 彼が"取るに足らない"と判断した案件を、つまりは雑務を、彼らは担っていたのだ。

 そうすることで、彼らは何とか陰陽師として存在出来ていた。


「全く、情けない話だよ。彼らはそこまでして陰陽師でありたかったんだ」


 〔陰陽師協会 会長〕の文字が刻まれたプレートを胸元に光らせるその男は、辟易した様子でため息をつく。

 彼は神杉しんさん かなめ、陰陽師協会の会長、つまりトップである。

 腰の辺りまで伸びた白髪がキラキラと日の光を反射させ、薄暗い彼の執務室で星のように光っている。

 男性であるのに間違いはないのだが、その中性的な顔立ちを一見しただけでは彼の性別を判断出来そうにない。


「この協会の成り立ちなんて、何度も聞きいてきました。そんな昔話を聞かせる為に呼び出した訳ではないでしょう?」


 一方で要の前に立つ男は、正にくたびれた中年と言った様相だった。

 手入れを怠ったボサボサの髪を誤魔化すように短く刈り揃え、剃り忘れた無精髭が彼の無骨さを増長させている。

 着ているスーツだけはしっかりしているが、彼が猫背であるためにそれも無意味となっていた。


「いやね、そもそも落ちこぼれの集団だった僕らが政府公認の組織にまでなれたのは、先人たちの努力のお陰だと言いたいわけだよ」


「はぁ……」


「だからね、日野君。僕たちが努力を怠ったたらダメだと思うんだ」


 そこまで言われて、日野はようやく自分が"お叱り"を受けているのだと気がついた。

 思い当たる節は幾つかあるが……直近で、会長に呼び出される程の事となると一つしかない。


「うちの野山がなにか?」


 野山は日野の部下である。

 最近、要直々に任務を出されていた筈だが、まだ戻っていない。

 とは言え陰陽師の任務は長ければ一年程帰らない事もあるので、数日野山の姿が見えない事も日野は特段気にしていなかったのだが……。


「こちらから連絡してもね。出ないんだよ、彼が」


「すいません。私からも言っておきますんで」


「いやいや、そういう事じゃなくってさ。僕が自分から彼を指定したんだ。野山君の素行は良く知ってる。几帳面でクソ真面目。そんな彼がこちらからの電話を取らないなんて事、あり得るかい?」


「……」


ーーあり得ないだろうな。


 言外に日野はそう呟く。

 野山はパンクな見た目に反して、日野の部下の中で一番マトモだ。いや、陰陽師全体を見てもあそこまで真面目なのは珍しいだろう。


「僕はね、彼に何かあったんじゃないかと気が気でないんだ」


「アイツはかなり腕が立ちます。もう暫く待って見ては?」


「今回の依頼……僕から野山君に頼んだ訳だけど、実は僕が他のとこから頼まれたのを野山君にたらい回しした形でね?」


「はぁ……? 失敗すると自分の立場が危ういと?」


「まぁ、話を聞きたまえ。厄介な事に、私は二つの組織から別々の依頼を受け取っていたんだよ。片方からは『殺してでも捕まえろ』、もう片方からは『丁重に保護してくれ』ってね」


「ダブルブッキングってやつですか……どちらを受けたんです?」


「どっちも断ってやった。その上で野山君にこう依頼したんだ『殺してでも保護しろ』ってね。"イカれた"奴らに渡す前に、協会で保護しようと思ったんだ」


 つまり、その二つの組織を敵に回した上で野山をその中に放り込んだのだ。

 何か考えでもあるのか、特に何も考えていないのか、要はただ不気味な微笑みをたたえている。

 面白がっているな。と、日野は顔をしかめる。要の真意は分からないものの、時にこの男は『面白い方』に物事を転がす癖があった。

 日野はそれをよく知っている。


「あー……野山はその経緯を知ってるんですか?」


「伝えてないよ」


「ですか」


 野山は何も知らない。ならば日野が取る行動は一つだった。

 要もそれを分かっているのか、唐突に背を向けて執務室を去ろうとする日野を止めようとはしない。


「いってらっしゃい、気をつけて。二つの組織の詳細が気になるなら『大図書館』のトリエントに聞くと良いよ……許可は出してある」


「それはどうも……」


 日野は振り返りもせずそう言うと、執務室を後にする。

 一人残された要は、静かに閉められた扉をじっと眺めている。


「部下思いだね、良いことだ」


 呟くと、要は机上にある分厚い本をパラパラと捲る。本の題名は【人々と『死』の歩み】。

 開いたページには【不死身】の題が付けられ、不死身についての著者の独白がツラツラと綴られていた。


「不死身の『実験体D』……。奴らに渡すには実に惜しい」


 要の呟きは、誰にも聞かれず薄暗い執務室に溶けて消えた。








 















「次なる目的地は?」


 車に乗り込むや否や、ディーは有無を言わさず出発を急かす。

 よっぽど先ほどの結果が気にくわないようだ。

 野山はミラーの調整をしながら、気だるげに息を吐く。


「さっき言った事覚えてるか? お地蔵様と閻魔大王が同じって話……」


 あぁ……。と思い出す様に宙を見つめて、桜が頷いた。ディーは興味ないから早く出発しろとでも言いたげだが、それを無視して、野山は発車前の確認を念入りに行っている。


「えぇ、覚えてますよ。と言うことは今から向かうのは閻魔大王の所ですか?」


「そうだ。閻魔信仰っていうのがあってだな? 日本のあちこちに『閻魔堂』っていうお堂が建てられてるんだ。近くにその一つがあるから、そこに向かう」


「お詳しいんですね。やっぱり、陰陽師だからですか?」


「さーな……。いや、うん、そうだな。でも居るぜ、詳しくないやつも」


「あー、やっぱりどこにでも居ますよね、そういう方」


「大分前の任務で死んだけどな」


「は、ははは……」


 ルームミラーとドアミラーの確認を終えた野山は、ゆっくりとアクセルを踏んで発進する。


「ねぇ、野山」


 しかし出発するや否や、ディーが後部座席から身を乗り出してきた。


「何だ?」


「お腹空いた」


「はぁ!? お前ちょっと前まで『食べなくても問題ない』とか言って何にも買わなかったじゃねぇか!」


「袋にパンが詰まってるの見たらお腹空いた。もう何日も食べてないし」


「~~ったく、しょうがねぇな。助手席の袋から取れ。俺の分も残しとけよ!?」


「分かってる」


 ディーは助手席からヒョイと買い物袋を取り上げ、中に詰まったパンを物色し始める。

 その中からディーが取り出したのは、透明なプラスチックに包装された『じゃりぱん』。


「……ジャリパン? 野山は砂利を食べるの?」


「大粒の砂糖がジャリジャリした食感だからじゃりぱんなんだよ。砂は食わねぇ」


「へぇ、これにしよ。桜ねぇは?」


 買い物袋を突き出された桜は、え?と困惑したようにそれを押し返す。


「私ですか? いや、良いですよ。私はそれこそ食事は必要としませんし……」


 桜の胴体は骨である。食べる事自体は出来るが、食べられた食材は喉を通ってどこかへ消えてしまうらしい。

 桜自身も全容を把握しておらず、変なことが起こっては嫌だからと、何かを食べる事を避けている。


「お腹空いてないの?」


「お、お腹が無いからですねぇ……」


 あはは。と、桜は微妙な笑い声を挙げる。


「じゃあ良いや。野山は何食べる?」


「運転中だから後で良い。それより、パン食べるんならなるべく溢さねぇように……」


「分かってる、野山うるさい」


「んだとぉ?」


「ま、まぁまぁ。ほら、運転に集中しましょうよ」


 桜に促されて運転に意識を戻した野山は、ん?と首を傾げる。

 野山の前方を走るのは、やけに白い車。

 少し大きめの八人乗りで、法廷速度よりやや速い速度で走っている。


 野山もそれに合わせて走っていたのだが、その後方の窓から誰かがこちらを見つめていた。

 奇妙だったのは、その顔に真っ白な太陽のお面を着けていたという事だ。

 太陽のお面は"優しげな微笑み"を浮かべており、彫られた口と目のみが、真っ白なお面の中で浮かび上がっている。


「あの面、どっかで……」


 呟いた瞬間、その前方の車が急ブレーキをかけた。


「うおっ!?」


 咄嗟にブレーキを踏んだ野山だったが、このスピードでは間に合わない。

 ギャリギャリギャリッ!とタイヤが擦れる音に続いて、ガゴッ。と鈍い音が鳴った。

 幸い、強い衝撃は無かったものの、急ブレーキの反動で、シートベルトを着用していなかったディーは前の座席に頭から突っ込んだ。


「……痛い」


 ディーの額から血が垂れ、取り落とした食べかけのじゃりぱんにポタリと落ちる。


「大丈夫か……? いや、お前らは不死身だから死にはしないだろうけどよ」


「わ、私は大丈夫ですけど……」


 しっかりとシートベルトを着けていた桜は何ともないようだったが、ディーの額からはポタポタと血が流れ落ちている。

 シュウゥゥゥ……。とようやく傷口が塞がると、ディーはゆっくりと顔を挙げた。

 その顔は明らかに不機嫌であり、"蛇の呪い"を象徴するディーの右目が、怒りに呼応して赤く光っている。


「野山、運転下手」


「俺じゃねーよ。周り見てみろ」


 ディーが車の外に目を向けると、真っ白な太陽のお面を着けた集団が車を取り囲んでいた。

 服装から判断するに、様々な年齢、性別の者たちが集まっているようだ。

 その内の一人、ディーの一番近くにいた一人が前に進み出る。

 その手に握られているのはレスキューハンマー、緊急時に車に閉じ込められた人間を助けるための物だが……。


「おいおいおい、マジかよ! ディー、伏せろ!」


 バリンッ!

 躊躇なく振り下ろされたハンマーが、車の窓ガラスを盛大な音を立てて破壊した。

 バラバラと崩れた窓ガラスの破片が伏せたディーのゴシックドレスに降り注ぐ。


「お、おっお迎えにあがりました……!」


 ハンマーを投げ捨てたそいつは壊れた窓から手を伸ばし、ディーを掴もうとする。

 しかしその手がディーを掴む前に、伸びてきた腕をディーが"握り潰した"。

 メリメリッ。と嫌な音に一瞬遅れて、悲鳴が辺りに響き渡る。


「ひぎゃぁぁあああ!?」


「誰? 敵なら、殺す」


「ひ、ひいっ。ヒヒ! こ、殺す。それも良いでしょう!」


「は?」


 意味の分からない言葉を発する襲撃者の腕を握り潰すディーの右目は、より一層赤く輝いていく。


「おい、止めろ! そいつらは俺みたいな陰陽師じゃねぇ! 一般人だ!」


 そう言われて、ディーはようやく手を離した。

 襲撃者はヨタヨタと後ろに下がると尻餅をついて、握り潰された腕を抑えながら、ヒヒッ、ヒヒッ。とひきつけを起こしたかの様に笑っている。


「一般人? でも明らかに異常だし……私の事を知ってた」


「細かい話は後だ、そう言う集団なんだよ。とにかく逃げなきゃならねぇが、周りを囲まれてて車を発進出来ない。どうにか連中を退かせるか?」


「……やってみる」


 ディーがドアを開けて外に出ると、襲撃者たちから、おおっ!と歓声が上がる。


「私たちと共に来てくださるのですか!?」


「共に全てを白日の元に晒しましょう!」


 ざわざわと好き勝手に物を言う襲撃者たちに対して、ディーはただその右目を赤く光らせる。


「邪魔するな」


 ディーが群がってくる襲撃者を無造作に散らしているのを見て、車内の桜は生唾を飲み込む。


「ディーちゃんは強いですね、私の出る幕は無さそうです……」


「お前の能力は大味だからな、変に人を巻き込んでも困る……。くそ、お前らがあのサーベル折っちまうから何も出来ねーじゃねぇか!」


 野山の武器であるサーベルは、野山がディーと桜に返り討ちにあった際に破壊されている。

 折れたサーベルは助手席に置いてあるのだが、折られた事で効果を失ったのか、刃に浮かんでいた不思議な紋様は消えてしまっていた。


「そんなこと言われても……折ったのはディーちゃんですし」


「お前が俺のエネルギー吸い取ったのも俺が戦えない一因だからな!?」


 野山が叫ぶのと同時に最後の襲撃者が生け垣に放り込まれ、仕事を終えたディーが車に戻ってきた。


「野山、早く出して。直ぐ起き上がってくる」


「分かってるよ」


 野山は慌ててハンドルを切り、何とかその場を後にする。

 生け垣に放られた襲撃者たちは何とかそこから這い出ると、走り去るスポーツカーを見て、うぅっ……。と呻く。


「"アマテラス"を出しましょう。奴らに見つかる前に、彼女を保護しなければ……」




















「あいつら【ホワイト】、端的に言えばイカれた宗教団体だ」


 急ぎ足でスポーツカーを走らせながら、野山は解説を始めた。


「創設者は誰だったか……確かアメリカ人のクルトって奴だったかな。そいつがこう言い出したんだ『隠された死があってはいけない』って」


「隠された死ですか? それはどういう……」


 聞き慣れない単語に、桜が首を傾げる。


「そう難しい話じゃない。つまり、【ホワイト】は身内を怪異やら超常現象に殺された奴らの集まりなんだ。それらが"隠されていた為に殺された"。知っていれば対処も出来た筈だと、そいつらは主張してんだよ」


「それは……その通りじゃないですか? 私の力だって、知ってれば止めるのは簡単でしょうし……」


 桜は踊る事で相手のエネルギーを吸い取る。

 全ての防御を貫通する強力な物だが、桜自体はそこまで強くはない。それが分かっていれば対処も簡単だろう。


「バーカ。知るだけでヤバい奴もゴロゴロ居るんだぞ。それが一斉に何も知らない一般人に知れ渡ってみろ。地獄絵図の出来上がりだ」


「な、なるほど……」


「隠してるのは相応の理由がある。特に、一度ヤバい怪異に関わるとそれ以降も別の怪異に狙われやすくなるからな」


 野山がそこまで言うと、今まで黙っていたディーがポツリと呟く。


「その手があったか」


「おまっ……! 止めろよ!? 変なことに首突っ込むと録なことねーんだから! 下手したら生きたまま何千年も張り付けとか……あるからな!?」


「うーん、それは嫌かも……」


「だ、だろ?」


 ディーは何とか思いとどまったようだが、説得する野山は冷や汗をかきっぱなしである。

 そもそも、野山はディーを捕まえてこいと指令を受けている。

 しかもディーは不死身だ。そのディーに何かあるような事が起きてしまっては、任務失敗どころか、野山自身も巻き込まれて死にかねない。


「それで、閻魔堂にはどれくらいで着きそう?」


「あぁ、10分もすれば着くぜ」


 そう、【ホワイト】との一悶着はあったが、三人は今、閻魔堂を目指しているのだ。

 日本の死を象徴すると言っても過言ではない閻魔大王。

 果たしてその閻魔大王が祀られている閻魔堂とは……。


「よし、着いたぜ」


 野山が車を止めたのは、階段数段分の段差と、公道に挟まれた砂利の上である。

 ここまでの道のりもその先にも砂利など見当たらなず、真新しい住居や少し古めかしいアパートが敷き詰められていた。

 しかし、この場所は整備されず自然のまま放置されている。

 その理由が段差の上にあった。


「これが閻魔堂?」


「小さいですね……」


 ディーも桜も拍子抜けしたように、そのお堂を眺める。

 そこにあったのは、ボロボロの灯籠?の様な二本の柱と、立派に生い茂った二本の木に挟まれた小さなお堂。

 全長は一mと数十cm程で、全てが石で作られたそれはお世辞にも豪華とは言えない。

 そのお堂の中に鎮座していたのは右手に混紡、左手には数珠?を持った閻魔大王。

 しかしその閻魔大王は石が人の形を成し、辛うじて顔の部分に彫られた顔が認識出来る程度の物であった。

 豪華な羽織も、被り物も、鬼の従者も居ない。

 一目でこれが閻魔大王だと分かるような何かはどこにもなかった。


「これ、本当に閻魔大王?」


 ディーは首を傾げるが、野山は間違いないとばかりに力強く頷く。


「閻魔堂が建立された頃はどこもヤバい状況だった。疫病やら天災やら……そんな中で信仰を集めたのがこの閻魔信仰だ。ヤバい時に田舎の貧相な村が、豪華なお堂を作れるか? 全員が全員、奈良の大仏を作れる訳じゃねー」


 野山はそう言いながら、お堂に供えてあるお椀を持ち上げる。


「ここはそんな村人たちが必死に作った閻魔堂の名残が見れる場所ってことだな。それに見てみろ、お椀には綺麗な水が入ってる……。まだ誰かが入れ換えてるって事だ」


 野山はお椀の水に浮いていた枯れ葉を取り出して、地面に放る。


「まぁ、その誰かがここが閻魔堂だって知ってるのかは怪しいが……それでもこの場所が心の拠り所になってるのは確かだ」


「ふーん……」


 感心しているのか、特段野山の解説には興味はないのか、ディーは息を吐いてじっと小さなお堂を眺めている。

 暫く静かな時が流れ、木の上から小鳥のチュンチュンという鳴き声が響いてくる。


「……何も起きねぇな。いや、起きてもらっても困るけどよ」


 先ほど桜がお地蔵様から過剰に嫌われていた為、野山は桜が来れば何か起こるのではないかと踏んでいた。

 しかし閻魔大王もお地蔵様も、何もしていない者を裁く暇ではないらしい。

 やがてディーは閻魔堂に背を向けて、車に戻ろうと歩き始めた。


「ディー、満足したか?」


「うん、もう良い」


「……壊さねぇのか? 壊して欲しくはねーけど」


「このお椀やお堂を壊したらどうなるか位分かる。それは私が望んでる死じゃない。次に行こう」


「あ、あぁ……そうだな」


 案外冷静なディーの判断に安堵しながら、野山と桜もディーの後に続く。

 サッサと車に乗ってしまったディーを見て、桜がこそこそと野山に耳打ちする。


「成長、でしょうか?」


「さぁな。多分、あいつの望み通りじゃなかっただけだろ……」


 何はともあれ閻魔大王が激怒するよような事が起きなくて良かったと、次の目的地を考えながら顔を上げた野山は、自分の車の"上"を見て目を見開く。


 そこには異形の怪物が居た。

 顔には【ホワイト】の太陽のお面を着けているが、その体には一切の衣服を身に付けていない。

 そののっぺりとした3m超の肌色の体に凹凸は見受けられず、二本の足と四本の腕がギュウッ。と車を抱き締めていた。


ーー【ホワイト】の刺客か!?


 野山は咄嗟に腰に手を伸ばすが、そこにいつものサーベルが無いことに気付いて舌打ちする。


「逃げろディー!」


 野山の声は、怪物から発せられたギィギィと言う響きの耳障りな"音"にかき消される。


「「おぉむ、お迎えにぃ」あが、「ま、ましぃたぁ」」?」


「え?」


 車の上から降ってきた声にディーが首を傾げた瞬間、怪物は割れている窓からディーを"引っこ抜いた"。


「うっ!?」


 グィン。と持ち上げられたディーは、そのまま空中に放り出され、二人の後方に打ち付けられる。


「「あ、あぁ……」も、し「もし訳」あり、せん」


 のっそりと四本の手で這い、二本の足を振りかざしながら、怪物はディーに近付いてくる。


「ぎゃぁぁああ!? 何ですかあの化け物!」


「おのお面、どう見ても【ホワイト】の刺客だろ!」


 野山と桜が何とか怪物を止めようと立ち塞がるが、怪物は、コキン。と首を横に折ると、


「「じ、じゃま」しな、でいぃた」「いたたきたい」?」


 と、無造作に足を振るう。


「二人とも……!」


 ボゴンッ!と凄まじい音を立てて、ディーは振るわれた足を弾き飛ばす。


「「ひ、ひぃぃいいぁあ「! な、なぜぇ、てい」抵抗する、です」?」


「え……気色悪いから?」


 シン……。と唐突に静寂が訪れた。

 怪物は数秒固まったかと思うと、今度はカタカタとお面を震わせ始める。


「「き、きしょ」きしょくぅ「わるいぃ」?」


 カタカタ、カタカタカタ、カタカタカタカタカタカタカタ。

 お面が小刻みに、その笑顔がぶれて見えない程に震えている。


「「こ、のお姿「か、がぁ」きしょくぅ」わるいなど……」


「気色悪いでしょ、どうみても」


 それが怪物の我慢の限界だったらしい。

 怪物は、ヒッヒッ。と引き付けを起こしたように笑い始め、足を組み合わせながら天を仰いだ。


「「あ、あぁぁ「、ぁああ!」あぁあぁあ」!!」


 怪物はひとしきり叫ぶと、お面を震わせながらディーへと向き直る。

 何かしてくるのではと身構えていたディーに向かって、怪物は目で追えない程のスピードで、組み合わせた足を振り下ろした。

 ズゴッ!と鈍い音が響き、ディーの口から勢い良く血が吹き出る。


「ウッ!」


「ディー!?」


 慌てて野山が駆け寄ろうとするが、怪物の追撃の余波で尻餅を着いてしまう。


「くそ、近付けねぇ!」


「「だ、誰がぁ「きしょくぅ」わるいぃ、てぇ」?」


 ゴスッ、ゴスッ。と、何度もディーに向かって足が振り下ろされる。


「「この、のぉ「すう、すうこうな」お姿のぉ」、ど、どこがぁ?」


 怪物の足から血が流れ始めるが、怪物はそれを気にも止めない。


「「「お、お前も私たちを馬鹿にするのかぁぁああぁあ!?」」」


 怪物が足を打ち付けるのに合わせて、辺りがグラグラと揺れている。

 怪物の足が打ち付けられる場所には最早人の形すら残っていないが、怪物が止まる様子は一向に無かった。


「や、やべぇ。ディー……! いや、それよりもこんなに揺らしたら閻魔堂が……!」


 閻魔堂が崩れてしまうのではと、野山がお堂に目を向けた時、もしかするとそれよりも最悪の事態が起きていた。

 水の入っていたお椀が、グラリとお堂から溢れ落ちたのだ。


「あ……」


 パリンッ。

 中にあった水もろとも、お椀の破片が砂利の上にぶちまけられた。

 それと同時に、ゾワリ。と、筆舌に尽くしがたい悪寒がその場の全員を襲う。


 咄嗟に動けたのは陰陽師の野山だけだった。

 野山は立ち尽くしてしまった桜の腕を引き、お堂が祀られている段差の上から飛び降りる。

 少し遅れて怪物がたじろぎ、一歩後ろに下がったが、もう遅かった。



 ドン



 太鼓の音が一つ、鳴った。

 現れたのはその手にしゃくを持ち、赤い中国の司法官の服を身に纏った大男。

 頭には冠を乗せ、その顔は憤怒に染まっている。

 地獄の王、【閻魔大王】だ。


「「「ヒッヒッ。ヒィィイアアア……」」」


 胡座をかいているにも関わらず、【閻魔大王】は怪物よりも遥かに大きい。

 カァッ!と目を見開いて、怪物を睨み下ろしている。


「な、何ですかあれ……!」


「しっ。黙って見てろ……」


 段差の向こうから顔だけ出して様子を伺う桜と野山は、目の前の光景に恐れおののく。

 【閻魔大王】はチラリと右手の笏を見ると、大きく左手を振り上げた。


『じ ご く 行 き !』


 ズバンッ!

 怪物は悲鳴を上げる間もなく左手に押し潰された。

 【閻魔大王】がゆっくりとその手を上げた時には、怪物はもうそこに居なかった。

 呆気なく怪物を退治してしまった【閻魔大王】は、少しだけ顔を緩ませて、お堂の方へ振り替える。


 【閻魔大王】は壊れたお椀を名残惜しそうにみつめると、すぅ。と薄くなって消えていった。


「終わり、ました?」


 恐る恐る桜が身を乗り出すと、割れたお椀の破片と、仰向けになって空を見上げるディーだけが残されていた。

 人としての原型が無くなるほど潰されていた筈だが、既に身に纏う真っ白なゴシックドレスまで元に戻っている。


「死ねなかった……肉片になってる感覚はあったのに」


「怖いこと言わないで下さいよ~。ほら、立てますか?」


 桜に手を差し出され、ディーは手を取ってゆっくりと立ち上がる。


「野山は?」


「車の点検をしてます……」


 見れば、野山は怪物に抱き付かれていた愛車の周りをグルグルと回っていた。


「傷は付いてねーか? 窓は割れてるが直せば良いし……エンジンはイカれてないな。ランプは……くそ、やっぱり壊れてやがる。どうしてこう怪異ってのは光を徹底的に壊していくかね」


「何あれ」


「車が好きなんですよ、あのスポーツカーも中々高そうですし」


 一通り点検を終えたかと思うと、野山は車のトランクを開け、そこから巨大な工具箱を取り出す。

 ボンネットを開け、慣れた手つきでライトを取り外すとテキパキと修理を始めた。


「野山、どのくらいかかる?」


「10分だけ待て。どのみちライトが無きゃ夜道は走れねーからな。車に乗って、パンでも食べてろ」


 言っている間に、一つ目のランプの修理が終わる。

 どうやらこのようなことは今回が初めてではないようだ。

 ディーが車に戻ると、一足先に乗っていた桜がパンを頬張っていた。

 ディーにジト目で見つめられているのに気付くと、桜は気まずそうに目を剃らす。


「……桜ねぇ、要らないって言ってたのに」 


「い、いや~色々あって混乱してるので、何か食べて落ち着こうと……」


「むぅ……しかも私が気になってたブドウパン食べてるし」


「あ、ごめんなさい。半分ですが食べますか?」


「良い、ピザパンっていうのを食べてみる」


「美味しいですよね、コンビニパン。本場フランスの硬派なパンも良いですが、こう言う遊び心があるパンも好きです」


「フランス? そう言えば、桜ねぇってどこで産まれたの? それに、何歳?」


 ピザパンを袋から取り出し、バリッ!と開けるとピザパンのピザの部分から豪快にかぶり付く。


「うーん……最初の記憶はヨーロッパのどこかの道端に立ち尽くしていた事で。年齢は600歳位でしょうか。あまり正確には数えてないですが」


「へぇ、長生き……私16なのに」


「え、16なんですか!? それにしてはこう……小さくないです?」


「呪いのせい。それに10年近く捕まってたし……実質6歳で良いと思う」


「で、ですかねぇ……」


 微妙な笑顔を浮かべて、桜はパンから干し葡萄をむしりとって口に運ぶ。


「……野山さんはいくつなんでしょう?」


「成人してるんじゃ? 車運転してるし」


「免許は18から取れるんですもんね~。あ、でも車は高そうですし……21とか?」


「何の話で盛り上がってんだ? お前ら」


 二人が雑談していると、修理を終えた野山がトランクを開けて割り込んできた。


「今野山さんが何歳かって話をしてたんですよ」


「あ? 俺は19だぜ」


「あ、思ってたより若い……」


「あぁん?」


「いやいや! 悪い意味じゃないですから!」


「それ言っときゃ良いと思ってんだろ? 全く……」


 野山はやや乱暴にトランクを閉め、そそくさと運転席に乗り込む。

 やはり丁寧に出発前の点検を終えると、緩やかに車を発進させた。

 ピザパンを食べ終えたディーが手持ち無沙汰に窓の外を眺めていると、【ホワイト】のお面を着けた人々が、通り過ぎる野山の車を少し離れた道端から眺めているのに気付く。


「ねぇ、あいつら……」


「気にすんな、今は何も出来ねーよ」


 野山の言う通り、【ホワイト】はただスポーツカーが走り去るのをじっと見つめていた。

 やがて【ホワイト】の姿が見えなくなると、桜が安堵のため息をついて、ポツリと呟く。


「そう言えば人数が減ってましたね、三人程。どこに行ったんでしょう?」


「さぁな」


 野山は何も答えず、アクセルをゆっくりと踏み込んでスピードを上げる。

 やがてスポーツカーは広い道路に出ると車の群れに紛れ込み、流れに飲み込まれ、やがて見えなくなった。



















【ホワイト】


※【ホワイト】とは日本での呼び名であり、彼らの本拠地であるアメリカにおいては【White】と記される。大した違いは無いが、国際的な協力を求める際は英語表記の方がスムーズなので留意する事。


 【ホワイト】は、2010年頃に宗主であるクルトを発端として台頭したとされる一種の宗教団体である。

 信仰する神は『ホワイティ』。これは信者達の発音を文字に起こした物であり、その信者間でも若干の発音のズレがあるため、そこに厳格な決まりはないと思われる。

 『ホワイティ』は真実を語り世を光で照らすとされており、ホルスやフォルセティを始めとする多様な宗教の神達を混合して産まれた物である。

 特に『真実』や『太陽』を重要視しているようで、信者達が何か行動する際は必ず日中や朝方でなければならないとされている。


 これは彼らの『全てを白日の元に晒す』という行動原理を達成するためのものであるようで、無駄に騒ぎを大きくしようとするため対処する際は気を付けること。 


※騒ぎが収束しないと予測される場合、【ホワイト】の信者達の殺害が許可されている。

 詳細と経緯については『アーカイブ005』を参照


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