ウロボロスの欠片
@Kinoshitataiti
第1話
『死』は常に人間に、特に宗教につきまとう問題であった。
神が崇高なる人間を創ったされる一方で、その人間が不完全な『死』を持つと言う点はどの時代でも議論の対象となった。
あるいは禁断の果実を食べたせいだとされ、あるいは妻の醜い妻の姿を見たからだとされ、あるいは岩ではなくバナナを選んだからとされ、あるいはカメレオンがサボったからだとされ……。
人間は『死』に意味を見いだし、死後の世界に想いを馳せたのだ。
『死』のその後も実に様々である。
興味深い事は、初期の宗教において地獄や天国の概念は薄く、死んだ人々はただ黄泉の国に行くとされていたことである。
『死』はただ次の世界に移るための過程であったのだ。
ところが時代が進むと、悪人は地獄へ、善人は天国へ向かうという宗教観が出来上がる。
それに伴い、インドの黄泉の王であったヤマは、中国において厳格な裁判官である閻魔の様相を呈する様になった。
さて、今現在『死』は終わりとされ、科学という宗教を信じるようになった大抵の人々は『死』を恐れ、遠ざけるようになった。
天国も地獄もおとぎ話であり、どこか偽物と分かってしまうそれはただ慰めや戒めでしかない。それが現在の宗教観である。
時代が進む毎に形を変えてきた『死』であるが、一つ、変わらないものがある。
それが【死神】だ。
【死神】はいつの時代も、死した人間の魂をあの世へ運ぶ、もしくは死ぬ運命にある人間の前に現れ命を刈り取る、そのような働きを担っている。
【死神】はどの時代にも大きくイメージを損なわず、変遷することなく、【死神】として存在していた。
無論、大鎌や黒いローブ等の見た目が昔からそのままだったということはないが、死後の世界程意味合いが変わる事はない。
彼らは命を刈り取る者として、何千年もの間君臨してきたのである。
或いは、観測出来ない死後の世界よりも、死を運んでくる死神は人々にとって身近だったのかもしれない。
【陰陽師協会『大図書館』
人々と『死』の歩み 著 トリエント
冒頭文より抜粋】
夕暮れ時、お寺の横に隣接する墓石達の前で、一人の女性が踊っていた。
彼女が身に付けた黒のワンピースは、女性の動きに合わせてフワリと浮き上がり、オレンジ色の斜光を少しだけ透かして薄く、大きな影を作り出す。
トトン。と女性がステップを踏むと、影が方向を変えて墓石の上に覆い被さる。
クルリ、クルリと回りながら、影は墓石を飛び回る。
静かな墓地に女性のステップと、ワンピースの布が擦れる音だけが響いていた。
とうとう影が最後の墓石を覆った頃、夕陽が地平線の向こうへと消え、墓石を覆っていた影は夜の闇に紛れていく。
女性はピタリと舞いを止め、仰々しく両手を上げ、コンサートの締めとばかりに体を前に倒した。
パチ……パチ……
初めは控えめに、
パチ、パチ、パチ
少しずつ大きく、乾いた拍手の音が広がっていく。
パチパチパチパチパチパチ!
女性しかいない筈の墓地に万雷の拍手が鳴り響き、女性は満足げに微笑む。
彼女にとってこの拍手はいつもの事だったが、それでも微笑みを抑えることは出来ない。
そして女性が顔を上げると、これまたいつも通り拍手は急にシンと鳴りを潜め……
パチパチパチパチパチ。
普段なら鳴り止んでいる筈の拍手が、何故か続いていた。女性がキョトンとした顔で墓地の入り口へ目をやると、そこで小さな少女がパチパチと手を鳴らしているのに気がついた。
少女は白いゴスロリ衣装に身を包んでおり、暗い夜の墓地では異常に浮いた存在となっている。
「すごかった」
少女は拍手を止めると、ウンウンと頷きながら女性の方へと近寄ってくる。
「だ、誰ですか? て言うかいつから……あ、ちょ! 来ないで下さい!」
女性は慌てて少女を止める。先ずこんな暗い墓地に少女が一人と言うのも驚いたが、それよりも女性にとって、少女に近寄られる方が不味かった。
「どうして? 褒めてるのに……」
どこか不機嫌そうに目を細めて、少女は墓地の真ん中辺りで歩みを止める。
「い、いえ……ほら、もう夜ですし、帰った方が良いですよ~」
「大丈夫、帰る家は無い」
「えっと~……」
女性が何と返そうかと悩んでいると、少女は焦れったそうに唸り声を上げる。
「私は貴方と"同類"。話がしたい」
「ど、"同類"? 私とですか?」
ジジッ、プツン。と独特な音を立てて、女性の背後にあった街灯に電気が灯る。
パッ。と背後からの光が、地面に女性のワンピースの影を作る。
そのワンピースの影の中に写し出されたのは、骨。
顔や手足の部分にはしっかりと黒い影があるにも関わらず、彼女のワンピースに覆われた胴体は朽ち果てた骸骨となっているのだ。
「貴方、死神? 私を殺せる?」
「……」
少女の言葉を聞いて、女性はゴクリと唾を飲み込む。確かに、女性は黒い衣服に身に纏い、その胴体は骨となっている。死神だとしてもおかしくはない。
しかし、少女を殺せとはどう言うことだろうか?
少女に対する疑問は尽きないが、女性は震える唇で少女に応える。
「わ、分かりません……」
しかし、彼女の解答は少女にとって予想外の物だった。
「……何て?」
「分かりません! すいません! えっと~私、記憶喪失でしてぇ~……!」
「はぁ……」
少女はモジモジと手を絡ませる女性を見て、ため息をつく。
しかし諦めはつかないようで、墓石の間をすり抜けて女性へと近づいてくる。
「もうこの際何でも良い。とにかく、私を殺せる?」
「ですから分かりませんって! ここで踊って皆さんに拍手をもらってたのは、前に偶然同じようになったことがあって知ってただけで、それ以外は何も……!」
チッ。と舌打ちした少女に、女性は恐る恐る尋ねる。
「あの~、まだお若い様ですが何故そんなに死にたいんですか? 私が言うのも何ですが、生きてたらきっと良いことありますよ?」
「……前に実験施設に捕まってて、死ぬほど辛い実験をされてきた。逃げてきたけど追われてて、もう追い付かれそうだから……捕まるくらいなら殺して欲しかった」
「実験? に、逃げてきたって誰から……」
女性が言い終わるのと同時に、少女めがけてビュオンッ!とナイフが飛んで来た。
少女はそれを片手で弾き返すと、ナイフが飛んで来た方向……お寺の屋根を見上げる。
そこでは腰にサーベルをかけた男性が、ヤンキー座りでこちらを見下ろしていた。
男性はパンクな服に身を包み、耳にはピアス、首からはジャラジャラと鉄のネックレスをぶら下げている。
「見つかった……! 逃げる」
「逃げるってどうやって……キャアッ!?」
少女は女性を抱えあげると、そのまま勢いよく跳躍した。
あっという間に墓地から脱出し、少女はものすごい勢いで夜の町を駆けていく。
「どこからこんな力を……それより、貴方は一体?」
疾走しながら、少女は女性の問いに答える。
「私はディー、"蛇の呪い"に侵されてる」
見れば、ディーの右の瞳が赤く染まり、瞳孔は蛇のように鋭く尖っている。
"蛇の呪い"は大きく見た目には現れていないものの、少女らしからぬディーの怪力が、その呪いの裏付けとなっていた。
「なるほど、その目もそれの影響ですか……事情は分かりました。しかし、やはり貴方を殺すなど」
「記憶喪失って言ってた。なら、記憶を取り戻せば殺せるかもしれない」
「いえ、記憶どうこうではなく、私に貴方を殺す気は……」
「取り敢えずあいつから逃げて、それからお姉さんの記憶を取り戻そう」
「全然話を聞いていませんね!?」
女性は何とかディーの手から抜け出そうともがくが、信じられない程の怪力がそれを許さない。
「うぅぅぅ! む、無理です! 本当にどこからそんな力が出てくるんですか!?」
「知らない。そもそも体の半分以上が骨のお姉さんに負ける道理はない」
「た、確かに……いや、だとしても私だって人の身ではありませんから、それ相応の力は持ち合わせてますよ?」
「じゃあ鍛え方の違い」
「何ですかその投げやりな答えは!」
「チッ。抱えられてる癖に」
「貴方が降ろさないんでしょう!?」
「お姉さんが降りれてない、の間違い」
「い、今に見てて下さいよ。きっと抜け出しますから! ふんぬーーー!」
何故か抱えられている側の女性が息を荒くし始めた頃、ディーは人気の無い公園で立ち止まった。
「はぁ……はぁ……あれ? 何故止まったんですか? 追い付かれるのでは……」
「いや、追い付かれた。迎撃する」
へ?と首を傾げた女性の頬をナイフがかすめ、ディーはそれをすんでのところでキャッチする。
「ひぃぃい!」
「ほら、来た」
ディーが振り返ると、いつからいたのか、公園の中心にあの男性が立っていた。
「実験体D。大人しく捕まれ。どうせ逃げられないんだ」
「嫌だ」
「そうかよ……いや、そうだろうな」
男性は一瞬、同情するような目を向けたかと思うと直ぐに消し去り、腰からサーベルを引き抜いた。
サーベルには不可思議な紋様が刻まれており、それがチカチカと点滅して真っ暗な公園に少なくない光源を産み出している。
「まぁ、精々抵抗しな」
言うや否や、男性は大きく踏み込み、容赦なくサーベルを振るった。
ディーがそれをナイフで受け止めると、サーベルが赤く発光し、炎が噴出される。
「くっ!」
思わず後ずさると、炎の中からサーベルが襲いかかり、ディーの肩を切りつける。
すると今度はサーベルが黄色に発光し、目に見えるほどの電気が、ディーの傷口から全身へと駆け抜けた。
「ギャアッ!?」
ビクンッ。と跳ねて地面に倒れたディーだったが、次の瞬間には跳ね起きて、眼前に迫っていたサーベルをギリギリで避ける。
ガキンッ!と地面に突き刺さったサーベルが黄土色に発光し、地面が鋭く盛り上がったかと思うとディーの腹を貫いた。
「う、ぐっ……!」
ディーは腹を貫いている岩の槍を壊そうと握り締めるが、痛みが邪魔して思うように力が入らない。
男性はくるくるとサーベルを回しながら、信じられないものを見る目で、何とか抜け出そうと踠くディーを見上げていた。
「おいおい、これでも動けるのかよ……不死身とは聞いてたがここまでとはな」
呆れる様な、憐れむ様な表情していた男性だったが、ふと、ユラリと動いた人影に気付いてそちらに目を向ける。
一瞬、一般人を巻き込んだかと顔をしかめたが、その女性が持つ異様な気配を感じ取り、再度臨戦態勢に入った。
「何だあんた? さっき墓地にいたよな……」
女性は答えない。代わりに、クルリクルリと回っている。
フワリと黒いワンピースが浮き上がり、その輪郭は暗い夜へと溶けていった。
「おい、答えないとそこのやつみたいに……」
チカチカと点滅するサーベルの光が時折女性の影を作り、そのワンピースの向こうの骸骨を写し出している。
「骨……? 何だ一体……」
ジリジリと警戒しながら、男性は女性へと迫っていく。
チカチカと、骸骨が現れては消え、消えては現れる。クルリクルリと舞う女性に合わせて、骸骨が古い紙芝居の様に地面で踊っている。
「後5秒で止まれ。さもないと切りかかる」
男性はサーベルの間合いで立ち止まり、女性に警告する。
それでも女性は止まらない。
回る、廻る、クルリクルリと。
「五……」
ここで一つ弁明するなら、男性は決して弱くはない。
「四……」
特段、油断もしていなかった。
「三……」
ただ、相手が悪かった。
「二……」
ピタリと、女性が止まった。しかし、躍り止めた訳ではない。
女性は丁寧な所作で右手を差し出すと、軽く跪いた。
「Shall we dance?」
「は?」
眉を潜めた男性が、ガクンッ。と膝から崩れ落ちる。
「うっ……な、何だ? 力が……!」
違う、力だけではない。男性は視覚も、聴覚も、何もかもが鈍く、遠くなっていくのを感じていた。
グルリグルリと男性の視界が回る。
サーベルを取り落とした音がやけに歪んで聞こえ、そのチカチカとした光が、回る視界に合わせてゆっくりと回転を始める。
「ぐ、おぉおぉぉおお!」
何とかサーベルを拾おうと手を伸ばすが、ぐにゃぐにゃに曲がって見える腕が、細い子供の足に踏みつけられる。
「く、そ……」
歪む視界に耐えかねて、男性は地面に倒れ伏した。
「……よし」
男性が完全に動きを止めたのを確認して、ディーはその足を退ける。
腹を貫かれていた筈だが、既にその傷は塞がっている。これも"蛇の呪い"によるものだろうか。
「あわわ……少し強すぎたでしょうか?」
女性は心配そうに男性を突っついている。
ディーを助けようと咄嗟にやった事ではあるが、動かなくなってしまった男性を見ると、やり過ぎだったのではと感じてしまうようだ。
「いや、大丈夫。見た感じ死んでないし。……ねぇ、これってどういう力なの?」
「エネルギーを吸い取ってるんです。えぇと、私は見た人が持つエネルギーみたいなものが見えて……」
「……じゃあ私のエネルギーも吸い取れる?」
「い、いや……貴方のはそんなレベルじゃないと言うか……そもそも墓地で私の躍りを見ていたんですよね? じゃあ無理ですよ」
「そっか……」
少し残念そうにしたディーだったが、直ぐに顔を上げてキラキラとした目で女性を見上げる。
「でも希望が見えた」
「誰かが死ぬための希望なんて嫌ですぅ~……」
女性の悲痛な叫びはディーには届かず、ディーは地面に倒れている男性に目を向けている。
「それに、その力は使える。この男性がギリギリで動ける位に調節出来る?」
「い、良いんですか?」
仮にも、男性はディーを捕まえようとしていたのだ。女性も、もう少しで襲われるところだった。迂闊に復活させては危険ではないだろうか。
「良い。私に考えがある」
ディーにそう言われ、女性は渋々男性の体に触れる。
すると淡い光が女性から男性へと流れ込み、男性が気だるそう顔を持ち上げた。
「何のつもりだ」
「こういうつもり」
ディーは男性が使っていたサーベルを拾い上げると、男性の顎に切っ先を押し付ける。
「お前、車を持ってるな? 私たちを乗せて逃げろ」
「て、てめぇ……。俺に協会を裏切れってのか」
「ここで死ぬか、裏切るかだ」
男性は逡巡したが、チッ。と短く舌打ちして、弱々しく口を開いた。
「分かった……言うとおりにする」
ディーは頷くと、サーベルを地面に叩きつけて折ってしまった。
「ひぇぇえ。ディーさん、極悪ですね……」
「何言ってるの? お姉さんも共犯でしょ」
「あれ、そう言えば何で私も一緒に行くことになってるんですか!?」
「お姉さんの記憶を取り戻さなきゃ……」
「何度も言いますけど、私は貴方を殺すつもりありませんからね!?」
「どちらにせよ、あいつの監視をしてもらわないと困る」
ディーは、のっそりと立ち上がった男性を睨んで言う。確かに、彼が復活しないよう見張れるのは女性だけだろう。
ーーそれは最終的にはディーさんを殺すことに繋がるのでは?しかしここで見捨てるわけにも……!いやいや、もしかして一緒に行けば説得出来るかも……
「……分かりました。一緒に行きましょう」
葛藤の末、女性は折れてしまった。
優しいと言うかお人好しと言うか……巻き込まれ体質というやつかもしれない。
「やった。ところで、お姉さんの名前は?」
「私は桜。これからよろしくね、ディーちゃん」
「うん、よろしく桜ねぇ」
桜とディーは握手すると、チラリと男性の方をに目を向ける。
「……何だよ」
二人から何か言いたげな目で見つめられ、男性は顔をしかめる。
「名前、教えて」
「何でだよ。何だって良いだろ? そもそも俺たちは敵同士……」
「桜ねぇ、GO」
「了解!」
「ちょ、おい待て! 分かった! 分かったから踊り始めるんじゃねぇ! 野山だ! 野山!」
はぁ、はぁ。と肩で息をして、野山は桜の躍りを止める。
エネルギーを吸い取られているせいで、直ぐに息があがってしまうようだった。
「くそ、いつか絶対に捕まえてやるからな……!」
「いつでもかかってこい」
「何でディーちゃんが偉そうにしてるの……」
フンス。と鼻を鳴らすディーとそれに呆れる桜は、野山が所有するスポーツカーに乗り込む。
「出発するぞ。シートベルトはしたか?」
「勿論」
「大丈夫です!」
スポーツカーにエンジンがかかり、ゆっくりと夜道へ消えていく。
こうして、奇妙な関係の三人旅が始まった。
死神と、呪いに侵された少女と、陰陽師。
彼らの行く先を、空に浮かぶ月だけが静かに見つめていた。
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