第29話

 ばーちゃんが遺した薬の使い道は結局未定だ。でも多分いつか俺が使うんだと思う。銀や紅に渡すこともなく、俺が、綾姫が俺を受け入れてくれると言ったら、使うんだろう。さらさらの青い髪をふわもふに触れるように撫でてくれる、それが無くなって、出来なくなって、照れてくれるようになった頃が使いどころだ。お互い恥を知り、どうにかなってしまいそうになった頃。そんな日が来るかは分からないが、来ないではないだろう。


 今だって綾姫は俺を抱いて昼寝している。心地良いんだろうが、俺が永続的に人型になったらそうは出来まい。否、それでもそうしてくれるようになったら良い。髪を抱きしめて眠ってくれるようになったら良い。


 街ではうてなが振られたという噂が立っている。流したのは俺だ。ひっそり人型になって市の立つ日にあいつ振られたらしいぞと噂を流した。バルで酔っ払いたちにこっそりと。昼から飲んでる奴らの情報網は強い。あっと言う間に広がって、市では物珍しそうに乳製品を売っている姿を見られていた。

 ちょっと可哀想だが俺の手の方が痛かったのでどうもしない。チーズやバターは売れ行きが良いらしい。冬はこれで過ごしていくんだろう、問題は三週間に一度は来ると言う発情期だが、まあ、何とか眠るだろう、あいつなら。俺達の方まで聞こえて来たって、綾姫は眠りの深い方だから問題ない。


 うてなは噂を否定しなかった。ちぇっと小さく呟いて、でも諦めたわけじゃないからね、という。諦めろ。綾姫には俺がいる。ふんっと鼻息を吐いて、俺はちょっと残った手の怪我を思う。人型でもない限り目立たないが、ふわもふでも小さな禿が出来てしまった。まあ良い。構わない。俺の理性がテイムに勝った証だ。もふもふと綾姫の頬に懐きながら、俺はその顔を眺める。整ったものは畏れを抱かせるものだという。それが綾姫の街にいまいち溶け込み切れない理由だとしたら、ばーちゃんぐらいになるまで待たなきゃいけないだろう。


 そこまでして溶け込まなくたって構わない。いつもただ薬を売っているだけで、構わない。動物用の薬、人間用の薬、なんでもござれだ。リピーター用の荷物も多いが、一見さん用の荷物も増えた。三人で担いでいくのがちょっときついが、元々俺は鍛えていたので一番大きい瓶薬の類を引き受ける。ガラスが重いのだ。綾姫は貼り薬や膏薬、銀は薬湯。それぞれに重い。

 だがその重さを共有していると言うのは悪くない。俺は眠る綾姫にすりすり懐いて、キスしたいな、なんて思う。だけどそれは紳士的ではないのでしない。たとえライバルが消えた所で、俺が綾姫の特別だとは限らないからだ。うてなよりは良い、今はまだそこまで。それでも十分だが、次のうてながやってくる可能性だって低くはない。だから市ではちゃんとローブを被っていて欲しい。綾姫に惚れているのは俺だけで良いのだ。


 人型でなくても良い、好きだよ、と言われたら、俺はあの薬を飲もう。

 人型で好きになって貰うために。

 ベッドは夫婦の寝室があるからそっちに移って。

 そうして、綾姫がまた俺に好きだと言ってくれるまで待つのだ。

 人型でも良い、好きだよ、と。

 二つの姿で好いて貰うのは大変だが、諦めはしない。


「ぅん……」


 綾姫はまだ起きない。王子のキスは受けてない。狩人は女王を裏切り姫を助ける存在だが、現実は違った。狩人は女王の虜だった。この場合の女王って何だろうな。あいつが受けて来た教育そのもの? 神様だった五年前までの暮らし?

 どっちにしても今はないものだ。女王は消えて、狩人は主を失くし、自立していると言える。姫に会いには来ないだろう。偶に市で鉢合わせても、俺が肩に乗っているのを忌々し気に眺めるだけだ。


 悪いがお前の相手は綾姫じゃない。テイムしていた紅は小屋を離れたらしい。一人ぼっちで牛の世話をする日々は寂しいだろうが、自業自得だ。綾姫はお前の物じゃない。誰のものでもない。勿論、俺のものでも。

 だが俺は綾姫のものだ。綾姫が俺の真名を知っている限り。でもこれはテイムとは違う。無理やり仕事を押し付けられたりしているのとは違う。だから逃げようと思わない。だから一緒に暮らしていける。一緒に、家族で、いていられる。その内関係が変わったらまた違う側面も出て来るだろうが、それは今じゃなくて良い。


 このぐらいは許されるかな、と俺はぽきゅんっと人型になる。綾姫は俺の髪にもふもふしてから、心地良さそうに笑う。


「蒼……」


 まだそっちの名前の方が慣れてるが、今の名前に慣れたら。

 そんな日が来たら、俺は返事をして駆け寄るんだ。

 ふわもふでも、人型でも、綾姫に抱き着きに行く。


 お前の隣のふわもふ、実は結構肉食系なんだぜ?

 くつくつと笑いながら、俺は綾姫の髪と自分の髪を混ぜて織るようにした。

 一つになってしまえたらいいのに。思いながら眼を閉じる。

 お前の色になりたい。お前を守る糸になりたい。

 いつかまで、待っているから、そうなってくれ。綾姫。

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君の隣のふわもふ、実は? ぜろ @illness24

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