エピローグ 現世で彼女を幸せにしたい先輩

 軍司が仮想世界へと戻ってくるとそこは高校の教室だった。時計を確認すると放課後の時間帯になっている。時代設定の違う仮想世界ではあるが時間の流れそのものは現実世界と一致していた。つまり軍司と旭が異世界災害を収束させている間にそれくらいの時間が経過したということなのだろう。


 とはいえ海の失踪のことを周囲が問題にしなかったように、仮想世界を管理するシステムが軍司たちの不在だった間の整合性を保っているはずだ。


「それで、成果はありそうかい?」


 共に戻って来たらしき海がそこにいて、尋ねてくる。


「さあ、まだわかりません…………ですがとりあえず礼は言っておきます」


 結局彼女の出番はなかったが、海が待機要員として参加してくれていたからこそ旭に事情を説明するような真似ができたのだ。海斗の戦死以降任務に割り当てられることもなかった彼女の精神状態を思えば、感謝してもしきれない。


「気にしなくていい。君らを見ていると私の心も休まるからね」


 答えながら海はどこか遠いところを見るように教室の窓へと視線を向ける。ちょうど夕日が横から入り込んで少し目が眩しい…………軍司も海斗に泣きつかれて課題の手伝いをしながらよくこの光景を見たものだった。


「先輩はこれからどうするんですか?」

「あのねえ、いきなり態度を改められると居心地が悪いんだよ…………前にも言ったがざっくばらんにしてくれ給え」


 そう言ってくすくす、と海が笑う。軍司としてはもとよりの性分もあるし、特に今回迷惑をかけたと強く感じていることもあって受け入れづらい。しかしその彼の生真面目さがおかしいのか彼女は楽しげに笑う…………そういうところは弟にそっくりだなと軍司は溜息を吐いた。


「…………あんたはこれからどうするんだ?」


 仕方なく、諦めたように口調を崩して彼は尋ねなおす。


「まあ、とりあえず休暇はそろそろ終わるだろうね。恐らく次のパートナーの選出も始まっていることだろうさ」


 絶対観測者の人出は常に足りていない。海はパートナーを失った影響を鑑みて様子を見られていたようだが、今回待機役とはいえ出撃したことで問題はなくなったと判断されることだろう。同じようにパートナーがおらず浮いた者達の中から相性のいいものが選ばれて、海は再び異世界災害と対峙する役割を求められるはずだ。


「だがもう忘れるつもりはない。システムが限界だと判断するまで意地を張り続けてやるとするよ」


 現実のことを忘れるか否かは選択することができるが、それもあくまで問題ないと判断されればの話だ。精神的な負荷が大きすぎると判断されれば強制的に記憶の消去は実行される。忘れたくないと思っていることすら忘れてしまうことになる。


「あんたならそうなっても気合いで思い出しそうだ」

「残念だがあの弟にそこまでの愛情は抱いていないよ…………君たちと違ってね」


 記憶消去と言っても正確には完全に記憶を消すわけではなく思い出せなくする処置だ。軍司や旭のように思い出せなくても心の奥底に残るものはあるし、それをきっかけに思い出してしまうことだってある。


「それに私のことより彼女とのこれからを考えた方がいいんじゃないかい? 君自身の記憶保持の許可は下りたようだけど、彼女に悪影響があると判断されればすぐに覆される…………当然現実世界の話を伝えることなんて許されない」

「わかってるさ」


 この仮想世界で軍司が旭にしてやれることは少ない。真実を伝えることは許されないし、この前のような精神的ショックを与えるようなことがあれば記憶消去で関係性をリセットされる可能性だってあるだろう。


「…………まずは仲直りから始めないとな」

「その心配はなさそうだけどね」


 そう告げる海にどういうことかと尋ねようとして、廊下を勢いよく走ってくる足音が軍司の耳にも響いた。


「先輩!」


 勢いよく旭が教室へと飛び込んでくる。


「ふふ、相変わらず君は元気がいいね」

「あ、海先輩もどうもっす!」


 声をかけられて海の存在に気づいたのか、彼女にぺこりと旭が頭を下げる。


「私のことは気にしなくていいよ、彼に用があって来たんだろう?」

「…………二人はどうして会ってたんすか?」

「なに、つまらない雑談だよ」

「本当っすか?」

「本当だとも」


 疑うような視線に海は楽しげな表情で肩を竦める。軍司との仲を邪推されるならそれはそれで楽しめそうだという表情だった。


「本当は異世界について話してたんじゃないっすか?」

「「は?」」


 予想もしなかった言葉に海と軍司の声がハモった。


「私、わかったんすよ」


 そんな二人を他所に旭は続ける。


「先輩は、異世界転移がしたいんだって」

「???」


 軍司には旭がそんなことを言いだした理由がまるで分らない。


「だから私の異世界転生にも反対したんすよね」

「なんでそうなる」

「いや、わかるんすよ。私だって異世界転移は次点として選択肢に入るくらいには健闘したっすからね…………今の自分のまま異世界に挑むのもありっす」


 ぐっと旭は拳を握る。


「でも私としてはやっぱり転生のほうにより魅力を感じるんすよ」

「…………話を聞け」


 頭が混乱する軍司だが、その横で旭は笑うのを堪えるように口元に手をやっていた。


「なるほど、そう整合性をとったわけだね。君の気持ちもちゃんと伝わったようじゃあないか」

「いったい何が…………あー」


 言われて軍司も理解する。喧嘩別れしたはずの旭のこの態度は間違いなく仮想世界を管理するシステムによる介入の結果だろう。どういう整合性のとり方をしたのかはわからないが、今の旭は喧嘩の原因が異世界へのアプローチの方法になっているらしい…………いや心当たりはある。


 間違いなく軍司が異世界で語った決意が関係している。


「それでっすね! 私考えたんすよ!」

「ん、ああ」


 考えているうちに旭が詰め寄って来て軍司を見上げる。その希望に満ち溢れたような笑顔の前には何もかもどうでもいいように彼には思えてしまう。


「方向性は違うけど、同じ異世界を目指してるなら喧嘩する必要はないと思うんす」

「うん、うん?」


 いまいち軍司には理解できない。何がどうなったらそういう解釈になるのだろうか。


「だって転生でも転移でも同じ異世界なら一緒にいられるじゃないっすか!」

「そうだな…………うん、そうかもしれない」


 半ば考えることをやめて軍司は頷いた。


「だからこれからは競争っすよ! 先輩と私がどっちの方法で異世界に辿り着けるか!」

「…………」


 本当に楽しそうに、幸せそうに語る旭に軍司は何も言えない。


「よかったじゃないか」

「…………なにがだよ」


 ぽんと彼の肩を叩く海に軍司は恨みがましい目を向ける。


「君の一番彼女に伝えたかったことはちゃんと伝わってる」

「どこがだよ」


 軍司が伝えたかったのは、異世界に行きたいなんてことではない…………しかも異世界災害を終わらせるためという部分が抜けて伝わっている。


「伝わってるさ。だからあんなにあの子は楽しそうなんだよ」

「だから」

「伝わっているとも」


 それだけは間違いないというように、海は繰り返す。


「君があの子を大好きだってことはさ」

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異世界転生したい後輩と、現世で彼女を幸せにしたい先輩 火海坂猫 @kawaneko

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