第2話 孤独は骨のようなもの

 その日はあいにくの雨だった。

 13月の夜、大通りをおおばあ様の入った木の棺が大人の手でかわるがわる運ばれていく。村の門を出て、葬送の集団が遠ざかっていくのをアルバら三人は森の中から眺めていた。


「うー土がぬかるんでる…」

「でもこの土砂降りは好都合だ。雨音に隠れやすくて助かる」

「クロ兄、そんなに葬送儀礼に参加したかったの?」

「というより用があるのは場所の方かな。''遺跡''って呼ばれてる。13月にだけ入口がひらかれる渦神の聖地…」

「ねー今更なんだけど渦神様って何なの?」

「詳しくは成人後神学で習うらしいからね、つまり…」

「クロ兄も知らないのね?」

「まあね、村の守り神ってことしか。でもこれは確かだ。渦神信仰はこの地特有のものだってこと」

「神様はひとりだけじゃないの?」

「…それを確かめるために行くんだ」


 クロエドはローブのフードを伸ばし雨の雫を弾くと、二人に合図を出して集団の跡を追い始めた。

 森に続く崖上から音を立てないよう飛び降り、いくつもの足跡を目印に進む。アルバは普段は大人の目があるため通ったことがない道の上で、悪いことをする高揚感に時々打ち震えた。


(魔物が出たりしないかな)


 木々の向こうに獣が息を潜める妄想をして、それがまたワクワクさせて堪らなかった。


 やがて霧を抜けて遺跡とやらの影が現れた。背後の道は見えないほど濃い霧に遮られていた。

 古く朽ち果てた石に枯れた蔦が絡む風貌。ひび割れた石畳が入口までまっすぐ誘うように連なっている。

 その先の壁の前で集団は一時止まったかと思うと、壁画が割れて入口が出現した。


「あの絵…書物と一緒だわ」


 遠目の壁画はアルバが流し見した地下の書物のそれと同じ絵柄をしていた。

 白い巨大な獣が街をその翼で覆っている。上空の満月の下を、獣の周りを蛇がとぐろが巻くように何百もの竜が飛び回っている。


(気色悪いなぁ…セイカはなんだってこんなものが好きなんだろ)


 セイカは壁画を隅々まで覚えようと熱心に見回していた。


「セイカ、行くぞ見失う」

「あっ待ってもう少し」


 アルバはセイカの腕を引っ張る。入り口の奥闇の中から、呻き声のような泣き声のような…不気味な風の吹く音が聞こえた。



 呻き声に混じって水音が聞こえる。湿った空気、濡れた岩肌の洞窟。寒気がして背中が自然と丸くなる。

 靴が岩をカツンと鳴らし、音の響きでずっと奥まで道が続いていることが分かった。迷路の如く入り組んでいる…ふと遠くに白く揺れるモヤのようなものを捉えた。

 アルバは(あれがまたきた…!)と生唾を飲んで兄の後ろに隠れた。


「あの白いのって何?」

「あれは…こっちへ来るから見てごらん」


 アルバは道の真ん中を入り口に向かって駆けていく白い何かをしっかり目に焼き付けた。


「人…なの?」


 白い少女ではないようだ。


「13月の魔物…境界霊というものだよ。死んだ人間の思念の塊だとか。魔物に分類されてるけど悪いものではないから大丈夫」


 アルバはクロエドの顔を見上げて、

「怖い」

 セイカはアルバの怯えように釣られゾクと身を震わせた。母が夜な夜な読み聞かせたおとぎ話の、獰猛なそれとは違う神秘的な存在…

 哀れさすら感じられる…


「幽霊みたい…」

「彼らは魔力が満ちる日だけに起こる自然現象みたいなものだ。怖がる必要はないよ」



「渦神に見捨てられた哀れな魂は消滅する瞬間を永遠に繰り返すのだ。

 恐怖を抱かずして何を思う?」



 聞き覚えのある声の主にクロエドは背筋が凍る思いがした。闇の中に彼らの背丈より何倍もの大きさの獣の気配を感じた。


「爺さま…いつから気づいてた?」

「初めから。

 こうなると分かっていた。

 クロエド、お前は神について知りたいのじゃろ?理由は聞かぬ。少し早いが…二人にも良い薬になろう。

 ついてくるが良い」

(なんだ、爺さまだけか…)


 クロエドは無防備でむしろどこか歓迎しているような祖父の背中をしかと見据えた。

 いざとなれば…と。



 通路の壁には壁画がいくつも並んでいた。そのどれにも意識を割かない族長に対して、セイカは口をあけてそれらを見回していた。

 アルバは壁画について族長に尋ねる。


「おじいちゃん、この画は何?」

「古代の遺物じゃ」

「俺が学都で学んだ歴史と似た内容だ」

「…それは?」


「竜は世界を滅ぼそうとした邪神に与した悪辣の徒だと…その咎で魔物より上級の駆除対象になってる」

「殺されるって… そういうこと?」

「竜の歴史は陰惨そのものだ。俺たちがこんな奥地で隠れ住むしかない理由も想像がつく。先祖は幾たびも狩られ追い立てられて、ここまでやってきたんだ…」

「その通りだ。狩られ尽くし絶滅しかけた我々を神はいざなわれた。この唯一の安息の地へ。辿り着けたのは元の数の2割以下だという…」


 クロエドはふはっと漏れ出る笑いを抑えられなかった。早口に捲し立てる。


「なんだってこんな迫害されてるんだ?

 竜はいつだって子どもに語る御伽話の悪者。昔は竜退治が騎士の洗礼式だったぐらいだもんな。倒した竜が家名の元になったお貴族様が偉そうに竜殺しを語ってた。

 獰猛で卑劣で醜悪な化け物…それが世界の共通認識だと知った時は耳を疑った。少なくとも今の俺たちは何もしてないはずなのに…!」


 黙る祖父の背中を責めるように言い立てた。


「渦神なんて神は外界では聞かない。本当はそいつこそ邪神なんじゃないか?そもそも神なんて存在するのか…?全部、都合のいい作り話で…」

「それら知る権利をお前は手放したのだ!!本来なら処分され神の元に召されるはずもない、お前の罰を被ったのは…!」


 アルバは初めて見た祖父の怒りの形相に思わず後退りした。ちょうど後ろに立っていたセイカに踵がぶつかる。彼女もまた呼吸を忘れて場の緊張に呑まれていた。


 大きな円状の広間に出る。中心は空洞になっており、そこから上下の階が見えた。天井は吹き抜けの構造、覗く雲間から月の光が差し込み、干からびた竜の骸が蔦でいくつも吊るされているのを照らしている。白い月の大きさからここが相当な高所であることが分かる。


 広間の壁は鉄格子だった。檻に囲われているのだ。冷たい格子の前には朽ち果てた石の像がいくつも打ち捨てられている。

 アルバはそのうちの一つに惹かれた。顔の部分がひび割れ、渦巻いた土くれの中身が露出している。


「禁じられた偶像崇拝…顔のない神として渦神の身姿を表したものだ。作り手や信奉者はああして吊るされることになった」


 淡々とした物言いにゾクッとしてセイカと二人身を寄せ合った。


 階下から、アルバたちがようやく押し込めていた恐れを撫であげる水の轟音がした。

 彼らは轟音の主を見下ろした。先ほどまで閉じていた石の床がぱっくりと大口を開け、そこには外側から中央へと流れ落ちる滝が存在していた。渦の激流は招き入れたものを跡形もなく粉砕するだろう。

 村人らは棺を端から水に浮かべ滝に流した。棺は濁流にのまれ底に消えていった。


「人は死ぬととなりて大いなる輪廻の渦に混ざり、生の穢れをそそぎ落としたのち、また新たな魂と肉を得て生まれ変わる…」


 アルバは難しい内容に頭が追いつかなかったが、その言葉を決して忘れないようにと耳をすました。


「我々は前世で大きな罪を犯し、渦神によって竜に堕とされたとされる。だが慈悲深い神は我々にこの安寧の地を与えた。

 この地で慎ましく神に祈りを捧げて生きる…そして死にまた渦へと還る。次は竜に産まれぬようにと願いをかけられて」

「頭が痛いな。それが勿体ぶった教えの正体か?馬鹿馬鹿しい、爺さまだって信じているわけないよな。じゃなきゃ保守的なあんたがわざわざ人間を手元に置いて育てるものか。

 知ってんだよ。この秘境の存在を隠すためにあんたたち支配層が、どれだけの数の人間を消してるかってことくらい…

 それなのにアルバは例外?何か裏があるはずだ。

 もしかして…関係しているのかな、同じ頃の帝国との大戦に」

「大戦…?」

「お前たちが物心つかない頃の話だ、竜族の人権を取り戻すために戦った…」

「アルバは関係ない。何も関係ない。わしがその子を育てたのは…」


「育てた、のは…」


 みるみる青白くなる顔色。胸を抑え呻き膝をついた。アルバは心配して思わず駆け寄った。

 下層では棺を見送り、必要がなくなったのだろう、床壁が閉じはじめていた。眼前の祖父よりもクロエドの意識はそちらに割かれていた。


「おじいちゃん…!?」

「っいい…クロエド、分かるだろう?我々は皆同じ幻界を抱く。原風景と呼ばれるものだ。かつての故郷のイメージ。そして、かの場所へという願望を抱き生まれてくる。帰属の執念だ…

 だがそれもやがて薄れる。お前は多少それが他より強いだけだ。

 何も疑うな…あるがままを受け入れれば言わずとも理解出来よう、我々の、悲願を…」


「ーーごめんだね。

 何も疑うなだって?俺は神を疑うために戻ってきたんだ。

 神なんて空想に逆らったってばちなんか当たりはしない」


 クロエドの額から割れるように鱗が広がる。丸めた背から逆立つ鱗の肌が音を立て、ついた両手は竜のものへと変貌する。

 片翼が人間三人分をすっぽり覆いきるほどに広がる。元の背丈の倍以上の大きさになった一匹の竜は力強く飛翔した。


「竜化!?」

「待て、クロエド…!」


 クロエドは高く竜の死骸を吊るした蔦を、口から吐いた豪炎で焼き切った。

 床が閉まり切る途中、真下の滝へといくつもの骸が吸い込まれていった。


「ああ…」


 その光景をアルバは美しいと思った。時が止まったと錯覚させるほどに魅入った。セイカはアルバの傍で呆然と眺める祖父の、解放されたかのような一瞬の安堵の表情を見逃さなかった。


 宙を横切る者がいた。

 クロエドによく似た風貌の黒竜だ。飛びかかり、揉み合いながらアルバたちのいる階層の壁に激突する。一際大きい檻の中、闇に緑色の光が4つ残像を残して動き回る。


「エコード!!この馬鹿息子が…!

 アルバ、セイカ、見たこと全て忘れて今すぐ帰るのじゃ。お前たちは愚か者の独りよがりに付き合わされた人質みたいなもの…ここには来なかったことにしてやる…」


 胸痛に身悶え血走った目をしていた。

(この騒動ですぐ奴らが来る…まだ接触させるには早い!)



 アルバは気迫に押し切られ、セイカの手首を引いた。


 何も考えられなかった。

 推定12年ものの脳みそには収まりきらない衝撃が正常な思考回路の邪魔をする。しかしそれがむしろ足を前へと動かす力の源になったともいえる。


(なんでボクを育てたの?  そんなこと考えたくない)




 骸に閉じ込められた魂が次々に神の袂へ召される光景を、闇の中から興味なさげに眺める二人の人間がいた。


「ーーふむ。ゆえに渦神の流刑地と。しかしさすがだね、我らが法皇聖下は」


 静かで抑揚がない。血の通う人間の声とは思えない、まるで感情の乗っていない代物だ。


「予言通りの光景だ」

「お父様…楽しそうね」

「まぁね。竜のうそぶく顔のない神とやら…何かと思えば恐るることはない、ただの偽神ぎしんさ」


 小娘は釣られて微笑み、すぐにやめた。怒鳴り込む老人の気配を察知して。


「貴様らなんのつもりだ!わしの唯一の後継者を殺すつもりか!なぜエコードを差し向けた!?」

「あらバレてるわ」

「ご老公、そう興奮なさらないで下さい。持病が悪化しますよ」

「何を言うか、契約の元にわしの心臓を縛っているのはお前だろう!」

「うーん…」


 シルクハットのつばの影に顔の大半が隠れていても男の表情筋がぴくりとも動かないことがわかる。


「喋り過ぎなんですよ。お分かりの通り不言の契約を結んだでしょう。今回は警告で済んで幸運だったと胸を撫で下ろしては?」

「邪神のしもべが…!」

「それはお互い様でしょう?なんです、渦神?無神論者が、いやに饒舌に語るではないですか…」

「そもそもなぜ孫を戻らせた!?あの魔女に、貴様らに託したはずだ、一体なぜ!」

「あの方は随分前に裏切りましてね。私の手が届かない牢獄の次に堅牢な学園都市なんぞにやってしまったものですから、お孫さんの動きには何も関与してませんよ」

「なんだと…!?では今までの報告は…!嘘をついて…!!」

「ですな。前担当は扉の魔女と通じていました。が、すでに処理しましたのでご安心を」


 小娘はカラン、と口内を舌で鳴らした。老人は血走った目で睨んだ。


「あらどうも…邪魔した?」


 小娘は微動だにせず一点を凝視していた。


「何を…見ている?」

「いえ驚いて。魔法を魔石という媒介なしに扱える唯一の種族…だけど源は結局同じものね。心臓に精霊を飼っているなんて。綺麗だわ…」

「…」


 老人は額に血管が浮かぶほどの怒りを覚えた。


「ねぇ心配しないでおじいさん。私たちは味方よ。困った時は助け合うの」


「どちらかが死ぬまで」




 *




 あれから1年が経とうとしていた。

 遠くに行ったという兄の帰りを待つことも疑うこともせず、ボクは何の変哲もない日常の続きにいそしみ暮らす。

 あれからセイカと二人で禁足地に足を踏み入れることはなかった。彼女と同じように学舎まなびやに通ったり成人の儀を受けることもなかった。ボクらはあの夜のことを忘れて沈黙する、暗黙の誓いを守った。


 けれど時折のぞく不穏な白い影はその輪郭をより一層濃くして忍び寄っていた。


「君は誰なの?」


 ボク以外の誰にも見えない白い少女は、小さな背丈の3倍ある白い髪の毛を土に擦らせてボクに付き纏った。交流は叶わず、ひたすら追ってくるだけだ…


「アルバ」


 セイカのノックの音に振り返る。「今出るよ」と答えて上着を羽織り、仕事の相棒を背に担いだ。

 毎朝セイカと一緒に家を出て、分かれ道まで並んで歩くのが日課だ。ボクは仕事場にセイカは学舎(旧校舎に自分の研究室を作ってしまった!)へと向かう。


「あのねアルバ、今日は付き合ってほしいところがあるの」


 ゴーグル越しに見る瞳からはその意は読み取れない。ニヒヒと笑うセイカ。


「何するのかによる!サボれないし」

「むーそんなに重要な仕事でもないでしょ」


 セイカだけ学舎に通うようになり、暇を持て余したボクに与えられた仕事は…穴掘りだ。

 仕事場は遠くに豆粒みたいに畑が見える何も無い開けた土地の、梯子を下った先の薄暗い坑道。数人の大人に混じって穴を掘り、青黒い星空のような鉱石を採掘するのだ。お互いの顔も見えない中、黙々と…


「ボクにとっては重要なんだ。すごく向いてるし」


 人間のアルバにとって土の下で働くのは苦では無いが、竜族にとって日光を長時間浴びれない仕事というのはかなり辛いようだ。


 仲良くなった同僚の、よく喋る穴掘り屋のおじさんは息を切らして同じ話を繰り返す。

『坊主、その歳で苦労するな。地下なんて一番体に悪い場所であくせく働かされて…何したんだ?

 全く土竜(もぐら)なんて呼んでバカにしてる奴らめ、俺らの有り難みを分かってないんだよ。上ってやつは…ぶつぶつ…

 だめだ、一旦外に出てくる。坊主無理すんなよ』


 暗がりはボクが人間だということを隠してくれる。同胞として屈託なく接してもらえる唯一の場所。土竜 仲間になれる…


「楽しいよすっごく。それより優先できること?」

「優先して」


 セイカの強引さにしらっとした表情になるが…

 結局次の瞬間には、地下は地下でも秘密基地にいた。ボクは推しの強い友達には弱いんだ…


「まだやってたの?」

「もちろん。アルバが穴掘ってる間にワタシは解読を続けたの!それで分かった。

 多分おそらくきっと、ううん絶対に。

ーーこんなの解んない」

「…うん?」


 何か重大な事が判明したのかと思いきや、解らないことが分かったと…ボクはたまにセイカのことを自分より頭が悪いのではと疑う。


「聞いて、とにかく聞いて」

「うん…」

「暗号、文字の解読に何が必要だと思う?」

「何がって…使ってた人と話すとか?」


 ボクはからかうつもりで言った。


「究極そう。じゃあ誰が使ってたと思う?」

「それは…昔の竜人なんじゃないの?」


 見つかった場所や遺跡の壁画を見てそう考えるのは自然だ。


「えっ?…ま、まあワタシもそう思って学舎で古い蔵書も読み漁ったけど、今の言葉とほぼ同じだった。何も残ってなかったわ」

「…じゃあ外界から持ち出されたものってこと?」

「そう、ワタシも初めはそう思ったの!外界は広いしきっとどこかの文字なんだって…でも…」


 アルバはセイカほど頭は柔らかくない。言語がいくつもあるなんて思いもしなかった。


「最近習ったの。外界の言語はたった一つだって。各地方で訛りや独特の言い回しはあっても、ワタシたちと同じ文字や言葉を使う」

「ならやっぱり大昔の竜族が使ってた…?」

「それだと説明つかないところがあるの。そもそも時間が経ったとはいえ元々使っていたのに、残したものが一つもないなんてどうなの?

 それにあの遺跡…あれはね、地理的には外界に位置してる」

「じゃあ大昔の外界人の…?」

「ね、キリがないでしょ。とにかく何考えても何も解らないの」


 そういう…とボクは言いかけたがやめた。なんとなくセイカがやりたそうなことがわかったからだ。


「セイカ、ボクに外界に行けって言ってる?」

「…ワタシも行くの」


 ボクは素直に感嘆した。あんな目に遭ってまだ外界へ行こうというのだから。

 ボクの方は物心ついて初めて見た外の世界に衝撃を受けて、そんなにいいものではなかったんだなと思い知ったというのに。セイカの方は差別を受ける側だから尚更だというのに…


 ボクは黙って秘密基地の外へ出た。優先しなきゃよかった、と全身で伝えた。

 それを追いかけてくるセイカ。


「資料がここにないなら探して手に入れればいいんだよ!」

「手に入れるったって、セイカ戦えないよね!?ボクだって扱えるのはこれだけ」


 背負ったスコップを拳で叩いた。


「死んじゃうよ」

「どうして外へ出たクロ兄は殺されなかったの?」


 クロ兄の名前が禁句になっていたことはお互い暗黙に了解していたはずだ。


「方法があるんだ」

「あるといいね」

「それに戦えるよ、ナイフくらい扱える。見ていて」

「は…」


 振り向くと、セイカは持っていたナイフで自分の角を抉り取ろうと額に刃を突き立てていた。血が顎まで垂れた。


「やめてよ…!」


 慌ててナイフを取り上げる。最中、セイカの額に赤く一線が引かれた。パラパラと斜めに切られた前髪が舞う。

 はずみでナイフは二人の手の中から飛び出し、御神木に突き刺さった。


「バカなことしてんな!」


 竜になりたい。みんなと一緒になりたい。

 そんなボクを嘲笑う、挑発的な行為に見えた。そんなつもりはないと分かっているのに。


「神さまとかっ…」


「死んだ後のこととかっ…どうでもいい。ワタシを連れてって、アルバ…!

 ここでずっと仲間外れなのは辛い」


 仲間外れ。ボクはそれを聞いて真っ先に、自分のことを思い浮かべた。


「いいじゃないか!

 セイカは竜族なんだから。今失くしそうだったのがその証拠だよ!何が仲間外れだよ…ボクはッ、ここにいても一生不純物なんだ…!」


 セイカがボクをそばにおくのは、ボクが人間だからではないかと疑っている。仲間とうまくやれない自分より下の、異質な存在を側におけばマシに見えるから。



「そうだね、アルバ。じゃあなんで出て行かないの?」


 ボクは自分の中の矛盾を突かれて、ぐっと拳に力が入った。


「ワタシたちはここから出ないのが賢明ね。だから口酸っぱく言い聞かせられてきた。

 でもアルバは違ったでしょ」


「人間なんだから」



 かえりたいーー

 ボクは魔女に魅せられた原風景を想った。


 ここが 一番 かえりたい場所なのだ 

 でも、それを どう説明すればいい?


 頭が痛い。



「ここがボクにとって一番いいところなんだ…たとえ一生心が孤独だったとしても…誰かが近くにいるから」



 ーー匣の中と何が違うの?



 幻聴に心臓が跳ねる気がした。目を開くと白い少女が目の前に立っていて、何かを指差している。


「孤独?

 アルバ、あなたは来た頃と何も変わってないんだ。母さんやワタシはあなたを孤独にした覚えはない、

 あなたが孤独なのは、あなたが人を信じられないからよ!」


 パチパチと目の前が弾けるうちに、白い少女の姿は消えていた。

 ボクは少女が示したものに指をかけた。



 それは御神木に突き刺さったセイカのナイフだった。赤い液体が傷口から垂れていた。初めはセイカの血だと思ったが違う。

 とめどなく流れるそれに、


「生きてるみたいだ」


 触れた。



「アルバ…?アルーー」




 セイカの声が遠ざかっていくのを感じていた。意識が白く塗りつぶされていった。




 …長い夢を見ている気がする。


 幸せではなかったし、いつも悲しかった。

 一人になりたくなかった。迎合されないと分かっていて縋るのは辛かった。優しくしてくれる人が知らない時を狙って、何度も石を投げられた。露天の店主も坑道の同僚も、太陽の下では豹変した。

 人も竜も違いはないと知っていた。


 抜け出す勇気はなかった。一人ではどこへも行けなかった。

 それでもあれほど分かり合えていたはずの友人と、二人きりになるのはもっと怖かった。

 変わってしまった君が、変わらない僕に気づくのが怖かった。いずれ置いて行かれるのが嫌だった。


 僕は死んだままこの場所に辿り着き、死んだまま育った。一度死んだものが生き返ることなどないのだ。



「生きてるみたいな、あなたーー」



 白い少女だけが、僕の本質を知っていた。




 *




 セイカは親友の部屋の前、廊下にうずくまって考え事をしていた。

 御神木の前で倒れたアルバはひどく苦しみ始めた。熱が出て呼吸は乱れ、腹の中心から細い血管が浮き出て中身が暴れていた。

 初めこそセイカも看病に回っていたのだが、「瘴気にあてられる」と追い出されてしまった。


 6回太陽が昇ったその間、セイカの前を横切って部屋に何人もの大人が出入りした。医院の魔法使いだとか、村外れの占星師だとか、とにかく滅多にお目にかかれない胡散臭い偉い人たちだ。


「手に負えません。一体何に手を出したの?その子はなんて?」


 母は何度か咎められた。

 だがセイカは禁足地に立ち入っていたことを話すわけにいかなかった。そうすれば必ず罰を受ける。外界へ行くなんて夢のまた夢になるからだ。




『このままじゃあなたはすぐに死ぬ』


 不吉な魔女の予言。


『生き延びたければーー』


 …アルバ。





「ワタシが御神木を傷つけて…それで」


 セイカは無意識に真実を口走っていた。それが彼女の選択だった。

 母親はハッとしてセイカの両肩を掴んだ。


「なぜ言いつけを守れないの」

「よしなさい、今更詮なきこと。覚悟の上で告白したのですね?セオンテイカ」

「だから…助けてください、お願い…します」




 セイカはぼうっとした。大人の話し声が頭にとどまらず抜けていった。


「旧き神に呪われたとでもいうのですか?ーーあれは子どもを遠ざけるおおばあ様の作り話で」

「でも実際死にかけておるーー体の中の魔素が肉体を食い荒らして…」

「人間だけ被害に遭ったというのもーー」


 涙が出た。

 嫌いな大人、その中でもとりわけ胡散臭くていけ好かない奴らに泣いて頼って、その結果があの何の成果も出なさそうな話し合いかと思うとやりきれなかった。


(ワタシ… 間違ったの?選択を…)






『ーーうそよ!!どうしてわたしが死ぬの!?』


 セイカは無数の扉に囲われた中心で激昂した。

 彼女に用意された選択肢の多さを異常な滞在時間が示す。彼女がその空間に足を踏み入れてから実に1ヶ月は経過していた。


『全部ひらいた…全部よ、それなのに一つも道が続いていないなんてそんなのって…!』


 見た目や開いた瞬間見える向こう側の景色はどれも違う。けれどどれだけ希望を感じて潜っても、足を踏み入れた瞬間扉はただの枠組みになり、どこへも辿り着けない。

 それが意味するのは…


『行き止まりだね。全部はりぼてか。

 可哀想に…曲がりなりにも一度は家族の縁を結んだ子どもを見捨てるのは心苦しいよ』

『あなたが…仕組んでるんでしょ!?そうじゃなきゃ…!到底受け入れられない、こんなことは』


 涙が暗闇に落ち水のように波紋を作る。


『変えられないの?未来は』

『過去は決まってる。未来は変えられる。でも死から生までは…誰も変えられない』


 言葉遊びだ。


『待ち人はもう来た。あなたはその手をもう取った。探し人はもう見つかった。あなたはその手を掴むことはできない。

 それはね、仕方のないことなんだよ。どうせ死ぬから好きに生きなよ。生から死までは、あなたは自由だ』

『…自由?』


 自由ならどうしてどこへも行けないの。


 子どもの頃世界地図をくれた人がいた。

 ああ…東の果ての黄金の島。海の底の古代王朝。天空に遥か高く伸びる世界一高い塔、頂点まで登れたら。そうだ、世界一のお酒は白くって、口の周りに泡をつけるのがいいんだって。そのままふわふわの雪に飛び込んで、大雪漠に抱かれたような気持ちになれれば…忘れちゃダメ、珍しい魔法道具がこれでもかと並ぶマジックアーケード裏拱廊は外せないわ!そうだ、帝国は竜をいじめる意地悪な国だけど、一番歴史が面白いの。叶うならお兄ちゃんが行った学園都市でいろんな国のことを学びたいな…


 人間がいっぱいいる。わたしたちと同じ亜人だってたくさん…



 こんなところで死に腐る。

 あんな冷たい渦の中で、次なんかに思いを馳せて死に腐る。

 前のことなんかぐちゃぐちゃになって覚えていられないくらい ばらばらに…なって…


『このままじゃあなたはすぐ死ぬ。願うの?セオンテイカ』


『生き延びたいの?』




『死んでも…生きたい…』


 頭で考える前に口をついて出たら、それは本心なのだと思う。






「ーー何か悩んでいるのかしら」


 優しく話しかける者がいた。


「違うの…ワタシ魔女の言うことを信じっ…」


 顔を上げると小さな手で目を覆われた。


「魔女?魔女がいるの?竜の泣き巣にもいるのね。私もお会いしたいわ」

「あ、あなた誰?」

「私も魔女よ。美味しそうな魔の匂いにつられて出てきちゃった。お友達、大変そうね」


 彼女からは甘い匂いがした。どこか甘い清涼な通りの声はセイカの心を落ち着かせる。両目に添える彼女の手を無理に振り解けない、そんな魅惑を姿見えない少女は放つ。


「手を退けて…」

「いけないわ。見られれば殺さなくちゃいけなくなってしまうの」

「殺すって…?」

「大丈夫。私たちの存在を黙っていてくれるなら、代わりに彼を助けてあげるわ」

「本当に?」

「魔女は嘘を吐かないわ。名前を教えて」

「セ… セオンテイカ・インシオン…」


「貴女少し変わった匂いがする…覚えたわ。セオン、目を瞑って待っていて。約束は違えないでねーー死期が早まるだけよ」


 それだけ囁いて、彼女は甘い匂いを残して去っていった。心臓が高鳴る、不思議と不快でない…


 ……。




 瞼の裏の闇の中、セイカは待った。高揚が失せて、魔女の囁きを不信に思い始めた。


(…ああ、だめ。何も考えられない。

 疲れた…ただ疲れた…)


 6日目、13月の夜はそうして過ぎていった。甘い匂いが心地よく浅い眠りに誘った。


(ねぇほんとは…ワタシのこと、嫌いだったの…?起きて… 教えて…

 あなたを助けようとした価値が、あなたにあったのか、知りたい)


「アルバ…」







「なに? セイカ」



「ーーどうしてこんなところで寝てるの?

 何か変な匂いするね…」


 セイカは布団を肩で引きずる彼の普段と変わらない姿に「うそ…」と漏らした。


「なんか身体中痛いや…ほんとにどうしたの?セイカ…」


 セイカはアルバを抱きしめていた。


「あれは…約束を守ったんだ」





 そう、魔女は嘘を吐かない。


『このままじゃあなたはすぐ死ぬ。


 生き延びたければーー嘘を吐くしかない。


 黙ることは許されない。真実は論外。

 吐いた嘘の分、あなたは生き延びることができる』



 竜の娘は魔女になってしまった。なるに値するか知らずに…

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アンダートゥ 蛇藤ただの @tadano781

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