第1話ー2

 トン、トンと単調な音が響く。肉の焼けるいい匂いに誘われて眠気の醒めないまま階段を降りていった。


「セイカ。目が腫れてるね」

「どうりでよく見えないと思って…」


 目周りをこすりあげると、三つ下ほどの段、片足をかけた青年がいた。


「久しぶりだね」

「く、クロ兄…?なんで!?外界にいるはずじゃ…!」


 セイカの意識は一気に晴れた。数年前に出て行ったきりの従兄弟がいたからだ。


「外界?あはは、そうそう。郷帰りだよ。学園も卒業したし一度は帰ろうと思って。だから俺にとってはいい時期…って言ったらひどいかな」

「どうしたの?」


 アルバが階下から声をかけた。


「あーセイカ、起きるのおそーい。お兄さんが起こしにいくとこだったんだから。母さんが早く着替えて支度してだってよ!」

「えっえっあっ…」


 寝起きの格好を見られた年頃の娘は、部屋に逆戻りした。


(数年ぶりに会ったのにこんな姿を〜!)


 恥ずかしさを誤魔化すように急いで着替えて食卓に向かう。

 祖父の姿はなく、神妙な面持ちの母親がそこにいた。後ろから従兄弟が話しかけてくる。


「俺の部屋まだあったんだね。いつでも使えるよう掃除してくれてたみたいだし、叔母さんには感謝しかないよ」

「クロ兄、しばらくいるんだよね。ね、何かあったの?」


 口を開く前に母が言った。


「セイカ!体調は?」

「うん…大丈夫」

「あのね、おおばあ様が亡くなられたの」


 おおばあ様…この村では一番の年長者で、族長である祖父ですら頭が上がらない存在だ。セイカの背丈が今より半分程の頃はまだ姿を見ることがあった。


「ふーん…」

「老衰だったみたい。異例だけどすぐ次の13月に葬送を執り行うことになったから…」


 セイカは次の13月までもう数日とないことを想像した。ひとつきに一日ずつある13月という特別な日は、外出を禁じられひもすがら神に祈りを捧げる安息日となっている。


「え!それって間に合うの?」


 葬送は故人の家族のみ、それも成人だけでささやかに執り行うものだ。故人を連れて聖地まで赴き、儀式を終えて帰る。


「今回は大人は全員参加するからね」

「なんで?家族じゃないのに…?」

「あの方はとても身分が高い方で…とにかくだから忙しくって。クロくんに面倒を頼んだから、言うこと聞くのよ」


 そう言ってパタパタと出て行った。


「クロ兄、ここで暮らすの?」

「お駄賃つきなんだ。それに両親がここを出てったとはいえ、俺にとってはここが馴染み深い実家だからね…そういえばこの子は」


 アルバは緊張した。気恥ずかしさで目を合わせられない。


「あの…ボク、アルバです。知って欲しいのは名前だけ」


 彼はアルバの前でしゃがんで目線を合わせた。


「クロエド・ヒルシュマ。よろしく、弟分が増えて嬉しいよ。本当驚いたな、あの頭の硬いお爺さまや父が」

「(弟分…)違うのクロ兄。ダメだったの、だから叔父さんは…」

「あーそ、そっかあ。あの人やっぱり…うーん。でもアルバ、俺のことは本当のお兄ちゃんだと思っていいからね」


 原っぱの色をした優しそうな垂れ目、どことなく母にも似た笑い皺にアルバはすっかり気を許した。叔父と同じ黒髪をうなじのあたりで一つに留めている。長い旅路だったのか小汚かったのでセイカが風呂に入らせた。濡れた髪から水が滴る姿はなるほど見栄えする。


 昼間には見たこともないおやつを作ってくれて、兄貴分として慕うには十分だ。

「おいし〜!」「ふわふわしてる!?」

 クロエドはそばにおいたボトルから注いだ赤紫色の液体を飲みながら弟妹がパンケーキを頬張る様子を眺めた。この村には流通していない珍しいボトルにアルバは興味津々だった。


「それ何の飲み物?」

「これは子どもにはまだ早いかな」

「ボクは子どもじゃないもん」

「そうやって食べかすつけてるうちは、ね」


 アルバはゴシゴシ口を拭うのを楽しそうにクロエドは見ていた。


「あ!そういえばクロ兄成人の儀やれてないよね?まだ子どもだから葬送に参加できなかったんでしょ!」

「めざといね子どもは…でも儀式なんて何も意味ないよ。俺が子どもなら、外界に一歩も出たことがない同い年の箱入り息子たちは赤ちゃんだね!」


 きゃーとセイカははしゃいだ。セイカにとってクロエドの言葉は耳障りが良いものばかりだった。村の誰も持っていない外の世界を夢見るセイカの憧れの姿そのものだ。


 二人は腹ごしらえを済ませると、また秘密基地を目指して出て行った。クロエドは自室のバルコニーから手を振って見送った。



 村はどことなく忙しない空気に包まれていた。すれ違う人は皆急いた様子だ。


「ねえ、セイカ。クロ兄いつまでここにいるのかな?ずっといてほしいな。毎日おやつ作ってくれそう」

「難しいかも。ワタシたちが良くっても叔父さんがね。仲悪いんだって」

「親子なのに…?」

「ずっと昔クロ兄が子どもの頃出て行って、それから一度も戻ってこなかったのよ。叔母さんはすっかり弱っちゃって、りょうよー?で静かなところに夫婦で越してったって母さんが」

「あのさ…」


 足を止めてアルバは聞いた。


「出て行ったってどうやったの?大人たちが許すはずないし…追放?」


 村の周辺の生活区域は丸ごと霧に覆われており、外への安全な道は陸路も空路も巡回の大人が必ず見張っていた。自力での脱出は不可能だ。

 追放の一言にどきりとし咳払いした後セイカは答えた。


「おかあ様もそのことは話したがらないの。

 これはね、盗み聞きしたことだから秘密よ」


 耳打ちした。


「渦神様に連れて行かれたんだって」


「神様に…?」

「勝手に外に出るのって掟の中でも一番破っちゃいけないことなんだよ。なのに許されたのは、神様に選ばれたからなんだって」

「(一番いけないって知っててあんなに凄む!?)じゃあボクらも神様に選ばれればいいってことかぁ…?」

「もークロ兄が選ばれてるでしょ?でも大丈夫、今はもう崇められてないけど、古い神様がいるんだっておおばあ様が言ってた…」

「どこに…」

「そりゃ今から行くところ」


 眼前で見慣れた大木がそのずっしりとした幹を、何百もの張り巡らせた根で支えていた。森の中の大木の周辺、開けた空間をまるで一筋の日光をも逃すまいと、根の一つずつが生き物のように蠢いている。


「神様ってここにいるの?」

「そう。この木が神様なんだよ。おおばあ様は元気な頃村の子どもを引き連れて、よく分からないけど昔話をしてくれた」

「木が神様ってェ…喋んないじゃん?」

「馬鹿にしてるでしょ!傷つけちゃいけないんだかんね、バチが当たるんだって」


 ハイハイ…とアルバは大木を見上げる。澄んだ風が撫でてきた。


(なんで古い神様なのに行っちゃダメな場所になってるんだよ。昨日も不気味なのがいたし、良くないものなんじゃ…)


 昨日のことを思い出す。影に追いかけられ漏らしかけた。


(今日は日が暮れる前に帰ろう…)



 セイカはいつものように巻物…もとい禁書に夢中だった。いくつも開いて広げ、何かを書き留め始めた。


 アルバはいつのまにか眠ってしまった。

 羽根ペンが小気味いい擦り音を立てるのが眠気を誘ったのだった。






『ーーダメだ、そっちは!戻れ!』


 炎が灰色に上がった。断末魔が聞こえた。


『死にたくない、死にたくない、死にたくない…!』


 赤子を胸に力強く抱いた母親が、怪我をした足を引きずっている。助けようと手を伸ばすと、途端に親子は消えてしまった。


『これが儂等の終わりかーッ!世界の終焉だぁあー!ひゃーはっはっはっはっ』


 狂って叫び踊る男。邪魔だと思って指で弾くと、男もまた消えた。


『もうここはダメです、隊長…!』


 人間が豆粒みたいに集まっていた。蟻の群れのよう。轢き潰してしまおうと、重い羽根をはためかせた。


『復活したんだ…』


 雪だ。燃え滓が雪の如く舞っているのが綺麗すぎたのか、泣けてきた。


『我々は世界の転機の瞬間に立ち合っているのだッ!

 ーー白い××を何としても我が手に…!!』







「ーー起きて!地震だよ!!」


 少女の声に一瞬で現実まで引き戻された。重い瞼を引き攣らせ、ぐらぐらと揺れる。

 セイカが全身を使ってインクを塞ぎ棚を抑え、物が落ちないよう支えている。


「燃えちゃう!ランプ守って!」


 寝起きの頭痛よりも目の前の火事の原因を絶たんと掴み持ち、部屋の端に寄った。

 数十秒ほどで揺れはおさまった。心臓の鼓動はしばらく治る気配はなかった。


「ふー焦ったわあ。良かったー大事な書物が無事で!片付けもこのくらいなら楽勝ね」

「…」

「アルバ大丈夫…?そんなびっくりした?」

「ううん…まあ…ちょっと外の空気吸いたいかも…」


 ぐわんぐわんと耳鳴りがする。

 アルバは冷たい階段を這うように上がり、天井の扉に手をかけた。


「あれ」

 えっ、セイカが割れた陶器製のガラクタを拾う手を止めた。


「開かない…!?」


「うそ…!?今ので歪んじゃった!?」

「知らないっけどッ、開かないっよ!?」


 力を込めて肩で押し開けようとするが、ビクともしない。


「どうする…?」


 二人はとりあえず部屋を片付けることにした。無言だった。口を開けば泣き言がとび出そうだった。

 いつもよりも小綺麗になったので、気合を入れ直してもう一度扉開けに挑戦してみた。

 差し込もうとした棒切れは折れた。現実を受け入れきれず何度も打ちつけた身体中が痛んだ。


「どこか抜け道でも探そうか…?」

「あるといいよね、本当!でもないと思う」


 アルバは書物があった床下への隠し扉を見つけてから、同じような扉がないかを遊び半分で何度か探していたのだった。


 徒労は防いだが結局無力な二人は時間を潰すしかなかった。セイカはより没頭して解読とやらを進めているし、アルバも暇なので書物を適当に読み始めた。


(もう夜だろうな…おやつ食べたおかげでお腹はもちそうだけど…

 帰ってこないのに最初に気づいてくれるのはクロ兄かな…でもこんなとこ、見つけられるはずない)


 もしかしたら一生、村の外どころか地上にも出られないのだろうか?

 そんな不安が広がり、怖くなって涙ぐんだ。何もないと分かっていても体が動いて、何かを探してしまう。


「おねがいだよー…開いてぇ。なんでもするからぁ…」


 辿り着いた唯一の出口に力なく体重をかける。


「アル…」


 セイカが見たのは扉のヘリにかかる指だけだった。


「アルバぁああ!!?」


 見ると、明らかに重力に逆らった逆立ちの状態で開いた扉の向こう側にぶら下がっている。


「ぎゃあああ何これえええ」


 セイカは混乱していてもしっかりアルバの片腕を掴み、上から下へと引っ張った。アルバの体重からは考えられないほどの重みだ。


「落ちてる!空に落ちてる!」

「何したの何してそうなるの!」


 やっとの思いで腰まで引っ張り下げると、そこからは簡単にずるりとこちら側へ引き寄せることができた。


 息を荒げながらセイカは向こう側を覗いた。

 そこははるか上空と表すしかない場所だった。しかも上下が反転している。片腕だけ出すと出た腕だけが重力に引っ張られる妙な感覚がした。

 恐る恐る首だけ出してみると、目の前いっぱいを赤い月が埋め尽くしていた。顔の肉だけ上に垂れるのを感じ、すぐに引っ込めた。


「どうなってるの?何かやった?」

「してないよ!死ぬかと思ったよ!人間は飛べないんだよ!」

「飛ぶ…」


 セイカは唯一の逃げ道を見て、自分が周りと同じように竜化できてその翼で飛べたらどんなにいいだろうと思った。


(でもそれは…!何度やってもできなかった…)


「ワタシたちは飛べないから無理だね」

「でも出口はここしか…!」

「ワタシに飛べって?」

「…言わないよ」


 セイカは勝手に責められたような気になって意地悪く突き放したことを後悔した。

 それでも年下の子ですら竜化に成功し空に踊るのを下から見上げるしかなかった自分のことを思うと惨めになった。


「あ、でもボクが先に飛んだらついてくるよね?」


 アルバは向こう側へ飛び込んだ。


「わああああ!!!」


 セイカは無我夢中でアルバのあとを追い、腰あたりに抱きついた。


「ああああなれるなれる!」


 目をぎゅっと瞑って溢れた涙が空へ登っていった。


「セイカ?」

「なってるなってる!」

「セイカ〜大丈夫だよ」


 げふ!と衝撃が襲った。それでも想定していたよりは随分マシだったので、辺りを見回す。

 そこは小さな島だった。

 空を浮く島のようなものが風の流れと同じ方向へゆっくり漂っている。


「し、島…?」

「そう!横切ろうとしてたからさ。よかった〜脱出成功だね!」

「良かったけど良くない!」


 口から心臓こぼれる、と胃液がせり上がった。アルバはそんなセイカをよそに、村では見たことがない満点の夜空に目を奪われていた。


「ーー私をたずねる竜は君たちで…何匹めだっけ?まあいいか。

 おお、いやね。そんな怖いものを見るような顔をしてどうしたの?」


 そこには若い女が立っていた。しなやかな体つき。箒にしなだれかかり、長さの揃わない赤黒い髪を腰まで垂らしている。体のラインが浮き出た服の上にローブ、サイズが大きいとんがり帽子を目深にかぶっていた。蹄のある鶏を抱えていて、それがコォー!と時々不気味に鳴く。

 竜化した竜族特有の爬虫類の緑瞳が縁者であることを物語っているが、最大の証である二本の角はない。


「誰?」


 アルバが臆せず聞いた。


「おいで子どもたち。何を願ったのかは知ってる。簡単に叶えてあげられるわ。おうちに帰してあげる…」

「ありがとう」

「でもお代はいただくわ!さあおいで…

 うふふ…おまえ様がひらいたのはどの扉かしら?あなた様がひらくのはどの可能性かしら?うふふふ久々ね、わくわくしちゃうわ」


 鶏の鳴くリズムに合わせて左右にふれて踊りながら歩き出す女。

 セイカは怪しい女を警戒して沈黙を守った。ブンブンと首を振って、ついていくなとアルバに示した。

 だが案の定アルバはセイカの手を引っ張って女のあとを追った。セイカは躊躇うことなくずかずか進む彼に従うしかなかった。


 島の真ん中には一軒家が建っていた。水もないのに、表の水車がカラカラと音を立てて回っている。

 石と木でできた家は住人とは似ても似つかない素朴な出来だ。


 素朴な。その印象はすぐに打ち砕かれた。


 扉を抜けるとまた扉があった。多層になった構造は住人の狂気を確かに示していた。


 数枚の造形の違う扉を開いていくと、最後には見慣れた二人の我が家の居間が現れた。部屋が丸ごと拡大されたように、二回りほど大きいのが不気味だった。


「ワォこれが君の原風景なんだね、アルバ。君が最も帰りたい場所」


 女は大きな椅子に飛び乗った。足を組んでパイプタバコを吹かしている。鶏はあちこち突きながらうろつく。


「なんで名前…」

「私の扉を開いたろ?鍵を使ってさ」

「秘密基地の天井扉のことだよね?鍵なんてかかってなかったし、持ってないよ」

「いいや、扉は鍵がかかってるものだ。確かに君は口にしたはず、そう!私の一番好きな鍵'言葉'。『なんでもする』!」

「おばさん不審者だね。同胞なの?」

 セイカが訝しげに聞いた。


「見ての通り私は竜だよ。でもそっちより相応しい肩書がある。

 ーー魔女。私は扉の魔女。可能性を選ぶ魔法使いだ」


 チロ、と赤い舌が形のいい唇を舐めた。


「魔法っておじいちゃんが見せてくれた…」

「え!ワタシも見たことない。大人しか使えないのは知ってるけど」

「あはは!成人の儀?まだやってんだ、これだから原始の民は」

「原始の民って何?」

「長い歴史の中で竜族も枝分かれしてね、私はその別たれた民の末裔なのよ。だからほら人間と混じって角もない。対して君らは大元の一族で…ってそんなのママに聞けばいいでしょう?」


「ーー私は退屈で退屈で死にそうになってるの。

 一瞬を永く感じるタチでね。

 さあ早く君らの可能性を見せておくれ!」


 パチと鳴らした指と同時に床下が抜ける。二人は気づかないうちに扉の上に立っていたようだ。


 アルバは尻から落ちた。

 鈍い衝撃を味わう前に、一面の黒い空間に浮かぶ無数の扉がアルバを打ちのめす。


「嫌な予感しかしない…」



「さあ最初の扉を開けて!


「早く〜」「開けろっ」だの煽る魔女の掛け声があちこちから響いてきた。

 アルバは考えても仕方ないと、一番近くにあった焼けこげた扉を開いた。どこか見覚えのある灰色の街並みが広がっていた。

 似つかわしくない扉が二つ並んでいる。


「一瞬の激痛と一生の鈍痛どちらを選ぶ?」


 前者の素朴な木造りの扉は小さな子どもの手作りか、不細工な形のリボンや''友達''を描いた絵なんかで飾られていた。場から浮いている、むしろ不気味さを醸し出している。


「そっち!2択だよ?もっと悩まないと!」


 魔女の揶揄を無視して、さほど悩むことなく開いた。

 先ほどの光景とは雰囲気が一変して、静かな月夜に見下ろされた大きな城を目の前にあった。穏やかな水音がする。


「また2択?自分が好きな人と自分を好きな人、どちらを選ぶ?おや、究極の選択だね、面白そう…ってねえ!」


 同じ造形の扉が二つ。アルバは片方を簡単に開いた。


「ねえねえもっと悩まないと!選択って重いんだよ、後悔しますよ」

「どっち選んだって後悔はすると思う…だから、惹かれた方を直感で選ぶ!」


「ハイハイ…そういうのって分かってないからだよね、重みが。もしくは思考の放棄。人生を変える選択だと思った方がいいよ。

 な〜んて、私にしては優しいご忠告」


 またもや空間が現れた。

 今度は狭い。両側をそびえたつ崖に仕切られている。前後に扉があった。


「過去か未来か。あらどっちを選んでも本質は一緒だわ。こんなの選ばなければいけないなんて残酷ね」


 アルバは迷わず体が向いていた方を選んだ。

 その先は冷たいひやりとした空気と血の臭いが充満する荒野の真ん中だった。満天の夜空の下、「何か間違った?」とアルバは初めて不安になった。


「託して殺すか奪って救うか。手遅れじゃない?いいえまだ。さああなた様の可能性は?」


 アルバは最後の2択に手をかけた。最早どちらでも良かった。

 そこは自室だったのでアルバを安堵させた。自分のベッドに横たわる骸骨が目に入るまでは。


「うっ、うわあああ!」


 床板だったものが、むせかえるほどの甘い匂いを発する花畑になっていた。


「しっしんでる…!?」


 魔女が現れて言った。


「そりゃ死ぬわ。人間って死ぬわ。いいことよ。知らなかったの?」

「なんなのこれ…!何がしたいの!?ここが最後!?」

「死んだからね。人生の最高の最終地点に辿り着いたのよ、おめでとう」

「この先は…?」

「終わり。遊びは終わったでしょ、欲張らないで」


 パタパタとパズルが崩れ落ちるように空間は姿形を元いた居間に戻した。

 すぐ横にセイカがへたり込んでいた。


「今のって何なの!?」

「これはねアルバあなた様の未来、可能性の旅路」

「こっこんな訳わかんないのが?」

「その通り正しい選択をするための材料がいつでも揃っているとは限らない。でもあなた様の場合は少なすぎるのも確か。更に言えば必ず2択、極めて珍しい…ついでに選択の数自体も極端に少ない…ぶつぶつ…あなた様とっても興味深くって…」


 恍惚と早口に独語を続ける魔女。アルバの周りをうろつき回り、舐めるような視線が全身に注がれた。

 アルバは「悪いものには関わらない」という母の教えを反芻するはめになった。


「アルバ、まだあなた様から代償は頂かないことにするわ」

「なっ何の代償だよ?」

「願いをかけて扉を潜った。地下で餓死したくないって願いをね。欲望には代償が要るものよ。

 さあ最後に私の魔法の恩恵を授けてあげる」


 魔女は箒を振るって正面から歩み寄ってきた。


「幸せになりたい?」


 アルバは問いに素直に答えた。


「なりたい…」

 

 魔女はアルバの耳元で囁いた。


「なら『何もしない』で代償を払うことね」


 アルバはその温度の無さに本能的に体を引いた。パタパタとまたも空間が崩れると同時に魔女の姿も遠のいていった。



 アルバはセイカと二人、暗闇に取り残された。ぽっかり一つの窓が浮かび上がっている。窓からは見慣れた夜の村の光景。ほとんど通ったことがない村外れの道が見えた。


 窓は親指と人差し指を目一杯開いたくらいの隙間が空いていて、誰かの話し声を涼しい風がのせてきた。


「お前があの魔女の誘いに乗って勝手に外界に行って、連れ戻すために何人が犠牲になったのか分かるか!!?」

「そうだな。まさか貴重な同胞を5人も失うなんて!しかも結局任務失敗なんてとんだ無駄死にだよな?5人を捧げてくれるほど俺を愛していたとはね!驚きだよ」

「黙れ!!お前のためではない、ヒルシュマのためだ!」

「その母さまはずっと死にたがっているみたいだけど?頭の方がダメになってんのに無理に生かして、拷問癖治ってないんだ?」


 頬を殴る鈍い音がして、アルバは思わず自分の頬が無事か撫でてみた。

(ひえ…物騒な…とても出ていけないよ…)

「クロ兄?」


 いつのまにか隣でセイカも会話に耳を立てていた。


「俺がなんでわざわざ戻ってきたか分かる?未練だよ」

「なんだそれは。聞き苦しい言い訳だ。

 つまるところお前は理解したのだろう?外界に我々が人として生きていける場所は存在しないのだと」

「…」

「渦神に感謝するがいい、お前の裏切りの最もらしい理由づけになった。一生同胞に尽くし詫びて生きろ、それをもってお前の成人とする」

「!ジジイ…俺を閉じ込めておけると…」


 アルバは盗み聞きを悪い気がして囁いた。


「だいぶ仲悪いんだねぇ、セイカ…」

「嘘つき」

「なにが…」

「神様じゃない、クロ兄はあの魔女に連れてかれたんだ。母さんはそれを隠して…外では生きられないってなんで?何も知らない。教えてくれない…」

「…」

「だったらもう確かめるしかないよ」

「え?」


 目を見張る間にセイカは勢いよく窓を開けて飛び出して行った。


「話は聞いたわ」


 アルバは投げやりな気持ちで窓下の草地に飛び降りた。今まで隠れていたところがどこかの納屋だったのだと知った。


「全部教えて。ワタシが知りたいこと全部って意味だよ。クロ兄が神様じゃなくて魔女に選ばれたって村中にバラされたくないのならね」

「…どこから聞いていた?」

「それはそう、全部よ」


 叔父は長く息を吐いた。


「妹そっくりの大した嘘吐きだな。吹聴は好きにするがよい。最もお前のような小娘の言うことなど誰も本気では聞かぬだろうがな」

(そりゃそうだよ…)


 アルバはセイカには悪いが、ここで斬り捨てられなくて良かったと思った。


「こんな時間までどこ行ってた?」


 セイカが不服を訴える前にクロエドが聞いた。「それはその…」アルバが圧に押されて言い淀むが、「魔女のとこ」セイカはハッキリ答えた。


「またあの女は…はあ。おかげで自警団長様にお前らの捜索頼むとこだったよ」


 クロエドの父である叔父は、族長の息子でもあり村の自警団の長である。


「…痛む?」

「俺の名誉を売ろうとしてたのは忘れてないぞ〜セイカ」

「…ごめんなさい」

「…聞きたいことは俺が答えてあげる。叔母さんには内緒にしてな」

「セイカ〜はじめっからクロ兄に聞いておけばよかったんじゃ?」

「う…」

「好機と思ったら考えなしにすぐ飛びつくんだから」

「ゴメン…叔父さんワタシにだけずっと冷たいし、弱み握れると思ったら…」


 セイカが時折勇気ではなく無謀を発揮するのがアルバは嫌いではなかった。周りを顧みず行動しがちなアルバを止めるのはもっぱらセイカの役目。それが逆転するのが二人が似たもの同士だとかえって分かるのがいい。


 二人は両脇で兄貴分の腕をしっかり抱きかかえた。島で見た夜空の美しさには及ばないが、心地よい淡い光を放つ星々が彼らを見下ろしていた。既に真夜中で村中が寝静まっている。


「今日は叔母さんも爺さまも帰ってこないって。家出がバレなくてよかったな。にしても今までどこにいたんだ?」

「あのね御神木のとこ…内緒にしてね?ワタシたちのね、秘密基地があるの」

「もしかして根に隠れた地下貯蓄庫?」

「そうだよ!なんで知ってるの?」

「うーん今察した。俺も引っかかったからね、そこの扉に。二人もでしょ?」

「そう…」


 アルバは『なんでもする』という一文を頭に浮かんだ。この完璧にすら見える大きな存在の兄に、なんでもすると言わしめた願いとは何だったのだろう?


「魔女が外に連れ出したの?」

「まあね。外界…っていうか多分俺が暮らしたのが世界の真ん中で。大きな学舎に通ったんだ。あの時はびっくりしたな、魔女の扉を潜ったら全員同じローブを着た人間がズラーっと…」

「人間がいるの!?」

「人種は人間が一番多いよ。アルバも外界のどこかで生まれたはずだ。帰りたくなった?」

「(ジンシュ?)…ううん。ボクの原風景?ってやつははあの家だったから」


 クロエドは顔を引き攣らせて「へー」と絞り出した。


「帰りたい場所が今いる場所だなんて、これ以上ないね」


 クロエドは自身の原風景を思い出した。

 想像もつかない世界の色。草木の青い匂い、踏みしめた土の柔らかさ。胸いっぱいに広がる澄んだ空気。果てしなく広がる地、遠くの地平線。

 記憶にない場所なのに、何故か懐かしい…



「クロ兄どうして戻ってきたの?外は…そんなに悪いところだった?」


 セイカは少しだけ恐れていた。本当は外界は自分が描くほど大したところではなく…弱い自分を劇的に変えてくれるほどの何かを、それは持ち合わせていないのではないか?と。


「そんなことないよ。セイカにここは狭すぎるよな。いつか自分で確かめて…いや、何なら…一緒に悪いことやってみる?」

「悪いこと…?」

「冒険はいつも、ちょっと後ろめたいものなんだよ」


 アルバは悪い誘いに胸躍る気がした。




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