第7話 憧れは遥か空の彼方まで

目の前にいる存在は、あまりにも巨大だった。

まるで黒い小山が空に浮かんでいるようだ。

ドラゴンは、スタン達など眼中にないようだ。

目の前にいるワイバーンを見下ろし、鎮座している。


その存在感はほかの何をも圧倒し、周囲の空間を支配している。

その強烈な雰囲気に、スタンのみならずワイバーンすら圧倒されている。

瞳にはドラゴンに対する畏れが浮かんでいるように見えた。



微動だにしなかったドラゴンは、ゆっくりと口を開く。

その瞬間、スタンにとてつもない悪寒が走る。

このままここにいては、間違いなく死ぬ。

そんな予感が、体中を駆け巡る。


スタンは駆け出し、できるだけ距離をとる。

ふと、ラネアのほうを見れば、彼女も安全なところに逃げ込んでいる。

ひとまずは大丈夫だろう。




ある程度まで離れたところで、スタンは再びドラゴンを見る。

ドラゴンは動いていない。

ワイバーンと対峙したままだ。


対するワイバーンは、やはり動いていない。

蛇ににらまれたカエルのように委縮しているように感じる。


やがて10秒ほどたった後。

動いたのはワイバーンのほうだ。

口を大きく開き、息を吸い込む。

あれは、ブレスだ。

どうやらワイバーンは目の前のドラゴンに、勇敢にもあるいは無謀にも攻撃を仕掛けるようだ。



大きな予備動作の後、ワイバーンの口から爆炎が放たれる。

その炎は、アルモアを焦がした炎より、先ほどの岩に放った炎より、なお強大な一撃だった。


激しい炎の奔流は、空を駆けドラゴンの元まで届く。 そのはずだった。

ドラゴンの口内の中に、炎がきらめいた。

そして次の瞬間、勢いよく炎が放たれた。



矮小な飛竜の操る炎など、児戯の如し。

空を上る爆炎を地に駆ける豪炎が焼き尽くす。


ドラゴンの放つブレスは瞬く間にワイバーンに直撃し、炎が体を包み込む。

スタンが見たそれよりも何倍も強力なブレスだった。

ワイバーンは悲痛の叫びを挙げ、数秒と立たぬ間に全身が焦げあがる。

肉の焦げる匂いが辺りに広がり、飛竜の巨体が倒れつくす。



スタン達を襲った災厄は、また別の災厄によってあっけなく倒された。

スタンが呆然として立ち尽くし…… 竜を、見る。

竜は静寂の中で、悠然と佇んだままだ。


竜は、あたりを一瞥し、そばにいる人間へと視線を向けた。

竜の視線とスタンの視線が交わる。

目があった。

その瞬間スタンの眼から涙がこぼれた。


理由はわからない。

先ほどの光景への恐れからだろうか。それとも竜へ会えたことからの歓喜からだろうか。

もはや何もわからない。


竜はわけもわからず涙を流し、立ち尽くす人間に興味を失ったようで、視線を空に向けると翼を広げ、大空へと飛び立つ。


あっという間に遠くへと離れる。

スタンは駆け出した。竜を追いかけるように。

追いつけないとわかっている。それでも走りださずにはいられなかった。


やがて小高い場所に出る。スタンはようやく走るのをやめた。

息を切らしながら、遥遠くを飛ぶ竜を見る。



あの頃の光景と同じだった。

心の奥底で幼い自分が目を輝かせている。

スタンの脳裏で、あの日の思いがフラッシュバックする。

竜に対する畏怖を、青い空を駆けられる羨望を、伝説を目の当たりにした興奮を。

……何者にも縛られず、己の力で自由へと翼を広げる偉大さを。

そして新たにスタンは理解した。


(―――ああ。俺は、やっぱり……)


「スタン!」

後ろから響く声が、感慨にふけっていたスタンを意識を呼び覚ます。

ラネアだ。彼女は息を切らしながらスタンに近づく。


「ラネア……怪我、ないか?」

「何とかね……それよりも、さっきのって……」

ラネアが尋ねると、スタンはつぶやく。

「やっぱり、あれは見間違いなんかじゃなかった」

感慨深そうに、そうつぶやいたのだった。



スタンとラネアは再び村への道を歩く。

ラネアは軽い傷を負ったぐらいで体には別状はなかった。


二人は無言で歩く。

村まではあともう少しだ。



「ここまでくれば、大丈夫かな」

村が見える距離までついたところで、ラネアが口を開く。

「私はもう行くよ」

「ありがとう、ラネア。おかげで助かった。ろくにお礼もできてないけど……」

「ふふ、お礼だなんて。私が好きでやったことだよ。気にしなくていい」

ラネアは穏やかな笑みを浮かべて答える。


「そうはいかないよラネア。俺は命を救われたんだ」

スタンがそういうと、ラネアはしばらく考えた後、

「……じゃあ、また会いに来てよ。ここで一人で暮らすのは、楽しいんだけど……90年も一人だと、たまに寂しくなるからさ」


ウッドエルフは人間よりも長寿な種族だ。

故にラネアのように若そうに見えても、人間の何倍も生きている可能性がある。

「……なんだそんな年上だったんだな」

スタンが笑うと、ラネアも笑みを浮かべる。

「意外でしょ?」


二人は笑いあった。

短い付き合いではあったが、確かな絆が生まれた気がした。



「俺さ、さっきのあれを見てわかったよ」

「なにが?」

「……俺はあんな風に強くはなれないってさ。俺は、世界の中でもちっぽけな存在で……弱い存在なんだ。竜にあこがれてたけど……馬鹿らしくなっちまった」

「それが良いよ。あんな力、持つもんじゃない」

ラネアは笑いながらそう言った



「だから俺はさ……探してみるよ、自分に合った生き方を。自分の身の丈に合った強さを身に着けられるようにする」

ラネアはうなづく。

「……それじゃあ、また」

ラネアは小さく手を振ると、背を向けて歩きだした。

少し歩いたところでラネアはあゆみを止める。

「応援してるよ、スタン。君の望むものが手に入れられるように祈ってる」

振り向かずにそういうとラネアは再び歩き出した。




「あれ……スタンだ!おーい!スタン!」

スタンが村にたどり着き、村の中を歩きまわっていると。

近くで見知った声が聞こえる。

サルフェンだ。どうやら無事だったようだ。

「サルフェン!」

スタンは駆け寄る。


「ああ、スタン無事だったんだ!」

サルフェンの近くには、アミルもいる。

二人とも、スタンの到来を待っていたようだ。

三人は互いの再開を喜びあった。




「二人とも……その、俺一人だけ逃げちまった……本当に、ごめん」

頭を下げて、謝罪を行う。

謝っても謝り足りないほどの行いだった。

殴られても仕方がないだろう。

だが、

「しょうがないよ、スタン。あの状況じゃ仕方がなかった」

「頭上げて……別に怒ってないからさ」

二人は笑って、気遣うように許してくれた。


「ありがとう……」

「とりあえず、今は帰ろう……アルモアの葬儀もしなきゃならない」

ともかく命は助かったのだ。これから挽回のチャンスはいくらでもあるだろう。



三人は、村の酒場で少し酒場で体を休めると、ランドレストに向けて歩き出す。

出発する途中で、ふと、羽ばたく音が遠くから聞こえた。

スタンは山のほうに目を向ける。

遠くのほうで、見えた気がした。

どこまでも広がる大空を、自由に飛び回る竜の姿を。

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竜と青年と……あの日の空 ひろ・トマト @hiro3021

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