大きすぎる棺桶

龍田乃々介

大きすぎる棺桶

「あの、あっち、安置室って書いてますけど……通り過ぎてませんか?」

納棺の儀へ向かう道中、何人かの親族が疑問に思っていたことだ。喪服をきっちりと着こなした葬儀社の男性は足を止めると、苦虫を噛みつぶしたような顔をする。

「はい。実は、先ほどお伝えした御棺がですね……」

唇を引き結び、何かをくっと呑み込み堪えて、言った。

「本当に、大きすぎまして……安置室に入れることができませんでした」



親族一同が案内されたのは葬儀式場だった。よく効いた冷房で冬の朝のように冷えたその部屋の奥には、見間違いかと疑うような大きな棺がある。

「でかい……。クジラ用の棺桶と間違えたんじゃ……」

「ちょっとあんた!」

故人の息子の一人、長男の一博かずひろが零すと、その妻の美智子が彼を叩いた。

しかしそこに会した者はみな同様の意見を抱いていた。

──大きい。大きすぎる。

縦の幅は10メートル、横幅は3メートルほど、高さは一博より頭一つか二つ分高い。朱色の地に金や緑の豪奢な装飾が施されたそれは、もはや棺というより部屋だった。

「ど……どうやって、ここに入れたんですか、こんなの」

「えー……、生前ご尊父様とお手続きいたしました担当の者が業者を手配しておりまして……」

「業者?」

「ご尊父様ともご縁のあられた建設業者さまと伺っております。その方々が資材を運び入れ、ここに……」

「建てちゃったってことですか……」

質問した長女、桜の意識は巨大な御棺の向こうまで飛んでいきそうだった。隣で夫の拓海が支える。

「あの中に、お父さんが?今?火葬するときはどうするんですか?」

次女の玲子が尋ねる。葬儀社の男はまた、苦々しい顔で答えた。

「業者の方々が再度来られまして、御棺を解体いただけるとのことです。分解しやすい構造となっているため工期は半日とかからず、特別にご契約なされた火葬場に運搬後、もう一度組み立ててくださるそうです」

工期、という聞くはずもない単語に全員の意識が集中した。そこから最初に抜け出したのは、長男一博の息子、篤史だ。

「あの、なんでこんなデカいの使う必要があるんですか?普通の小さいのは?」

「あのねぇ篤史、こういうのはお父さんが生きてるときに決めちゃったら、あとからどうこう言えないもんなのよ」

「でもこんなの、燃やすときも困るでしょ。おじいちゃんなんでこんなデカい棺桶にしたんだよ」

「こら!不謹慎でしょ、死んだ人に向かって!」

しかし、誰もがその言葉通りの疑問を抱いていた。なぜこんなにも大きな棺を父は、祖父は手配したのか。この中に一体、何を、どれだけ納めるつもりだったのか。

「あ、副葬品」

閃いたように口にしたのは、次女の娘、早苗。その手には棺に納めようと持ってきた祖父との思い出の品、木組みのパズルが握られていた。

「いっぱい、納められるように……?」

「あ、あー……。…………えぇ?」

「にしたって大きいよ?おじいちゃんの家の物全部入れられそうなくらいだ」

言いながら、次女の夫である藤太が棺へ歩み寄る。通常、棺に掛けられるものでは断じてない備え付けの梯子の元へ来て、靴を脱ぎ、しっかりと縁を掴んで慎重に上った。

棺は閉じられている。だがアーチ形をした天面には観音開きの扉が付いており、上から開くことができた。

藤太は中を確認する。

「へぇ……」

「どうした、藤太くん。中はどうなってる?」

「一博さんも見に来てください。いや、みんなも……は大丈夫なのかな、下……。よし、一人ずつ見に来て」

藤太が下りると長男の一博が、次はその妻美智子、そして子の篤史が棺を上った。次は長女の桜が、そして夫の拓海と子の春香、秋奈が確認する。最後に次女の玲子、彼女と藤太の娘早苗、息子の要が中を覗いた。


中を見なかったのは、葬儀社の男だけ。

彼だけがこの場でただ一人、正気だった。


「そういうことか、副葬品だな、ありゃ、確かに」

「なんだそういうことだったのねえ、もうお父さん寂しがりだったもんねえ」

「あんなに広いと帰って寂しいだろうにね」

「副葬品ってたしか燃えにくいものとか燃やすとダメなものは入れちゃいけないのよね」

「うん、貴金属とか、化学物質が出るようなものは入れちゃだめらしいよ」

「じゃあスマホとかは入れられないね」

「服は?化学繊維でしょ?」

「大丈夫よ秋奈ちゃん。服は捨てる時燃えるゴミでしょ?」

「でも残念だ。この時計結構高かったから、どうせなら一緒に持って行きたかったんだけどな」

「要はどうするの?おじいちゃんとはあんまり会ってないよね?」

「うん。でもこんな豪華な棺なんだし、僕はいいよ」


親族一同は急にがやがやと話を始めた。冷たい部屋の中、熱に浮かされたようなはしゃぎようで。


「でもこれから通夜があるだろ?どうすんだ?」

「誰か残ったらいいんじゃない?あたし残ろうか?」

「こういうときは喪主でしょ、親父」

「だったらどうせだしみんな残る?火葬場でまた組み立てるんでしょ?そのときでいいと思う」

「そうだね、葬儀と、親戚みんなでの食事の予定もあったし」

「え~!長いよ~!」

「わたしそんなに待てない。もう今すぐ入りたいくらい」

「私も。残りたい人だけ残るっていうのはどう?」

「玲子、そんなこと言ったら誰も残らないよ。僕もう時計外したし」

「要、先入ってよう。残るとしても私たちじゃないし」

「うん。あ、でも待って、お菓子持って行きたい」


「あ、あの、ちょっとみなさん。何のお話でしょう?どうされたんですか?」

どんどんと進む話に葬儀社の男が割って入る。


「あ…………」


か細い息が喉からこぼれる。

しまった、そう思った。

二十二個の目玉が一人の男を射すくめる。

男はすぐに後悔した。


聞くべきではなかった、と。


「ああ!すみません身内だけで話を進めてしまって!」

「そうだわ!せっかくだしこの人も一緒に行くのはどうかしら!」

「いいかも!ちょっとくらい余裕あるだろうしね!」

「考えてみれば、誰も残らなくても葬儀場の人がどうにかしてくれるわよね!」

「そうだね!その通りだ!誰も残らなくていい!ここにいるみんなで入ろう!」

「あたし一番がいい!最初に入る!」

「だめ!わたし!わたしが先!」

「こらこら!走ったらあぶないわよ!あはははははっ!」

「ははははははっ!待て待てー!ははははははっ!」

「あはははははははははっ!」

「お姉ちゃん待ってー!僕も!僕も!」

小さな男の子が走り出す姉と父を追いかける。双子の女の子たちは奪い合うように梯子を上り、残りの複数の男女は葬儀社の男を掴む。押したり、引いたり、無理やりに、棺の方へと運ばれる。

「なに、なにをして!いたっ!ちょっと!なんなんですか!なんなんだっ!!」

男は必死に腕を振り回し足をばたつかせ暴れるが、気にする様子もない遺族たちに力ずくで押しやられる。荷物のように梯子の上を渡され、棺の天面を引きずられて、ついに観音開きの扉へやってきた。


そして、その中を見た。


「あっ…………」


喉を鳴らしたような短い音。

そしてただ一言。

震えていない声で。


「あぁ……」




その日、不可思議な行方不明事件が起こったことを、地元の新聞が小さな記事で報じた。

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