第9話 白き地獄



「「…………」」



 視界が赤と黒だけの世界から解放された者達が、目の前の信じられぬ光景に絶句する。



「…おい、空にが開いてるぞ」



 恐らく団員の誰かが、か細い声でそう言った。


 徐々に霧散しつつある分厚い雲に大きな穴が穿たれ、そこから差し込む陽の光がその真下にある“地獄”を照らしている。


 地獄と呼ぶには、それは――余りにも美しかった。



「あああああああぁァァ!!」



 とある金髪の魔術師が絶叫しながらその場を逃げ出していく。

 恐らく、自身が小便を撒き散らしながら狂ったように爆走していることに当人も気付いていないか、最早、その様な些末なことなぞどうでも良くなったのか…。


 他の団員も隊長も団長すらも、もうそんな男のことなどどうでも良くなって呆けていたのである。



「……見たか?」



 その声に全ての者が震え上がった。



「これが我が力……この悪霊王エクスゾンビの力だ!! アーハッハッハッハ!!」

「「…………」」



 その地獄を地上に作り出したであろう人智を超えうる魔術師が、その崖下にある地獄を背に高笑いする様をただ、ただ…その場に居る者は“恐怖”した。




 ****




 その魔術師の文字通り仮面を着けた青年の影の中。


 青年とそこに巣食う悪魔とが邂逅する闇よりもずっとずっと――底深い闇。


 その底の闇で、闇そのものが歓喜のままに脈打ち、胎動していた。


 その肉と臓物の海の中心には銀髪で赤い水銀の瞳を持った豊満な・・・女の姿があった。


 女は赤黒い血潮に浮かびながら恍惚としていた。



「ああっ…久方振りだ…! こんなにも満たされたのは!!」



 女は今なおジャブジャブと己の肢体で遊ばせている体液のプールを通じて自身に流れ込むものに頻りに嬌声を上げながら身悶えする。



「アント…アント! アントォ!! はぁ~っ……愛しているよ…アント。やはり、君を選んで良かった。君と出逢えたのは、この世界では唯一の成功・・だよ…」



 女は血濡れの両手を遠い光の向こうでひとり笑い続ける薄幸の青年に向って愛し気に伸ばす。



「君は…永劫にボクのもの。ボクだけのものだ。そして、ボクも君のものなのさ。君が望むままにこの身の全てを与えよう! そうすれば、最期は結局、ボクと君は一つになれるのさ…クックックッ…!」



 一頻り、光の先の青年を愛でた後、女の身体がプールと血肉の壁に沈んでいく。



「フフフ…思い出せ、世界よ! この悪魔メファヒードを! そして、震えるが良いさ。ボクをあんな窮屈な所に閉じ込めていた連中共め。この世界はボクの……いやいや、違うな。――ボクのものだ。哀れで愛しい被捕食者たちよ、震えて待っていろよ? クッククッ…クハハハハハァ!!」



 そして、闇の中の笑い声もまた深く沈んで失せ、ただ、静かに影の中の胎動が響くのみとなる――




 ****




「偉大なりしムスペルブルよ…見知らぬ闇に怯える愚かな我らに、その知恵と勇気を授け給え…っ!」



 菱形立方体のペンダントを握り力を籠めて念じた男が顔を真っ青にしながら胸元にそれをしまう。

 傭兵団“ピポグリフの蹄”の隊長である。



「隊長、知識神へのお祈りですか?」

「…………」

「いや、俺だって普段は神なんて信じちゃいないが、教会に出入りできる卑しくない身分なら…そうもしたくもなるぜ……」




 隊長に随行する彼の部下である団員達の顔色も決して良くはなかった。

 

 此度は団から一切の被害が出ない他に類をみない快勝であるというのにだ。

 まあ、団の現在の状態などの些末なものを省けば、の話ではあるのだが…。



 彼らは陣営のある崖下に降りていた。


 敵陣の壊滅状況を検め、生き残りの残党の有無の確認、戦利品の押収などが目的の偵察である。

 そして、速やかに団長、延いてはこのロバリバ近郊を治める男爵家に報告する為だ。



 「「…………」」



 ほんの数十分前まで、千を超えるオークの軍勢がその場に居たとは思えぬほどの静けさがその場を支配していた。


 一見、彼らの目の前に広がるものは場違いと思えるほど現実感の湧かぬ白い砂丘か雪原のようにすら見える。



 風で巻き上がる白いもの・・・・が無言を貫く隊長たちに降りかかる。



 幻想的な光景に対し、その正体・・に既に見当が付いている隊長らはそれに嫌悪感を隠し切れず、無理と解っていながらも手で払ってしまう。



「見ろ。草木一本残さず灰にしちまったってのに…地面は一切焦げてもいない。あの死霊王が極大の閃光魔術でオーク達を焼き殺したのかと思ったんだが。……あの広範囲で生き物・・・だけを対象にした? いや、まさかな…そんなことが…」



 隊長が徐に膝を突くと僅かばかりに剥き出した地面の土を手に取って指先で崩す。



「うわっ! 冷たい!?」



 部下のひとりが驚きの声を上げ、地面から拾い上げたの鎧を手放す。


 ――いや、空ではなかったか。


 ズシャリと重々しく落ちた鎧から大量の真っ白い塩と灰・・・がサラサラと流れ出ていく。


 そうなのだ。


 この一帯を覆う白い砂の正体こそ…その辺に無造作に転がるものの中身・・であったものの成れの果てである。



 彼らはこれまで傭兵として幾つもの戦場を行き来してきた。

 それこそ本当に凄惨で血や臓物が散乱するような“地獄”の中を行軍したことだってある。


 だが、そんな強者である彼らを以ってしても、この“白い地獄”は余りにも奇妙で…不気味で…美しく…そして、何よりも恐ろしかったのだ。



「……隊長。すみません」

「魔力汚染はないとは言え、迂闊に手袋を外すな。何があるか・・・・・判らん」

「魔力汚染の有無が御分かりになるんで?」



 隊長は今更になって部下に魔術師はいなかったなと苦笑し、自身の余裕の無さを恥じた。



「その鎧は魔法金属製だ。大した金属じゃないがな。だが、低位のものほど魔力の影響を受け易いんだ。魔術、つまり強い魔力にさらされた場合。変形したり、色が変わったり、性質そのものが変わったりな。……だが、その痕跡は一切ない」

「はぁ~なるほど」

「え? じゃああの仮面野郎が使ったのは、魔術じゃないんですか!?」

「……正直判らん。奴の魔力は一切俺には見えなかったからな。だが、魔力を使わなくとも魔術のようなことが可能な場合・・・・・は確かにありはする。それこそ高価な魔道具や錬金術の類。それに、一部の呪術も魔力を精神力で代用するだとか聞く。が、そんなものでこの状況を起こせるとはとても考えられん」

「ちっくしょー。俺も魔術が使えりゃ何か解るかもしれんのに…」

「そういや、隊長。ジェラルドの野郎はどうしたってんです? あの様は…」



 腰を上げて手から土を払う隊長に部下のひとりがそう尋ねる。

 あの嫌味な自称傭兵団で最も優れた魔術師様の話題をやや強引に振ったのだ。

 彼はこの光景から気を逸らしたい一心であったのかもしれないが。



「あの野郎! 死霊王にビビッて逃げ出しやがってよぉ~」

「小便まで漏らしたのには呆れたがな。でも、恐らくオークに金貨1枚なんて言い出しといてこの結果だったからケツまくって――」

「いや、違うだろうな」



 意外にも嫌われ者の上にこの場から逃亡したジェラルドを庇ったのは隊長であった。



「なんであんな野郎の肩を持つんで?」

「アイツは一番に死霊王を疑って掛かっていた。あの光の柱を出す間際も瞬きもせず魔力視を使っていやがったんだろう。そして――見ちまったか、気付いてしまったんだと思う…。きっとそれで壊れちまって、ああなった・・・・・

「な、何を見たってんですか?」

「……さあな。俺や他の団の魔術師は幸運にも・・・・何も見えずに済んだ。世の中、知らない方が良いことがあるってこったろう。さ、行くぞ」

「「…………」」


 

 重苦しい雰囲気のまま、隊長達は白い地獄の中を進む。



 ふと、先行していた男爵の騎士やロバリバの冒険者達が綺麗に残った野営地のテントの中を覗き込んで固まっているのが目に映る。



 その足元にはテントの中から溢れ出す白い砂が堆積するばかりだった。



「…酷え。全員、身に着けてるものだけ残して、跡形すら残ってねえぞ」

「おおっ神よ…!」



 冒険者は嗚咽を堪え、騎士の中には敵であったオークの為に祈る者の姿まで見受けられる。



「「…………」」



 顔を顰めた隊長らがその先行した者達と合流しようと歩み寄った、その時である。



「生き残りがいたぞぉー!!」

「穴を掘って隠れてやがった!? 武器は持ってない! 女子供ばかりだ!!」

「戦えないオークか。死霊王にも慈悲・・があったのか…。いいや、そんなことは期待するまい。――いいか! 絶対に傷つけるなよっ!!」



 近くの斜面から発された声に隊長がそう応える。



「その者達も…奴の立派な戦利品・・・だ」





 ****




「ン~♪ フ~ン♪ フンッフ~ン♪」

「「…………」」



 まるで葬儀のように静まり返る傭兵団団長の天幕中央奥に置かれた目立つ飾り椅子(簡易玉座のようなもの)にドカリと腰掛けて呑気に鼻歌に興じる者がひとり。



「お、おい。何だよあの魔術師? 千以上のオークを皆殺しにしておいて鼻歌なんぞ…怖過ぎるでしょ」

「馬鹿!? 死霊王とお呼びしなさいよ! 殺されたいのっ!?」



 そうヒソヒソ声で…否、こんな場では普通に喋っているのと変わらない声量で聞こえてしまう声と肘で互いを突き合う二名の女性団員。


 待たせている死霊王を世話するよう団長(とその他の傭兵)に厳命された勇気ある傭兵団の非戦闘員であった。

 普段はお茶くみや事務職を担当している妙齢の彼女らは、これだけ騒いでも一向に関心すら向けない仮面魔術師に抱く恐怖心と戦っていた。


 一応、陣に残った傭兵らも稀に様子見に来てくれるが、あの突如として世界を覆った暗黒とオークを殲滅した光の柱を目の当たりした者では、如何に屈強な野郎であっても彼女らと代わってやろうというほどの勇気が残っている者はいないことだろう。



 そんな彼女らが手に盆を抱えたまま、今度は脚での蹴り合いに突入したタイミングで勢いよくとある人物が幕の内へと入ってきた。

 その人物に彼女らは安堵からかやっと破顔して嘆息する。


 傭兵団“ヒポグリフの蹄”の団長マイストであった。

 だが、その表情は疲労か、それとももっと別のものが障っているのかやや土気色をしている。



 流石に待ち人であるマイストが来た為か、死霊王も鼻歌を止めて漂わせていた視線を空中から目の前の人物へとやった。



「大変お待たせしてしまった。死霊王殿」

「いや、構わないとも」



 脂汗を滲ませて頭を下げるマイストの言葉に死霊王は大袈裟に両手を広げて見せる。



「敵陣の様子見に出た隊長から魔術で文が来た。……オーク共は、貴殿の活躍・・により百数十名の女子供を除いて悉く全滅・・したとのことだ」

「ふむ。まあ、そうだろうな。……で?」

「……うむ」



 まるで「それがどうした?」と言わんばかりに、死霊王の反応はあっけないものであった。


 例えば、虫をうっかり踏み潰して死なせてしまったことを問われたかのようだ。

 悪気は無かった。

 ただ、足元にいた虫に気付かずに踏んでしまった…その程度だ。


 マイストはその余りに人の心を感じさせない振る舞いに身震いする思いであった。



「先ず、コレを受けとって欲しい」

「ほお?」



 マイストは抱えていた小さな子供の身体がすっぽりと入ってしまいそうなほどの袋を恐る恐る死霊王へと渡して下がる。


 中を覗けば、大小の金貨と銀貨。

 それに幾らかの宝石や貴金属の装飾品まで詰め込まれてあった。



「取り敢えず、団が今出せるものを掻き集めた。金貨で三百枚ほどはあるだろう。…金貨千枚とのたまっておいた手前、心苦しいのだが……残りは纏まった金が用意でき次第支払う。ということで了見して頂けないだろうか。頼む。この通りだ!」

「…………」



 マイストがほぼ土下座するようにして頭を下げ、それを見ていた女子二人も慌てて横に並んで平伏する。



 ズルリ…――ズシャっ。



 その音に驚いてマイスト達が顔を上げた。


 すると、死霊王が手にしていた金貨袋を、まるで石コロかガラクタのようにしか思えない雑な扱いで手元から床へと滑り落としていたのだ。



 そして、無言のまま片手をマイスト達に向って突き出して指を開く。



「わああああ!?」

「きゃああ!?」

「まっ待て! 待ってくれ死霊王殿!!」



 手を向けられた三人は悲鳴…いや、絶叫を上げた!


 報酬額に満足せず憤った死霊王に先の殲滅魔術をお見舞いされると血の気が失せたからである。



「隊長の見立てだが、貴殿の尽力でほぼ無傷でオーク達の戦利品と捕虜を手に入れることが叶った! 時間さえくれれば、それらで残りの金貨を捻出することもできるのだ!? お願いだ! どうか、我が団員だけは見逃してくれ!!」

「「だっだんぢょおおおお~!!」」

「…………」



 マイストは必死に床へ何度も頭を打ち付け、女子団員は恐怖から号泣してマイストにしがみついている。


 だが、その様を見ても無言を貫く死霊王。

 

 もはや、目の前の男には人の心がないのかと諦めかけた…と思えば死霊王の微かに乾いた唇が動く。



「5枚だ」

「……へ?」

「金貨5枚だと言っているのだよ。マイスト団長」



 死霊王が大きく嘆息すると、まるで精魂尽き果てた老人のように杖を突いて椅子から立ち上がり、もどかしい所作で金貨袋を何とか背負って見せる。


 その動作一つ一つがどうにも喜劇役者のように大袈裟で、やはりマイスト達を嘲ているようにしか見えない。


 だが、そんな事を考えている余裕のないマイスト達は腰が抜けて立てずに床を這って死霊王に道を譲った。



「これから常に我に金貨5枚を差し出せるように準備しておけ。日に一度、我……もしくは代理・・の者を寄越すとしよう。……団長。それで、よろしいか?」



 マイストはヌーっと顔を近づけてくる死霊王にまるで壊れた玩具のように首をガクガクと縦に振る。



「結構! ならば、それで商談成立だな? マイスト団長。今後とも何か困りごとがあれば、この死霊王に声を掛けてくれ給え。……なに、安く・・しておく。ではな――『わあぷ』」




 そう言って死霊王は天幕の中からまた不可思議な力で消え去り、残された哀れな三名は力尽きてその場に倒れ、数日間寝込むことになるのであった。



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最強の悪魔法使い~ただし、魔法は1日1時間~ 森山沼島 @sanosuke0018

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