森からの脱出


 川を渡り、そこから更に一週間休む事なく歩き続けたエリー一行は、漸く森の出口に辿り着く。

 目の前に広がるのは獣人達の領域〈ガルマスト共和国〉。自分達の慣れ親しんだ土地とは違う土地を前に、一人だけ先行したフォルトは一度森の奥、皆が待機する場所まで引き返し、皆で最後の休息を取る。

 まだ日は高く、温暖期という事もあり、心地良い日差しが森の中を照らす。こんな状況で無ければ絶好の昼寝日和だと、雲一つない蒼天を見上げながら、エリーは小さく溜息を吐いた。生まれ育った集落を捨て、初めての森の外を前に、少しの不安と大きな期待を胸に。

 だが、彼女達は未だ台風の目の中。動き出したのは台風かエリー達か、状況は刻一刻と変化していた。


◆◆◆◆◆◆◆◆


第三章 〜森からの脱出〜


◆◆◆◆◆◆◆◆


 休憩からかなりの時間が経ち、日は疾うに落ちた。周囲は暗闇に包まれ、森人達の視界は色鮮やかな世界からモノクロ一色の色褪せた世界へと変わる。そんな中、色鮮やかな世界でも色落ちた長い白髪を束ね直し、フォルトは立ち上がる。


「獣人の領域まで賊共が追ってくるとは思えぬが、そろそろ動くとしよう」


 深夜まで森の中で待機した理由は二つある。一つは単純に、森の外に初めて赴くエリーとリリアナの為の大休憩。そしてもう一つは、夜目の利かない人間の視界から逃れる為。

 皆、賊が既に追行を辞めている事に気付いている。だが、念には念をとフォルトの提案で、深夜に進行する事に決めた。フォルト以外の三人は、最初は杞憂であると首を横に振ったが、結局は人森獣戦争を経験した彼の直感に、首を縦に振り直したのだ。

 エリー達のいる場所から一番近い獣人の村は、約半日の距離にある。暫くは道は無いが、数時間歩けば交易路に出る事ができ、そこまで向かえば人通りも僅かだが生まれ、安全な旅路を送れるだろうと、トグルは言う。

 もう、賊から逃げる必要も、襲われる恐怖に怯える必要も無くなった。その事に、エリーとリリアナは互いに抱き合い歓喜した。


「エリー……!」


「えぇ。……えぇ!私達は逃げ延びたのよ!もう賊に怯えなくて済むの!」


「賊の心配は消えた。だが、私達にはやるべき事が残っている。さぁ、行くぞ。ガルマスト代表がいる中央区場での道のりは長い」


 逃亡という地獄から解放され肩の荷が降りた矢先、新たに出来た目標にエリーは緩んだ顔を引き締める。そして、目の前で頬を緩めるリリアナの両頬を揉み始めた。

 気楽なものだ。エリーはリリアナの能天気な笑顔を見て和み、羨む。フォルトはそんな二人のやり取りを見て、エリーと同じ事を考えながら和んだ。だが、トグルはそんな彼等を傍から見て、呑気なものだと額を押さえる。

 集落に居た頃と同じやり取りに、皆自然と頬を緩める。もう二度と味わう事がないと考えていた日常を、これから取り戻す事が出来るのだ。その為には、獣人達と話を着けなければならない。エリー達は立ち上がると、フォルトの後に続いて森から足を踏み出した。


 エリーとリリアナにとっては初めての森の外。彼女達の年齢に関係無く、森人の女性は森の守護を任されている為、森から出る事が無い。人森獣戦争以前、森人が自由に大陸を移動出来る時代でさえも、森人の女性は生まれ育った森から出る事なく、生涯を終える事が殆どだ。

 そういった理由があり、エリーは途轍もない程に外の世界に憧れていた。だからだろう、森から出る瞬間は悲惨な出来事を全て忘れてしまう程、浮かれ上がっていた。

 だが、その熱はすぐに治り、エリーは露骨に気分を悪くした。その理由は──


「何も、無い……。何も、居ない……」


森を出た先は見渡す限りの大草原。そこには書物で見聞きした、石造りの建物や人々と共生する動物、煌びやかな服に可愛らしい小物、それらを扱う人の姿も一切見当たらず、それどころか生き物の気配すら希薄な悲しい世界が広がっていた。

 あるのはただ、腰より伸びた種々の草とそれを喰む虫。そして、それを喰らう小さな爬虫類程度。だが、夜であるが為にその者達は寝静まっている。


「森の外は賑やかだとばかり……。こんなにも寂しく、静かな場所もあるのですね」


「町外れはどこもこんなもんだ。人も生き物も殆ど居ない、長閑な土地さ」


「エリーは静かな方が好きじゃないの?よく寝られるし」


「それとこれとは別問題よ……」


 風に靡く草は波打ち、漣に似た音を立てる。書物で見た海の景色を思い出しながら、フォルトの後を追う様に草原の海に足を踏み入れる。

 森の柔草とは違い、硬く、強く育った、見慣れない足高の草は、フォルトに踏み平され獣道と化した場所であっても、エリーの足裏を強く押し上げ今までに無い感覚を味合わせた。

 ふわふわと、視界と地面が揺れ動く。絡み付き、不安定な足場は、長い休憩を終えたエリーやリリアナの体力を簡単に奪った。特に、他の者より五感が鋭いエリーに関しては、揺れる草や押し上げられる体に酔ってしまい、頭痛と吐き気に悩まされていた。


「クラクラする……頭痛い……。どこを見ても世界が揺れてる……」


「まだ歩き出したばかりだろう?交易路までまだまだ歩くんだぞ、ったく……。ほれ、背負ってやるからこっち来い」


 トグルは腰を屈め、エリーに手招きする。普段であれば子供扱いは辞めろと拒絶するエリーであったが、今はそんな事を気にする余裕は無く、促されるがままにトグルの背に体を押し当て、体重を預ける。それを見たリリアナは「私も〜!」と羨ましそうに両手を広げて強請って見せるが、トグルは首を横に振ると「二人は無理だ」と言って代わりに彼女の手を引いた。


「後で変わってあげるから」


 そう言って瞼を閉じるエリーに対し、トグルは苦笑いを浮かべながらこう言った。


「俺は遊具じゃ無いぞ」


 それから数時間。いつの間にかトグルの背で眠りに着いていたエリーは目を覚ますと、交易路はもう目と鼻の先だった。

 草原を木板に例えると、交易路は宛ら彫刻刀で掘られた一本の線。草一本生えていないその道は、多少の凹凸があるものの綺麗に平され、保たれた道幅は広く、地面に謎の二本の線を果ての果てまで描いていた。

 草むらから出ると、トグルはエリーを地面に下ろす。そして、入れ替わる様にリリアナを背に乗せた。


「よく眠れたか?」


 トグルの問いに、エリーは腕を大きく上げ伸びをする事で答える。人の背で眠るのは案外良いものだ。と、いつ以来の多幸感に包まれながら、固い地面の感触を足裏で感じながら駆け、フォルトの隣に立つと足並みを揃える。


「気分はどうかね」


「先までの不調が嘘の様です。トグルの背中には、森人を癒す力が宿っているのでしょう」


 軽口を叩き、クスクスと口元を押さえながら笑うエリーは後ろを振り返りながら、トグルと、その背中ではしゃぐリリアナに視線を向ける。が、すぐにその視線は別の場所へ移り、彼女は徐に口を開いた。


「あら?フォルト老、あの灯りは何でしょう。動いている様に窺えますが……」


 エリーの視線の先。彼女達の進行方向とは逆の西側から、十字の輝く幾つかの光の行進が、交易路を辿りこちらに向かっているのが見えた。エリーは最初、自分が起きる前からあの場に存在した光だと思い、フォルトに嬉々として尋ねる。だが、首を傾げて「分からぬ」と答えるフォルトを見て、あの光が先程まで無かった物であると理解した。

 距離にして、凡そ数キロ先。十時の輝きの下で、それを揺らす存在を認識出来る距離では無い。ただ、何度もこの土地に訪れ、この道を利用してきたトグルにはある程度の予想が付いていた。


「方角を考えると、恐らく獣人の国境兵だろう。この道を西に向かえば、すぐにドローラ王国との国境にあたる。俺達の匂いがそこまで届いたか、若しくは匂いを嗅いだ者が国境兵に伝えに行ったか……。どっちにしろ、確認の為に動いたんだろう」


 エリーは何故か、トグルの説明に納得がいかなかった。理由を問われれば押し黙ってしまう程度のものであるが、彼女の知識からくる勘が、灯りの存在に違和感を抱いていた。

 エリーは獣人に一度も会った事が無い。警備を姉達に任せて眠り呆けていたという理由もあるが、単純に獣人が森深く、川の近くには近寄らないからだ。なので、エリーの獣人の知識はフォルトから聞いた昔の物と、書物による比較的新しい一部の偏った知識しか無かった。

 その知識では、獣人は戦いを本能的に求め、力で解決する事を好み、森人とは人森獣戦争以前から親しい間柄である存在で、頭が悪い。それが、獣人に対するエリーの知識。基、想像上の姿だ。

 引っかかる点があるとするなら、想像上の彼等は夜間に灯りなど持たない所。森人が夜目に強い様に、獣人の殆どが夜目が利く。寧ろ、灯りが邪魔になり遠くの物が闇に呑まれる。灯りなど、役に立たないどころか視界を奪う道具でしか無いだろう。


 ただ、それは昔の話で物語の話。トグルが灯りを見て獣人と言ったのは、獣人が必ずしも夜目が利く種族では無いと知っているからだ。

 獣人には様々な種類が存在する。森人は男女で分ければ二種類存在するが、獣人は男女で分けずとも片手では数え切れない種類が居る。人間ですら、片手で数えられる程度の種類しかいないというのに。だ。


 夜目が利かない獣人はかなり珍しい。単純に種類として少ないという点もあるが、他の種類と比べて圧倒的に数が少ないのだ。だが、国境警備に当たる種類として見れば、あまり珍しい存在では無い。

 夜目が利かない獣人の外見は、限りなく人間に近い。強いて言えば、一般的な人間と比べて毛深い程度。中には筋骨隆々な種類もいるが、なんにせよ、珍しくも何とも無い人間と外見が変わらないのだ。その為国境の警備兵として、隣国の国境警備隊と顔を合わせる事を考えると、人間に一番近い彼等が適任だった。その事をトグルは交易を通じて知っていたので、灯りを一切警戒しないのだ。


 距離が僅かに縮まり、光が丸みを帯び始めると、灯りを持った物達の姿が窺える様になる。馬に乗り、腰に剣を携えた者達。一人は腰の剣以外にも、背中に弓を担いでいた。


「トグル。あの方々、剣を携えている様ですが……。いえ、それ以前に、獣人も馬に乗るのですか?」


「警備隊が武器を持っているのは当たり前だ。それに幾ら獣人とはいえ、馬の走破力には敵わないし、荷車を引くのも馬のが上手い。人間だけが馬を従える訳では無いって事だ」


「ですが……。あの方達は、とても獣人と呼べる見た目ではありません」


「獣人全員が毛むくじゃらな訳じゃ無い。人間に近い……人間と大差無い見た目の獣人も、中には居る。国境警備隊の中には、そういった種類の獣人が多い」


「ですが……」


 しつこく迫るエリーにトグルは深く溜息を吐くと、草むらを指差してある提案をする。


「分かった。そこまで心配なら、彼奴等が来るまで草むらに隠れようじゃないか。獣人なら、隠れていても匂いで気付く。人間であれば……そうだな、俺達がさっき通った草むらの獣道を見て立ち止まるんじゃないか?」


 その提案に頭を傾けながらも、トグルが言うのならとエリーは渋々頷いた。そんな姿にフォルトは「何か気になるのか?」と彼女に問うが、トグルが「あんまり甘やかさないでください」と遮る。


 甘やかしたつもりは無いと思いながらも、フォルトはエリーと共に草むら入り、交易路から遠ざかる。その後に続き、リリアナを背負った状態でトグルも草むらに入り、暫く進むとリリアナを背から下ろして交易路を見つめる。


 遠くにいた彼等の姿は今でははっきりと見える様になり、彼等の移動手段である馬の足音が耳に届く。

 その時初めて、トグルは彼等の姿を視界に入れた。外套を身に纏い、備え付けの頭巾を深く被る彼等の顔は口元だけを晒し、手綱を握る為に覗かせた手はつるりとしていた。

 まるで……いや、人間そのものの手の甲。よく鍛えられ骨張ってはいるが、獣人特有の形状とは掛け離れている。自然の中で生きる為に模られた手では無く、物を使う為に合理的な形状をした手のひら。その手のひらに握られたランタンを掲げながら、彼等はエリー達が交易路に出た獣道の目の前で止まり、草原を一瞥する。


「つい先程、何者かが掻き分けて通った様だな。折れた草が浮き上がってきている。……匂いも毛も無い。獣や獣人では無い、か。お前達、エルフが近くに隠れている可能性がある。慎重に、見掛け次第殺せ」


 彼等の指揮役であろう男は、草の折れた方向や曲がり方、立ち直り具合や付着物をよく観察し、何者がいつ通ったのかを瞬時に見抜き、的確な指示を出しながら道を進み始める。

 その会話の内容。目的は聞かずとも理解出来た。

 森人を殺す。その為に、彼等はこの場に来たのだ。

 彼等は賊の仲間。その事に気付いたエリーは、震える肩を抱きながら下唇を噛むと、フォルトに視線を向ける。

 フォルトはエリーの視線に頷くと背後にいるトグルを肩越しに見ると、音も無く鞘から剣を引き抜いた。そしてその剣を背中に隠しながら草むらをゆっくりと移動する。

 フォルトが向かっているのは交易路に面する草陰。ランタンの灯りが自身の髪や瞳に反射しない様、慎重に身を潜めながら彼等の元に近付いた。

 そのすぐ近く、交易路とは少し離れた場所から、潜伏が得意なエリーがフォルトを追従する。右手にはリリアナから預かった短剣。左手にはそこらで拾った適当な大きさの石を幾つか。短剣は逆手に持ち、ランタンの灯りを照り返さぬ様、前腕の陰に隠す。

 人間達の数は九人。全員馬上からランタンを草原に向けて翳し、エリー達の事を探していた。その内一人だけ、遠方を探る素振りを見せず、堂々と前を向いていた。 その人物は、先程全員に的確な指示を出した弓を担いだ男だった。


 まず先に狙うのはあの男だ。エリーは目の前で眠り続ける手のひら程の大型の虫を掴み、息の根を止めて静止させると、交易路の西側に向けて投擲する。

 程よい重みを持った虫の死骸は綺麗な放物線を描き、草むらの中に音を立てて落ちる。同時に、間を遅らせて投げた石が狙い通りの場所に落ち、交易路の反対側の草むらの東側から、重みのある小さな草音を発した。

 その音を聞き、彼等の半数がエリー達とは反対方向に剣を向けるが、もう半数は死角を補う様に扇状に剣を向ける。ただ一人、中央に陣取る弓を持った男だけは、変わらず前方を見ていた。

 ただ前を見ているだけでは無い。顔を前に向けているだけで、実際は全方向に注意を払い、常に奇襲を警戒していた。勿論、エリーもフォルトもその事には気付いている。気付いているからこそ、手を出す事が出来なかった。だが、機は訪れる。


 かなり長く陣形を保ったまま彼等はその場から動かず、同じ様にエリー達も動かずに好機を伺う。だが、時の流れが遅く、待つ事を苦としない森人と、真面に根気比べが出切る筈も無く。彼等は到頭痺れを切らし、指揮を取る男が苛立った声を上げる。


「長居は出来ん。かと言って、手ぶらで帰る訳にもいかん。……探し出して殺すぞ。二組は馬から降り、草原内の捜索。私の組は馬上からの捜索だ。報告では、武器を持った男二人に女が二人の計四人。抜かるなよ」


 男は指揮を下すと、九人だった集団を三組三人に分け、二組を左右の草原に向かわせた。ありがたい事に、草原内に踏み入れた組は何方もエリー達の方とは別方向へ歩き出したので、すぐに襲われる心配は無い。ただ、それは時間の問題であると、皆理解していた。

 襲撃するなら今。エリーもフォルトも柄を強く握り締めるが、相手も自分が襲われるなら今だと察している為、中々隙が生まれない。それでも、切羽詰まった様子を見せるのはエリー達では無く、追手である筈の彼等だった。


 これでは、何方が獲物で何方が狩人か分からぬな。フォルトは焦燥する彼等を見て苦笑を浮かべる。そんな彼の考えなど露知らず、エリーは虫の鳴き声を真似てフォルトに合図を送ると、腕の影に隠した短剣を順手に持ち直し、投擲の構えを取る。そして、露出した柄に光が反射するよりも速く、エリーは音も無く腕を振り下げると、短剣を弓の男に向かって投げ付けた。

 洗練された投擲術。その軌道や速度は、そこらの者が穿った矢よりも正確に、且つ目にも留まらぬ速さで草原の上空を過ぎ去り、男の側頭部に深く突き刺さった。


 一撃で絶命した男は、頭に受けた衝撃に耐えきれず馬上から弾かれる様に落ちる。

 地面に落ち割れるランタン。音に驚き嘶く馬。仲間が死んだ事に気付き、自分達が狙われている事を理解した男達は、咄嗟に死体となった男の元に駆け寄り、剣を八方に向けて背を預け合う。


 男達は決して取り乱した訳では無い。短剣を投擲した存在の大凡の位置も掴んでいた。だからこそ、背を預け合い、他の手段による追撃を警戒して陣形を組んだのだ。結果、逸れた者を狩る為に待機していたフォルトは身動きが取れず、彼等は追撃を免れた。

 ただ、フォルトは必ずしも追撃しなければいけない立場には居なかった。そこが、彼等にとっての誤算だった。

 彼等と違い、エリー達には戦う理由は無い。エリー達の目的は男達から逃れ、獣人達の村に逃げ込む事。襲われ、殺され、戦闘態勢に入らされた男達の頭の中には、エリー達の思惑など微塵も過らなかった。その事を考えると、男達は多少取り乱していたと言える。


 フォルトはそんな男達から視線を外す事なくその場から離れると、エリーと合流し、リリアナとトグルの元へ向かう。


 このまま隠れながら移動してこの場を離れよう。フォルトの視線に皆が頷く中、エリーの耳が遠くの音を拾いピクリと跳ね上がる。


 何かがこちらに向かってくる。それも、ただ向かってくる訳ではなく、物凄い速さで草原を駆け抜けて。まるで、突風が穂先を撫でる様な爽快な音。その音には、微かな獣臭が混じっていた。

 森の動物達とは違う、嗅ぎ慣れない威圧的な臭い。それらに混じった乱暴な金音だけは、この場にいた皆が聴き慣れた音だった。


 男達は一斉に金音のする南側に鋒を向ける。その無防備な背中を見て、フォルトとトグルは一斉に駆け出すと近場に居た三人の背中を斬り付け、再び草原の海に身を潜める。

 深手を負わせる事が目的では無かったにしろ、不意を突かれた一撃は堪えた様で、三人はその場に膝を折り剣を杖に変える。

 その一瞬の隙が男達全員の隙となり、既に側まで這い寄っていた獣人達の歯牙にかかる。


 牙で、爪で、剣で。腕を飛ばされ、腹を抉られ、喉を喰われ、頭を割られる。

 僅かな星明りに照らされ、爛々と輝く赤い地面。戦闘音などさせる間もなく、男達は唯の肉塊へと変わり果てた。

 辺りには血と臓物が散らかり、交易路の傍に佇む草がその重さに頭を垂れる。


 獣人達は自分の手や口に付着した血液を舐め取ると、爪に牙、剣を納め、フォルトとトグルが隠れ潜む草むらに向けて呼び掛けた。


「森人共、賊は殺したぞ。姿を現せ」


 端的。且つ高慢な口調。だが、敵意は一切無い。トグルはそんな獣人の態度に溜息を吐きながら立ち上がると、剣に付着した血油を払い飛ばして鞘に納める。それに続いてフォルトも立ち上がるとエリーリリアナの元へ向かい、二人を背に隠す様に獣人の元に向かうトグルの元へ足を進める。


「一応、助かったと言っておこうか。獣人共、よくやった」


 獣人とは比にもならない程高慢に、トグルは声を掛けてきた獣人に向かって鼻を鳴らす。瞬間、先程まで感じなかった敵意がエリー達を襲い、同時に辺りの獣臭が一層濃くなる。


 話に聞いていた獣人とは、印象が随分と違う。エリーはフォルトの背後から、覗き込む様に獣人の集団を見詰める。動物とは違い、二足歩行で直立する姿は、背が丸まっているとはいえ森人と大差無く、纏う雰囲気や立ち居振る舞いは、喧嘩腰ではあれど至って普通だ。


 血の気が多く頭の悪い、話を聞かず理解しようとしない獣堕ち。休憩中、トグルから聞いていた獣人の総評。そして、姉達からは臆病者の集まりだと聞いていたエリーは、臆する事をせずに堂々と、そして理性的に会話をする彼等に首を傾げた。


「聞いていた話とは随分と違いますね」


「私が知っている獣人は、もう少し好意的な存在であるが……。ふむ、最近の獣人は好戦的なのだな」


「お姉様から聞いていたイメージと違うね。もっとこう……可愛い見た目なのかなって思ってた」


 トグルを除く三人で獣人に対する第一印象を語っていると、トグルと話している狼型の獣人とは別の狼型の獣人が、鼻をひくつかせながらエリー達に顔を向け、口を開く。


「嗅ぎ慣れない臭いだな。お前達も森人か?」


「そうだ。此度の救援、心から感謝する。獣人の戦士よ」


 フォルトは感謝の意を込めて獣人に頭を下げる。その仕草を見て、頭を下げられた獣人は口をポカンと開き固まった。


「どうかしたか?」


 昔とは違い、失礼な仕草であったか。とフォルトは顔を上げて獣人に問う。それに対し、獣人は静かに首を横に振ると、トグルの方を見て嫌味を吐く様に呟いた。


「……森人も頭を下げるんだな」


「あれは丁度、そういう年齢なのだ。……彼の無礼、代わりに私が謝罪しよう」


 フォルトは再び頭を下げる。


「いや、アンタが頭を下げる事は無い。それより、アンタの後ろに居る奴等と、甘ったるい匂いについて説明を求める。毒……じゃ無いよな?酒でも無い様だが……気分が悪い。酔いそうな匂いだ」


 そう言うと、獣人は毛で覆われた分厚い手でわざとらしく鼻を覆い眉を顰める。

 フォルトは「そんな物持ち歩いてはおらぬよ」と、笑いながら獣人に言うと、背に隠れたエリーとリリアナを前に出す。

 エリーもリリアナも、獣人という未知の相手に緊張し、背を押されながらもフォルトに身を寄せ、顔を伏せながら目の前の獣人を見上げる。

 その姿に、最初は狼型の獣人も見下す様な笑みを浮かべていたが、徐に口を開き、比例して瞳孔を狭めていく。最終的には、外れてしまったのでは無いかとエリー達が心配する程に口を開きながら、耳を折り畳み尻尾を丸め震えていた。


「エリー。この獣人さん、なんか変じゃない?」


「リリアナ、そういう事を本人の前で言わないの。でも……そうね。大丈夫かしら」


 森で見た、死に損ないの子狼と同じ仕草をする獣人に、エリーとリリアナは首を傾げて見つめ合い、再度獣人を見上げる。その時、漸く我に返った獣人は、無意識に止めていた呼吸を再開すると、二人を見つめたまま後退し、他の獣人の背に隠れてしまう。


 なんだったのだろう。エリーは首を再び傾げながら、改めて獣人達を一瞥する。

 獣人は全部で七人。狼型が二人に猫型が三人。そして、人間と遜色無い見た目をした獣人が二人。

 トグルから話を聞いていたが、それでも人間と瓜二つの外見に、エリーは思わず息を呑む。もし事前に、人間に似た獣人の存在を聞かされていなかったら、エリーは隠し持っている小石を投げ、不意を突いて殺していただろう。

 いつの間にか死体から短剣を回収し、機を窺いながら背に隠していたリリアナに抱き付くと、エリーはリリアナの耳元で囁いた。


「あれは獣人よ。トグルの話にあったでしょう?」


「分かんないよ?殺してみないと」


「そんな、血と脳漿に塗れた短剣で殺せる訳無いじゃない。斬れる斬れない以前に、他の獣人が近付かせてはくれないわよ。この会話だって、聞かれているでしょうし」


 エリーは肩越しに、後目で獣人を見る。猫型の獣人が耳を立て、エリーの方に向けているのが見えた。少なくとも、あの獣人には会話は聞かれている。


「ほらね」


 笑いながら、他の者達にも聞こえる様にそう言うと、リリアナの手から短剣を取り、付着した液体を払うと、残った液体を服の裾で拭い、リリアナに返す。


「フォルトさん、獣人と話が付きました。奴等と共に村に向かいましょう。詳しい話……特に、俺達の事情に関しては、そこで村長を交えて話します」


「分かった。済まないな、獣人の戦士達よ。村に辿り着くまでの間、よろしく頼む」


 話を終えたトグルが三人の元に向かい、今後の事について簡潔に説明すると、フォルトは獣人達に頭を下げる。それに対し、トグルは「こんな奴等に頭なんて下げなくて良いですよ」と笑い飛ばす。驚愕に目を丸めていた獣人達は、その言葉に怒りを露わにするが、言い返す事なく人間の死体を回収して歩き始めた。

 一人。猫型の獣人が、目にも留まらぬ速さで先行して草原を駆けていくが、その事には誰も触れずに歩き出す。

 ただ一人、未だに股の間に尻尾を隠した狼型の獣人だけは、猫型の獣人に羨望の眼差しを向けていた。

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とある森人達の備忘録 神宮 雅 @miyabi-jingu

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