生き延びる為に


 森人の集落襲撃から一週間。エリー一行は南下を続け、ガルマストまで残り半分の位置にある川に辿り着くと、漸く一息吐き大休憩を取る。

 戦闘後、丸一日気絶していたエリーや、裂傷を多く受けたフォルトの傷は膿む事は無く、浅い事もあって塞がり始めていた。その理由は、リリアナの薬草知識にあった。彼女は賊から逃げながらも、道中の様々な薬草を摘み集め、休憩中にも手を休めず生薬を作り、エリーやフォルトの傷に塗布していたのだ。

 無能と拒絶され、それでも役に立とうと身に付けた知識。その努力が、同胞達が死に絶えた今、漸く報われたのだ。


 睡眠を殆ど必要とせず、夜目が利き、森と共に生きてきた森人達に、到底賊達が追いつく事は出来ず、追撃が来る事は無かった。


 嵐の前の静けさ──。エリー達は束の間の安寧に胸を撫で下ろす。


◆◆◆◆◆◆◆◆


第二章 〜生き延びる為に〜


◆◆◆◆◆◆◆◆


 焼けた木々の匂いが未だに鼻に残る感覚を覚えながら、エリー達は何度目かの休憩を始める。幾ら森人が睡眠や食事、水を殆ど必要としないとはいえ、手傷を負い、負傷者を運び、同胞達が殺された事実に押し潰されながらの逃亡は、休憩無しには足を動かせなかった。


「賊の追手も、炎の魔の手も、流石に俺達には追い付けない様だな」


 トグルはリリアナから受け取った赤紫の木の実を口に放り込みながら、来た道を振り返り呟く。


「人間は長時間活動出来る生き物では無い。それに本来、燃料が無ければ生きた森を焼く事は出来ぬ。火災により雨も降るからな、その影響もあるだろう」


 フォルトはリリアナに例を述べた後、トグルの呟きに正論を返して木の実を口にする。

 リリアナは最後にエリーに木の実を渡し、彼女の隣に腰を下ろした。フォルトの話に頷きながら納得していたエリーは、リリアナから木の実を受け取ると話題を変える。


「ありがとう、リリアナ。……それにしても、リリアナに野草……特に薬草の知識がある事に、今でも驚きだわ。私もだけれど、他の皆は間引き対象の植物以外に興味が無いもの。今考えると、森人の死因の殆どが怪我によるものだというのにね」


 寿命が他の生き物と比べて遥かに長く、飢えに殺される事の無い森人達が死ぬ理由。それは、怪我による病死。だが、免疫力の高さ故に、それすら軽視されている節がある。それは何故か。怪我による病死の殆どが、“若い個体”だからである。若く、免疫力の低い個体が怪我によって死んでしまうのは“仕方の無い事”。森人達の間では、そういう認識であった。

 その為、フォルトやトグルはエリーの話を聞いても「仕方ない」としか返さない。


「仕方ない……。獣人や人間は、子供を大切に育てるというのに」


「だがその代わり、他の人族を殺すではないか。──先程の様に」


 地に響く低い声に、凍てつく冬の寒さよりも冷たいフォルトの視線がエリーを貫く。

 今の発言は不適切であった。エリーは自分の発言を振り返り、自分が未だに現実を受け入れられていない事を悟りながら、フォルトに向けて頭を下げた。


「──申し訳ございません、フォルト老。その様なつもりは……」


 珍しく狼狽の様子を見せるエリーに、フォルトは首を横に振り、彼女の垂れた頭に手を翳す。


「よい、エリーが人族に興味を抱いておる事は理解しておる。だがな……その、人間を真似た口調は止めよ。先までは良き隣人であったが、今は同胞の仇だ」


 エリーは頭を上げると、未だに冷たいフォルトの瞳を見つめる。そして、自身の眠たげに垂れた瞼をパチリと開くと、怒気に怯えるトグルを横目に口を開いた。


「確かに賊は人間でした。ですがフォルト老、お言葉を返す様ですが、人間全てが仇という訳ではありません。“賊”が仇なのです。履き違えない様」


 フォルトは暫く沈黙を保ち、怒気を腹に仕舞う。それは、エリーの言葉に納得したから収めた訳では無く、彼女の言葉に怒りを通り越して呆れたからこそのものだった。


「……私も、今回の出来事に動揺しているのだな」


 赤子同然の子の言葉に対し腹を立ててしまうなど、この歳で情け無い。フォルトは溜息を吐く様に言葉を漏らす。三人はその独り言にそれぞれ違った反応を見せるが、皆、フォルトの意思とは違い、エリーの言葉に納得したのだと解釈した。


 トグルは意外だと目を見開き、エリーは納得してくれたと胸を撫で下ろし、リリアナはよく分からないけど良しと笑顔を浮かべる。対して、フォルトは眉間に皺を寄せながら瞼を固く閉じ、彼等の表情を見る事なく、溜息を吐いて肩の力を抜く。


「そろそろ休憩は終いだ。少し先に川があるから、そこでもう一度休憩を取るとしよう。私もそうだが、エリーも血が足りなかろう。それと、血がこびり付いた状態では気分が悪いでな」


 乾いた血で錆色に染まった服の肩口を揉み、樹皮を折る音に似た音を鳴らしながらフォルトは苦笑いを浮かべる。それを見たエリーも、自身の背中に張り付いた赤茶に染まった服を、傷口が開かない様に顔を顰めながら丁寧に剥がし、リリアナが調薬した練薬を彼女に塗布してもらう。


「叔父様も」


「あぁ、頼む」


 エリーへの塗布を終えると、リリアナはフォルトの隣に座り、肩口に巻かれた布を一度解き、服に出来た切れ目から彼の肩に出来た深い切創に練薬を塗る。ある程度癒着し止血こそ出来ているものの完治には程遠く、激しく動かせば簡単に切創は開き、再び血を流す事になる。その見慣れた傷を見て、リリアナは口を固く結ぶ。それを見兼ねたフォルトは、練薬を塗布し終えたリリアナに優しく声を掛けた。


「リリアナよ、この怪我はお主があの場に居ようが居まいが負っていた物だ。そう気負う必要は無い」


「でも叔父様。私も役に立ちたいの」


 リリアナはフォルトの肩口に布を縛り直す。


「十分役に立っているでは無いか。抗菌、炎症緩和、止血……それと、麻痺毒を持った植物を使用した鎮痛効果まで……。お主が居なければ、私達は追手に捕まっておったかもしれぬ。逃げ延びれたとしても、私やエリーは道半ばで生き倒れていただろう」


 エリーに視線を送りながらフォルトは立ち上がる。リリアナの相手は、歳が近く同性の彼女に任せる方が良いだろう。という、年寄りなりの配慮だ。エリーはフォルトの意図を汲み、リリアナの隣に立つと、立ち上がる彼女の頭を撫でて歩き出すフォルトに続いた。


 それから二日が経ち、エリー達は一旦の目的地であった川に辿り着く。その川は大陸を横断しており、西は大国の一つであるドローラ王国の海から流れ、東は小国の一つであるヴェペルシア帝国の海へ流れている。ドローラ王国側の生活排水を大森林を経由して濾過し、大森林を流れる支流で更に薄め、綺麗になった水をヴェペルシア帝国に送る。大陸に住む全ての人族にとって、無くてはならない命の川。エリー達がいるのは、その川の本流。他種族の立ち入りを禁じている、森人達の守護地だ。


「ここまで逃げれば、一先ずは安全だな。エリーよ、この付近の警備はいつ行った?」


「そうですね……約一月前。といった所でしょうか。本来であれば今頃は、お姉様達が警備に当たっていた筈です。東に歩けば、休憩用の小屋と、対岸へ渡る為の小舟がございます。小舟に関しては、ガルマストへ交易に赴く事の多いトグルに尋ねると良いでしょう。トグル」


 エリーはフォルトの問いに答えると、説明の補足をトグルに任せる。


「船は三杯。この人数なら、一番小さい船で十分だな。川の流れを見ても、問題無く渡れる。問題があるとするなら……その船が賊に壊されていないかだが」


「獲物の退路を断ち、態々その場から退く阿呆が居ると思うか?……エリー、どうだ?」


 森の異変は警備に当たる女に聞けば良い。フォルトはトグルの心配事を杞憂だと蹴り飛ばし、エリーに周囲の安全を尋ねた。


「……他種族が侵入した痕跡はありません。ですが、全てを確認した訳ではありませんので、絶対とは言い切れません。少なくとも、道中やこの周辺には、侵入者は来ておりません」


 サボり魔で若いとはいえ、エリーも森人の女性の一人。軽く周囲を見回すだけで、ある程度の異変は察知する事が出来る。不自然に折れた枝、地面に出来た僅かな窪み、森の中の動物達の気配や、風に運ばれる音と匂い。五感を全て使う事で周囲一帯の情報を全て取り込み、得た物を皆に伝える。

 ここで、リリアナに聞かなかったのは、フォルトなりの配慮だ。


「だ、そうだ。トグル、私とエリーはこの場で血を洗い落とす。リリアナと共に、先に船を確認してきてはくれぬか。次いでに、小屋から薪を持ってきて欲しいが……あるか?」


 フォルトはエリーに尋ねる。


「はい、着火剤も小屋の中に。リリアナ、場所は分かるわね?」


「うん。位置が変わってなかったら、覚えてる」


「であれば、頼む。私達は血を落とした後、空いた時間で魚を捕まえる。流石に木の実だけでは血は増えぬでな」


 場を和ませる為にヘラリと笑うフォルトに、エリーも笑みを返す。


「でしたら、漁獲用の投網が小屋の中に。リリアナ、それも頼めるかしら」


「それは良い。言ったは良いが、片腕だけでは取れると思えぬでな」


 元気に頷くリリアナに、フォルトは剽軽に返事する。蚊帳の外の雰囲気に気まずくなったトグルは、右耳の先端を軽く掻いてリリアナを連れて行く。


「行くぞリリアナ。フォルトさん、何事も無ければ昼前に戻ります。エリー、あまり迷惑を掛けるなよ」


「迷惑……いえ、分かりました」


 迷惑とはなんだ。と言い返したい気持ちを抑え、エリーは渋々頷く。その頭をトグルは手を置く様に撫でると、小屋のある東へと川を降って行った。


「……私ももう二十一歳。子供扱いはやめて欲しいものです」


「まだ二十一歳の間違いだ。とはいえ、私からすると、トグルもまだまだ子供だがな。さて、私達は血を洗い流そう。次いでに衣服や布も清潔にするとしようか」


 だが、二人は川に入らず暫くの間水面を見つめる。そして、エリーが重々しく口を開いた。


「……かなり滲みるでしょうね」


「……布を洗い、傷の周囲を拭くだけに留めようか。服は別で洗えば良いだろう」


 二人とも本当は、水に浸かり、泥や汗も共に洗い流したい気持ちで一杯だが、傷が開く恐れがあるという建前を立て、水浴びを諦めると、血塗れの服と布を洗い身体の血を拭き取った。

 時間も余ると、二人で下着姿のまま草むらを歩き、雑談を繰り広げながら間引き対象で食料になる木の実を摘み集める。それから数時間後、川の真横で腰を下ろしながら木の実をつまんでいると、予定通りトグルとリリアナが、薪と投網を持って戻ってきた。


「船は問題無く使える事を確認しました。薪も、これだけあれば十分でしょう。リリアナ、着火を頼む。俺は投網で魚を獲る」


 トグルは手に持っていた薪を地面に組み立てると、リリアナが持っている投網を受け取り、彼女に火を任せて足を川に浸す。


「私はのんびりさせてもらうわ。サボり魔に長旅は酷だもの」


 エリーは空き時間に作った、枝葉の上に布を被せた簡易的なベッドに横になると、リリアナに「後は宜しく」と言ってすぐに寝息を立て始めた。


「なんだこの赤ん坊は……。リリアナ、よくそんな我儘娘と仲良く出来るよな」


 トグルは振り向きながらエリーの言動に溜息を吐くと、嬉しそうに返事を返すリリアナに肩を落とす。


「たった一人の同世代だもん。それに、エリーは私がやりたい事をやらせてくれるから」


「それ、単に作業を押し付けてるだけだぞ。それに、同世代なら男にも一人……いや、今のは忘れてくれ」


 トグルは言いかけた言葉を飲み込みリリアナから視線を逸らすと、川に向けて投網を投げる。


「それで良いの。お姉様達は頼んでもやらせてくれないんだもん。……何も出来ない時間って、すごい辛いから。今は、特に」


 着火剤に火打石で火を付け、組み立てた薪を焚べると、エリーの濡れた服を近くに広げて置く。


「……あ、ちょっと燃えちゃった。……まぁいっか!」


 衣服の端を燃やしながら能天気な発言を繰り出し、呑気に薪を突く彼女に軽く視線を移し、先ずは服を遠ざけろと思いながら、トグルは悪態を吐く。


「怠け者に間抜けの阿呆。生き残った女が集落随一の問題児とはな……」


 投網を引くと、鰭が水面を叩く音が鳴り響く。お陰でトグルの独り言は皆の耳に届く事は無かった。

 川を上がり、投網を引き上げると、網の重さと想像とは違い掛かった魚の数は少なかった。締めて三匹。一人一匹には一匹足りない魚の数に、トグルは肩を落として投網を纏めるともう一度川に入り網を投げる。


「済まないトグルよ、お主にばかり働かせて」


 彼が何かしら呟いていた事に気付いたフォルトは、労いの言葉を口にする。


「気にしないでください。フォルトさんが居なければ、俺は先程死んでいたんですから。それにエリーも、俺を守る為に怪我をした訳ですし、リリアナはまだ子供ですから」


 エリーでなければ。リリアナでなければ。トグルの頭の中は彼女達に対する悪態で溢れていた。だが、それはただの八つ当たりでしか無い。残っていたのが誰であれ、いや、年上という理由でトグルを慕う彼女達だったからこそ。怠け、弱気な彼女達だからこそ、意見が割れず、何事も無く逃げ延びる事が出来ているのだ。それをフォルトは理解しているが、トグルは別だった。

 トグルは考えた。他の集落に行くべきだと。あれから賊の姿どころか気配すら無い森の中。この状況であれば、ガルマストに逃げ込むよりも、北上し、別の集落に逃げ込んだ方が良い。それに、態々賊が逃げた森人に執着するとは思えず、獣人に借りを作る事を避けられるのであれば避けたい。そう考えた。

 フォルトはそんなトグルの表情を見て、彼が何か企んでいる事を察した。このままでは意見が食い違い、彼が単独で行動する可能性がある事も、経験上理解出来た。そこで、彼が何か提案を申し出る前に、フォルトは彼に相談事を持ち掛ける。


「トグルよ、お主は継人の事は知っておるか?」


「継人、ですか。たしか、人森獣戦争が起こる前から生きている森人達の総称。ですよね?」


 トグルは重い投網を引きながら川から上がる。その網の中で、二匹の魚が力強く鰭を振っていた。


「正確には、人森獣戦争が終戦した頃から、獣人達に頼まれ彼等の歴史を記録している者の事だ。私達の集落と、もう一つ、遠い集落に一人ずつ継人がいるのだが……私達の集落の継人が死んだ事を、ガルマストの代表に伝えなければならない」


 トグルの知識に訂正を入れながら、フォルトはエリーのベッドから枝を拝借すると、焚き火の横に腰を下ろしてガルマストに向かう理由を伝えた。


「では、賊の追手の有無に関係無く、ガルマストには行かなければならない。と」


「そうだ。……私だけでは道中不安でな。何せ、ガルマストに赴くのは数百年ぶりでの。道案内と、住民との交渉を頼みたいのだ。交易で先日も訪れたお主であれば、その程度容易いだろう?」


 どこに隠し持っていたのか、短刀で魚の腹を捌くリリアナに木の枝を渡し、食事の準備をさせる。そして、魚の血が付着し、焦げ模様が広がっているエリーの服を焚き火から遠ざけた。


「まぁ、はい。代表がいる街には行った事は無いですけど、道のりは。哄笑に関しては……期待しないで下さい。なんせ相手は獣人。話を聞かない奴らばかりですから」


「そうなのか?……数百年も経てば、私達との関係も変わる、か……。分かった、程々に期待するとしよう」


 魚を取り出した投網を畳みながら、フォルトの言葉にトグルは苦笑いを浮かべると、フォルトの隣に腰を下ろして投網をベッドの横に置く。


「今更ですが、賊は何が目的で集落を襲ったんでしょうか。やっぱり、武具を盗む為ですかね?」


 今まで気になっていたが、逃げる事に必死で聞けなかった事。漸く気と体を休める事が出来た今だからこそ、トグルはフォルトに疑問を投げ掛けた。


「……奴等は恐らく、我々森人を“殺す為”に集落を襲ったと、私は考えている。男女を意図的に分け、興奮剤まで用意し、品定めする事なく全てを燃やした。……前の戦争の時に人間が弄した策と同じ、殺す為だけの策だ」


「殺す為だけ……!?賊が我々を殺す必要など、何一つ無いじゃないか!……それに確か、人間は森人に危害を加える事を禁止されている筈。今回の騒動、大国の王達が黙ってはいないんじゃ無いのか?」


「それは勘違いだ、トグルよ。人間が禁止されておる行動は、大森林内での密猟。及び、森人管理する土地への侵入だ。前者は森人とは無関係の、人間同士の取り決め。そして後者は、森人から人間を守る為の決まりだ。人間から森人守る決まりは、人間側には存在せぬ」


「じゃあ、大国はこの事を知っても……」


 トグルは絶望に顔を青く染めた。フォルトの話の内容は、賊が幾ら森人を殺そうと、大国が動く事は無い。そう、言っていると同義であったからだ。


「寧ろ、初代国王の気紛れで手に入れられなかった土地を手にする事ができ、喜ぶであろうな。その後は、どちらの大国が新たな土地を得るか、戦争を始めるであろうよ。人間とは、そういう生き物だ」


「──ですが、他の集落の森人達がそれを黙って見過ごす訳も無く、獣人達も同じ様に争い自体を見過ごす事はしない。……人森獣戦争が再び幕を開ける可能性もある。それを見越してのガルマスト入国。ですね、フォルト老」


 顔を手で覆い俯くトグルの隣で、欠伸を一つ済ませて体を起こし、腕と背を伸ばしたエリーがフォルトに視線を向ける。


「済まぬ、起こしてしまったか」


 彼女の眠たげな瞳に僅かな罪悪感を抱き、エリーに頭を下げる。それに対してエリーは手を振って顔を上げる様に言った。


「いえ。不穏な会話が聞こえ、自ら起きただけにございます。お気になさらず」


 だが、顔を上げたのはフォルトでは無くトグルだった。彼は先程とは違い顔を赤らめ眉を吊り上げると、声を荒げた。


「子供が変な妄想で、物騒な事を言うんじゃ無い!フォルトさんも、あまり甘やかさないで下さいよ!幾ら賊の追手が居ないからって、呑気に水浴びして、その上黙って寝かせる事自体どうかと思っているというのに……」


「追手が居ない……?何の話ですか?」


 彼が突然怒りを露わにした事よりも、彼の話の内容にエリーは首を傾げ、トグルとフォルトを交互に見つめる。


「何のって、今の話だよ。賊が追う事を諦めたからと言って、集落が燃やされた今、呑気に時間を潰している暇は無いと言っているんだ。本当なら、俺は今すぐにでも道を引き返して、別の集落に助けを求めるつもりで居た。だが、フォルトさんが一人では不安だからと言うから、この場に残っている。分かるか?お前達の子守りの所為で、大人二人が手を焼いているんだ。これ以上、迷惑をかける様な事はするな」


 落ち着こうと抑えた声で、トグルは今まで溜まっていた鬱憤を吐き捨て、捲し立てる。最初は意味がある話だと考えて真面目に聞いていたエリーも、途中から額に手を置き、その手を下げて目を覆い始めると、最後には溜息を吐いて項垂れる。こんな事なら、彼らの会話を無視して眠り続けるべきだったと後悔しながら、諦めた様に顔を上げるとフォルトに視線を送り、面倒事を押し付けた。


「……フォルト老」


「分かっておる。今回の件は、下手にはぐらかした私に非がある。責任は取ろう」


 押し付けられる心当たりがあるフォルトは、エリーの視線に頷くとトグルに向き直り、口を開いた。


「まず一つ。私達は今も尚、追手に追われている」


「……は?」


 既に撒いていたと思っていた賊の情報に、トグルは思わず声を漏らす。


「私達は逃げ延びてはおらぬ。今尚逃げている途中だ。エリーと共に意見を交わし、導き出した答えだ、間違いない」


「え、じゃあ、なんでこんなにのんびりしてるんですか!?」


 フォルトはエリーに視線を送ると、エリーは仕方ないと言いたげに肩を落とし、トグルに対して自分が得ている賊の情報と、付け加えて自分達の現状を伝えた。


「追手との距離は、日付にして凡そ三日分。少な面見積もっても、最低二日分の距離があると考えております。それならば一度大休憩を取り、少しでも疲労や怪我による不確実な危険性を排除しようと、フォルト老と相談していたのです。……隠してはいましたが、私もフォルト老も、かなり身体に限界が来ているのです」


「い、いやいや、だとしたら、なんで俺に何も言わず、二人だけで話を進めるんですか!」


 二人だけで。というより、何故自分では無く子供のエリーと相談するのか。その事に若干の怒りを抱きながら、説明を聞いたトグルは腰を浮かしてフォルトに詰め寄る。それをフォルトは右手を翳す事で制止させると、トグルが腰を下ろしたと同時に、彼に優しく語り掛ける。


「この中で、お主が一番精神的に参っておった。だから、少しでも不安を取り除こうと、エリーと二人だけで話を進めたのだ」


「俺が一番参っていた……?いや、そんな筈……。みんなだって参っているだろ?フォルトさんは分かるが、何で子供よりも俺が……」


「もし仮にエリーが道半ばで倒れておれば、リリアナが壊れていたであろう。逆も然り、リリアナがあの場で殺されておれば、エリーは使い物にならなかった。この子らは、互いに支えになる存在が生き残っていたから、気を保てておる。……元の性格や、性別故の環境の違いもあるだろうがな」


 姉達よりも長く共に過ごし、親として慕っていたフォルトが居るエリー。そして、唯一自分を受け入れてくれた、同世代で姉の様な存在のエリーが居るリリアナ。二人共若いが故に、集落の同胞達に深い思い入れは無かった。あるのはただ、個人に対しての感情のみ。だからこそ、同胞達を強く思うトグルと比べ、精神的に安定していた。


「トグル、お主は優しいのだ。同胞達を思い胸を痛め、何かしなければと自分の事を軽視してしまう程に。故に、私達がお主の代わりに、お主を支えねばならないと、そう考えたのだ。結果は見ての通り、お主の気を悪くさせてしまったが……」


 フォルトは罪悪感に顔を伏せる。同時に、トグルは彼の言葉に罪悪感を感じ、同じ様に顔を伏せた。


「俺は、優しくなんて無いですよ」


「エリーやリリアナを常に気に掛け、片腕が使えぬ私の代わりに率先して動くお主が優しくなければ、優しいと言う言葉はこの世界の誰に当てはまると言うのだ」


「難しい事言わないで下さいよ……」


「ふむ、そうだな。難しい話は止めよう。リリアナも済まぬな、つまらぬ話をダラダラと」


「ううん、大事な話だったんでしょ?ね、エリー」


「そうね、とても大事なお話だったわ。──それよりリリアナ?私の服に可愛らしい模様が付いているのだけれど、心当たりはあるかしら?」


 問題が解決した事に安堵し、視線を足元に下ろしたエリーは綺麗な二度見を見せると、地面に広げられた自分の服を指差してリリアナに問い掛けた。


「──あ!いや、これはその……叔父様!大事な話は!」


 長話に気を取られて服の存在を忘れていたリリアナは、話を逸らす為にフォルトに話を振るが、彼は笑顔を浮かべて首を縦に振った。


「もう終わったぞ。今は好きに話すと良い」


「だ、そうよ。子守唄代わりに、お話を聞かせてもらおうかしらね」


 エリーは嬉しそうに笑みを浮かべると、再びうつ伏せに横になり、リリアナに手招きをした。


「ご、ごめぇぇん!」


 仲睦まじい二人のやり取りと、それを見て笑うフォルトを見て、今まで感じていた疎外感を拭い取ると、トグルは憑き物が取れた様に笑みを浮かべた。

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