とある森人達の備忘録

神宮 雅

焼け落ちる森


 

 世界歴649年。世界の北西に位置する大陸、〈ゴルゴア〉。かつて獣人が支配し、人間達の手により攻め落とされたその大陸は、今は二つの大国と二つの小国、合わせて四つの国に分断されている。

 その大陸には大国同士を分つ様に、大陸北部から南部に掛けて〈ゴルゴア大森林〉と呼ばれる大森林が広がっており、その森の中には“森人”と呼ばれる住人が、点々と集落を構えていた。

 大森林南部。獣人の国、〈ガルマスト共和国〉に一番近い集落に住む“エリー”と呼ばれる少女は、今日も普段通り、集落の同胞達の目を盗んで森の中でサボりを満喫していた。だが、普段とは違い、森の中に不穏な空気を感じ取る。


◆◆◆◆◆◆◆◆


第一章 〜焼け落ちる森〜


◆◆◆◆◆◆◆◆


「今日はやけに、森が騒がしい様な……。獣人達が入り込んでるのかしら?だとしたら、このままサボりを続けて問題無さそうね」


 朝日が昇って間も無い頃。朝露が伝う葉が爛々と輝く森の中、低木に囲まれた隠れ家……基サボり場にある枝葉のベッドから少女は顔を上げる。

 普段から眠た気に垂れた瞼を更に顰め、金色の瞳を僅かに光らせると欠伸をし、吊り気味の目尻を擦る。

 朝。日の入りの時間は、集落の女性達が大森林の警備に当たっている。大国から逃れた罪人や、大森林の環境を荒らす人間から、同胞を守る大事な仕事だ。だが、エリーにとってはただの面倒な仕事に過ぎず、エリー以外の若者にとっても、意味の無い行為である認識が広がっている。

 遠くから何者かの気配を感じながらも、エリーは枝葉のベッドに再び顔を埋め、右側で纏めた赤に近い茶色のサイドテールをだらしなく放り出す。


「あ、エリー。まだこんな場所でサボってる」


 遠くから近付いて来ていた気配は、低木に出来た小さなトンネルを潜り、髪に葉を乗せながら立ち上がると、寝ているエリーを見下ろして声を掛けた。


「あ、リリアナじゃないの」


 エリーは聞き慣れた声と言葉を聞くと、髪の毛に枝を刺しながらベッドから身体を起こし、声を掛けて来た少女に返事を返す。

 栗色の髪を肩口で揃え、エリーと同じ金色の瞳をこれでもかと見せ付ける大きな目は、エリーとは相対的に目尻が下がっている。服を見ると枝で引っ掛けたのだろう。所々解れと汚れが目立っている。特に、胸部と腰回りの汚れが目立つ。


「……いい加減、自分用に低木のトンネルを編みなさいよ。私のサイズに合わせたトンネルじゃ、貴女には小さいでしょ?」


 エリーは溜息を吐くと、髪の毛から枝を引き抜き、次いでにリリアナの髪から葉を払い落とす。


「だ、だって……前作ろうとした時、エリー怒ったじゃん……。“私のサボり場を壊す気か〜!”って」


 天真爛漫な見た目とは裏腹に、リリアナは小さく弱い声を吐きながら縮こまる。


「仕方ないでしょ。貴女は枝を“編む”のでは無く、“へし折る”のだから。折角トンネルの穴を綺麗に擬装しているのに、目立つ穴を開けられたら困るわ」


「じゃ、じゃあ……私の為のトンネルを作って──」


「自分でやって」


 エリーの言葉に、リリアナは肩を落とす。以前と同じ様に、再びトンネル作りを始めても、それこそ以前と同じ様にエリーから怒られると、彼女は察したからだ。


「それより、今日は森が騒がしい気がするのだけれど。警備に当たっているお姉様達は何か言っていたかしら?」


 エリーはリリアナに、隣に座る様に枝葉のベッドを軽く叩くと手招きをする。そして横になると、素直に隣に座ったリリアナの膝に頭を乗せた。


「ううん。お姉様達からはいつも通り、“リリアナは散歩しておいで”って言われただけで……。私には騒がしい様に感じないけど、エリーにはそう感じるの?」


 リリアナはいつもの癖で、エリーのサイドテールを手櫛で解しながら答える。

 髪の毛に耳を擽られる感触に、エリーは尖った耳の先を軽く掻きながら言葉を続けた。


「何となく、ね。お姉様達も気付いている筈だから、何かあれば声を上げる筈だけれど……。念の為、男達に声を掛けておくべきかしら。私達の“踊り”だけでは、心許無いもの」


「踊りだけじゃって……そんなに危ない感じなの?」


「言ったでしょう?念の為、よ。リリアナ、今日は罠の確認は取り止めて私の後に続きなさい。今からフォルト老の所へ向かうわ」


 エリーはリリアナの腿から頭を退かすと立ち上がり、リリアナの手を取って立ち上がらせると、地を這いながら低木のトンネルを潜る。


「フォルト叔父様の所?お兄様達の所に行くんじゃないの?」


 リリアナも地面に横になると、ミシミシと音を立てながらトンネルを潜る。


「フォルト老と合流次第、男達と合流するつもりよ。それ以前に、フォルト老が男達と合流している可能性もあるけれど、それならそれで都合が良いわ」


 互いに低木のトンネルから出ると、エリーは自分とリリアナに付いた土や葉を払い落とす。

 彼女達がいるのは集落の東側。そこより南側に、フォルトと呼ばれる森人の老夫が一人で暮らしている。何故、フォルトが集落とは別の場所で暮らしているのかを、エリーとリリアナは知らない。


「あの“変わり者”の叔父様に会う必要があるの?仕事もせずに、一人で武器を振ってるだけの人でしょ?お姉様達は慕ってる様だけど……」


「お姉様達が慕っているという事は、それだけ頼れる存在という事よ。それにねリリアナ、逆に言えば、仕事を投げ出してまでフォルト老は武器を振っているのよ。あのお方程、戦闘において頼れるお方は、私達の集落には居ないわよ」


「戦闘って、エリーは大袈裟だよ──」


 その瞬間、エリーの両耳が跳ね上がり、同時にリリアナの口に手を伸ばして物理的に言葉を遮る。

 暫くの沈黙。エリーは閉じた瞳を開けると空を見上げた。木々の枝葉による緑雲の隙間から覗く青空には、狼煙が幾つか登っている。


「リリアナ、少し急ぐわよ。何か嫌な予感がするの」


 エリーはリリアナの手を取ると、彼女の返事を待たずに駆け出した。その拍子でリリアナは危うく躓きそうになるが、エリーが引っ張り上げて事なきを得る。


「あわぁ!エ、エリー?どうしたの?」


 目を見開いて驚くリリアナとは裏腹に、エリーの顔には影が落ちていた。そして、彼女の口は重々しく開く。


「──悲鳴が聞こえた」


「……え?」


 無意識に足が止まり、再び躓きそうになるリリアナの腹を、エリーは優しく受け止めて、再び彼女の手を引きながら走り始める。


「方角は分からないけれど、確かに聞こえたわ。それに、僅かに“火”の匂いがするの。風向きから考えると……考えたくは無いけれど、集落が燃えている可能性があるわ」


「でも、誰かが料理をしてるかも……」


 リリアナの言葉に、エリーは首を横に振る。


「獣人でも無い限り、この距離で料理程度の火の匂いを感じ取る事は出来ないわよ。それに……空を見てみなさいよ」


 エリーの言葉に従う様に空を見上げたリリアナは、口を開いて絶句し、とうとう足を止めてしまった。

 空には、先程見上げた時とは比にもならない黒煙が立ち込めていた。そして、その黒煙は集落のある西側と、彼女の姉妹達が警備に当たっている北側から上がっている。


「た……助けに行かないと──」


 弱々しく振り返りながら、黒煙の上がる方へと足を向けるリリアナの手を、エリーは強く引く。


「見回り用の衣装を着たお姉様達に任せなさい。それに……お姉様達が対処出来ない相手を、衣装も着てない私達がどうにか出来るとお思い?」


「で、でもエリーなら……」


「私なら何?続きを言わないという事は、貴女も察しているのでしょう?……お姉様達を信じましょう。私達は早くフォルト老を迎えに上がり、共に援護に向かう。それが先決よ」


 俯くリリアナの手を、エリーは再び強く引いて走り出す。その間にも黒煙は青空を覆い、リリアナの耳にも同胞達の悲鳴が届き始める。


「思ったより進行が速い……お姉様方、どうかご無事で……!」


 フォルトのいる空き地まで目と鼻の先まで辿り着くと、彼女達の前方に人影が姿を現す。その人影は二つあり、双方、剣と盾を携えていた。


「フォルト老!それと……トグル?何故貴方が──いえ、それよりも」


 片方は彼女達が探していた老夫のフォルト。そしてもう一人、フォルトの後に続く様に武器を構えた男。本来であれば洞穴の中で金床を叩いている男がいる事に、エリーは首を傾げる。だが、今はそれどころでは無いと首を横に振る。


「エリーにリリアナか……お主達、状況は分かるか?」


「いいえ。ですが、恐らく集落は攻め落とされているかと。それと、警備に当たっているお姉様達は……」


 エリーは俯き、入り混じる感情に歯噛みしながら、言葉の最後を押し殺す様に吐き出す。

 フォルトもトグルも覚悟していたのか、そこまで大きな動揺は無い。が、隣で聞いていたリリアナは開いた口を震わせて目尻に涙を溜める。


「で、でも……」


 その先を口にする事が出来ずに嗚咽を漏らすリリアナを、エリーは優しく抱き寄せる。その瞳には、眠気とは違う雫が僅かに顔を出していた。


「フォルト老、これから如何致しますか」


「……現状を確認する為に北に向かう考えであったが、今は集落の南側に行くべきだろう。運が良ければ、賊から逃走中の者と合流できるやもしれぬ」


「賊……ですか?フォルト老、襲撃者の正体をご存知なのですか?」


 すると、フォルトは後ろを振り向きトグルに視線を送る。それに応える様にトグルは前に出ると、彼女達に自分の見てきた物を伝えた。


「俺達の穴倉が既に賊達襲われている。出入り口に可燃性の液体を撒かれ、そのまま蒸し焼きだ。炎から生き残った者達は、待ち伏せしていた賊達と戦い、そのまま集落に向かった。俺はそれを、フォルトさんに伝えに来たんだ」


「そんな……男達が既に襲われていたなんて。では、私達が此方より先に男達の元へ向かっていたら……」


「間違いなく、殺されていただろう」


 その言葉に、リリアナだけではなくエリーまでもが肩を跳ね上げた。


「トグルから聞いた時は、武具を狙った賊だと考えていたが、ここまで大事……いや、大規模な侵攻とは……。情報交換はここまでにし、速やかに集落南部へ向かう。……が、助ける事より、逃げ延びる事を優先して動く」


「その後は……ガルマストに?」


「うむ」


 エリーはリリアナに歩けるかと尋ね、問題無い事をフォルトに伝えると、フォルトとトグルを先頭に集落の南側に向けて走り出した。




 木々が焼け落ち崩れる音が地面を揺らし、大量雨の黒煙が空を覆い空気を汚す中、争う音や悲鳴などの類の音は一切聞こえてこない。まるで住人が消えてしまったかの様な静けさに、彼女達は顔色を暗くして最悪な想像を浮かべる。


「火の手がもうそこまで来ておるか……。仕方ない。生存者の捜索は諦め、我々だけでもガルマストに向かう」


 舞い散る火の粉に顔を顰めながら、フォルトは小声で皆に伝えた。だが、リリアナはその意図を一切悟る事なく普段通りの声……いや、感情的になっている分、普段より大きな声で助けを訴えた。


「叔父様!お姉様達を助けて!きっと、すぐそこ──うむぅぅ!」


「リリアナ……!気持ちは分かるけれど、大きな声は駄目よ!」


 エリーは慌ててリリアナの口を塞ぐ。同時に、遠方からの物音に四人の耳が微かに動く。リリアナの表情は明るくなるが、他三人の表情は険しい物へと変化した。


「リリアナ、絶対声を出さないで」


 困惑するリリアナを他所に、三人は無言で頷きあうと、物音が鳴る北側から離れるべく急いでその場を後にする。

 だが、幾ら離れても物音は止まず、寧ろ数を増して近付いてきていた。その物音には、いつの間にか金物の音も混ざっている。


「このままでは追い付かれるな。エリー、リリアナ、お主達は下がっておれ。私とトグルで相手をする」


 フォルトは足を止めて振り返ると、腰に携えた剣を引き抜いてその場に構えた。それを見て、トグルもフォルトに習い剣を抜くと、エリー達を背に隠した。

 だが、エリーは隠れる気など無いとトグルの横に立ち、呼吸を整え“構え”を取る。


「私も“踊ります”。後ろに居ても荷物になるだけですもの」


「……お前の踊りは、人に何処まで通用するんだ?警備の女達ですら、この様子だとやられているんだぞ」


 トグルの言葉に、エリーは遠回しに答えを返す。


「トグルは人に剣を振るった事はお有りですか?そして、集落に向かった男達より自分の方が腕が立つとお考えで?」


 トグルは眉間に皺を寄せると、強く歯を噛み締める。


「……私の踊りで、多少なりとも相手の動きを鈍らせる事は出来るでしょう。それにお姉様やお兄様方とは違い、武と舞を合わせて戦えるのです。加えて、あのフォルト老が表立って戦ってくださるのですよ」


「……赤ん坊の癖に口だけは達者だな。サボり魔」


 一言余計だと、エリーは言葉を飲み込んで笑みを浮かべる。フォルトが気配だけを此方に向けて「来た」と声を漏らすと、木陰から人間達が姿を現した。

 その手には同胞達が打った武器を携えており、それ以外にも、朝だというのに松明を掲げる者や、細い口を大鋸屑で栓をした壺を紐で括り、肩に掛けた者が居る。

 皆、革鎧を胸に纏い、腰当てや膝当てを装着している。賊、というより傭兵に近い身なりに、三人は訝しむ。


「……ここらのエルフはコイツらで終わりか」


 賊が敵意を発した瞬間、フォルトの手から剣が消え、目の前の賊の胸から同じ剣が生える。それに周囲の賊達が困惑の声を上げると同時に、その賊の腹にフォルトは靴底を埋め込み、手中に消えた筈の剣を残しながら蹴り飛ばした。

 賊は背後の木に叩きつけられると、既に絶命していたのか、ずるりと音を立て ながら赤い線を木の幹に描き、地面に落ちた。


「こ、殺せぇ!」


 殺し合いの合図が森中に響き渡る。

 フォルトと私達が少し離れた状況での開戦に、三人は少しばかり動揺するが、フォルトが三人から離れたからこそ、彼女達に襲い掛かる賊達の数は減ったと考えられる。

 賊は見えているだけで十人近く。その半数が、フォルトを取り囲む様に陣取り、残りの賊達がエリー達に剣を向ける。

 エリーはトグルから少し距離を取ると、両手を柔らかく広げて一度傅くと、その場でくるりくるりと回ってみせた。

 ただ回るだけでは無い。羽ばたく様に腕全体を上下させ、時には自身の体をなぞる様に手のひらを滑らせ、腰をおり、膝を折り、肘を折り、舞って見せた。

 枝葉の擦り合う音色を纏い、大木が地を響かせる鼓動に共鳴し、金物の音で囃す。今、周囲で鳴り響く全ての音を音楽に変え、エリーは優雅に舞を踊る。

 “見てはいけない”。そう、賊達は理解しているが、“見なくては殺せない”。だが、どちらにしろ“既に見てしまった”彼等には、取れる選択肢など無かった。


「ぐぉ……!頭が……!」


「うっぷ!オロロロロ──」


 エリーに襲い掛かろうとしていた四人の賊達が、それぞれ別の理由で地面に膝を突く。そこへトグルは斬撃を放ち、二人の命を軽々と散らした。だが、残りの二人は肩から掛けた壺を割ると中身を撒布し、松明の炎に焚べると、自分ごと周囲の森を吐き払う。


「フォルト老!」


 幸いな事に、炎の魔の手が四人に降り掛かる事は無かった。だが、フォルトと彼女達の間に炎の壁が出来てしまい、助けに入る事が出来なくなってしまう。


「賊はまだ潜んでいる!気を抜くでない!」


「エリー!リリアナ!まだ来るぞ!」


 助けが必要なのはフォルトではなく、自分達だ。そう理解したトグルは、エリーとリリアナに声を掛けると、剣を振り血油を払い落とすと再び構える。


「それなら、また舞えば良いだけの事よ」


 木陰から飛び出す賊達に合わせ、エリーは再び両手を広げて舞を踊り始めた。だが、賊達の足が止まる事は無かった。


「──っ!どうして!?」


 舞を中断し、間一髪の所で自身に迫る鋒を躱したエリーは困惑の悲鳴を上げる。 何故、彼等に舞が通用しなかったのか。その理由を、目の前の賊の顔を見たエリーは即座に悟った。

 額に浮き出た血管、血走った瞳、激しく荒い息、上下する肩と共に左右にブレる鋒。そして、口の端から漏れ出る赤みを帯びた泡。彼等は今、極度の“興奮状態”にあるのだ。故に、エリーの舞が……いや、森人の舞が“通用しない”のだ。と。


 森人の舞は一種の催眠術。周囲の音に合わせて揺れ動き、見た者に様々な影響を与える物。その為、舞を見ていない相手には何の効果も無く、例え見ていたとしても、既に我を忘れた相手には干渉出来ない。


「エリー!」


 体勢を崩して尻餅を突くエリーの前にトグルは割り込み、賊と鍔迫り合いになる。周囲にはまだ興奮状態の賊が二人も残っており、それに加えてリリアナを守る盾が消えた。ただ、興奮状態にある賊達は冷静な判断が出来ず、怯えて固まるリリアナでは無く、剣を持ったトグルの元へ襲い掛かる。

 このままでは全員死ぬ。エリーは飛び上がる様に立ち上がると、鍔迫り合いをしている賊の懐に潜り込み、勢い良く押し倒しながら首の筋を噛み千切る。

 肉潰れる音と筋が千切れる音が鳴り、エリーの顔に大量の鮮血が噴き掛かる。それでもエリーは目を閉じる事はせず、何度も何度も首筋に噛み付き、肉を削いでいった。

 同時に炎の壁から一本の剣が飛来し、トグルに襲い掛かる賊の一人の頭を貫く。魂ごと意識を刈り取られた賊は、足を縺れさせて勢い良く地面に倒れ込むと、大きな血溜まりを作った。


「エリー!フォルトさん!……屑人間がぁ!」


 二人の呻き声に雄叫びを上げながら振り返り、残りの賊を袈裟斬りに切り伏せる。

 革の鎧の下に隠れ、更に肉に埋もれた肋骨すら切断した斬撃は、抵抗すら許さず一撃で賊を葬った。

 トグルはすぐに振り返り、エリーに視線を送る。何度か剣で殴られたのか、エリーの背中は血で滲んでおり、それでも牙を抜かなかったからだろう。賊は彼女の特徴であるサイドテールを鷲掴みにし、仰け反った顔目掛けて拳を振るっていた。


「ゔっ!あぐぁ!」


「エリー!」


 賊が左腕を振り上げた瞬間、トグルは賊の腕を斬り飛ばす。だが、賊は痛がる様子を一切見せずに、切断された腕の断面をエリーの顔に叩き込んだ。

 濡れた肉がぶつかり合う歪な音。大量の鮮血がエリーの顔を赤く染め上げる。

 エリーが賊の上に乗っている所為で剣を振る事が出来ないトグルは、顔を顰めながら賊の股間に踵を乗せ、全体重を掛けて踏み潰した。その瞬間、賊は体を大きく仰け反らせ、上に乗っていたエリーを弾き飛ばすと白目を剥いて痙攣を始めた。その喉元へトグルは剣を振い、賊の頭を斬り飛ばした。


「リリアナ!エリーを頼む!」


 痛みに声を漏らすエリーから視線を外すと、トグルは炎の壁の向こう側に視線を送る。そこでは、左腕をだらりと下げ、胸元から血を滲ませたフォルトが三人の賊と死闘を繰り広げていた。賊達は、トグル達に襲い掛かって来た者達とは違い興奮している様子は無く、冷静にフォルトと対峙している。そして、その様子を蚊帳の外から歯噛みするトグルの事も、彼等は認知している。

 トグルは周囲に賊がいない事を確認すると、フォルトの元に向かう為、炎の壁を大きく回り込む。

 血濡れの視界の中、遠ざかるトグルの背中を見たエリーは、介抱する為に自身を抱き寄せるリリアナの手を払い、彼を追う様に伝えた。


「ヒヒアファ……追っふぇ……」


「エリーを一人には出来ないよ!」


 だが、リリアナは涙を流しながら首を横に振る。


「いいふぁら……。わらひのははりにおろっへ……。みうあをたふふぇえ」


 大きく腫れた頬。痺れた舌の上に絡まる賊の残骸が、エリーの言葉を声に変える。それでも、家族同然に暮らして来たリリアナには、彼女の言葉が聞き取れた。だからこそ、彼女はエリーを覆う様に抱き、何度も何度も首を横に振った。


「私には出来ない!私には踊れないよぉ!」


 リリアナはエリーと違い、普段から職務をサボらず、寧ろ率先して行うべく行動していた。だが、姉達からは遠回しに拒絶されていた。その理由は単純。彼女が全くの“無能”だったからだ。

 森人の女であれば誰でも出来る舞も、間引きの為の狩猟も、息抜きの為の雑談すら、彼女はままならなかった。リリアナは自分で自分の欠点を理解している。だからこそ、自分が助けに入れば足手纏いになると考え、動けなかった。

 エリーは痛みに気を失いそうになりながらも、震える指先で近場に転がる死体を指差した。もう、声を発する気力すら無い口元は、「武器」とだけ形を刻む。それでも、リリアナはその場で泣き崩れるだけで動かなかった。

 エリーが気を失うとほぼ同時に、回り込んでいたトグルがフォルトの元に辿り着く。その間にもフォルトの生傷は数を増やしていたが、一方、賊の数は一人減っていた。

 男の仕事である鍛治をせず、ただ、他人の造った出来の良い武器を振う変人であったフォルトの鬼気迫る表情と業に、対峙していないにも関わらず、トグルは恐怖に息を呑む。それと同時に、そんなフォルトに怖気付く事すらせずに渡り合う賊達を、「これだから人間は」と心の奥底で蔑む。


「フォルトさん!手を貸します!」


「……助かる」


 フォルトと対峙する賊の一人に、側面から攻撃を仕掛けて鍔迫り合いに持ち込み、動きを封じる。それを見たフォルトは、もう片方の賊に対して手に持った剣を投擲し、死体から武器を奪い取ると、体勢を崩した賊を斬り伏せ、流れる様にトグルと鍔迫り合いをしている賊の背中を袈裟斬りにする。

 賊二人は呆気なく地に伏し、血溜まりを広げて黙り込む。革鎧の裂け目から見える内臓は、血油に塗れた賊の武器で斬られたとは思えない程、綺麗に割れていた。

 自分で剣を打つトグルは、賊の剣が質の悪い量産品である事を一目で見抜いていた。だからこそ、自分で打った剣よりも綺麗な断面を見て、トグルは再び恐怖した。

 賊の死体を見下ろして固まるトグルを他所に、フォルトは剣に纏わり付いた血油を払い落とすと、炎の壁を斬り裂き、一瞬だけ出来た僅かな弛みに滑り込み、走り抜けた。


「リリアナ、エリー、無事か?」


 フォルトはリリアナの隣に膝を折り、エリーの口元に手を当てて無事を確認すると、次いでに口内にある血肉や欠けた歯を掻き出した。


「顔の骨は折れていないようだが……頬の裏が大きく裂けているな。背中の傷も、切り傷は運良く浅いとはいえ打撲が酷い……。背負って走るしか無いが、振動による痛みは相当だろう」


 フォルトは一旦リリアナにエリーを預けると死体の服を剥ぎ、剣で切れ込みを入れると簡易的な紐を作る。

 作り終わる頃にはトグルも三人に合流し、フォルトに指示を仰ぐ。


「フォルトさん、それ、どうするんですか?」


「エリーを背中に括り付ける為だ。すまんが、今の私では背負う事が出来ぬ。頼めるか?」


「分かりました」


 フォルトは更に死体から無傷の革鎧を剥ぎ取ると、背中側に死体の衣服を詰めてエリーに着せ、トグルに背負わせる。そして、脇下から紐を通してトグル胸の前で捻ると、エリーの両膝に紐を通して体勢を安定させた。

 余った紐を剣で斬ると、フォルトはそれを自分の左肩に巻き付け、応急処置を施す。


「咄嗟に降さねばならぬ時は、胸の前の紐を切り落とせ。とは言ったものの、当分追手が来る事は無いだろうがな。……さて、走るぞ」


 賊の頭から自身の剣を中身ごと引き抜き、付着物を斬り払い鞘に納める。

 同胞はもう居ない。そう諦め、彼等は獣人の国、ガルマスト共和国へと足を進めた。

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