後編

 葬儀は盛大を極めた。王女は確かに見る者全てを遠ざけはしたが、次代のただ一人の王族であり、何よりその振る舞いにも拘らず、全ての民に愛された存在だったのだ。


 長大な葬列を余所に、残された庭師はこの国を出るべく出発の準備を進めていた。自分に与えられた仕事は既に終え、求めるべき世界も王女亡き後、その手掛かりも潰えてしまった。王女は彼に後を託しはしたが、庭師にとって王女こそがその導き手であり、彼女に依って齎された糸が断たれてしまった以上、最早この地に留まる理由が無くなってしまったのである。

 自分の最後となった仕事はこの上も無い成功を収めながら、同時に失敗でもあった。広大な世界と云う迷宮に放り出され、世界を照らし導く唯一の灯を失った庭師は、このまま出口を見出し得ず当て所無い旅路をその命が潰える日まで続けるしかないのだった。


 自身の行く末を憂い、出立も後幾許か、と云った所に、城からの使いに呼び止められた。今一度仕事を依頼したい、と。

 断る事も出来た。否、断るべき、と感じた。その先に微かに見えた黒い澱の様な不穏な何かが受ける事を躊躇わせたのである。

 しかし、彼がそれと口にする前に、自分の手を引く何かの気配を感じてしまった。彼はそれが他ならぬ王女の物と覚ってしまった。或いはそう思いたかったのかも知れない。その先にどんな結末が待ち受けていたとしても、最早彼には断ると云う選択肢は残されていなかった。


 再び与えられた部屋で、新たな図面を引くべく広げた紙にペン先を向けたその時、ふと傍らに感じた気配。それは紛れも無い、幾度となく庭園を共に歩いた聞き慣れた足音、こちらを覗き込む様に窺う気配、囁き掛ける前の軽く吸い上げる息遣い、彼の王女のそれであった。再び二つの目線が同じ所に向き、途切れていた世界への旅路は再開された。新たな線が一つ引かれる度に、それは一度失われた世界への、その先に広がる空へと続いている様に思われた。


 庭師の手によって新たに為された庭園、同時に亡き王女の墓標として作られた場所。それを見た者は、皆驚き困惑するのであった。以前に作られた庭園に圧倒され、その隅々に至るまで神経の行き届いた造形に慣れた者の目には、今度の新たな庭園、否、そう呼ぶ事も憚れる程に、それは粗末で乱雑な物として映ったのであった。

 王女の眠る場所を示す、一際高く聳える尖塔の周りを取り囲む湖は、輪郭の不規則なまま捨て置かれたかの様に波打ち歪んでいた。地を覆う草々には統一感が無く、湖の中央に浮かぶ小島の様な王女の墓標に向かう道を除けば、ほぼ手付かずのまま放置されたと云った様相で、それは外側に行くにつれて増々丈を増して行き、やがて疎らに繁る灌木がそれ等を受け継ぎ、徐々にその背丈を伸ばして行った結果、遂には庭園全体を取り囲む様にして高く深い木々が全てを覆い隠してしまうのだった。

 しかし、訪れる物を拒む様な気配は皆無であり、所々綻びとなって空いた空間より続く、野道とも見紛う曲がりくねった道が中心に向けて幾つも伸びていた。

 道を歩む者はやがて気付く。辺りは水を打った様な静けさに包まれ、疎らに伸びた木々の間から光が洩れ、足元で唐草模様の影が躍ると、薄らと漂う霧が光の軌跡を宙に映し出し、明滅しながら辺りを彩って行く。

 その長閑さに、進むも戻るも少しの間だけ足を休めて暫し見入る程の穏やかな構え、と云った風情。迷い込んだ者は、その穏やかさ長閑さに心安らぎながらも、結局この庭園がどのような意図で作られたのか分からず、途方に暮れるのだった。


 この国の大半の者達は、この庭園と呼ぶには余りに中途半端なまま投げ出されたとしか思えない代物に対して、王女に対する侮辱、延いては王国その物、そこに生きる者全てに対する侮辱であると受け取り、それと共に庭師に対する怒りの感情も又同様に膨れ上がり、閉じられた国特有の病理か、遂には彼の庭師を処断すべし、との声が王国中で叫ばれるまでになってしまった。

 当初老いた王は、徒に王女の眠りを妨げる物では無い、との立場から、この声に対して慎重な構えを取っていたのだが、それに反し、声は大きさを増すばかり。終いには自身の立場までも危うくしてしまう程の事態にまで発展してしまうに至って、最終的にこれに同意せざるを得なくなってしまった。


 怒りに駆られる衆目の前にさらされる事になった庭師は、しかし不思議と落ち着き払った態度で、さながらこうなる事も全て見越していたかの様に、刑台へと進み出、歩くべき道を全て歩き切った様な充足した表情で、死への旅路に臨んだのだという。その安らぎに満ちた顔に吹き寄せる風に揺れる睫毛は、広がる草葉の上で安らう蝶の様に優美あったとも伝えられる。虚ろに開いた瞳に移る空は、王女の眠る墓標を囲む湖の水面に移るそれと同じ、薄青く果ての見えない、それ故に何処までも続いて行く、嘗て王女と庭師が信じ追い求めたあの空と同じ色であったのだ。


 庭師だけは知っていた。これが終わりではなく、始まりであると云う事に。

 長い時間を経て、庭園を形作っていた境界の編み目は少しずつ解けて行き、周りと絡み合い、溶け合い広がって行き、互いにどちらがどちらと分からなくなるまで混じり合って、世界そのものとなるまで、それは続くのだった。誰も気付かない内に。

 しかし、道行く人々は人々は、何気無く見かけた花の色に、揺れる草々に気を取られ足を止める時、彼等は王女の眠る庭園の中に居て、思わず降って湧いた穏やかな刻に、暫し時を忘れ安らうのだった。そして、その穏やかさ長閑さはゆっくりと外へ外へと足を伸ばし、周囲の土地を飲み込んで、この地に人が移り住んでより以前の森の姿に帰って行くのだと、枝々の間をの間を跳ね回り、時折蹲って羽を休める小鳥達の歌声が、そうと囁き掛ける。


 何時しか、王女の墓標を場所を知る者は誰も居なくなり、人知れず捨てられる様に放置された庭師の居場所も又。

 庭園と云う名の世界の何処かで、王女と庭師は再び巡り合い、並び連れ立って、新たな世界と云う名の庭園を歩み、遥か遠く、空の高みへと昇って行き、やがてその姿は小さくなり、見えなくなって行く。

 嘗て、もしかしたら今も、王女の瞳を掠めた空、庭師の瞳に写った空、同じ空の色を写した湖の水面より飛び立った水鳥が、その眼差しの先に広がる空に向かって、遮る物の無い空間を、滑る様に何処までも何処までも行き着く先まで飛んで行く。

 その後を、ゆっくりと、静かに追う様に、薄く白みがかった青い空が滲む様に広がって行く。巡り巡って、何時しか投げ掛けられた眼差しと行き会い、世界その物となるだろうその時まで。


 呼び掛けられた様に空を見上げた時、その先にまるで泣いているかの様に薄く滲む空を認める時、耳を澄ませば聞こえて来るだろうか。

 何時か王女の洩らした微かな溜息を。その微かな声を掬い上げ、それを紡いで世界と云う庭園を捧げた、若き庭師の、亡き王女へのパヴァーヌを。




                            終

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亡き王女の為の… 色街アゲハ @iromatiageha

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