中編

 それからと云う物、王女の姿を庭園で見掛ける事が多くなって行った。庭師を伴い、言葉少なに語る庭師の説明に相槌を打つだけの、しかし言外に二人の間に通ずる外なる世界への抑え難い憧憬を確認し合う、秘め事の様な刻。

 初めて視線を交わした時より、二人の間で交わされた暗黙の了解。

 目の前に広がる世界、一見有り触れた特に語るべき事の無い光景に秘められた、あらゆる可能性を秘め、未だ誰にも踏み荒らされていない真っ新な世界への回帰、と云う共通の憧憬が、二人の間に共犯にも似た、他の誰にも理解の及ばない関係を結ばせていたのだった。


 嘗ての日々。穏やかな地にありながら、それ故に変わる事の無い、閉じられた牢獄にも等しいこの世界で、移ろう事を知らず、ただ一人在る事を事を定められた王女の心は、やがて氷に閉ざされて行った。

 周囲の全てを凍て付かさんとばかりに向ける視線、それは徒に人々を遠ざけるだけで、何一つ状況を変えるには至らなかった。

 最早、己自身で変えられる事など何一つとして無い、と悟った王女は、変わる事の無いない日々を、ただ空を見上げるだけに費やされた。せめてその先に自らの心に巣食う氷の檻を融かし、想いの様羽搏ける世界の存在を信じて。


 その中に庭師、と云う存在の現われた事は、奇跡と言って良かった。少なくとも王女にとっては、それ以外に形容しようの無い出来事だったのだ。

 庭師にとってもこの出会いは、自分でも意識していなかった心の渇望なる物を意識させるという点で、正しく僥倖と云うべきものだった。

 自らの圧倒的ともいうべき才能を、誰でも無い、他ならぬ自分自身が最も理解する所だったが、王女との邂逅に依って得た此度の発想は、その才能の上限の更に上を行く物であったばかりか、それがそもそも何処を目指しているのか、と云う問いに答えを与える物だったのだから。

 一度答えを得てからは早かった。最早自分以外の見えざる手が働いたとみる程に溢れ出る発想の奔流に、庭師自身が追い付けない程に。

 自身の理解の追い付かない所で事態は進行して行く。さながら空の遠くで巨大な雲が湧き起り、雷の鳴る様を遠巻きに眺めている、と云った風に。目の前の完成した庭園が、紛れも無く自身の引いた図面に依る物であるにも拘らず、心の何処かでそれを自身の手に依る物と言い切る事が憚れる程に。

 庭園が完成したにも拘らず、何時もと違い、彼の庭師が何時まで経ってもこの地を去ろうとしなかった理由がこれだった。度重なる歓待と王女の求めに応じて庭園を案内すると云った理由も有るにはあったが、何より、自分の手の入った庭園で起こった事、この意味を理解し切らない限り、最早それを知らずして己はこれ以上前に進む事は出来まい、その思いが何より強かったのだ。


 斯くて、互いの思惑は結び付き、王女と庭師は庭園を幾度も徘徊し、言葉少なく、拙いながらも言葉を重ねる事で、自分達の向かうべき場所への手掛かりを、少しずつ探る様に、真っ白な地図を前にして向かうべき方向も何もかも自分達で探らねばならない難行に挑むべく逢瀬を重ねるのだった。


 しかし、王女の心を覆い尽していた氷の檻は、同時に、その身に迫る終焉の時を留め置くと云った役目も又負っていたのだった。


 王女の心の内の氷が徐々に融けて行くにつれて、王女に残された時間も又、少しずつしかし確実に溶けて行くのだった。

 望んでいた世界への旅路を前にして、突如身体の自由を失い、身動きできぬままに床に臥せざるを得なくなり、衰弱して行く己が命を前にして、それでも王女はその最後の時まで漸く見出し得た世界への憧憬を手放す事無く、病床の傍らに庭師を呼び、目覚めている間、寸暇を惜しむ様に朧気ながらも見えて来た世界に向けて手を伸ばし続けるのだった。

 その願いも空しく、いよいよ最後の時を迎える事になって、王女は側に庭師を呼び、後の希望を託すべくその耳元に囁き掛けるのだった。


〝きっと見付けて下いましね、私達の世界を。その暁には、私の魂もそこへ誘って頂けますよう。″


 その言葉を最後に閉じられた瞼の上で揺れる睫毛は、薄暗い室内の、ただ一つ開け放たれた窓より吹き寄せる微風を受けて、宿り木の上で静かに眠る小鳥の様に安らいでいた。

 

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