第2話

 王立図書館は王宮の敷地内にある。ここは城下にある施設と違い、貴族や魔術師しか利用することが許されていない。ちなみに魔術学院の学生も使うことはできるが俺は使ったことがなかった。東方人の俺は歓迎されないからだ。

 気は進まないもののザイハム様を探すためだと扉を開いた。入り口にある窓口を見ると、案の定微妙な顔をされる。


(せめて表情くらい隠せよな)


 眉を寄せながら内扉を開け円形状の内部をぐるりと見渡した。王立図書館は巨大な円柱の形をしている。ドーナツのように空いている中央部分は中庭で、窓硝子になっているからかどこにいても明るい。代わりに書架には日焼けしないように本を保護する魔術が施されていた。

 見渡す限り人影がほとんどない。「そのほうが探しやすいけどな」なんて思いながら中に入り、ぐるりと見回したところで「クーノじゃないか」という声がした。


「ザイハム様!」


 ここが図書館だということも忘れ、つい声を上げてしまった。慌てて口を閉じたものの、もし利用者が多かったらあちこちから睨まれていただろう。そんな俺にザイハム様が苦笑しながら近づいてきた。


「きみも本を探しに……っと、そうか、今日はバレンタインの日だったな」


 毎年恒例だからか俺の目的をすぐに言い当てた。こうして覚えていてくれるのは嬉しいものの、俺の気持ちが伝わっていないんだと突きつけられたような気がして切なくなる。


「きみは本当に律儀だな」

「律儀とか、そういうことじゃないんですけど」

「律儀だろう? あれから……もう九年か」


「大きくなったな」と爽やかに笑う姿はかっこいい。でも、相手にしてくれていないようで胸がチリリと痛んだ。


(ザイハム様はずっとお礼だと思ってる)


 毎年違うと言っているのに全然伝わらない。それでも諦められなくて毎年こうして直接渡してきた。


「ちょっと待っていてくれ。本を書架に戻してくる」


 このあとチョコレートを受け取り、一粒食べて「おいしい」と言ってくれるのだろう。三年前からカードを添えるようになったが、それを見てもお礼だと思って疑わない。切ない気持ちを押し殺していると、戻って来たザイハム様が「中庭に行こうか」と微笑んだ。


(やっぱりザイハム様が好きだ)


 笑顔を見るだけで胸がきゅんとし、体の奥がポカポカした。好きで好きでたまらない気持ちが溢れそうになり、慌てて唇を噛み締める。俺は「はい」と答えると、チョコレートを詰めた青い箱を持って後に続いた。

 円形の中庭にはベンチやテーブルが置いてある。ここでお茶を飲みながら本を読むことができるそうで、そんな優雅な読書スペースがあるのは貴族が利用する施設だからだろう。学院の書庫にもこうした読書スペースがあれば落ち着いて読めるのにと思いながら、前を歩くザイハム様に声をかける。


「俺、来年卒業なんです」

「あぁ、聞いているよ。ファルスもうるさいくらい卒業後の進路について話していたな」


 進路と聞いてドキッとした。


「あの、ファルスはどうするって言ってました?」

「詳しくは聞いていないが、姉上は宮廷魔術師をしている従兄弟に預けるつもりでいるようだ」

「預けるって、」

「彼の弟子で落ち着くんじゃないかな」


 つまりファルスはザイハム様付きの魔術師にはならないということだ。思わず「よし」と拳を握ってしまった。


「きみはどうするんだ?」


 これはチャンスだ、そう思った。


「騎士付きの魔術師になりたいと思ってます!」


 思わず叫んだ俺に、一瞬碧眼を見開いたザイハム様は「そうか、きみならいいお抱え魔術師になりそうだ」と微笑んだ。俺は「もしかして」と期待した。

 俺はやっぱりザイハム様付きの魔術師になりたい。これからもっと勉強して隣に立つに相応しい魔術師になるんだ。あわよくば恋人として隣に立ちたい。次々と欲望ばかりが膨らんでいく。


「きみの術式はとても美しいと聞いている。とくに対魔獣防壁の魔術は無駄がなく完璧だと、教師たちの間でも評価が高いと聞いた」

「そんなことはなく……もないですけど」

「ははは、きみは正直だな」


 謙遜しかかった言葉を呑み込んだ。ここで優秀だと訴えれば指名してくれるかもしれない。


「きみなら騎士たちからの指名も集まることだろう。いや、争奪戦になるかな」


 まさかの言葉に心臓が飛び出るかと思った。今だ、そう思って一歩踏み出した。


「ザイハム様、俺……って、ぅわっ」


 踏み出した足がつるんと滑った。何もないところで滑るなんて最悪だ。慌てて踏ん張ったものの今度は横にふらつき、そのままドスンと尻もちをついてしまう。


「ってて……」


 なんて格好悪いんだろう。大事なことを告白しようってときに最悪だ。しかもカバンの中身まで散らかってしまった。


「大丈夫か?」

「はい、だいじょ……」


 言いかけた言葉が止まった。手の下に青い箱があることに気づいたからだ。思い切り手をついたからか箱は原形を留めないくらい潰れてしまっている。


(ザイハム様に渡すチョコが……)


 最悪な状況に声も出なかった。大事なバレンタインなのに肝心のチョコレートがないなんてあり得ない。たかがイベントでも、それに縋りたいくらい俺は必死だった。あまりのことに「最悪だ」とつぶやくと、「チョコは大丈夫そうだな」という声がして慌てて顔を上げた。

 ザイハム様の手に赤い箱がある。「ありがとう」と笑う顔にときめいたのは一瞬で、すぐに冷や汗が出た。


「今年はどんなチョコかな」

「それは、」

「どうかしたか?」

「……いえ、何でもないです」


 箱を開けようとしている手を止めなければ。わかっているのに止めたくない気持ちが上回ってしまった。それに渡そうと思っていたチョコレートは潰れてしまったわけで、それしか手元にない。


(ごめんなさい……!)


 心の中で謝りながらカバンの中身を急いで掻き集めた。潰れた青い箱も隠すようにカバンに突っ込む。


「今年もおいしそうだな」

「……口に合うといいんですけど」

「きみが作るチョコは毎年おいしいよ」

「……ありがとうございます」


駄目だ、見ていられない。それでも気になってザイハム様の様子を窺ってしまう。太い指が摘んでいるハート型のチョコレートは黒と赤の二層になっている。黒いほうはビター味でザイハム様が好きな甘さにした。そして赤いほうは……。


(媚薬系魔術を練り込んだベリー味のチョコだ)


 魅了系ではなく、あえて媚薬系の魔術を施した。それなら効果は一時的なものだから大きな影響はない。念のため魔術が発動している最中の記憶は消えるように、時間差で忘却の魔術が発動するようにもした。


(こんなの卑怯だし最悪だ)


 それでも用意してしまった。普通のチョコレートを詰めた青い箱と媚薬系魔術を施した赤い箱、どちらを渡すか悩みに悩んだ。最終的に青い箱を選んだのに、結局こうなってしまった。


(ごめんなさい、ザイハム様!)


 一瞬でもいいから恋人気分を味わいたいと夢見てしまった。毎年振られているからか、それとも想いが強くなりすぎたのか、つい欲望のままにチョコレートを作ってしまった。


「赤いのはベリーか?」


 そう言ってザイハム様がチョコレートを口に入れた。モゴモゴと動く口から目が離せない。「最悪だ」と思っているのに期待する気持ちは隠せず、固唾を呑んで見守った。


 バチン!


 突然ザイハム様の胸元で何かが弾けるように光った。地面を見ると、騎士服の胸についていた飾りボタンが一つ落ちている。しかしザイハム様は光ったことには気づいていないようで、「糸が切れたか?」と言いながら金色のボタンを拾い上げた。そうして「今年もうまいな」と言って立ち上がった俺を見る。


「ますます腕を上げたな」

「……ありがとうございます」

「お世辞じゃないぞ? 菓子職人になってもおかしくない味だ。しかし、そうなったらこの味を独り占めできなくなるか」


 ザイハム様は今年も優しい。ただのお礼のチョコレートだと思っているのに、こんなにも褒めてくれる。褒め言葉は嬉しいが、やっぱり胸が痛い。


「ザイハム様は褒め上手ですね」

「そんなことはない。毎年食べているからこそわかることもある」

「それじゃあ、来年も気合いを入れて作らないと」

「ははは、嬉しいことを言ってくれる。そういえば今年はカードはないのか?」


 言われてハッとした。慌ててカバンに突っ込んだ青い箱からカードを引っ張り出し、「落ちたみたいで」と言って差し出す。

 カードを読むザイハム様を見ることができない。後悔しながら俯いていると「今年もありがとう」という優しい声が聞こえてきた。


「お礼なんて……」

「残りも大事に食べるよ」

「はい。……あの、」


 指名のことを口にしようとして、結局言えなかった。卑怯な俺に指名を願うことなんてできるはずがない。代わりにミシェイラ様に頼まれた伝言を伝えると「ありがとう」と言って頭をポンと撫でてくれた。

 去って行く後ろ姿を見送りながら撫でられたところを触る。指名のことは別の機会にお願いしよう。気持ちを切り替え、飾りボタンが落ちていたあたりにしゃがみ込み右手で触れた。


(……やっぱりファルスか)


 ザイハム様が光に気づかなかったのは術者にだけ反応する術式だったからだ。地面に残っている気配から、ボタンに魔術を施したのがファルスだと確信した。魅了系の魔術を弾く術式に俺の媚薬系魔術が引っかかったのだろう。


(魅了系と認知されるくらい威力が大きかったってことか)


 教師たちにも散々気をつけろと言われてきたのに、気持ちが昂ぶって力加減を間違えてしまった。もしファルスの魔術がなければザイハム様に魅了系魔術をかけてしまうところだった。ファルスには感謝すべきだろうが、とことん邪魔しようとする態度には腹が立つ。


(進路の最終決定は秋だ。それまでに何としても指名をもらわないと)


 そのためにも作戦を練り直さなくては。そう決意した俺は、足早に学院の寮へと戻った。

 それからの俺は、これまで興味がなかった騎士団の訓練見学に毎回参加するようになった。騎士団の訓練は主に新人のためでザイハム様は参加しない。それでも堂々と騎士団に行けるチャンスはそのくらいしかなく、行き帰りにザイハム様を見つけて指名のことを訴えるつもりだった。

 そんな俺の目論見に気づいたのはファルスだった。あいつまで訓練見学に参加するようになったせいでザイハム様を探すことができない。それならと騎士団付きの魔術師が募集していた助手のアルバイトを引き受けたが、そこにもファルスが参加していた。何をしても散々邪魔をされ、そうこうしているうちに夏になってしまった。


(これじゃ指名に間に合わない)


 秋までに進路を確定しなければ自動的に魔術学院での助手生活が始まってしまう。東方人を嫌う学院に居続けるなんて冗談じゃない。そんな俺を嘲笑うかのようにファルスの邪魔も激しくなった。あまりの鬱陶しさに、俺はとうとう決闘を申し込んだ。

 決闘は国で許されている正式な手続きだ。ほとんどは騎士同士で行うものだが魔術師がやらないわけじゃない。しかし学院は学生ということを理由に決闘を認めなかった。過去には学生でも決闘が認められたのに許可されなかったのは俺が東方人だからだろう。もしくは相手がフォリュン家という名家だったからかもしれない。


(結局、説教と懲罰で夏期休暇が終わってしまった)


 これから秋にかけては魔術試験が山のように控えている。試験に合格すれば専門家として認められ、さらなるアピール材料になる。もちろん俺はザイハム様に指名されるため誰よりも多くの受験を申請していた。そんな中、また教師に呼び出されてしまった。


(時間がないっていうのに……)


 懲罰の雑用は終わったはずなのに何の用事だろうか。廊下を歩きながら窓の外を見る。木々はすっかり色を変え秋薔薇が咲いているのが目に入った。ため息をつきながら、焦りと諦めに思わず唇を噛み締める。

 東方人の俺が名家の騎士に指名されるのは難しい。ザイハム様は優しいが、それは俺が纏わりついているからだ。わかってはいたものの胸が痛くて仕方がない。


(あれ?)


 視界に映り込んだ人物にドキッとした。あの後ろ姿はザイハム様で間違いない。でもここは魔術学院で、騎士であるザイハム様がいるはずのない場所だ。

 一瞬ためらったものの、走って廊下を抜け庭に出た。「ザイハム様!」と声をかけると爽やかな笑顔でザイハム様が振り返る。


「どうしたんですか?」

「ちょっと用事があってな」


 気になったものの、あまり突っ込んで聞くのはよくない。「そうですか」と言いながらも久しぶりに会えたことにソワソワした。

 指名のことを言うなら今だ。わかっているのに言葉が出てこない。焦っていると「来年のチョコが楽しみだ」と言われて「え?」と首を傾げた。


「来年もバレンタインのチョコ、くれるんだろう?」

「もちろんあげますけど……」


 突然どうしたんだろう。


「来年の趣向が楽しみだな」


 趣向と言われてドキッとした。まさか魔術を施していたことに……いや、気づいているなら怒るはずだ。卑怯な手を使ったことを思い出した俺は、結局指名のことを言えないままザイハム様と別れた。


(人生終わった)


 重い足取りで教師が待つ部屋へと向かう。

 このあと俺は「フォリュン家からおまえを指名したいとの申し入れがあった」と聞かされることになるのだが、もちろんこのときはそんな想像などまったくしていなかった。

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魔術師の卵は憧れの騎士に告白したい 朏猫(ミカヅキネコ) @mikazuki_NECO

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