二十九 その後

 その後。

 八重の説明は、藤堂八郎の従叔父の吟味与力藤堂八右衛門による与三郎の吟味で裏づけられた。

 与三郎は多惠と八重が双子だったとは気づいていなかった。一度は仙台で与三郎の元を去った多惠が、ふたたび、千住中村町の山王屋の自分の元に戻ってきたと信じて疑わなかった。

 北町奉行は、一連の与三郎たち一味による夜盗事件を老中へ御仕置伺にしていた。その結果、下知書に従って、奉行は与三郎たちに死罪を申し渡した。


 一方、八重を吟味した結果。上女中の多惠に扮した八重が与三郎たちに知らせたのは、加賀屋の締日後の、慰労の宴の日程だけだったが、毎月行われる加賀屋のこの催しは、日本橋呉服町界隈では誰もが知っていたため、八重(多惠)が加賀屋の内情を与三郎に知らせたとは言いがたかった。そして、八重(多惠)が与三郎たち一味の藤正屋襲撃を事前に知らせたことと、山王屋の家宅改めに口添えして盗まれた金の発見に貢献したこともあり、北町奉行は、夜盗捕縛に協力した八重(多惠)に、異例とも言える特別な温情をかけて、お咎め無しとした。

 裏で、藤堂八郎と従叔父の吟味与力藤堂八右衛門が動いて、八重が、亡き多惠と父の怨みを晴すために、多惠に扮して与三郎たち一味を町方に捕縛させた、と奉行に知らせていた事は、唐十郎たち特使探索方を除けば、町方は誰も知らなかった。


「八重。お前は元山王屋の上女中の多惠として、盗まれた金の探索に協力した事だけになっている。加賀屋に戻って多惠として暮せ・・・」

 お白州の八重に向って、北町奉行は優しくそう言った。

「お奉行様と皆様の助力にて、いちどは藤堂八郎様の妻になれました。そして、父と妹の怨みを晴らせました。

 しかしながら、藤堂八郎様にも加賀屋菊之助様にも、事実を申さなかった私の行いは、私を信じてくださった皆様への裏切りです。

 そう、わかっていながら、加賀屋へ戻る事などできませぬ・・・」

「そういうこともあろうと思い、加賀屋菊之助には内々に、

『多惠は与三郎捕縛のために儂が放った密偵だ』

 と話しておいた。加賀屋菊之助と話しあって、どうするか決めるが良い」

「そうおっしゃられても、正直を申せば、藤堂八郎様にも未練がございまする・・・」


「では、特別な沙汰を下そうと思う。

 その前に、ちとふしぎな事を話しておこう。聞くがよい」

「はい」

「畜生腹というのを聞いたことがあろう。巷の者たちは双子や三つ子をそのように呼んで忌み嫌う。そこで双子や三つ子が産まれた親は、親戚などに頼んでその子らを隠そうとする。

 ある武家に三つ子が産まれた。巷の噂を避けて親は親戚と話しあい、三つ子の一人を親戚に育ててもらうことにした。

 ところが飢饉で藩が窮した。そこで武家は親戚ともども藩から暇をもらって町人になった。そして、次女が悪人にたぶらかせれて盗賊の一味に引き込まれたため、父がこれを救ったが、次女救出の際の刃傷沙汰で、その後、父と次女は他界した。

 そこで、長女と三女は二人で一人を演じて盗賊一味を罠にはめ、盗賊の一味は町方に捕えられた・・・」

「・・・」

 八重は、何も言わずに目を伏せた。


「親戚というのは、そなたの父源助の知古の元仙台藩士、木村玄太郎だ。

 そして、三つ子の三女は、佐恵という名だ・・・。

 藤堂八郎と佐恵を、これに呼べっ」

 北町奉行は同席している内与力に命じた。


 まもなく、奉行の傍らに与力の藤堂八郎が正座した。

 お白州には、八重の隣りに、八重と瓜二つの佐恵が正座している。

「八郎。加賀屋に嫁いで、その後、多惠として奉公に上がったのは佐恵だ。

 昼は八重が上女中として働き、夜は佐恵が菊之助の伽を務めた。与三郎に祝言の報告に行ったのも、佐恵だ。

 今は亡き多惠も含め、三人は三つ子。以心伝心じゃ。独り独りの記憶と思いは、三人が共有しておる。

 さて、八重と佐恵に、特別な沙汰を申し渡す。

 佐恵は多惠として加賀屋に戻れっ。

 八重は吟味与力藤堂八右衛門の養女となって後に、藤堂八郎に嫁げっ。

 良いなっ」

「はい・・・」

 八重と佐恵の目に涙が溢れた。二人を見つめる藤堂八郎の視界が涙で霞んだ。

(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

口入れ屋 特使探索方控⑤ 牧太 十里 @nayutagai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る