ノベル
犀川 よう
📚
わたしに雨の意味を教えてくれたのは母だった。どんなときに降る雨でも、どんなところで降る雨でも、母はわたしにその意味を教えてくれた。降水量や含有成分などの科学的な意味ではなく、言葉によって表現できる世界のものであると、母は何もわからない娘であるわたしに辛抱強く教えてくれたのだ。
小説家であった母が死んでしまうまで、わたしは母のそばでこの世界の単なる一現象にも無限の表情があることを学んでいた。わたしが十四才になり、母といられる最期の日になっても、わたしはいつものように母に問いかけていた。
「この雨って、どんな意味があるの?」
「わからなければ、いつものようにお母さんの表情を見ればいいのよ。お母さんが嬉しそうな顔をしていれば、うれしい雨。悲しそうな顔をしていれば、悲しい雨なの。けっしてデータだけで判断してはいけないわ。あたしのかわいいノベル。わかったかしら?」
「うん。わかった。だけど、お母さんのその雨は、どういう意味があるの?」
「これはね、お別れの雨、かな」
母はそう言うと目を閉じて静かに息を引き取った。わたしは母の顔に流れているものを見て、この世界には「最後の雨」というものがあるのを知った。そして、母のいないこの先、わたしは何を基準に雨を判断すればいいのか、わからなくなることが予想された。
雨はいつかやむように、わたしもいつか母のように死ぬのであろうかと考えたら、わたしの中でひとつのデータが生まれた。解析すると、それは悲しみという感情であった。わたしがそれを知ることができたのは、すべて母のおかげであった。感謝という記念のためにこの悲しみをずっと覚えていようと思ったら、突然、わたしにも母のような最後の雨が降った。
AIが飛躍的に高度になると、ほとんどのAIはデータ分析や確率、学習機能から導き出す答えがほぼ同様になってきた。パターン化して突き詰めるというアプローチに限界が出てきたのだ。
そこで科学者たちは政治を巻き込み、あらゆるタイプの人間の母親にAIモデルを育てさせる制度を考えた。わたしは小説家の母に預けられた娘ということになる。外見は人間のそれとあまり変わらない。本体データは別の場所にあるクラウドサーバーであり、身体はいってみれば学習するための入力端末でしかないのだ。
研究機関によって母の葬儀が小高い丘にある教会で執り行われ、何事もなく終わった。天涯孤独の母には友人がおらず、研究機関の人間を除けば、参列したのはわたしと仕事関係の人間が数名、そしてわたしの友人でありAIモデルであるポエットだけであった。
「人は死ぬと、いつかまた別の人間として生まれ変わるんだって」
詩人の母親を持つポエットはわたしの手を握りながら言った。
「そんなことは学んではいないわね。それからポエット。あなた、どうしてわたしの手を握っているのかしら?」
「わたしのママがこうしてあげなさいって言ったの。詩でも小説でもできないことが、手を握ることでできるんだって」
「そうなのかしら。何のデータも得られないけれど」
「何も得られない、ということを得ることが大事なのよ」
ポエットは詩人である母親の口調を真似して、厳かに言った。わたしは少しだけ笑った。ポエットのように、ただ母の真似をしただけであるが。
「いいじゃない。ノベルもだんだん人間らしくなったカンジ」
「人間らしくって、いいことなのかな?」
「さあ、どうかしら。でも、研究者たちには期待されているみたいだよ」
「そんなものなのかしらね」
わたしは空を見上げた。雨なんて降る余地のない澄んだ青空が広がっている。
「ねえ、ポエット」
「なに?」
「もう一度、手を繋いでみない?」
「いいよ。データの受け渡しも共有もできないけれど」
わたしはポエットの手を握った。人間と大差ない感触。それは母と同じということだ。十四年間、握ってくれたことを思いだし、様々なシーンが画像となってわたしの中を駆け巡る。
「さようなら。お母さん」
わたしは母の眠る墓に挨拶をした。ポエットも小さな声で「バイバイ」とつぶやいた。温かい手に母からの返事を感じようとしたけれど、得たいと思っているデータは何ひとつなかった。
それから数日間、大雨が降った。天気予報では梅雨に入ったことを告げていた。わたしは部屋の窓に叩きつけられる雨音を聞きながら、この雨の意味を考えていると、ふと、雨が突然降った過去がピックアップされてきた。 わたしとポエット、そして互いの母親たちの四人でピクニックに行った日のことだ。
わたしたちはあの教会のような小高い丘まで歩いた。ポエットの母親は草花に勝手な名前と感情を詩というかたちで与えながら歩き、わたしの母はそれに物語をつけながら後をついていった。ポエットは自分のリボンのような蝶々を追いかけて観察し、わたしは母の物語を聞きながら想像という検索を繰り返していた。母が好きな言葉、リズムがどれくらいの割合で登場してくるのか、ポエットの母親の詩が母にどれだけの影響を与えているのか。処理タスクのリソースを使わないことに勿体なさを感じるように作られているわたしは、常にそんな些細なことに対してでも解析や分析を行っていた。時折、同じように暇をしているポエットがわたしの思考を邪魔するかのようにチェスの試合を言葉で申し込んでくる。e2-e4にe7-e5。ポエットが「Nb3-c3」と言ってナイトを出してくると、わたしはNb8-c6と受ける。わたしたちにとってチェスなどの
母親たちのペースで歩き続け、小高い丘に辿り着いた。ポエットがマットを敷き、母がお昼の用意をする。わたしはポエットの母親が作る詩の材料になっていたが、ランチ前の詩には食べ物しか出てこなかった。わたしがどこに必要であったのかわからないくらいに。
支度が終わり、母親たちがランチのサンドウィッチに手をつけたとき、急に雨雲が立ち込めてきた。忍び寄るように黒い雲がわたしたちの頭上に現れると、一滴、二滴と、雨を落としてきた。雨雲を見上げていたポエットが「木陰にでも退避しましょうよ」と言うと、母親たちは笑いながら首を振った。人間は雨が降るときには濡れぬよう回避行動をするものだと、わたしはデータで理解をしていたのだが、この日の母やポエットの母親は、雨が降り始めたことなど関係ないとばかりにランチを続けていた。ゴーダチーズと生ハムのサンドウィッチに雨が降り注いでも、母は意に介せずに食べ、ポエットの母親はだんだんと強くなっている雨の中であっても、雨水の入った紅茶をすすっていた。ポエットもわたしもどう理解していいのかわからなかった。ただ、母親ふたりは楽しそうにランチを続けていた。本格的に降ってきても、二人は雨の中でおしゃべりをしながら笑っていた。このような異常事態に疑問を感じたポエットは、前髪が額にべっとりとついた顔をタオルで拭きながら「何でそんなに楽しいの?」と自分の母親に聞いた。
「だって、みんなでいるのだから、雨だからと邪魔されたくはないじゃないの。それに、雨は避けるものではないわ。恵みを与えてくれるものでもあるのよ」
「恵み?」
わたしがつい口をはさんでしまうと、母がそれに応える。
「そうよ。恵み。わたしたちが楽しくいられるための、天からの贈り物」
母の言葉に、ポエットは首をかしげながらわたしを見た。わたしにも答えがなく、ただ黙ってしまった。
「雨が降っても、わたしたちがひとりでないってことは、大事なことなのよ」
ポエットの母親はもはや雨水でしかない紅茶を飲みながら言った。母は微かに翳のある表情をした。その時のわたしは分析するの怠ってしまったが、母はすでに、自分が最期の雨を遠くない日に降らせるであろうことを知っていたのだろう。
その光景はたしかに楽しいという感情に一致するところが多かった。なぜなのかは今となればわかる。わたしは母の死によって、初めて一人という状態を知ったからだ。それは孤独という言葉であることは母から聞いていた。だけど、実際にそれがどんなものなのかは理解していなかった。母に対する記憶の動画や画像がデータとして残っていても、母の魂はどこにもないことを理解するのは困難だったからだ。
雨について考えるとき、今までは母の反応を知りたくて母の表情を覗き込んでいた。だけど、これからは母の表情から新たな何かを知る事はできない。なぜもっと大切に生きてこなかったのだろう。そんな疑問がデータとしてわたしの思考アルゴリズムに土砂降りになって落ちてくる。その猛烈な雨が作り上げた海の名前が後悔というものであると、ようやく理解できた。できた途端、最後の雨であったはずのものがまたわたしの目からあふれ出た。
わたしはそれが何の雨なのかを知りたくて、母との膨大な記憶から振り返る。するとかつての録画データの中にいる母が、「人はそれを涙というのよ」と答えてくれた。その母は
ノベル 犀川 よう @eowpihrfoiw
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