第五話『こどもを』(3,800文字)

「おかあさーん?」

 ある一軒家のリビング。

 小さい子供がキッチンへ呼びかけている。

「おひるごはんなにー?」

 呼びかけるその子供、もとい男の子は、テーブルよりもちょっと低いその背でリビングを歩き、キッチンへ向かう。

 少し転びそうな足取りがたまにフラつくが、男の子は床を歩く。

 その手には車のオモチャが握られている。


 男の子の歩く先にあるキッチンからは、フライパンが油を弾く音がパチパチと聞こえ、温かい匂いが流れてくる。

 キッチンでは、男の子の母親が料理をしていた。

「おかあさーん、なにつくってるのー?」

 母親が料理をしながら答える。

「お楽しみ。でも、そのオモチャ片付けたら教えたげる」

「えー」

 男の子の背は低くて、キッチンで母親が何を料理しているのかが見えない。

 見えるのは母親の背と、温かい煙。

 男の子が背伸びをするも、やっぱり見えない。

「わかった、かたづける」

「ちゃんと元のとこ戻してよ?」

「はーい」

 男の子はその場を振り返り、リビングを出ようとする。

 すると母親が

「お父さんも呼んできてくれる?」

とキッチンから呼びかけた。

 男の子は「はーい」と言うとリビングを出て、家の廊下を歩き出す。


 その小さな手に握ったままの車のオモチャで、空を飛ぶ想像をしながら、男の子は廊下を歩き出した。



 母親が、リビングのテーブルに料理を並べ終えた。

 テーブルの上で皿の擦れる音が高く鳴り、温かい匂いがふくらむ。

 だがまだ、あの男の子はリビングへ来ておらず、父親もまだ来ていない。

「タケルー?」

 母親がリビングから廊下へ、男の子、もといタケルへ呼びかける。


 だが、返事がない。


 リビングのテレビから、笑い声が騒いでいる。


「あれ? タケルー?」

 リビングから出た母親は廊下へ出た。


「タケルー?」

 電気の点いていない廊下が、薄暗い。


「…タケル?」


 廊下には、車のオモチャが転がっていた。


 母親はそれを手に取り、廊下の奥へ

「タケルー? オモチャ戻し──」

 暗い廊下の奥。

 頭から血を流して、タケルが倒れていた。




「この子供、解体バラしますか?」


「いやいいよ。ガキなら軽いし、運べるだろ」


「はい。じゃあ、母親どうします?」


「母親は、そうだな…。バラすか」


「はい」


 あの一軒家の玄関。

 肉切り包丁を持った、死体の清掃業者たちの話し声が聞こえる。

「班長。父親バラしたんで、これから運ぶっす」

「そうか。おいお前、ちょっと運ぶの手伝ってやれ」

「はい」

「んでお前。お前はこっちきて、母親バラすから。脚の方持て」

「はーい」


 一軒家の前に停まった、業者のトラック。

 その荷台へ、解体された死体の入った袋が、投げ入れられていく。


「この車のオモチャ懐かしくない? まだ売ってんだね」

「ほんとだ、俺もこれ持ってたわ…。でもこれ血ついてるよ」

「じゃあ捨てなきゃな。それも荷台持ってって」

「ういー」


 業者たちが黒い袋を運んで、家の廊下を歩いている。

 その廊下の床には、赤黒い血だまりが二つ、広がっている。

 業者たちはそれら血だまりを踏みながら、いろいろと作業をしていた。

 彼らの持つ黒い袋が、揺れている。


「…殺し屋って酷いことするよなあ。こんな子供までるんだもんなぁ」

「あの殺し屋さん、こうさんだっけ。こんなことしなさそうなのにね」

「な、エグいことするよなぁ」

「まあでも、仕事だし。しょうがなかったんじゃない?」

「でも子供だぜ?」

「まぁそうだけど。でも俺らだってホラ、その子の死体こんなふうに運んでんじゃん」

「…」

「俺らの言えたことじゃないって。早く運んじゃお」

「…だな」


 一軒家の前に停まったトラックへ、袋がどんどん、投げ入れられていく。

 車のオモチャも、そこへ放られた。


「死体あと何個ある?」

「あと、ガキと母親っす」

「二個か、まだかかるなあ。おいお前、こうさんに伝えてこい」

「はい。こうさんって、どこ行ったんすか」

「あぁ、なんか、公園にいるって。あっちの方に公園あんだよ。そこまで行ってきて」

「うっす」



 業者は公園に着いた。


 子供たちのはしゃぎ声が聞こえる。


 雨が降りそうな、この暗い曇り空の下。

 公園では子供たちが、賑やかに走り回っていた。


 小さい子供靴たちが地面をパタパタと踏み、砂粒を飛ばして、靴音をあちこちへ散らしている。


 そんな子供たちのたくさんの笑い声の中で、ブランコが、その鉄の鎖をギイギイときしませている。


 そんな子供たちの声が聞こえる公園。

 業者はそんな公園内を見回し、ナオのことを探す。

 すると、ベンチに座っているナオを見つけた。


 公園の隅。

 枯れた花壇の隣にある、古びたベンチの上。

 そこに、ナオがうつむいて、静かに座っていた。


 俯くナオの、その肩の上まで伸びた髪が、寒い風に揺れている。

 下を向くナオの、その少し青白い顔に、暗い影が落ちている。


 はしゃぐ子供の声が、向こうの方からうっすら聞こえてくる。

 業者は、静かに俯いている小さいナオを見下ろして、そっと呼びかけた。


「あの、こうさん」


「…はい」

 ナオは、消えそうに小さな声で答えた。


 彼女は俯いたまま、顔を上げない。

 ナオの、隈のあるその暗い目は、自分の閉じたひざの方を、無言で見下げるだけであった。


 そんなナオへ、業者は続ける。

「死体、まだあと二個あって、バラすのに時間かかるんで、もうしばらく待っていただけませんか」


「…わかりました。お疲れ様です」

 そう答えたナオの小さな声が、少しかすれていた。


 ナオの座るベンチの隣。

 花壇で枯れた草花が、静かに揺れていた。




 業者が公園から去っても、ナオはベンチで俯いている。


 向こうではしゃぐ子供たちの声が、この公園の隅にまで聞こえてくる。

 指で拳銃の形を作って、撃ち合って遊ぶ子供たち。

 周囲の家々から漂う、お昼ご飯の温かい匂い。

 そんな、温かい匂いは、ナオがをしたあの一軒家からは、漂ってこない。

 どれだけ待っても、もう二度と、漂ってはこない。

 ナオはベンチに一人、うずくまった。



「おねえちゃん、だいじょーぶ?」

 子供の声。

「げんきないのー?」

 一人の子供が、ベンチにうずくまるナオへ、声をかけていた。

 ナオが顔を上げる。

 前にいたのは一人の、小さな男の子だった。

 公園で遊んでいた子たちの内の一人だろう。

 少し、タケルと似ている。

 自分が撃ち殺した、あの小さな男の子と、似ている。


 ナオには一瞬、その子のことがタケルそのものに見えた。


 床に倒れたタケルの死体が、ナオののうに浮かび上がる。

 あの薄暗い廊下。

 死んだタケルの目が、開いたまま閉じない。

 響いた母親の悲鳴。

 赤い血に濡れた、車のオモチャ。

 テーブルに並べられたままの、温かいお昼ご飯。

 大きな、銃声。


 ナオは思わず涙目になり、目の前の、生きている子供を見ながら、取り乱して言う。

「ぅあ、ごめっ…ごめんなさ…」

 どうがして息が切れ、吐く息が震える。

「ごめっ…なさっ、ごめんっ…」

 心臓が速くなって、視界がボヤけ、肩が震え出す。

「っ、ごめんっ…わたしのせ…ごめ…」

 息が苦しくて口が回らない。

 目の前にいる子供が、タケルに見える。

「…こ、ころして…ごめ、んなさっ…」

 涙目になって肩を震わせるナオ。

 そんな彼女は今にもベンチから崩れ落ち、目の前の子供にすがりつきそうになっていた。

 そんなナオだったが、すぐに落ち着こうとして、自身の胸を強く、手でぎゅっと押さえ込んだ。


 力を込めた手が、ガクガク震える。

 心臓の速い動きがドクドクと手にぶつかる。

 握り込んだシャツが、黒いネクタイが、くしゃくしゃになる。


 頭があつい。

 視界はボヤけ、何も見えない。

 吐いた息が、弱く震えている。


 そうしていると、少しずつ、拍の上がった胸の心臓が、強く押さえつけた手の中で、ドク、ドクと治っていった。


 目の前にタケルはいない。


 ナオの白い手に、涙か汗かの水滴が落ちている。

 寒いのに、ナオは少し汗をかいていた。



 なんとか落ち着いたナオは、目の前にいる子供へ、穏やかな声をつくって言う。


「…大丈夫だよ…気にしないで…。ごめんね、びっくりさせて…」


 子供がナオのことを見つめる。


「…おねえちゃん、へいき?」

「…うん、平気だよ。ありがとう、心配してくれて…」 

 そう言ったナオの目にはまだ、涙がたまっていた。

 子供はそんなナオを、見つめている。


 そんな子供だったが、ふとポケットから、包装されたアメ玉を取り出した。


「これ」

 子供はそう言うとナオの膝の上へ、取り出したアメ玉をポンと置いた。


「え…」


「うまいよ」


「…くれるの?」

 顔をあげたナオが聞く。

 子供はうなずいた。


「…ありがとう。優しいね」

 子供へほほんだナオの、その声が震えていた。




「おねえちゃんバイバイ!」

「うん! …じゃあね」

 ナオは微笑んで、母親の元へ帰っていく元気な子供へ、手を小さく振った。


 子供たちが帰った、暗い曇り空の公園。


 ベンチで一人になったナオは、子供と一緒になめたアメ玉の包装紙を、黒い隈のある目で見つめている。

 俯いているナオの髪が、寒い風に揺れて乱れる。

 スーツのシャツのえりもとは涙で濡れ、黒いネクタイは握った時に乱れたままだった。

 上から羽織った茶色のコートのその袖も、涙を拭った時のまま濡れていた。


 するとこの公園へ、さっきの清掃業者の人がやってきた。

こうさん。母親も子供も、死体全部バラしましたんで、来てください」

 そう、背の低いナオを見下げて言った業者。

 彼の着ている作業服に、赤い返り血がついている。


 ナオは、持っていたアメ玉の包装紙を折りたたんで、ポケットへそっと入れた。

「…わかりました。…解体、お疲れ様でした…」

 そのナオの声が、あまりに小さかった。

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ホームシック・リボルバー ヶ嶽ヒロト @Gadake

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