第四話『仕事へ』(3,200文字)

 頭上で吊り革が揺れている。

「お前、まだそんなキャラ使ってんの?」

「うん」

「もう弱いよそれ、そんなんじゃ勝てねえよ」

「そう?」

「今はこれ、このキャラ持ってなきゃダメだよ。そんなの使ってたって、意味ねえよ」

 携帯でゲームをしているらしい学生二人の話し声が、この電車内の人混みの中で聞こえていた。

 頭上では、広告の紙が揺れている。

 朝の電車だったが、こっち方面の電車はあまり、この時間でも混雑しない。

 そんなそこそこの人混みの中で、ナオは電車に乗っていた。


「次は──駅、──駅です。お出口は右側です。電車とホームの隙間が空いています、お降りのお客様は、足元に注意して──」


 ナオは背が低く、吊り革を握るのがつらいので、電車の扉の横にある手すりを握って立っていた。

 そんなナオの周囲には、スーツを着た社会人たちが、吊り革を持ったり、鞄を持ったりして立っている。

 みんな、ナオよりも背が高い。


 そんな中、ナオは窓の外を、隈のある目でぼんやり眺めながら、電車に揺られていた。

 ナオの服装は、黒いスーツに茶色のトレンチコート。いつも通りだったが、そのコートのポケットの中に、今は拳銃も銃弾も入っていない。


「──線と──線は、お乗り換えです。電車とホームの隙間が空いています、お降りのお客様は──」


 日本語のアナウンスが聞こえて、次は英語のアナウンスが、その次は韓国語らしいのが流れている。

 次の停車駅の出口は、ナオのいる扉とは反対側。みんな次の駅で降りるらしく、アナウンスが車内に流れると、立っている人はみんな、出口のドアの方を向いたりした。

 車内にたくさんの靴音が鳴る。

 ナオはそこで降りないので、まだ窓を眺めていた。


 空は今日も曇っていた。

 車窓の向こうでは、灰色の曇り空と、その下に広がる白っぽい街並みが、速いスピードで次々に流れていく。

 雑居ビルが過ぎ去ったかと思えば、今度は住宅街の家々がどんどん流れ、次はマンションにアパート、電波塔に鉄塔と、電車は大量の建物を通り過ぎる。

 ナオはそんな流れる景色を、眠れていない隈のある目で眺めながら、

「あの白いアパート、一昨日おとついしたところかな…」

とか、

「あのホテル、昨日の所かな…」

とか、寝不足で痛む頭で思っていた。



 電車から降りたナオは駅から出て、曇りの街を歩いた。その寒い道中、登校中の小学生たちとすれ違った。

 色とりどりのランドセルに下げてある給食袋が、揺れている。

 ナオは、そんな小学生たちとは逆の方向へ、一人で歩いていった。

 あたたかい給食の味を思い出しながら、寒い道を、うつむいて歩いていた。



「おはようございます」

 ナオはそう、警備員のような人たちに会釈をして、ある大きな建物へ入っていった。

 その大きな建物の外見は、警察署や、水道局、市役所なんかと似ている。

 そんな大きな建物は、ナオやなかの所属している会社の、事務所の一つだった。

 ナオはそんな事務所の入り口、ガラスの自動ドアを抜けて、中へと入って行った。


 事務所の中は、病院や警察署なんかと構造が似ていた。

 今ナオのいるこの事務所の玄関も、少し広い。

 白っぽい壁と床で、少し年季が入っている。


 そんな玄関を抜けて、少し歩いた先。

 そこには、ナオと同じような黒いスーツを着た人たちがたくさんいる、なにやら銀行やオフィスのような広い場所があった。

 そこにいるスーツの人たちは皆、パソコンに向かったり、書類に向かったりしている。

 そんな人たちの中に、なかも混じっているのが遠目に見えた。

 だがナオの目的地はそこではない。

 ナオはそこへは向かわず、その横にある階段をのぼり始めた。


 二階は、少し静かだった。

 ナオは二階へ上がると、そこにある長い廊下を歩き出した。


 天井では蛍光灯が光っていて、壁や床を、白く照らしている。


 この廊下にはたくさんの部屋があり、壁にはその扉がズラリと並んでいる。

 壁際には消火器や、小さなベンチもたまに置かれている。

 そんな一本道の廊下に、ナオの靴音が響く。

 ナオは、廊下にたくさんある部屋たちを通り過ぎて、誰もいない廊下を歩いていく。


 すると、ナオの向かっている廊下の先。

 そこにある部屋から、二人の男が出てきた。

 二人とも、ナオと同じような黒いスーツを着て、黒いネクタイを締めている。

 そんな二人の靴音と話し声が、廊下の向こうから近づいてくる。

「なぁ、お前先月何人った?」


「三人」


「俺五人」


「自慢かよ」

 そんなことを男二人は話して、たまに笑いながら、ナオの横を通り過ぎて行った。

 ナオは隈のある目を擦った。


 空調の駆動音が、静かな廊下にうっすら聞こえる。

 そんな廊下を歩いたナオは、ある部屋のドアを開けて、その中へ入った。


 その部屋はロッカールームだった。

 あまり広くないこの部屋には、誰もいない。


 蛍光灯のノイズ音が、天井から聞こえる。


 ナオは開けた部屋のドアをそっと閉じた。

 ステンレスのドアノブが、ガチャン、と響く。


 この部屋の中には、グレーの色をした縦長のロッカーが、いくつも並べてあった。

 ナオはそんないくつものロッカーたちの内、自分のロッカーを開けた。

 そのロッカーの中には、リボルバー拳銃(S&W-Model-49)や、その銃弾(38-Special)などが入っていた。

 昨日も一昨日も、ナオが持っていたものである。

 これら拳銃や弾は、ナオの所属している会社から、借りているものであった。


 ナオのロッカーの中には他にも、狙撃銃(Howa-Model-1500)やその銃弾(7.62×51mm-NATO)、また別のリボルバー拳銃(S&W-Model-40)なども入っている。


 ナオは、そんな自分のロッカーの中から、いつも使っているリボルバー(S&W-Model-49)を手に取った。

 手に、ほんの少し重い。


 すると、このロッカールームの入り口ドアが開き、中へ人が入ってきた。

 入ってきたのは、ナオと同い年か歳下ぐらいの若い女の子だった。ナオと同じような黒いスーツを着ている。

 ナオはその女の子へ「おはよう」と、穏やかな声で挨拶した。

 入ってきたその子は、ナオへ「あ、おはようっす〜」と挨拶を返した後、自分のロッカーを開けて、ナオと同じように拳銃を取ったりし始めた。ナオの隣のロッカーだ。

 するとその女の子はナオへ

「先輩、なんか顔色悪いっすよ?」

と話しかけた。

 ナオは

「ぁ、うん…。ちょっと、ね」

と、うつむき加減に返した。

 隣のロッカーでその女の子は、自分の銃を軽く点検しながら、ナオと話す。

「なんかあったんすか? 仕事ミスったとか」


「ううん、仕事は、ちゃんとやってるよ。ただちょっと、寝れてなくてね…」

 ナオはそう言うと、隈のある目を擦った。


「そうなんすか、ちゃんと寝た方がいいっすよぉ」


「だよね、ありがとう…。でも、しんどくて寝れなくて…」


「しんどいって、筋肉痛とかすか?」


「それもあるんだけど…けど、その、人を…殺した後って…つらくて、眠れなくて…」


「あぁ、すか」

 ナオの横で、女の子は拳銃の点検を終え、それを手に握った。


こうさん、優しすぎなんすよ。そういうのはっすね、人殺しだとか考えないで、楽しくやればいいんすよ。ゲームとかみたいに」

 女の子は握った拳銃(Makarov-PM)で、「ばーん」と撃つジェスチャーをして見せた。


「どうせ、この標的ターゲットになる人なんて、みんな悪い人じゃないすか。なんかの密輸とか、ヤクザの人がどうとか…確かそんな感じの。だから、蚊を潰すみたいな感じで、パパッとっちゃえばいいんすよ」


 女の子はそうナオへ言うと、着ている黒いスーツの下にあるホルスターへ、自分の拳銃を差した。

「みんなや私みたいに、気楽にっちゃえばいいんすよ、こう先輩」

 ナオはそれを聞いて

「…そう、だよね。ありがとう…」

と、女の子へほほみかけた。



「それじゃ自分、もう仕事行くっす」

「うん、気をつけてね」

「はい! こうさんも、お気をつけて!」

「うん、ありがとう」

 女の子はロッカールームから軽快に出て行き、仕事へ向かった。

 扉が閉じる音が、ガタンと響いた。


 天井の蛍光灯が、ノイズ音を発している。


 ナオは黒いリボルバー(S&W-Model-49)を握り、それを隈のある目で見つめた。

「蚊を潰すみたいに…気楽に…」

 ナオは、ポツンと呟いた。

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