エウロパの人鳥匠

八州左右基

エウロパの人鳥匠

 これほどの贅沢を知らない。

 節をくりいた竹筒のさきから、とうとうと湯があふれている。とどまることを知らず、体温よりもいくぶん熱い湯がバレル単位で注がれつづける。

 さらに信じられないことがある。

 ぼくは全裸になり、その湯船に浸かっているのだ。

 小惑星帯の開拓団出身である宇宙人民コスモポリタンには、まずもっておもいつかない水の使いみちである。

 あれほど貴重なものを、ただ身体を浸けるためだけに、こんなにもなみなみと注いでいる。コップ一杯の水をこぼしただけで、おとなたちからどれほどの叱責と説教を受けたか――みなさんも覚えがあるはずだ。

 いざ湯船に足をいれる際、ぼくも良心のしやくと闘うこととなった。怒り顔の曾祖母が脳裏に浮かんでくる。

 カポーンという鹿威しシシオドシみやびな音が大浴場に響いた。

 曾祖母の幻影を振りはらい、湯に全身を投じる。

 じつに心地好い。

 冷えきった身体がまたたく間にあたたまっていく。温水はかすかにしよっぱく、ゆえにとろりと肌にんだ。生命は水から生じたのだと実感できることけあいだ。

 ぼくが「あ゛あ゛~」と太い息を漏らせば、おなじ湯船に浸かったペンギンたちがいっせいに「ア゛ア゛~」と唱和した。

 

 エウロパが銀河一のリゾート星と呼ばれるようになってから、二世紀が経つ。

 木星をまわる氷殻衛星のひとつだったのは遙か昔。あらゆる娯楽をよりどりみどり、遊び尽くそうとすれば三代かかると噂されるほどだ。

 とくに軌道エレベータ周辺の五大リゾートは、生涯にいちどは訪れたい場所として、この内太陽系旅行情報網『ユリシーズ』でも常に上位に挙げられている。

 エウロパにはほかにもさまざまな娯楽施設が存在し、空路と航路で結ばれている。豪華客船で数箇月をかけてゆったりと巡る船旅もにんきのひとつだ。

 今回の旅行先――絶海にぽつんと浮かぶ温泉島には、すこしばかり特殊な方法で向かうことになる。

 円形状に並ぶ席には、ぼくのほかに三組のパートナー連れが乗っているだけだった。旅行者の気軽さから、ぼくたちは簡単な自己紹介と挨拶を交わす。火星出身の老学者夫妻と意気投合した。

 ふたりともおなじ名前をした夫妻であった。長年連れ添うと雰囲気も似てくると聞くが、容姿もそっくりだった。

 文化人類学者のマリオン教授に旅の目的を訊ねる。

「古い映画のファンでね。とくに侍のチャンバラ映画が大好きなんだ」

日本ジパングの時代劇ですね。黒澤クロサワなら観ました」

「おや、めずらしい」となりでマリオン博士が口笛を鳴らす。「酔狂だね」

「地球文化飽和期の映画論で学位を取りましたから」

 マリオン教授が身を乗り出す。「ならば『椿三十郎Sanjuro』はわかるかい」

「もちろん。せつで勝負が決する斬り合いはファンタスティックでした」

「蒸気みたいに血がきだしてね。三十人斬りも見応え充分だった。じつはふたりのなれそめの映画なんだ」教授はちらりと博士をうかがう。「デートに誘ったんだよ」

「椿が出てくると聞いた。桜と並んで、日本文化に欠かせない植物だ。しかし、むさ苦しい連中しか出てこない。屋敷のシーンでやっと椿がお目見えするが、どうにも嘘くさい。葉がちがうんだ。花の色も変だ。散々だった。映画はおもしろかったよ」

 ぶっきらぼうにマリオン博士は語る。植物学者だという。

 水資源が潤沢にあるエウロパは植物栽培も盛んだ。岩石惑星のあなぐらで培養される藻とはちがう。海上に大規模な栽培プラントが並び、なによりも贅沢品である花があちこちにけられている。

「旅の目的か」博士はいたずらっぽく瞳をまわして見せた。「花が咲いたと連絡があったんだ」

 向かうさきに植物園があっただろうか。

 重ねて質問をしようとしたところで、赤色灯が点き、ブザーが鳴った。

 ポッドが投下準備にはいった。ガイドにうながされるまま、ぼくたちは席の安全バーをおろし、ベルトを締める。赤色灯が消えて、床や壁が外部カメラの映像に切り替わった。

 まるで宇宙空間に投げだされたかのようだ。

 足許にあおい星が見えた。

「よい旅を」ガイドが無機質に告げる。「投下」

 ぼくたちを乗せたポッドは軌道航行機から射出され、自由落下をはじめる。

 もともとは貨物運搬ポッドである。座る席の下部にはたっぷりの物資が積みこまれている。重要なのはむしろ積み荷のほうであり、乗客はついでなのだ。

 あの青色がすべて水だと思うと胸が高鳴った。

 粉砂糖のようだった雲が立体感を増してくる。

 ポッドが震えるようにゆれた。カーマン・ラインを超えたようだ。外部カメラの映像が真っ赤になる。大気の摩擦熱でポッドは燃えていた。

 老学者夫妻が互いに手をとるのが見えた。ぼくは安全バーをつよくつかんだ。

 ガクン、と上に引っ張られるような衝撃があった。パラシュートが開いたのだ。

 雲を破り、青い青い水面が迫ってくる。ポッド自体の影が映った。

 着水。同時に熱された機体から蒸気があがる。

 いっきに浮きが膨らむ音がした。しばらくして、そのゆれも収まる。

 だれともなく歓声があがった。

 あとは信号を拾った回収船がやってくるのを待つだけだ。

 外部カメラは海のなかを映している。多くの生命体が泳いでいた。資料映像でしか見たことがないものがほとんど。高感度の外部カメラは光が届かない深海まで鮮明に映した。

 しかし、ぼくはこの目で海が見たかった。

「ハッチを開けてもよろしいか?」ほかの乗客に訊ねる。

なぎだったからだいじょうぶだろう」マリオン博士が代表して答えた。

 ぼくは壁に備えつけられた梯子をのぼり、ハッチの開閉用ハンドルをまわす。

 濃密な大気が船内にはいってくる。せるような、しおのにおい。

 ほかに例えようがないにおいだ。生命そのものの薫りとでもいうか。

 ハッチから身を乗り出す。カメラ越しではない海はギラギラとひかっていた。水平線に船影がぽつりぽつりと浮かんでいる以外、大海原がひろがっている。彼方に木星のうごめく縞模様が浮かんでいた。

 いまいちど、ふかく呼吸をした。「――すごい」

「なにかいる」下からマリオン教授の声がした。

 ハッチの縁に足をかけ、ぐるりと見まわす。しなびたパラシュートが波にゆれている以外はちかくになにもない。ずいぶん遠くにいかだが浮かんでいた。だれか乗っている。人と――もっと小型の影が複数。

「ええ、だれかいますね。なにをやってるんだろう」

「ちがう。だ。下からあがってくる!」

 ぼくは船内を覗く。外部カメラが映す海中の光景に視線を向ける。

 たしかに、なにかがあがってくる。

 まるで岩山そのものだ。急激に浮上してくる。岩山から赤いなにかが放たれた。 つぎの瞬間、ぼくは海に投げだされていた。

 救命具を膨らませるかんがえは浮かばなかった。海水は塩っぱい。曾祖母のつくるスープよりもはるかに塩っぱく、後味もひどかった。

 もちろん泳げるわけはない。

 宇宙人民にとって海への憧れはとてもつよい。そして、それ以上に怖れている。

 知識としてはあっても、身体が水に浮かぶなんて本能が拒否する。

 無重力ではないのだから。

 ポッドを攻撃してきた、あの生物はまだちかくにいるはずだ。

 もがいた。これもまちがいだと頭ではわかっている。

 より沈む。苦しい。肺が痛い。

 海面から射しこむ光がきれいだ。

 酸素が欲しい。

 力はのこっていない。もう指先も動かせない。

 服をひっぱられた。さっきの岩山じみた生物だろうか。

 食われるのかもしれない。ああ――せめて意識が消えてから噛みついてくれ。

 ものすごいいきおいで射しこむ光が動いていく。

 海面がちかづいてくる。

 腕が伸びてきて、ぼくをつかむ。ひき揚げられた。

「生きてる?」

 人影がのしかかってくる。瞬きをするまえに平手打ちを食らった。

 ショックで飲みこんだ海水を吐きだす。荒療治もいいところだ。ごろりと横向きに寝かされた。水を吐き、酸素を吸うためにあえぐ。

 毛布を掛けられた。ずいぶんと身体が冷えている。

「エウロパの海水は地球にくらべてずっとつめたいんだ。覚えておいたほうがいいよ、旅行者さん」

 筏の上だった。あれほど遠くの場所に見えたのに、ほんの数秒でここまで移動したことになる。

「お礼はあのこたちに」そう言って人影は「あ゛ッ」と叫んだ。

 ちいさな影がつぎつぎと海中から筏に跳びあがってくる。

 白黒の模様は、これまた資料映像でしか見たことがないものだ。ペンギンである。頭部にある赤い飾り羽根が特徴的だった。

 ペンギンたちも「ア゛ッ」と返した。

 寒さに震えながら、ペンギンたちに「ありがとう」とお礼をする。

「素直だね」人影は笑った。ペンギンたちも「グゲゲゲ」と口々に鳴く。

 よく陽に焼けた、裸の少女がペンギンたちに小魚をふるまう。背から太腿にかけて、みごとな刺青が彫ってあった。巻き毛をたくわえた獣があざやかな花弁にまみれている。紅い花だ。「――椿?」

「ちがうちがう。この花は、牡丹。あたしの名前もね」

 高倉ぼたんタカクラ・ボタンは刺青を見せつけて、豪快に笑う。

 

 石村温泉郷イシムラ・スパリゾートはそもそも資源採取船であった。

 テラフォーミング完了後のエウロパは一面水没しており、地下資源を採掘するのはむずかしい。ほかの星から物資を輸送するのは高くつく。そこで着目したのが海底の熱水噴出孔だった。

 さまざまな金属が溶けた黒い熱水を吸いあげ、濾過をして、鉱物資源を取りだす。

 リゾート地となるまえのエウロパはほうぼうに資源採取船が浮かんでいた。

 やがてイオやガニメデが開発され、宇宙航路が確立されるにともない、資源採取船は役割を終えるようになった。リゾート化が進むにつれて技術労働者は離れていき、船も廃棄・解体される運命を待つだけだった。

 鉱物を濾過した熱水をそのまま温泉として利用すべしとかんがえたのは、当時の船長カルロス・ド・石村イシムラである。日本にルーツを持つ彼は宇宙人民にはめずらしく風呂好きだった。のこされていた資料を基に温泉郷をつくりあげた。

 節をくり貫いた竹が島中に張りめぐらされ、古風な和風建築の宿が軒を連ねている。かつて船であったとは想像しがたい。湯煙がたちのぼり、竹林が潮風になびく。複雑に交差する階段を浴衣姿の湯治客が散策している。

 竹で組まれた桟橋には多くの漁船が停留していた。魚介類が豊富に捕れるようだ。港は活気にあふれている。

 さきに到着していたぼたんが島民相手にまくしたてている。

 回収船が曳航するポッドを指差した。

 ぼくたちが乗ってきたポッドの下部には奇妙ながついていた。

 圧倒的な力で締めつけられたように、大気圏突入にも耐える外装がへこんでいる。

 あの動く岩山がつけた痕にちがいなかった。

 島民たちがざわついていた。どこぞへ駆け出していくものもいる。竹製のトロ箱がたおれ、小魚が散乱した。集まってきたペンギンたちが盗み食いをはじめる。

 そこかしこで野良ペンギンたちが鳴き声をあげていた。

 エウロパでもっとも繁栄した種はペンギンである。

 文字どおり、水があったのだ。廃棄された船や施設をねぐらにして、かれらは大繁栄を遂げた。空を飛ぶ鳥よりも遙かに多くのペンギンたちが海を泳いでいる。ある研究によれば、人類と出遭う以前の頭数を超えているそうだ。

 地球産の種とはちがい、エウロパペンギンと分類される。赤い飾り羽根がトレードマーク。

 ペンギンたちは浴場にも勝手にはいってくる。人間同様に湯を堪能した。

 ぼくは浴衣に着替えて島内をめぐる。身体はすっかりあたたまっていた。竹皮をんだ草履は軽くて歩きやすかった。エウロパの一日は長い。およそ八十五時間、ぼくはゆったりと過ごそうとかんがえていた。

 島内のどこにでも竹林がある。

 潮風がとおると竹の葉が囁くような音を立てる。竹で組まれた階段も風流だ。

 あちこちに野良ペンギンたちが巣穴をつくっていた。かれらは見た目よりもずっと喧嘩っ早く、うるさい。始終鳴いている。恋の季節だとしても、耳障みみざわりなほどだ。

 辻には筆と墨、短冊が用意されている。いつでも一句むことができる。江戸の古き慣習である。詠んだ句は竹に吊るし、天の川銀河に御座おわすという女神に捧げる。

 ぼくも一句ひねろうと頭をしぼる。

 ペンギンの鳴き声ばかりが反響して、なにも浮かばない。

「があッ!」鳴いてみた。

 ペンギンたちは静まりかえる。いっそうはげしく鳴きはじめた。

「へたくそ」

 階段をあがってきたぼたんがケタケタと笑った。

 さすがに裸ではない。白い着物にばかま。巫女装束というやつだ。トロ箱からはみでるほどにおおきな魚を一尾抱えている。

 恥ずかしいところを見られた。

「ぐぁッ。ぐーぐー」

 彼女がひと声あげると、ペンギンたちもおなじように応じて、しずかになった。

「すごいね。鳴き声がわかるのかい?」

「当然。あたしは人鳥匠ペンギン・ジヨーだからね」胸を張る。「どこに泊まっているの。坂の上の堂珍楼? 素泊まりなのね。じゃあ、ゆうには屋形船ヤカタブネに乗りなさいよ、予約しておくから。いいのよ、袖すり合うもしようの縁。御代おだいはあなた持ちだし。ではでは、あたしは神社でおみそぎしてくるから。また夜に。海の上で逢いましょう」

 ぼたんは階段をのぼっていった。

 袖すり合うも多生の縁、か。運命論と人情味が混ざったふしぎな観念だ。さすがは禅問答ゼン・リドルの国の末裔である。

 ふむ。にわかに光明が射し、詩神が降りてきた。一句ひねれそうだ。


   竹そよぐ ひびけやえにしを 結ぶ声


「へたくそねぇ」

 いつやってきたのか、マリオン博士が短冊を覗きこんでいた。

 煙管きせるをひとくち吸い、ふーっと紫煙を吹く。浴衣の上からあでやかな羽織をまとっていた。描かれているのは巻き毛の獣と牡丹の花。ぼたんの刺青とおなじ図案。

「恋のうたにしては情熱がなさすぎる」

「ペンギンたちの恋を詠んだものです」よい出来だと思うのだが。

 そそくさと短冊を竹に吊した。

「すてきな羽織ですね」

「でしょう」博士はひらりとまわってみせる。じつに様になっていた。「図柄はからたんね。百獣の王と百花の王。あのひとのほうが詳しいんだけど、忍者屋敷の見学に行ってしまってね」

 これが獅子シシか。これほど厳めしい獣が鹿威しシシオドシのカポーンという音におそれをして逃げ出すのか。ペンギンすら逃げないのに。

「きにいったかい?」

 ぼくは筆を洗ってもどす。どこにでも水がある。「いい島ですね」

「島の話じゃあないが」博士はいたずらっぽく瞳をまわした。「まあいいさ。この島は竹でできているんだ。もとが資源採取船にしてはおおきすぎるだろう?」

 たしかに。ひたすら階段を降りているが、いっこうに海へたどりつかない。

 竹は大量の水がなければ育たないという。ペンギンとおなじく、地球以外ではエウロパでしか繁栄しない。遺伝子改良が施された竹は塩水にもつよく、成長もはやいそうだ。

「竹の本体は地下茎なんだ。網の目のように伸びて、この島の地盤になっている。ここは海に漂う浮島なんだよ。島民たちは竹をあらゆるものにつかっている。エウロパはつかえる資源がすくないからね。建築資材や生活用品、この草履や浴衣、その短冊も筆も、墨すら竹からつくられている。筍は栄養豊富な食材だ。字義どおり、この島は竹に支えられている」

 博士は竹林のなかへはいっていった。手招きする。

「ところが、花が咲いてしまったんだ」

 博士の旅の目的だったな。

「それが問題なんだよ。見てご覧。その花だ」

 細い枝の先端から、紅い筋が幾本も垂れていた。

 椿や牡丹と比べると、とても花には見えない。ちかしいのは糸を吐く虫である。

「本来は白い。ここの竹は紅い花を咲かす。竹の花というのは特殊でね、永い周期性がある。ときには何十年何百年と経ってから開花するんだ。地下茎で増殖する竹が有性生殖をおこなう。そして、いっせいに枯れる」

 見わたすと、八割ほどの竹が開花している。

「この島の竹は同一個体だ。すべては地下茎でつながっている。だから、花が咲いてしまったら――島そのものの地盤が崩壊する」

「島民はそのことを知っているんですか?」

「わたしに連絡を寄こしたのはかれらだよ。解決してくれともわれていない。わたしはめずらしい竹の開花を観察しにきたんだ。それだけだ。それ以外はなにもできない」

 竹林のどこかでペンギンがけたたましく鳴いた。


 港はかがりと提灯で照らされていた。

 桟橋にずらりと船が並んでいる。漁船とはちがう。屋形船というやつだろう。

 島内に宿泊する旅行者たちが列を成していた。お祭りにまぎれこんだような、浮かれたざわめきに充ちている。

 ぼたんの名を告げたところ、ひときわおおきな屋形船に案内された。

 乗りこむと、宿の宴会場をそのまま移築したような座敷があり、膳が並べられていた。

「おーい。こっちこっち」

 しのび衣装に身をつつんだマリオン教授が手を振る。となりに座るマリオン博士が、あきれたように煙管を吹かした。

「運がいいな」対面に腰をおろせば、さっそく竹筒にはいった酒を勧めてくる。「屋形船が出るのは数箇月にいちどだ。まあ、食べて呑みなさい」

 竹の蜜酒は、海中で熟成させるため古酒のような癖がある。度数も高い。しかし、さわやかな味がした。

 料理がつぎつぎと運ばれてくる。

 新鮮なお造りや若竹煮、白身魚の姿揚げにせいろ蒸し、天麩羅の盛り合わせ。メンマという料理がやたら旨い。

 舌鼓を打っているうちに、屋形船は夜の海へとぎだしていた。

 開放的な座敷に夜風が吹き抜けていく。陽が沈んでも、木星の縞模様はぼんやりと見えた。

 和太鼓の音が響いた。

 四方に篝火を載せた筏がゆっくりとやってきた。

 ふんどし姿の男衆が和太鼓を叩く。みな立派な刺青を彫っていた。

 太鼓の音にあわせて、竹槍を背に結わえつけたペンギンたちが整列した。

 中央でぼたんが腕を組んでいる。

 篝火に照らされて、唐獅子牡丹がなまめかしかった。

 腰を落として、左手を膝に添え、右手を差しだす。

 正面をキッと睨み据えた。

「お控えなすって。手前、生まれはエウロパ、海育ち。遠く地球にござんした日ノ本ヒノモトを祖に持つものであります。姓は高倉、名はぼたん。稼業を人鳥匠と申します。以後、万事万端よろしくお願いなんして、ざっくばらんにお頼み申します」

 夜の海に朗々と声が響く。

 屋形船からつぎつぎと歓声があがる。

「よい仁義だ」教授もやんやと喝采を送った。

 また和太鼓が鳴り、ぼたんが両手を拡げる。男衆が分厚い服を着せていく。

 伝統的な宇宙服だ。下部胴体に上部胴体。唐獅子牡丹が覆われていった。重りだろうか、正方形の金属を連ねたベストが正面につけられる。最後に球形のヘルメットをかぶせた。

 和太鼓が小刻みに打ち鳴らされる。

 ペンギンたちが隊列を組んで筏から飛びこんでいく。

 二羽のペンギンは竹槍の代わりにハーネスがつけられていた。宇宙服と手綱で結ばれている。海中での移動手段といったところか。

 男衆の「やあッ!」という掛け声ともども、ぼたんとペンギンが海へと潜る。

 屋形船の天井に海中の光景が映しだされた。

 ペンギンたちが飛ぶように泳ぐ姿が見える。カメラがつけられているらしい。深海に向かって泳いでいく。はやかった。失神寸前のぼくをひっぱりながら、遠方の筏までものの数秒で到着したのも頷ける。

「エウロパに存在する生命体は多くは微生物、いても原生生物だろうとかんがえられていた」酔った教授がぽつりぽつりと話しはじめる。「テラフォーミング後、その予想はくつがえされる。この海域になぜリゾート施設がすくないのか。熱水排出孔があり、多くの資源採取船が浮かんでいたというのに。空港がつくれず、航路が発達しないのはなぜなのか。あれが答えだ」

 海底からなにかが浮上してくる。

 あのときとおなじだ。岩山がせりあがってくる。

「海底熱水排出孔から資源を採取しようとしたのは、人類だけではなかった。地球には体内にバクテリアを棲まわせ、硫化水素の化学合成によって栄養をまかなう生物が存在した。このエウロパにもだ。それはまるで動く岩山だった。吸収した金属を外殻に変え、無数の触手を持つ、エウロパの海の頂点略奪者プレデター。おなじ餌を狙うものをゆるさない。資源採取船どころか、物資を運搬する船舶も軌道上から落ちてくる貨物輸送ポッドも関係ない。触手をひろげた姿はまるで海底に咲いた花のようだから、ルルディと呼ばれる」

「あんな花はないよ」マリオン博士は紫煙を吐く。

 ペンギンたちは旋回しつつ、岩山との距離をとった。

 後方に控えるぼたんが「ぐあッ!」と鳴いた。ペンギンたちは背の竹槍を構え、魚雷のように突進していく。球形ヘルメットにはペンギンたちとつながる通信機があるのだろう。鳴き声で統率しているのだ。

「金属製の外殻はミサイルの直撃にすら耐える。ゆいいつ通用する攻撃手段は――」

 ペンギンたちは岩山から伸びる触手を掻い潜り、突進していく。

 竹槍がやわらかな肉に刺さり、ルルディはほのかに赤くひかった。

「あのように、やわらかな部分を刺すことだ」

 ぼたんが号令し、ペンギンたちは縫うように泳ぐ。竹槍をつぎつぎと刺した。

「痛みがあるということは神経がとおっている。神経系統を束ねる器官、つまり脳がある。そこを突き刺せば動きは停止する。こう」教授は小イカの沖漬けを竹箸で突き刺す。「ブスッとね」

「ずいぶん詳しいね」

「パンフレットに書いてある」

 お品書きの裏側にあるアクセスコードを指した。

 ざっと目をとおせば、人鳥匠とはルルディとの資源獲得競争で生まれた技術だとわかる。

 屋形船の乗客たちがどよめいた。

 ルルディの長く伸びた触手がぼたんを捕らえていた。

 貨物輸送ポッドの凹んだ痕を思いだす。あんな力で締めつけられたならば、人体などひとたまりもない。

「あぶないッ!」

 叫んでいた。

 赤い触手が締めつけようとした瞬間――爆発した。

 あの正方形の金属を連ねたベストだ。衝撃が加わると、外側に向かって爆発する構造であったらしい。

 宇宙服は無事なのだろうか。

 彼女はどれほどの深さまで潜っているのか。

 安全な場所で見ているだけのぼくよりも、ぼたんのほうがずっと冷静だった。

 爆発音で混乱するペンギンたちを一喝し、戦列を立てなおす。

 ふたたび触手を伸ばすルルディに向かって、ペンギンたちは弧を描いて泳いだ。きらきらとした泡が潜行の軌跡を描く。複数のミサイルが襲いかかるようだった。

 一羽のペンギンが岩山のうちへと潜りこむ。

 まばゆいばかりに赤く発光し、やがて消えた。


 夜の海はしずかだった。

 祭のあとだ。篝火も消されている。

 動きを停止したルルディは港へ曳航された。外殻は高く売れる。海のものならばなんでも食べるとされる日本の末裔でも、さすがに身を食べないらしい。

 まだ夜は長い。

 ぼくは桟橋に腰かけ、波の音を聞いていた。

「なーにやってんのよぉ、旅行者さん」

 酒臭い息がかかった。羽織を巻きつけただけのぼたんが寄りかかってくる。

 左手にギプスが巻かれていた。折れてはいないものの、骨にヒビがはいったそうだ。

「漁はたのしんでくれた?」

「すごかったよ」危険じゃないのか、ということばを呑みこむ。ぼたんの仕事を軽んじたくはない。「すごいものを見せてもらった」

「でしょう。あたしの誇りよ」ぼくの背に、背をもたせかける。

「竹の花のことを聞いたんだ」

「あー。しかたないわ。諸行無常シヨギヨームジヨー盛者必衰ジヨーシヤヒツスイ、なんにでも終わりはある」

「しかし」

「この島の崩壊を見届けるのも、島民のさだめよ」

「わからない」

侘び寂びワビサビ。日本の精神性ね」

「わからないよ」ぼくはぼたんを見た。「きみは外に出たくないか?」

 曾祖母は終生、岩石惑星の窖から出ることはなかった。

 彼女は押花をずっとたいせつにしていた。エウロパにならば、どこにでも咲いているような花だ。窖では咲かない花だ。

 ぼたんはこまった顔をした。

 羽織を脱ぎ、夜の海に飛びこむ。

「こっちに来て」

「無理だよ。泳げないし、怖いんだ」

「わたしもそうよ。宇宙は怖い。海のない生活が怖い」

 ぼくは黙った。

「こっちに来て」ぼたんはくりかえした。「いくじなし」

 ぼくは海へと飛びこんだ。


 全身がふやけるまで湯に浸かった。

 どんな名湯でも惚れた病だけは治せないそうだ。知ったことか。

 エウロパから離れる日、マリオン夫妻がお別れにきてくれた。ふたりはしばらく島に逗留する。おそらく見届けるまで。

「旅の目的を聞き損ねていたな」教授が握手をもとめる。「取材だなんてつまらない返事はよしてくれよ」

「パートナー探しです。ひとりでめぐるには宇宙はひろすぎますから」

「きみのへたくそな詩を捧げた女神様は縁結びの神様だそうだよ」博士がからからと笑う。「くよくよしなさんな。良縁があるよ」

「なんのことだい」

「知らなくていいことさ。映画に誘うべきだったね」

 ぼくは漁船に乗る。ちかくの港まで送ってくれる。また水が貴重な生活がはじまる。

 遠くに筏が見えた。

 ペンギンと、みごとな刺青をいれた女性が乗っているはずだ。

 滞在中にずいぶんとうまくなった。ぼくは「あ゛ッ」と鳴いた。

 

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