天の釣り糸

あげあげぱん

第1話

 あれはずいぶん昔のことで、もしかしたら小学校に上がるより前のことかもしれません。僕はずいぶん幼くて、そのころのことを、ぼんやりと覚えています。


 雨の日だったと思います。外からざあざあと雨音がしていたように記憶していますから。


 空から、糸が垂れていたんです。きらきら光って不思議でした。空のずっとずっと遠くから、雲の向こうから光る糸が垂れていたんです。


 もしかしたら見間違いだったかもしれないし、夢だったかもしれない。幼い子供が見たものですからね。何かと勘違いしたという可能性は充分にあるんです。


 ただ、僕がその頃に居た地域では、天の釣り糸という話がありました。空の上に居る人が釣り糸を垂らしているんですって。


 最近、幼い頃に見たあの糸のことを思い出して、僕はその地域に伝わる話を調べてみたんです。


 天の釣り糸と言う話は確かにありました。空の国に住む天人。天の人と書いて天人です。彼らが戯れに糸を足らすのだそうです。その糸は雨の中でも美しく光っています。糸は何かがかかるのを待ち、触れたものを空の国へ釣り上げるのだとか。


 天人たちは吊り上げられたものが人であれば、地上の様子を訊く代わりに手厚くもてなすのだそうです。空には極楽があり、そこでは幸せに暮らせるのだとか。


 天人が住む極楽浄土がどうなっているのか、その情報はいまいち分かりません。ただ、僕が調べたところによると、こういう話も存在します。


 空の国に住むのは天人ではなく天狗。彼らは輪廻の輪から外れた存在で、極楽と地上の間にある空の国に住んでいます。


 天狗たちは空の国から釣り糸を垂らし、人がかかるのを待っています。釣り糸にかかった人は空の国へと連れ去られ、そこで天狗たちのために働かされるとも、天狗たちに食われるのだとも。どうもろくな目にはあわないと伝わっています。


 僕があの日見た天の糸は、はたして天人が垂らしていたものなのか、それとも天狗が垂らしていたものなのか。はたまた幼い子どもが何かを勘違いしただけなのか。分かりません。


 もしかしたら、それには触れないで正解だったかもしれません。そのときの僕は不思議な糸に対して恐怖を覚えていたようなのです。


 あの不思議な光景は僕の中では、あまり良い気分のしない不気味な記憶なのです。僕は泣きながら、その話を祖母にしたそうですから。幼い僕はその糸を何か良くないものなんだと本能で感じていたのでしょう。


 もし、あなたの前に天から垂れる不思議な糸があったとして、あなたはそれに触れますか?


 それが良いものであるにせよ、悪いものであるにせよ、ここではないどこかに繋がっているはずです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天の釣り糸 あげあげぱん @ageage2023

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ