環月紅人を倒せ杯没原稿
どら焼きと私
私の実家は老舗のどら焼き屋だ。
『菓処 かめい屋』と言い、塩気の利いた餡をふんわりもちもちの生地で挟んだどら焼きが有名。表面にある、亀の焼印がかめい屋ブランドの証。
「鶴子に新メニューを考えてほしい」
「エ"ッ」
ある日、パパにそんなことを依頼された。
思わず蛙を押しつぶしたような声が出る。無理無理、私どら焼き興味ないもん。家業なんか継ぐ気はないし、私は学校の先生になりたいのだ。
店番だけで勘弁してほしい。
「高校生なんだから最近の流行りも分かるだろう?」
「猫プリンとか?」
「なんだそれは」
猫型のプリンだ、ぷるぷるする。
「……で、なに? 若者を取り入れたいとか考えてるわけ? いやだよ、学校の子たちとお店で会いたくないし」
「そう言いながら先生とはよく会ってるじゃないか。店先で長話してるの知っているんだぞ」
「それとこれとは別!」
私は激昂する。
パパに知ったような口をきかれたくはない。
「ともかく、客が面白がるようなメニューを一つお前も考えること! お小遣いやるから」
「えぇえぇ〜? 定番だけでいいじゃん……。誰もうちに斬新さなんて求めてないよ……」
「パパが飽きそうなんだ。廃業の危機」
いや知らんがな。娘を使わないでほしい。
……かくして、私亀井鶴子は、実家のどら焼き屋の新作メニューを考えることに青春の一ページを割くことになった。
『 第一話 私の大好きな先生 』
かめい屋のエプロンを身につけ、髪をポニーテールにまとめる。店番の時間になった。
「新メニューか〜」
地元で有名なかめい屋の娘である私は家業の手伝いを理由に部活動参加が免除されている。同級生たちが友達と青春に励む間、私は地元のおじいちゃんおばあちゃん、遠方からかめい屋のどら焼きを求めてやってくる観光客を相手にしているのだ。
「あらどうしたの? 悩みごと?」
「うん。お父さんから新メニュー考えてって言われて困ってるんだ。もしも完成したら食べに来てねしずさん」
「ええ! ええ! もちろんよぉ〜! 楽しみにしてるわ、頑張ってねつるちゃん」
「うん!」
しずさんはうちの常連客だ。最近足を悪くしてしまったみたいだけど、私に会いによく来てくれる。とても愛想の良いおばあちゃんで、しずさんに応援してもらえると頑張りたいなって思える。私の力の源だ。
笑顔でしずさんを見送ると、入れ替わりで外国人観光客の方が来る。たどたどしい英語で接客する。いつも萎縮してしまって慣れない。
「It's a very stylish storefront. Can I take some photos and interview you?」
「す、スタイリッシュ……?」
まずい。聞き取れなかった。困惑する。素直に聞き返せばいいんだけど、慌ててしまって頭が回らない。
「Sorry, she don't speak English well yet, so please refrain from interviewing her.」
「Oh... okay, okay. Sorry.」
――と、偶然その場に居合わせた女性が私とお客さんの間を取り持った。簡単に引き下がった外国人のお客さんが、私に向かってソーリーと言いながらどら焼きをお買い求めになる。対応する。
お客さんを見送って、のち。
「……助かりました、先生。あのお客さん、なんて言っていたんですか?」
「『おしゃれな外観ですね、撮影と取材をさせてもらえませんか?』ってご相談に、私が『彼女はまだ英語が苦手なので遠慮して』と言わせてもらった」
「なるほど……。先生すごい」
「貴女よりは長く生きているからね」
ふふん、と鼻を鳴らすこの女性は、私の高校の英語の先生だ。色白な肌にストンと落ちた黒髪、アンニュイな雰囲気のある女性で、うちの常連客。学外で私とは仲が良いから、このように素に近い部分も見せてもらえるようになった。
私の憧れの先生であり、素敵で、魅力的な女性だ。
「今日もどら焼き、買いに来たよ」
「嬉しいです。先生、ハマっちゃいましたね」
「うん。ハマっちゃった。ここのどら焼きは絶品だ」
先生は昨年この土地に転勤してきたばかりである。私が店番している日に偶然オフの日の先生がお店にやってきて、それからというもの、私と先生は他の生徒にはない接点を持つようになった。
注文されたどら焼きを包む間、思い出したように先生が言う。
「さっきの。テストの成績は悪くないのに、どうしたの? 亀井さん」
「いやぁ、頭が真っ白になっちゃって……。そうだ、先生聞いてください」
話をはぐらかすために必死になる。先生のことは大好きだけど、ここで英語の授業を受けたいわけではない。
「私、新メニューを作らないといけないことになったんです。それがいま、すごく億劫でですね……」
「へえ、楽しそうだけど。大変そうだね」
「そう! 大変なんです、私、先生や常連さんと会うこの時間は好きですけど、別に家業に思い入れがあるわけじゃないし……」
「そっか。そういえば聞いたことがなかった、亀井さんは将来の夢ってあるの?」
! ……よくぞ聞いてくれた。先生に聞いてもらえたら、ずっとこう答えようと思ってて、いまその時が来た。条件発動の告白みたいなものだ。
私は満面の笑みを咲かせて答える。
「はい! 私、先生みたいな先生になりたいんです! だから、このお店を継ぐ気はなくて!」
「エ"ッ……」
蛙を押しつぶしたような声がした。思っていた反応じゃない反応が返ってきて、戸惑う。
先生のそんな声、初めて聞いた。
「………やめといたほうがいいよ……」
そして、ひどくやつれた顔だ。
「なんでですか!?」
顔に影を落とした先生が背を丸める。まるで覇気がない。
「それに私、このお店好きだし……潰れたら悲しいな……」
「継げって言うんですかぁ!?」
先生がさっと顔を背ける。なんだかショックだ!
「ちょっ、ちょっと待ってください、先生は私を応援してくれないんですか!?」
「いや、応援はするよ? 応援はするけど、それはそれとして、私はここのどら焼き好きだし……私も憧れで入ったけど、教師職って全然楽しくないし……」
指先をつんつんと突き合わせながら気弱になった先生がぐちぐちと言う。な、なんだか本当にショックだ……信じたくない……。
「えー、えーっ……」
「亀井さん、このお店すごく似合うよ」
「う、嬉しくない……嫌なんですよぉ、しずさんとお話したり先生に教わった英語を使って日々コミュニケーションの上達を感じるのは好きですけどぉ……!」
「そう思えるなら天職だと思うけどなあ」
「ぐぎぎ……!」
くそう、ダメだ、先生がどら焼き側なのはよく分かった。やんわりと私が継ぐように仕向けてる。敵だ。
ばんっとカウンター台を叩いて、決心する。
「じゃあ分かりました! こうしましょう! 私は先生を満足させる《ネオかめい屋のどら焼き》を作ります!」
「おぉ!」
「それで現かめい屋を潰します!」
「おお……?」
「そしたら私は先生になります! 先生には私が個人的にどら焼きを振る舞うので文句はないですよね!」
「う、うん?? どうしてそうなるの? いや、嬉しいけど……」
こうなったら、私は私の夢のために。高校教師となり、先生と一緒に働き、先生と海外旅行したりして、先生と友達以上の関係になっていくには。
「では先生、私に協力してください!」
「ひぇ、な、なにを……?」
「新メニューの開発! 試食係をお願いします!」
「任せて」
負けられない私の戦いが始まった。
環月紅人の冒頭博覧会 環月紅人 @SoLuna0617
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