雪男の恋
kuzi-chan
雪男の恋 (完)
雪男は。雪がなくても生きてゆける。
むしろ。エサが豊富な…雪解け後のほうが生きやすい。
雪男は雑食である。
キノコや山菜…木の実や果実。虫やハ虫類…魚や貝。
それと。何と言っても…肉である。
小動物から…鳥。その卵。そして……。
太めの木を(こん棒)がわりに持ち。
鹿やイノシシなどの中型動物も…叩き倒して食べたりする。
時には。
2メートル近いクマさえも。(こん棒)でめった打ちにしてしまうことだってある。
ただ。クマの場合は命がけである。
山中で…予期せず出くわしたり。
また…どうしても。クマの肉が食べたい。欲しくて欲しくて我慢できない時だけだ。
雪男は。雑な欲がない。
2メートル50の巨体ではあっても。物静かで注意深く…無駄な行動はしない。
頭がいいのである。
雪男は。動物ではない。
生きる世界が別れただけの…ヒトである。
……この山にも。
やっと。おそい雪解けがやってきました。
深い森には小鳥が歌い。
野ネズミも野ウサギも…リスもテンも…ダンスに夢中になる季節がやってきました。
山…全体が。春の到来を喜んでいました。
もちろん。山のヌシ…雪男もそうでした。
でも。
この初春の雪男は。それだけではない(何かを)…胸の奥に感じていました。
(せつなさ)です。
雪男には。今まで経験のしたことのない…はじめての(せつなさ)でした。
それは。
人間の若い女を…忘れられない。
禁断の想いでした。
きっかけは…少し前の。まだ真冬の。きびしい雪山の頃でした。
この山で最大のライバル。
クマさえも…深い眠りに落ちる猛吹雪の時。日中も。ゴーゴーと鳴る大荒れの時に……。
雪男は聞いたのでした。
自分の体温で。わずかにあたたまった(ほら穴)の外から…かすかに聞こえたのです。
(なんだっ。人間の声か?……)
ほら穴の入り口を。
雪男は…大小の石で内側から閉め。外から入ってくる冷たい風と雪を止めていました。
息ができるだけの空気穴を残して……。
その小さな穴から…聞こえたのです。
ゴーゴーと鳴る猛吹雪の音に隠れてはいましたが…それでも。
雪男の。ヤマ犬にも匹敵する…その両耳は。たしかでした。
(気になる。いや。ほうっておくか……)
鼻のいい。クマに荒されないように隠しておいた…冷えた鹿の肉を口で溶かしながら。
モグモグと…ただ横になり。
ゴーゴーと鳴る大荒れの外に気をやってると…つい…好奇心に(むずむず)してくるのは。
やっぱり。
古い過去はヒトと同じだった…雪男の頭脳があるからでした。
(ねられない。行くか?……)
入り口の石を少しどけて外へ出て。
中に雪が入らないように。しっかりと。外から石で閉めてから…雪男は。
2メートル50の重い巨体を武器に。
ギュッ…ギュッ…と。
冬に長くなる。全身の厚い体毛を地吹雪に飛ばされながら。
ギュッ…ギュッ…と。
長いまつ毛の両目を細めては。熱い白い息を…ハァ〜…ハァ〜…と吐き。
雪男は。
ヒトが失った感覚を信じて。日中でも薄暗い…猛吹雪の中を迷わず直進しました。
ほら穴を出て…すぐでした。
雪男の影に。四つ足のケモノが低くゆっくりと…よってきました。
ヤマ犬でした。
オオカミを源流にするヤマ犬は…鼻がいい。
(お前か。たのもしい。人間をさがしてくれ……)
ヤマ犬とは不思議と気が合い。四季を通して(つれそう)なかでした。
直立の巨体と…雪原を(はう)四つ足。
山に生き山で死ぬ。ともに…なんの迷いがあろうか。
風が吹けば…それも良し。
雨が降れば…それもまた良し。
日が昇り…日が沈む。それもまた…良しである。
しばらく歩くと…ヤマ犬が止まった。
そこは……。
巻き上がる風雪の中でも…かすかにわかる雪の盛り上がりでした。
雪男が両手を入れるとスッとめり込み。あたった……。
やわらかい肉体。……人間でした。
ほんのり…あたたかい。息もしている。生きている。
ヤマ犬が…その(ほほ)をなめると。人間の(まぶた)はピクリと動き…反応したのです。
(若い女だ。まよったのか?…ひとりか?……)
あたりは。平べったい。ただの…雪の原にしか見えませんでした。
ヤマ犬も。
確認するように…鼻をすべらせていましたが。やめました。
ほかには。誰ひとり…何もありませんでした。まわりはすべて…雪でした。
(帰るぞ。お前も来い。肉をやろう……)
雪男は。
若い女の顔や頭についた雪を。あたたかい手の平で(なでるように)はらうと……。
かるがると持ち上げて。太くて長い両うでで(だっこ)しました。
だいじに…だいじに。
ゴーゴーと鳴る猛吹雪の…薄暗い昼下がりのことでした。
ほら穴につくと。
中は。ほのかに…あたたかさが残っていました。
すぐに。干し草のしいてある(奥の奥)に…若い女をそっと横に置き。
地吹雪の外で待っているヤマ犬に。大好物の…鹿の肉をやるのですが。
かたく凍った肉では(うまく)ないだろうと……。
雪男は。
いつもの(こん棒)を持ってきて。平らな石の上に肉をおき…叩いて…くだいてやりました。
ヤマ犬は。
お腹がすいていたんでしょう……。
ガツガツとうまそうに食べ。舌で口のまわりをなめ。上目づかいで雪男を見上げました。
(気をつけて帰れよ……)
雪男は。しゃがんでから。ヤマ犬の背中を二度…なでてやると。
ヤマ犬は。元気に。地吹雪の中を歩きだし…あっというまに消えてしまいました。
……ほら穴にもどると。若い女は。かわいい顔で…深い眠りのなかでした。
(おもったほど冷たくない。死ぬことはないだろう……)と。
雪男はひと安心しましたが。今の雪男は。なぜか…心配性でした。
(いや。もっと。あたためてやろう……)と。
雪男は。
少しはなれた(もう一つの)ほら穴へ行って。
やわらかな干し草を持ってきてやり…もっともっと…あたためてやろうと考えました。
名案に。
親ばなれしたばかりの若い雪男のように…胸を熱くしましたが。
(まてよ?……)と。
(寝ぐらを出てるあいだに。目をさまし。腹がへっては…かわいそうだ……)
と…今の雪男は。今まで以上の優しさで…いっぱいでした。
雪男は。
エサの少ない真冬のために取っておいた。
木の実…クリやドングリやギンナン。
干しておいた…山のキノコや貝の中身。
それを……。
大きな広い枯れた葉っぱの上に盛りつけては…眠っている若い女の顔の横に置くと。
(腹がへったら。ぜんぶ。食べていいぞ……)
雪男は。
若い女に無言で優しさを投げると…入り口の石をどけて…サッと外へ出ました。
外からすぐに石でふさぎ。中のあたたかさを守りました。
完全にふさいでも。少しのあいだなら…息がつきることはありません。
(すぐもどる。この中は。安全だ……)
猛吹雪の大荒れの外は…ゴーゴー…ゴーゴー…うなりをあげていました。
……が。
山の天気は不思議です。
どうしてこんなに変わりやすいのでしょうか?
今さっきまで鳴いていた空が…アッというまに。
雪男が…干し草を取りに行ってる少しのあいだに。
静かな山に…なりつつありました。
大きな雪雲のかたまりが…ポツリポツリと。別れて浮いて流れるようになりました。
風は少し残ってはいるけれど。雲と雲のスキマから。明るい陽も…さしてきました。
荒れた風雪は。急に…やみました。
雪男にとっても…良かった。
両うでにかかえた干し草が。強い風で飛ばされなくて…すんだからです。
足取りはかるかった。
雪男は。はじめての感情に…ほんの少し浮かれていました。
……人間の若い女に。今すぐ…会いたい。
雪男は。ほんの少し…浮かれていました。
大きな雲のまわりが。
ほんのりと…薄い灰色とオレンジ色になって。
その先の天からは。
真っすぐな陽の光が…あったかくさし込んできた。今…まさに……今っ。
すぐ先に見えた(二人のほら穴)の入り口が…あいていました!
外から(つんで)ふさいだ石が…くずされていました!
そして…入り口からは。
風で舞った粉雪で。隠されそうになった…二足歩行の足跡が。うっすらと残っていました。
左の一列は大きな足跡。
右の一列は小さな足跡。
一目瞭然でした!
左は雪男。右は若い女。
左は…干し草を取りに行った(ほら穴)に向かう足跡で。
反対の。右の足跡の向かう先は……沢……山あいの小さな谷川でした。
この(沢沿い)に歩いてゆけば。
運良くクマに出会わなければ。
川下の集落に…民家に…たどりつけるはずです。
人間の若い女は。
雪男が出ていってすぐに…目をさましたのでしょう。
陽が暮れる前に。なんとか。助けてもらうために。全力で抜け出した……!
(生きていてくれ………)
雪男は。
もう。さっきまでの感情は…ありませんでした。くやしさも…ありませんでした。
……が。干し草を。大きくかかえて(我が家)にひとり戻ると。
雪男は…ふたたび。
また。いいしれぬ強い感情が。ボォっと…わいて出てきました。
若い女の横に置いておいた(木の実)や(干した物)……。
クリやドングリやギンナン。
干したキノコや貝。
それを乗せておいた…大きな枯れた葉っぱ。
それら。ぜんぶ…丸ごと…ありませんでした。
急いでたんでしょう。
何個か木の実が。真っ白な雪の原に…落ちていました。
陽は…やや傾いていました。
でも。風ももうすぐ…やむはずです。
ふぶいた雪も…思ったほど積もってはいません。
急げば。運が良ければ。一番近くの民家に…灯りに…助けられることでしょう。
(腹がへったら。食べてくれ………)
雪男は。
若い女の向かった…小さな谷川のほうを。
真っ白な雪の原に立って。やさしく見ていました。
黒い巨体の背中には。
雪解け初春の…淡い陽ざしがさしていました。
<おわり>
雪男の恋 kuzi-chan @kuzi-chan
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