絶望の書

犀川 よう

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 わたしにとって絶望の書というものが二作があります。絶望なんてネジ止めさえすれば組みあがる玩具くらいに気安いものに思っていたし、回復可能な出来事でしかないと高をくくっていた若い頃に出会ったものです。この二作に出会ってからは、わたしは作家としての絶望という言葉を噛みしめ、今もまだ直視できずに逃げ回っていて、意識的に彼女たちの世界を避けて書いています。それだけ挫折を通り越して絶望を味わった衝撃は忘れられるものではなくて、今のわたしなど一介の素人作家でしかないけれど、いつかはたどりつきたいと思いながらも、目を逸らしたくなる作品なのです。


 一作目は高樹のぶ子先生の「光抱く友よ」という一九八四年の芥川賞作品で、わたしから見てひと世代前の昭和の話になります。世間知らずの女子高生涼子と同級生で不良といわれているワケあり女子の松尾との交流(と言って良いかは微妙なのですが)を描いている作品。「いい子」しか演じられない思春期の涼子が松尾という未知の世界を知ったときの戸惑い、興味、憐憫、友情、そして断絶を覚えてく過程を読んだ時には、ハンマーで殴られたような衝撃でした。小説ってこんなに人間について切り込めるものなのかと。一方の松尾は母の異常性の被害者という不遇な少女であり、すでに生きる事に希望を見出せない存在で、星など見えないもの希望を見出す、あるいは逃げ出したい気持を抱きながら生きている少女です。物語の序盤に松尾の「あんたにはわかってもらおうとは思わんけど、人間には辛抱できるつらさと、できん辛さがあるんよね」(原文ママ)というセリフを読んだ時、初めて世の中を知ったような気持ちになりました。本当に恐ろしいくらいに思春期の少女たちの像を抉り取っていて、わたしは震えがとまりませんでした。今日では受け入れられない社会通念、言葉遣い、男尊女卑などの表記はありますが、それを含めて昭和の名作だと思います。高樹のぶ子先生には怒られそうですが、シビアな昭和時代の百合作品とも言えるかもしれません。大正浪漫のような華やかさや優雅さなど一切ない、現実と絶望の世界で繰り広げられる少女たちの物語です。


 二作目は吉本ばなな先生の「キッチン」です。吉本ばなな先生の作品はとにかく書き出したる冒頭部が暴力的なまでに魅力的で、わずか一ページでわたしの首根っこをつかんで作品の世界に押しこんできます。キッチンの有名すぎる出だし「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。」(原文ママ)は一見、台所についてあるいは料理についての話が始まるのではないかと思うのですが、すぐに主人公の私(みかげ)にとって台所とは生きてく場所がそこしかない、死に場所もそこしかない、つまり寂しさを表していることに気がつかされます。料理をつくりたいのはなく、そこにしか存在できる場所がないのだということを、冒頭部の一、二ページで表現していて、わたしは物凄い衝撃を受けました。こんな書き方があったんだ、あるいは、書いてもいいんだと思ったのです。それ以降、わたしは小説の冒頭部が最重要であるという価値観を持ちました。

 余談ながら、エッセイを書く方には吉本ばなな先生の作品をオススメします。作家駆け出しの当時、一度だけお会いする機会がありまして、頼りになるお姉さんという感じの方でした。一言二言交わした程度ですが、今も深い印象として記憶にとどめております。


 実はこの二作は、商業時代に編集の指導で写経をさせられたのです。わたしは非常にラッキーなことに「育ててから世に出す」方式で、大手出版社でシゴかれてから文壇デビューしました。なので、当時はこういう名著を写経して作品の意味や言葉の価値やリズムを学ばされました。わたしは文学部卒ではなかったので、出版社がド素人を一丁前に育てるためにコストを払ってくれたのです。今となってはありがたい限りですが、当時はムクれながらやってました。当時二次創作作家としての実績も自信もあったので、妙なプライドもありまして笑。


 話がそれましたが、「光抱く友よ」「キッチン」はわたしにとって書くのを辞めたくなった作品であり、今もなお作家としては完全に直視できない絶望の書です。是非読んでほしいと思う一方、読んだ後に「作家として」絶望するとは間違いないと思いますので、お気をつけあそばせ。(犀川 よう)

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