「やり直そう」という言葉を亜貴ちゃんに告げたのは、それから6日後だった――。




「――それ、付き合ってる意味あんの?」

 歌いつかれたカラオケボックスで、馴染みの女友達は、ため息をついた。

「本当に好きなの? その子のこと」

 僕は、友人の言葉をきいて露骨に目を逸らした。図星だったからかもしれない。わからない。

「君のそれはさぁ、愛というよりは崇拝なんだよ。付き合ってる感じじゃないじゃない、話聞いてる限り」

「でも、ちゃんと構ってくれるし……」

「うちに言わせると、君のそれは“呪い”だよ。その子のためにもならない。他の恋を探したほうがいいと思う」


 呪い。


 僕たちが「やり直し」てからも、僕たちの関係は何も変わらなかった。あれから三年。

 僕は派手なアプローチをするのをやめた。僕の好意を受け入れるような女性が、あの日の元カノのように突如として音信不通になるのが怖かったのだ。


 彼女の成人を境に、亜貴ちゃんは僕のことを周囲に“彼氏”として紹介するようになった。それまでは僕と付き合っていることすら内緒にしていたようで、それが恐らく彼女なりの“責任”だったのだろう。


 でも、僕が彼女の「彼氏」になっても、僕らの関係は変わらない。


 友人は足を組みかえた。

「で、何年付き合ってるんだっけ?」

「……5年くらい」

「5年でキスすらしてないのは、もう無理だって。諦めなよ」


 呪い――崇拝。

 僕が亜貴ちゃんに抱く感情は、恋慕ではなかったのだろうか? 彼女の方を向いていれば気が楽で、彼女に従っていれば幸せだった。

 あの日の眩しい思い出が、僕の脚を止めて動かせないようにしている……?


 ヒトが大人になるのは、何かを受け容れた時なのかもしれない。

 動かない脚へのコンプレックスは自分の中で少しずつ収まっていたが、それでも未だに「亜貴ちゃん以外に愛されるのか」という不安が顕在化して残っている。それでも前に進むしかない。歩くようなスピードでも、停滞してはいけない。

 歩き続けるしかない。



 だから、僕はひとつの結論を出した。


「     」


 思いつめたように告げた言葉への、亜貴ちゃんの返事はひどく単純で、思わず拍子抜けしてしまうほどだった。


『やっと解放されたわ! もう帰ってくるなよ?』




……きっと。

 きっとそれは、亜貴への思慕で間違いなかったのだけど。亜貴にとっては、そうではなかったのだ。



 それから何度かの恋や情動を挟み、僕は今もひとりだ。

 この世界には亜貴ちゃんより相性がいい人などいくらでも居て、まだ巡り会えていないのかもしれない。そんなふうに考え……ている。

 失恋が永遠の別れになんてならないのが現実だ。窓から外を眺めれば、通勤途中の彼女が自転車で目の前を通り過ぎていく。お互いに気恥ずかしくて声は掛けないが、それが日常の風景だ。


『……だから〈BIG LOVE〉って返した!』


『アンタ、また浮き足立ってない?』


『僕は学習する男だぜ? 次こそは大丈夫なはずよ!』


『そういう時の遥人が一番怖いんだって』




 亜貴ちゃん。君がいなくても僕は歩ける男になれるだろうか。

 歩けているだろうか。

 走らなくてもいい。急がなくてもいい。ただ歩くような速さで、僕は僕の人生を歩けるだろうか。


 君がいなくとも。


 ……なんて。そんなことを言えるような時期はもう過ぎた。僕らは大人になってしまった。

 出来ることなら、君とお酒を飲みたかった。もう叶わない幻の光景が、瞬きのあいだに溶けて消えていく。



 さよならは、まだ言えない。僕は初恋の終わらせ方を知らない。




 

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歩くような速さで 紫陽_凛 @syw_rin

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