住んでいた街を出て、世界は急速に広がっていった。人見知りだった僕は同級生となかなか打ち解けられず、買ったばかりのスマホから覗くインターネットで孤独を癒していた。

 現実世界が狭くても、SNSなら色々な人の様子を観察できる。亜貴ちゃんに描いてもらったアイコンを名刺代わりに、僕は色々な人と交流していた。


 タイムラインを流れ過ぎていく人たちは大体が僕よりもずっと歳上で、深夜になれば恋バナや日常の愚痴などで盛り上がっている。その中で出会った僕より一歳上の女子は、言葉の端に淋しさを纏っていた。


 亜貴ちゃんなら関心を持たずに放り投げるような事象を、彼女は真面目に受け止めていた。

 家族と喧嘩したこと、テストが上手くいかなかったこと、バイト終わりに食べたラーメンが格別に美味しいこと。

 それまでの狭い世界では仲良くなることもなかった等身大の女子だ。


 画面上で、テキストコミュニケーションで、繋がっている気がした。

 僕が積極的に話しかけていくと、彼女はすぐに反応を返す。冗談混じりの好意を伝えるメッセージを何度か繰り返していると、返信に湿度が増した気がした。


 僕らがタイムライン上でも冗談半分でカップルのように扱われだしたころ、僕は彼女の鍵アカにフォローされた。相互フォロワーの少ないそのアカウントには、彼女が赤裸々に自らの淋しさを吐露していた。bioに書かれた〈処女は大切な人にあげたい〉という文字列を眺め、僕は亜貴ちゃんからもらったアイコンを変更した。


 連絡先を交換して、互いに自撮りを送り合う。SNOWで流行りのフィルターに覆われてはいるが、可愛い子だ。住んでいるところは遠く、なかなか会うのは難しい。それでも、お互いの近況報告をチャット上で毎日繰り返していた。


 部屋の写真に映り込むサンリオのぬいぐるみ、ヘッダーに使われているモノクロのセーラームーン。醸し出す「等身大の女子」の匂いに噎せ返りそうになりながら、僕はふと亜貴ちゃんのことを思い出す。


 その子とはただの友達で、亜貴ちゃんは恋人だ。そんな言い訳に意味がないことはわかっていて、僕は揺れつつある心を騙し切ることができなかった。


 亜貴ちゃんに「他に好きな人ができた」と言ったのは、16歳の秋だ。


『会ったことないんでしょ?』


 それでも、毎日やり取りはしてる。


『アンタがそんな可愛い子と付き合えるわけないって』


 こんなに好きでいてくれてるのに?


『絶対騙されてる!』


――今思えば。

 こんな風に言葉を尽くして彼女が僕を止めるのは、初めてだったかもしれない。

 でも僕は、亜貴ちゃんより彼女を選ぼうとしてしまったのだ。



 数日後、僕はその女子に告白した。自分は愛されているという自負と根拠のない自信で武装して、その子から貰った言葉で勇気を振り絞って。放った言葉は、一往復の困惑の後に、届いた。



『遠距離だけど、それでもいいなら。幸せにしてください』


 有頂天だった。彼女の寂しさに寄り添って、大切にしないといけない。「守る」や「幸せにする」なんて殊勝な言葉を入力しては、その言葉の持っている力とか響きとか神秘みたいなものをかみしめた。僕には愛されるだけの力があって、こんな風に進展させることだってできる。


 彼女との恋人としてのやり取りは濃密で、時間の感覚を忘れるほどだ。それがピタリと止まったのは告白から一ヶ月後、クリスマス前の夜だった。


 音信不通の期間は二週間だったが、僕にはその時間が永遠に思えた。フォローしている彼女のアカウントに更新はなく、送ったメッセージは既読すらつかない。

 直接顔を合わせない関係性は想像以上に希薄で、そして僕はどっしり構えていられるほど強くは居られなかった。

 毎日スタンプを送っては返信の確認を行い、落胆する。


 だから、返信が来た時に最初に浮かんだのは安堵だった。通知の数字が四つ増えているのを確認し、安心感と共にトーク画面を開く。


 直後に来たのは衝撃で、その後に来たのは「意味がわからない」という感情だった。









 スクショ四枚分の別れを告げる長文だった。三週間前に同じクラスの男子に誘われ、一晩を明かしたこと。その人のことを好きになってしまったこと。その人に処女を捧げたこと。


 謝罪の形を成していたが、そこに僕への想いが残っていないことは明白だった。何より、僕は彼女にとっての“大切な人”になり得なかったのだ。


 震える指で「友達に戻ろうか?」と打ち込み、嘔吐く。こんな時でも嫌われまいと、消極的選択を取ってしまう。口汚く罵って関係を切ってしまえば楽なのに、混乱していた頭はまだ関係を続けることを願い続けている。


 SNSを開く気力もなかった。見知ったフォロワーに別れた理由を連絡してひとしきり愚痴を吐くことも考えたが、タイムラインを見るたびに気分が落ちる。スマホの電源を落とそうとした瞬間、通知欄に残った新着メールが目に留まる。亜貴ちゃんだ。


 思えば、これは最低の行為だ。身勝手に関係を終えた相手に、もう一度連絡するなんて。あまりにも独りよがりで、どうしようもなく無様な行いだ。


 それでも、僕はすがってしまった。安心できる場所を求めた。どんな反応でもいい。幻滅してくれ、怒ってくれ。最低だと詰なじってくれ。そうしないと、捨て鉢の感情が向かう先がなかった。


『浮気されて、フラれた』

『だから言ったじゃん!!』

『ごめん……本当にごめん……』


 普段なら僕の不幸話をケラケラと笑いながら聴いている亜貴ちゃんが、その日だけは真剣だった。 

 僕を否定することなく「相手と関係を切った方がいい」と言う。

 学生のうちからの性交渉は、彼女が度々言う“責任”から外れる行動だったらしい。


 普段顔を合わせて話す分、文章から彼女の気持ちを読み取るのが難しかった。彼女は何を考えているんだろう? 別の人を好きになったのは、僕も同じだ。同じ気分を亜貴ちゃんが味わっていてもおかしくないのに……。


『数年経てばきっと笑い話になるから元気出せ!!』



 自己嫌悪で心が軋んでいた。頭と心が別の方向を向いていた。


 これは恥知らずと笑われても不思議ではない行動だ。僕がその言葉を打ち込むか逡巡している間に、彼女から届いた2通目のメールは短かった。




『どうせ帰ってくると思ってたよ』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る