番外編 ─代理人の日常、前編─

 こちらは序章候補だった、第三話までに名前が出てきている人物たちの戦闘記になっています。本編に深く関わる内容では無いので、飛ばして頂いても大丈夫です(分かりにくかった神業や、神器の説明がございます)。




 代理人達の日常、とは。

 朝。早朝任務。

 昼。防衛任務。

 夕。海岸防衛任務。

 夜。巡回任務。


 任務、任務、任務、任務………───

 代理人に、休息はない。

 信者達は、いつ、どこからやってくるのか。それを未だに、出雲の民は理解していないのだ。

 無論、それは代理人も同じこと。

 一人を除き、代理人達は、信者の本拠地を知らない。

 もちろん、神ノ座第5班班長を務めている、那須信介なすしんすけも、それは同等だ。

 そんな信介は現在、断崖絶壁の真上にいた。


『神ノ座、第一、第二、第五班に告ぐ』


 耳に溶け込むノイズは、うるさかった。


『前方、300m付近に、二十数体の信者を観測。繰りか───』

 ───ぐしゃん


 ………そして、無線機を握りつぶす音は、もっとうるさかった。

 少し呆れながら音のした方向を見れば、案の定、無線機は原型もなく粉々になっている。

 無線機を無言で握り潰したのは、神ノ座───代理人を保護・育成し、信者と衝突させる組織───に所属している、戦闘部隊第2班、日下部智之くさかべともゆきだ。

 黒髪に緑のインナーカラー、深緑の軍服。右手には大きな盾が握られており、その表面には厳つい骸骨が描かれている。

 日下部は左手で握り潰した無線機をパラパラと断崖絶壁の下に落とし、そして叫ぶ。


「繰り返さなくていいわボケ!」

「日下部さん、後で元帥に怒られますよ」


 信介の右隣にいる、物憂げな雰囲気の青年は日下部に忠告しながら、肩下まである黒髪を低い位置で一つにまとめあげた。

 神ノ座戦闘部隊、第一班班長の青年―――仁紫蓮翔にしれんかは、蘇芳の軍服を身にまとい、ジャケットを肩にかけて、まるでマフィアのように着崩している。

 こんな風が吹き荒れそうなところでその着方は危ないから、早く袖を通して欲しいな、と思う。けれど蓮翔はその着方が気に入っているからか、一向に袖を通そうとはしない。


「こんくらいで怒られっかよ、ボケ蓮翔」

「ボケ………ですって………?」

「………………………えっ!?」


 ゆらり。蓮翔の神気が蠢く。

 怒気に当てられたのは信介自身ではなかったが、その気迫に少し戸惑ってしまった。

 まさか、こんな足場の少ないところで争うつもりか、と。

 2人がこんな断崖絶壁で争いなど起こしたら、ここにいる信介はもちろん、下で待機している班員達も生き埋めになってしまうだろう。それくらい、この2人の実力は確かなものだし、喧嘩なんてくだらないものをし始めたらそれこそ手加減なんてない。

 が、蓮翔も日下部も大人だ。こんなところで神器を出した争いはしないだろう。


「………すみません、蓮翔さん。無線機貸してもらってもいいですか?」

「えっ? あぁ、はい、どうぞ」


 そう考えた信介は、蓮翔から無線機を預かって、神ノ座司令室からの指示を聞くことに専念した。


「さて。では勝負でもしますか? 元帥に怒られるか、怒られないか」

「フッ………いいぜ、ノってやるよ」

「では俺は、怒るに1万円」

「俺は技術班が怒るに500円、怒られないに500円」

「あぁ………確かに、技術班がいましたね」


 蓮翔は任務前、無線機を渡してくれた人物達を思い浮かべる。

 それと同時に、日下部の賭け金を思い出し、日下部の渋い顔を覗き込みながら、嘲笑わらう。


「というか、金欠ですか? 俺よりも七つも年上のあなたが、1000円しか賭けられないなんて」

「………るせぇ! っつか、お前ももう二十歳だろうが! 5万くらい賭けて俺に寄越せ!」

「あぁ、ビビってるんですね」

「ビビってねぇわ!」

「………うるさいな」


 その一言で、言い合いをしていた二人は一斉に黙り込んだ。

 滑らかでむらのない声が、日下部よりも低い位置から響く。

 騒ぎ立てていた日下部を下から睨みつけていたのは、雪原景色の体現のような少女だった。


「招集の時くらい、静かに出来ないの? 日下部さん」

「そういうお前は敬語をどこに置いてきたんだ? あ?」

「私が尊敬しているのは『先生』だけ。それに日下部さん、序列気にするくせに、私より下だし」

「んだと………?」


 少女───西雪和穂にしゆきかずほは、信介が班長を務めている第五の班員でもあり、神ノ座序列2位の称号を持ち合わせる実力者。

 対して日下部の序列は、和穂の次、3位の称号が付いている。

 日下部は必要以上に序列を気にしている。だからこそ、序列が上の和穂には、手は出てもそこまで強くは言えないのだろう。手が出る、というのも、少し可笑しいと思うが。

 手が出る理由は、低い序列が自身より高い序列を倒せば、もちろん身分が上になるからだ。

 そしてそれは、和穂自身もよく理解している。

 睨み合いをし、火花をバチバチと散らしている2人を見て。

 そろそろ頃合だ、と、信介は無線機のミュートを切った。


「………すみません、そろそろ、満ち干きです」


 遠慮気味に、それでいて日下部の機嫌をこれ以上損ねぬよう、信介は切り出した。

 今日は珍しい、三班合同任務だ。だからこそ、少しは仲良く………はしなくてもいいが、穏便に済ませて欲しくて信介は言ったつもりなのだが。


「んだよ、『神霊』。選抜メンツでお前が一番序列低いんだぞ」


 かえって、日下部の機嫌を逆撫でしてしまったらしい。


「………すみません、それに関してはどうでもいいんですけど」

「あ!?」


 もうなんだか面倒臭くなってきて日下部を無視しつつ、信介は任務の概要について思考する。

 今いるのは、基地から少し離れた場所にある、断崖絶壁に囲まれた海岸。風は恐ろしいほど無であって、いつもならば崖の上まで上り詰めてくる波ですらも、今日は寝ているようだった。

 崖上から海を覗き込めば、案の定、潮が引き始めている。

 潮が引き終わった直後に何があるのか───それは、代理人か、出雲の民。どちらかが犠牲になる未来だろう。

 そう。潮が干いた時、その瞬間、現れるのは───出雲を脅かそうと企んでいる、『神霊の信者』達だ。

 いつもならば、海岸の防衛任務は一班で事足りる。

 だが、今回いつもの防衛任務に、戦闘部隊を三班も使ったのは、現れる信者の数が観測史上、最も多かったから、という単純な理由だった。


「ふふっ。さすが信介」


 すぐに戦闘への思考に切り替える信介を見て、蓮翔が優雅に笑う。

 現在、崖の頂点で待機していたのは、四人の選抜メンツだった。

 選抜メンツ───基、指揮官としての役割を担ったのは、蓮翔、日下部、信介の三人と、『白狼』の異名を持つ、和穂。四人を筆頭に、任務は決行される。

 潮の満ち干きを見定めて、信介は背負っていた矢筒から神器を取り出し、弦を引く。


「信者がもう来てます。そろそろ下にいる連中に、錯乱を要請しましょう」

「指図すんじゃねぇよ。わかってるわ」

「そうですね。俺達もそろそろ、前線に行くはしておかないと」


 断崖絶壁の下、普段は海に沈んでいる海辺。

 そこには、第一、第二、第五の班員が、一定の距離を保ち、それぞれの神器を掲げていた。


「陽太郎、流星」


 信介から無線機を預かった蓮翔がミュートを解除した。


『はい』

『なにー? 蓮兄!』


 途端に聞こえてくるのは、活発な声と、相対するような静かな声。

 蓮翔が声をかけた先は、第一の班員、蓮翔の弟の陽太郎と、その幼馴染みの流星だ。

 それに安心しながら、蓮翔は冷静に指示を出した。


「できる限り信者を分散、錯乱させてください。弦月、蒼士郎と極力協力するように」

「極力協力………な」

「くだらないこと呟かないで下さい、最年長」

「あぁ!?」

「………任務、開始致します」


 最年長の2人が未だに言い合いをする中、信介は少し心配になりながらも、司令室に合図を送った。

 自身の神器、鏑矢を打ち上げて、信者達への宣戦布告───任務決行の合図を。




「よしっ。蓮兄に応えるためだ………やるぞ、流星!」


 鉛色の髪に、八重歯の目立つ微笑を浮かべた青年―――第一班班員の陽太郎ようたろうは、隣にいた幼馴染みに笑いかけた。

 闇に溶けるような濡羽色の青年───流星りゅうせいは、陽太郎の声に一切の波も立てずにで頷く。

 戦場だと言うにも関わらず、流星が落ち着いた雰囲気を漂わせているように見えるのは、彼の髪がインナーにかけて、赤紫がった暗い灰色に変わっているからなのかもしれない。

 陽太郎と同じ、第一班班員の流星は、陽太郎の肩に手を置くと、寂びを感じる声色で告げる。


「うん。それはいいけど、少し屈んで」

「えっ………うおっ!?」


 瞬間、陽太郎の肩に物凄い圧がかかった。それ同時に頭上で勢いよく風を切る音が鳴る。

 何事かと顔をあげれば、目の前は蘇芳色で染まっている。

 あぁ、流星が屈ませたのだ、と理解するのに、陽太郎は1秒も要らなかった。


 一方、陽太郎を屈ませた流星の右手には、二本の飛針が握られていた。一本を人差し指と中指の間に、もう一本を薬指と中指の間に握り、力強く前へと押し出した。


 一。陽太郎を屈ませる。

 二。信者が飛ばした矢を排除するため、飛針をチップのようにスローイングする。

 三。飛んできた矢は飛針に当たる。

 四。矢はいとも簡単に、その場で折れて消えた。


「四手、か………距離がもう近いね。数も多い。蒼士郎さん、数え切れた?」

「………こッッッわッッッ」


 ひぃぃ、怖ぇ〜…………などと漏らす陽太郎を差し置き、流星は上を見上げる。

 断崖絶壁の途中、ちょうど真ん中あたりで崖は二段に別れ、人が一座するのにちょうど良い足場が作られていた。その足場に1人、黄金色の青年―――第5班班員の、蒼士郎そうしろうがライフルを構えて仁王立ちしていた。蒼士郎はライフルのスコープを覗き込み、やがて目線を下に逸らす。


「ごめん、70手前まで数えてたんだけど、途中で分裂したからざっと100以上いるかも」

「多くないか!?」

「なにかの予兆………とか?」


 驚きの声をあげた陽太郎。

 戸惑いを隠しきれない流星。

 の横で、呆れ顔のまま崖上に呟くのは、天パが目立つ茶色の髪をした青年―――弦月ゆづきだった。


「というか、蒼士郎………増えたんならその時に言って欲しかったなぁ、なんて………」

「自分で確認してよね、バカ弦月」

「だよねそう言うと思ってた図に乗りました」

「弦月さん、潔良いな………」

「単に蒼士郎の機嫌取るのがめんどくさいだけじゃ───」

「陽、なんか言った?」

「なんでもありません!!」


 蒼士郎の機嫌を損ねると、すぐに傷口に塩を塗ったあとそれを抉ってくるような、酷い毒が吐かれることがしばし。

 なので、ここは追求しない方がいい。


「………陽太郎」

「―――おう」


 耳につけた無線機から、100m圏内に入った、との通達が届く。

 と同時に、信介が打ち上げたであろう、鏑矢の龍の鳴くような音が響き渡った。


「じゃあ、フォローよろしくな、みんな!」

「うん」「まっかせて」「死なない程度にね」


 海に道ができた。

 その向こう側からやってくるのは、白装束の人の形をしたナニか。

 ナニか───いや、信者は、海が引いた湿った道に、足を踏み入れた。信者達はそれぞれに適した武器を持ち、その顔は装束のおかげで見えないけれど、表情は見なくてもわかる。


 嗤っている、と。


 信者達が現れた瞬間、前に出たのは、神ノ座第5班に所属する、吉原弦月だった。

 弦月の右手には、緑青色の煙管が握られていた。

 弦月は躊躇なく、煙管の口元を咥える。

 ゆっくりと、まるで、恋人と口付けをするように、弦月は煙管を通して、その唇に術を含む。

 ふっ。と、煙管を離した、その瞬間。


「ふぅ───…………」


 弦月は、含んだ術を信者達に与えるように、重たく、深く、術をばらまいた。

 刹那―――


 赤。        朱。

       青。

   黄。        白。

      緑。        桃。

 紫。       緋。 


 途端に、海岸全域に色とりどりの霧が発生した。窓掛、ベール、帷帳………まるで、その場にいる全てを隠すように、色と共に霧は広がる。

 もちろん、霧に襲われたのは信者も代理人も同様だ。

 だが、その結果はあまり喜ばしくはなかった。


「うーん………やっぱり効きにくいなぁ」


 弦月の神業───『煙霧』

 煙管を使い、空中に漂う神力を体内へと取り入れ、自身の神力と融合させることで、規格外の範囲の霧を発生させることができる神業。また、『神気の質』が信者よりも上ならば、その信者を意のままに操れるのだが。


「―――最近、変だな」


 手のひらでくるくると煙管を回しながら、弦月は無表情に呟いた。

 いつもなら必ず数体は引っかかる。

 なのに最近は、やたらと神気の質がいい信者が増えてきている。

 これがなにかの兆候にならなければいいが、と考えていた弦月の隣で、何かが風と共に駆け抜けて行った。


「弦月、サンキュー!」


 飛び出したのは、絡繰傘を右手に握り締めた、第一班班員、仁紫陽太郎だった。

 陽太郎は弦月の霧を隠れ蓑にし、霧に飲み込まれた信者達を猛スピードで避けながら、信者の群れの中心部まで突っ走る。


「陽、そこで飛んで!」


 遠くから蒼士郎の声が響いた。

 それに呼応するように、絡繰傘を地面に叩きつけ、タイミングよく足を使い、信者達の頭上に飛び上がった。

 そして、絡繰傘の先端を、信者に向ける。


「ぶっ飛べ!!」


 怒気を含んだ声で叫ぶ。飛んでくる信者の攻撃すらも無視し、陽太郎は攻撃に全てを振るった。


    散り。     散り。

       散り。

 散り。        散り。

  散り。         散る。


      ふわり。


 散り。     散る。

             散る。

   散り。            散る。

 散る。     散る。


 その瞬間、あたりが桜色の海に包まれた。桜の花びらが散り、雲海を作り出す。

 ぶわり、と弾けた温かさに、信者達は戸惑い、そして、攻撃を止めてしまう。来ると思っていた大きな衝撃はなく、代わりに弾けたのは、目を奪われるほど美しい、桜花爛漫な桜景色。


 ───美しい。欲しい。あの代理人が。欲しい。神秘だ───なんて、ほざく信者に。


 あの仁紫蓮翔の弟が、美しい景色を見せただけで、戦いを終わらせるわけがなかった。


「もっかい!」


 信者達が陽太郎を射止めようと、目に捉えた瞬間。

 再度、あたりが桜景色に包まれた。


『あ…………』


 逃げようにも、もう、遅い。

 桜の花びらは、爆風と共に、散ってしまったのだから。


『あああああぁぁぁあぁぁぁぁああ!!』


 耳を劈くような咆哮が辺り一面に轟く。陽太郎の神業の爆風が直撃した信者はその場で殲滅し、運良く逃れた信者達は、逃げるために素早く断崖を目指した。


 陽太郎の神業───『桜雲炸裂おううんさくれつ

 神器の絡繰傘を使い、桜が散っていくような爆破を発動できる。第一段階で一度、信者達の注目を集めていくことにより、第二段階でより正確な爆破を発動させる、二段構造の神業だ。陽太郎は弦月のように神力を変換することが出来ないので、自身のフィジカルと元からある神力量のみで戦っている。

 とても強力な神業だ。

 でも、だからこそ。


「陽太郎後ろ!」


 信者に、その神業を狙われることは、言うまでもない。


 流星の声で、息を飲む間もなく振り返った陽太郎に、白装束に包まれた腕が伸びていた。腕には鋭い刀が握りしめられ、刀身はもう、陽太郎の首を目掛け、迫り―――


 次の瞬間、信者の身体は陽太郎を横切って勢いよく吹っ飛び、その後、動き出すことは無かった。


「えっ、あれ………」

「あのさー! なんのために弦月が神業使ってると思ってんのー? 使えるものは最大限に使ってよ、無駄になるでしょー」


 聞こえてきた声に、陽太郎は短く息を吸った。

 無意識に呼吸は止めていた。

 一瞬だけ死を悟った陽太郎は、額から汗をびっしょりと出して、呼吸すらも忘れていた。

 ある程度呼吸が整ったタイミングで、遠く離れた崖を見やる。

 だが、崖途中の足場にいた蒼士郎も、肩で荒い息を繰り返しながら、こちらに手を伸ばしていた。


「あっ………」


 まさか、と思って、倒れた信者に振り返る。

 信者の腹部には鋭い槍が刺さっており、白装束を真っ赤に濡らしていた。


 一方、蒼士郎の元には、先程信者を捕捉した時に使っていた大きなライフルがない。

 その時点で、陽太郎は悟る。

 蒼士郎が、自身の神業を使い、やり投げで命を助けてくれたのだ、と。

 

 その証拠に、陽太郎を助けるために投げた槍のおかげせいで、蒼士郎の肩がじんじんと痛み始めていた。

 蒼士郎の神業は、『神器纏繞じんぎてんじょう

 蒼士郎の身体は特殊であり、持ち主のいなくなった神器や、神器では無い普通の武器を、自身の神器として扱える神業を持っている。また、神器を身体に吸収させることで、身体のどこからでも神器を表現出来る、便利な神業。


「ご、ごめん! ありがとう! あと蒼士郎、俺の心配は………?」


 なんて、生きている実感をするために………正確には安堵したいが為に、蒼士郎に冗談を言うと、案の定、蒼士郎の目つきが変わった。


「お前図々しいにも程があるんだけど」

「………だよね〜………」


 やっとのこと安堵のため息を吐いた陽太郎とうってかわり、蒼士郎は呆れ交じりのため息を吐いた。

 そもそも、陽太郎が信者を分断する時に、信者の攻撃に一度も当たらなかったのは、蒼士郎が全て攻撃を撃ち落としていたからである。

 陽太郎が無事だったことに対し、流星もホッと胸を撫で下ろして戦闘を再開しているし、これなら今、目を離しても大丈夫だろう、と蒼士郎は軍服のポケットから携帯を取り出す。


「もしもし? 凜々。何体か海蝕洞の方行ってる。そっち頼んだ」


 凜々からの返事は聞かずに、蒼士郎は要件だけを伝えて通話を終了させる。

 左手で携帯をしまいながら、空いた右手で中を切った。

 右から左へ。戦場を撫でるように動かした手のひらには、もう既にライフルが握られている。

 仲間を援護するためライフルを構えた蒼士郎は、なんの感情も抱かずに引き金を引いた。




 暗闇。

 太陽の光のみを頼りにした、岩場と少量の海水で足場が埋め尽くされる海蝕洞で、声が響く。


『そっち頼んだ』

「だって、悠和、辰巳、湊音………ってあいつ切りやがった!?」


 通話画面を見せていた凜々りりは、大和撫子な黒髪を振りほどきながら、切られた画面を再度見直し叫び出す。

 蒼士郎の身勝手な行動に、これだから男はぁ!と叫び、携帯を叩き割る勢いで凜々はポケットにしまう。

 が、目の前にいる三人は、そんな凜々を気にせずに話を展開し始めていた。


「ううぅ………初めての任務で緊張する………」

「普通にやれば死にませんよ! 大丈夫!」

「その普通がわかってないのだろう」


 第2班に所属している、自信無さげな少年───辰巳たつみと、元気よく諭す少年───第5班班員の悠和ゆうわ、そしてその悠和に適度なツッコミを入れる青髪の青年───湊音みなとは、今日が初の邂逅だった。

 辰巳と湊音はついこの前、神ノ座へとやってきた代理人であり、今日が初めての実戦となる。

 だからこそ、必要以上に緊張しているのだろう。


 だが、戦いという場で緊張という言葉は不要だ。

 その言葉は、ただの足枷と化す。


 だからこそ凜々は、海蝕洞の中に入り込んだ無数の信者を、逃がすつもりは毛頭なかった。


「来たよ! 悠和、感覚遮断!」

「はい!」


 日下部や片割れの弟が戦場に出てくるまで、まだ時間がかかる。班長格隊長格といった人材は、戦い終盤、特に強い信者でも出てこない限り、前線に出ては来れない。

 そういう人材は貴重だからだ。神業も強い分、信者に狙われる確率が高くなる。

 だからこそ、初めの『雑魚』は、凜々達が倒さなくてはならない。


「ほんと、役損だよね」


 目の前の、仲間の悠和が無数の信者に触れるのを見て、凜々はボソリと呟いた。


 悠和は凜々に指示を出された瞬間、海蝕洞に入り込んだ信者に走り出した。自身の神器である手套を身につけ、迫り来る信者に手を伸ばした。


 白装束を身につけた信者の合間をくぐり抜けながら、それと同時に信者に触れる。

 すると、悠和が触れた信者から、黒い靄が発生した。

 まるで、黒い炎が燃え上がるように。まるで、月が雲に侵食されていくように。

 信者の白装束を、悠和が真っ黒な黒装束に変えてゆく。


 悠和の神業───『月蝕』

 悠和の右手につけた神器の手套と共に信者に触れると、たちまち感覚を奪える、という神業。正確には奪っているのではなく、悠和の神力で信者に備わる細胞を隠し、感覚を遮断しているだけだ。悠和の神力が切れてしまえば、感覚はすぐに戻ってくる。


 悠和の感覚遮断が完了した。信者達は、耳も聞こえない、目も見えない、真っ暗な暗闇の中に閉じ込められることになったのだ。


 その隙に、信者達に突っ込む影が2つ、現れた。

 一人は薙刀を持ち、もう一人は太刀を持ち合わせ、信者達に突っ込んでいく。


「おっ、やるじゃん」


 凜々は素直に感心した。

 辰巳が太刀を振るい、信者を初めて討伐したのだ。

 辰巳の太刀は、炎を連想させるような、真っ赤な刀身。

 それもそのはず。辰巳の神業は、『火花』

 神器が当たったその瞬間、ところ構わず火花が発火する。火花自身は辰巳の神力から作られているものであり、攻撃が当たった瞬間、信者には激痛が走り出すというもの。


 今回、辰巳は信者の首を切り落とす際、皮膚に接触したと同時に火花を散らした。

 首を切り落としやすくするためだ。案の定、感覚を失った信者は、反撃も出来ぬまま息絶える。


「やったっ………って、ヤバっ………!」


 辰巳の歓喜の声が海蝕洞に響き渡る。

 が、次の瞬間、感覚の無くなった、半狂乱の信者が火の玉を無差別に解き放った。もちろん、目が見えていないから、その攻撃は味方の信者にも当たる。だが、無差別だからこそ、計算されていない攻撃になってしまい、起動が読めなくなる。


 咄嗟のことで動けない辰巳の前に、青い影が躍り出た。


  くるり。

 一回転。

  くるり

 薙刀を。

  くるり。

 回す。


「無事か、辰巳」

「う、うん………!」


 続いて信者が飛ばしてきた様々な武器を、湊音は横に凪いで消滅させる。

 薙刀の刀身が当たった攻撃は、まるで灰のようにその場で消滅する。

 それが、湊音の神業───『消滅奏曲』

 薙刀が凪いだものを全て、神力と神力のぶつかり合いによって消滅させられるという神業だ。使い方を一歩間違えれば全滅するが、神業の主が相当な使い手ならば、その効力は絶大だろう。


「………よかった。これなら、信介を前線に出さなくて良さそう」


 初戦なのにも関わらず実力を発揮する2人を見て、凜々が安堵のため息を吐く。

 片割れを危険に晒す心配が減った。それだけで、凜々は戦いに集中出来る。

 だからそろそろ、凜々自身も、あの忌々しい神業を発動させなければ、と、神器の弓を表現した。









 その時、だった。







「神技、がいほゔ」


 信者の、歪んだ声が聞こえたのは。


「全員防御をっ………」

ザッ──────────

ザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザクザク


「っあ………!!」


 体に激しい衝撃が走った。視界が反転し、衝撃のせいで目が回る。

 呼吸もままならないまま、視界の悪い洞窟なんて場所で、手探りだけで落としてしまった神器を探す。

 周りの音が聞こえない。

 まさか、こんなところで神技を解放されるなんて、思ってもみなかった。

 神技………信者になった者が備え付けられる、代理人の神業の真似事。

 先程の火の玉の攻撃も、武器を投げてきたのも、矢すらも………全て、信者は、代理人を真似する。

 そして、神技の解放とは、自身の命を代償にした、大規模な無差別攻撃。

 代理人を崇拝しているくせに、死ぬ時はこんなに汚い死に方をするなんて───。


「やっかいなストーカーめ………」


 遠く離れた神器を見つけ、地面を血が滲むほど引っ掻き回しながら、凜々は立ち上がる。


「殺してやる」


 殺してやる────

 そんな不穏な音が聞こえてくる、数秒前。

 凜々の叫び声が聞こえた瞬間、悠和が感じたのは、生ぬるい温かさだった。


「ピギャッ」


───こんな感じの、何かを潰したような、音と共に。


 まるで、スナック菓子を潰していくような音と共に、隣で体を引き裂かれたような音が、小さい空洞の中で響き渡った。

 ぐちゃぐちゃに膿んだような嫌な予感がして、悠和が視線を動かした、その時。


 辰巳の肉片と血が、悠和の全身に降りかかった。


 悠和の表情がぐしゃりと歪む。

 降りかかった赤い液体のせいで、細かい表情は見ては取れない。けれど確かに、悲痛なほど、悠和の心と体は歪んでしまった。


「辰巳く………」


 反射的に叫ぼうとした声は、自身の腕によって制される。


「………えっ?」


 馬鹿みたいに呆けた声が出た。

 先程の緊迫感溢れる声は、どこに行ったのか分からないくらい、からの中で聞こえるような声だった。

 事態を理解しようと、瞬きを2回。

 見えたものは、先程と同じ、肉片と血液。

 けれど、目の前にあるのは、辰巳の身体じゃない。信者の白装束でもない。

 悠和の、右側に飾られていた腕。


「………あぁあっ!」


 痛い、痛い、痛い、痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!


 その場に泣きながら蹲り、ボタボタボタボタ垂れ流される血を見ながら、悠和は何度も何度も何度も何度もっ、呼吸を繰り返す。

 死んだ辰巳の血液と、自分のぐちゃぐちゃに壊された腕から流れ出す血液で、身体は血だらけ、視界は真っ赤。

 自分の神業を受けた信者たちも、こんな恐怖に落とされていたのでは無いか、と考えが至った瞬間、大量の罪悪感が襲ってきた。

 ガチガチと震えたまま、悠和はその場から動けはしない。

 

 一方、視界が戻った凜々は、悠和の腕が弾き飛ばされたことよりも、声を出せる程の余裕があったことに驚いた。

 これなら悠和は助かる、と、悠和と辰巳を守るように信者達の間に躍り出て、弓を構え直す。


「悠和! 飛んだ腕回収! 先に転移して瀬田先生にくっつけてもらって!」

「………あ、がっ………う、は、はいっ………」


 凜々の声で半狂乱になる手前、正気に戻ったのだろう。

 痛みに耐えながら、悠和はかろうじて返事を返した。

 自身の口と残った左腕で簡易的な止血を施すと、飛ばされた右腕を持って後方へと駆け出す。

 辰巳が目の前で殺されたこと。自身の腕が使い物にならなくなって、もう戦えないこと。

 このふたつに、悠和がどれほどの悔しさを抱えていたのかは、凜々には分からない。


 けれど凜々には、やっておかなければならないことがあった。


「辰巳、ごめんね。魂、使うよ」


 胴体を真っ二つに切り裂かれたその後で、足を切り刻まれて、顔を半分吹き飛ばされた辰巳の死体に触れる。

 このまま死体を放置していれば、やがてその死体は信者に蝕まれ、神業と神力が奪われてしまう。それを避けるには、今すぐに死体を焼いて骨にしてしまうか、誰かが神器を壊す、の二択のみ。


 だから凜々は、仲間の死体を見ればいつも、誰よりも先に、その『死』を繋げられるように、触れる。


 凜々の神業───『霊者』

 死んだ代理人や信者の死体に触れることで、その人物の神力をコピーし、意のままに操れる。神力は、その人物を構成する一つの細胞。だから凜々は、それをコピーすることにより、霊者として侍らせ、人形として前線に出すことが出来る。

 凜々の神業は、人の犠牲により成り立つものだった。


「湊音、生きてる?」

「………いぢおう………」


 苦しそうに、喉からごろごろ音を出しながら、湊音は答えた。

 湊音の神業でも、全ては防ぎきれなかったのだろう。凜々が軽い脳震盪で済んだのは、後方にいた事と、近くの岩場が攻撃を防いでくれたからだ。

 だから、前に出ていた3人が、重傷を負ってしまった。

 それでも緊張感を緩めない為に、凜々は無情なほどいつもと変わらないトーンで、地面に這いつくばっている湊音に尋ねる。

 目の前で人が死ぬのは、日常茶飯事だ。まして仲間になったばかりの人材であるのならば、そこまで心の傷にはならない。

 ………はず、だったんだけど。


「凜々、おれの魂も、取り込んでぐれ………」

「………何言ってんのか、わかってんの?」


 明らかに声のトーンが下がる。

 まさか、そんなことを言われるとは思っていなくて、驚きよりも先に怒りが舞い降りてきた。


「このまま………出血多量で死ぬなど、許されることでは、無い」


 湊音の傷は、肩から脇腹にかけての一直線。

 悠和のように一点を怪我しているのではなく、胴体ごと切り裂かれている。

 これでは湊音は動けないし、止血すらも無意味なものと化す。


 ───だからって普通、同じ代理人に殺せとか、そういうニュアンスのこと、言う?


 やはり代理人は、狂ってる。それを、何度も何度も痛感する。


「国のために死ぬ事が………代理人の、本望。俺は、国の為ならば、神気解放をしてでも………死ねる」


 湊音の言葉に、ついには怒りではなく苛立ちすらも募り、凜々は危うく舌打ちを仕掛けた。

 そんなくだらないことで、命すらも捨てようとしているのか。

 この場で生かしてやりたくなった。

 ───でも。


「けれど、お前が俺の魂を取り込むことで、信者を殲滅できると………いうのならば、俺は………」


 ごぽり、なんて酷い音で、湊音の腹から血が流れ出す。

 助からないのは、誰が見ても明白だった。

 もうきっと、身体は死んでいるだろう。


「頼む」


 それでも、湊音の瞳は死んでいない。

 決して、国の為に散ることを、諦めてはいなかった。


「新人のくせに、生意気なんだよ………」


 海蝕洞の入口で、信者達が新たに侵入する。

 迷っている時間は無い。

 湊音の瞳を閉じるように手のひらを置いた凜々は、空いた片手で、湊音の手を握る。


 生きているうちに魂を、神力を吸い取るには、触れたまま呪言を唱えるしか、方法がない。

 一度、目を閉じた。

 今から、命を奪う。

 その覚悟を決めて、口を開いた。


「『霊者によって命ずる』」


「『食いつくせ』」


 凜々の呪言を最後に、湊音が笑った。

 今までずっと仏頂面だった湊音の、最後の、笑いだった。


「これだから………代理人なんて、信者よりも嫌いに、なっちゃうんだよ………!」


 ずるい。酷い。

 先に、楽になるなんて、ずるい。

 ボロボロと、瞳から水滴が落ちる。

 これは悲しさなんかじゃない。燃えるような怒りと、腹のそこで煮えたぎる苛立ちだ。


 乱暴に涙を拭うと、凜々は弓を再度構えた。

 今度こそ、無情な信者を、殺すために。




「そろそろ、頃合ですね」


 司令室から入った通達により、蓮翔が告げた。

 悠和が、腕に重傷を負った。

 2人が、死んだ。


 それだけで、今の状況がどれほど信者達の侵入を許しているのか、理解出来る。


「前線に、出ますよ」


 傍観者達は、それぞれの命の代わりを腕に抱え。

 仲間の為に、歩みを進めた。

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花が綻んだ朝につげる 凩雪衣 @setsui-kogarashi

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