二、邂逅

 その少女は夢を見る。

 儚い夢だった。幸せな夢だった。楽しい夢だった。

 夢は、いつも真実を見せてくれる。

 その夢は、全て現実になる。


 だから少女は、夢を見ない。

 強かな、夢だった。不幸な、夢だった。苦しい、夢だった。

 夢はいつも、現実を見せつけてくる。

 その夢は、全て現実になる。


 母が死ぬ夢を見た。

 父が殺される夢を見た。

 沢山の人が死ぬ夢を見た。


 そんな出来事、止めなければ。


 止めなければ、みんな、みんな、みんなみんなみんな―――


 ………死んでしまう。


 あ………あー、あ………あぁ………ほら。


 みんな、いなくなったよ。


―――『時間』の現人神、霜浦衣桜の『予言』より、抜粋。


𑁍 𑁍 𑁍 


 西涼の月露州に聳え立つ、ガラス張りに作られた、約一〇〇〇〇〇平方メートルに広がる基地。それが、神ノ座の基地。

 外ばりは明らかに防御の薄いガラスで作られているにも関わらず、基地内の壁は全て鉄筋コンクリートで造られている、というちぐはぐな設計。けれどこの設計には、とある理由が関わっていた。

 まず前提として、神ノ座は結界に守られている。

 結界は専門の代理人、通称・結界師によって作られるものであり、結界師は自身の神力を榊から作られた木札に送り込み、『結界札』を作る。

 結界札は基地、約一○○○○○平方メートルその全てを囲い、外敵から身を守るために、神力と神力のぶつかり合いによって基地の色彩を歪ませ、周りの風景に溶け込めるよう隠している。また結界札は中の建物や自然物、人以外のものにならば神力を移行することが出来、二重の簡易結界を施せる仕組みとなっているのだ。

 この時、中にある基地の外壁を分厚いものにしてしまうと、結界の神力と壁に移行された神力がぶつかり合い、コンクリートなどを簡単に破壊できてしまうほどの『神力』の圧が出来上がってしまう。そのため、基地の外壁は薄いガラス張りを徹底し、その他、結界の強度、色彩の調合に手間と金をかけるのだ。

 だからこそ、信者側もこの基地を奇襲すれば容易いものを、基地自体が完全かつ完璧に隠され、守られているため、見つけ出すことも出来ない。

 また、ものにもよるが、結界札が一つできるのには三日三晩かかる。結界師の神力、生命力を全てつぎ込み、やっとのことで結界札を完成させるのだ。

 ではなぜそこまでして、結界で外堀を固めるのか。

 理由は単純。一つ、信者、または黒影からの奇襲を防ぐため。ここ神ノ座は、代理人、否、国の最後の砦となる基地。最先端の技術が備わっており、なにより、歴代の国宝級の書物が納品されている場所でもあるからだ。

 二つ、国の最重要人物が、この神ノ座で暮らしているから。

 神ノ座は、見つかりさえしなければ、国のどこよりも安全が保証される場所だ。例え見つかったとしても、結界師が命を懸けて作った結界札が、そう簡単に崩される訳では無い。

 そのため、最重要人物はここに身を置いている。

 そう、例えば、『時間』の神より力を賜りし、現人神も同様に。


 執務室に居たのは、先に着いていた凜々、蒼士郎、和穂、悠和の四人。

 朝礼の時に数刻だけ話した、中年男性と青年。

 そして。儚い。花のような、少女。

「わっ、可愛い子だいったっ!」

「今はそういう状況じゃないでしょー」

「だからって叩かなくて良くない!? 凜々ちゃん!?」

「はい黙ってー」

 寝起き早々、ナンパ紛いな行動を起こしかけた弦月を、凜々が脇腹に一撃、拳を入れることで制す。

 そんな二人を見て、部屋の中心部に居座る男はため息吐いた。

「お前は班員のしつけすらもできないのか」

 白髪混じりの男が、いかにもイラついていますよ、なんていう雰囲気を出しながら信介に言い放つ。

 この男―――宝神巌誠ほうじんげんせん元帥は、この神ノ座の最高責任者であり、代々神ノ座を支え、秩序を守ってきた家系、宝神家の当主。

 また宝神は貴族でありながらも代理人の一人でもあり、能力は『精神感応』。自身と相手の神力を通し、心の中で意思の疎通が出来る、人をまとめあげるにはもってこいの能力だ。

 が、この男はそんな万能な神業ですら、まともには扱えていない。

「………すみません。では静かにさせるためにも、要件を話して頂けませんか?」

 あからさまな笑顔で返すと、元帥はつまらなそうにこちらを睨みつけた。

 第三者から見れば、信介達が疎外されているのは、そういう態度が原因なのではないか、となるだろうが。

 弦月も凜々も蒼士郎も、初めはこんなに反抗的ではなかったのだ。純情に、素直に、元帥の言うことはしっかりと聞いていたし、他の代理人とも仲が良かった。

 それが崩れてしまったのは、あの日から。

 数年前のあの日、信介のたった一言によって、第五班は周りから忌み物として扱われるようになった。無視なんてまだいい方。凜々なんかは服が捨てられていることもあったし、信介自身も相当な被害を受けた。

 だからこそ、信介は少しの粗雑を赦している。注意なんてする必要はない。自分が間違っているのは百も承知だが、それでも、凜々達が苦しいのも同じこと。

 何もしてはくれないこの男を前に、気を使う必要なんて、なかった。

「この方は『時間』の現人神、霜浦衣桜様。今回、訳あって連合軍の方で約半年間、保護することになった。そこで、お前達第五班に護衛を任せたい」

「聞いてもよろしいですか? なぜ、俺達なのですか?」

「他の班は今、繁忙期だろう? とてもじゃないが、任せられるほど暇ではないんだ。それに第五班は実力もある。任されてくれるだろうな?」

 ───嘘だ。

 一~十まである班には、それぞれ平等に任務が分けられている。実際に繁忙期なのは、昨夜、班員が亡くなった第十のみで、他の班も信介の第五も、みんながみんな、同じくらい防衛任務やら討伐任務やらに追われている。つまり、新しい任務に時間を割いている暇はない。

 無論、無条件に人の命を預かり、守りきる余裕など、遠の昔に捨ててきた。

「お言葉ですが、うちも他の班と変わらない程度の任務が入っています。特に『黒緋』や『白狼』は単独任務もありますし、鳥嶋は貸出されることも多いです。さすがにこちらに全任せ、と言われても、責任は取れませんよ」

 黒緋の名前に凜々が、白狼に和穂が反応を示す。

 神ノ座に所属する者の、二つ名なるものを呼ばれた2人は、信介に加勢するかのように目線だけで元帥に訴えかけた。

 だが、元帥はそれを、ものともしない。

「それもそうだな。だが、人手はあるだろう? できないことはない」

「っ………百歩譲って俺達が暇でも、出会って間もない人物の護衛を、身を呈して遂行することはできません。彼女が現人神なら、なおのことです」

 目の前の、儚い神には悪いが、信介は正直この任務を遂行したくなかった。

『時間』の現人神は、生きる国宝だ。

 そんな現人神を守りきれなかった時、責任を取らされるのは班長の信介だけでは無い。班員の、五人も全て、責任を取らされる。

 過去に現人神を守りきれなかった者が、死刑に処された前例もあるくらい、この任務は最上級の任務だった。

 信介にとって大切なのは、今初めて出会った現人神よりも、苦楽を共にした、家族とも言える仲間達だ。

 だからこそ断ろうと、再度口を開こうとした。

「それ以上言いごたえをするならば………あのことを政府に露見するぞ」

「っ………!」

 信介の目が見開かれる。誰かのひゅっ、と息を呑むような音が聞こえて、信介は反論しようとした口を閉ざした。

 所詮は子供と大人。一般階級の代理人と最高階級の貴族。

 一般人こどもを黙らせる方法など、貴族おとなは幾らでも持っている。貴族おとなだからこそ、その方法を使わないだけであって、黙らそうと思えば、きっと、一溜りもないのだろう。

「それでも良いのなら、存分に断って構わないがな」

 薄ら笑いを浮かべる元帥に、血が滲むほど拳を握り締めた。

 つくづく、呆れる。

 誰の意思も尊重しない、その傲慢さ。保護している現人神の意見すら聞かず、こちらに無理やり押し付けてくるばかり。もし任務を全う出来なければ、責められるのは信介達だけで、その失敗は尾ひれ背びれがついて、やがて大きな膿となる。

 こんなやり方、誰も得はしない、なのに。

 信介達の立場は弱い。弱いからこそ、何も、言えない。

「───元帥。そこまで言わなくてもよろしいかと」

 はっ、と力の入ったいた拳が、ゆるりと抜けた。

 沈黙を打ち破ったのは、執務室の奥側から響く、水のように透き通る声だった。

 その場にいた全員が声の主に視線を向けたが、当の本人は全く気にせずに、話を続けた。

「信介、俺も君達のことは出来る限りサポートします。なのでどうか、受け入れてもらってもいいですか?」

 宝神とは違う。信介の目を見据えて、真摯に言い放ったのは、神ノ座の戦闘部隊隊長、兼、第一班班長の青年―――仁紫蓮翔にしれんかだ。

 その名の通り、先程の仁紫陽太郎の兄でもある蓮翔は、蘇芳の軍服を身にまとい、ジャケットを肩にかけて、まるでマフィアのように着崩している。

 こんな着方が許されるのも、蓮翔の神ノ座一位の実力、が伴うから出会って、信介達が気崩したりなんかしたら、即刻執務室に呼び出しを食らうだろう。

 だが、それでも蓮翔の誠実さは身を持ってわかっている方だ。

 だからこそ、信介も真摯に返す。

「………蓮翔さんがそこまで言うのなら」

 今日何度目かの、よろしい、を聞く。

 それしか言えないのかよ、と心の中で悪態をついていると、まるでそれの天罰だと言うように、耳を疑うような言葉が飛んできた。

「あぁそれと、十五時から緊急で会議を開く。『神霊』、衣桜様を連れて会議室まで来るように」

「承知致しました」

「要件はこれで終わりだ。下がっていい」

 部屋の中に蓮翔と元帥のみを残し、『時間』の現人神を連れて部屋を退散する。

 最後に部屋を後にした、先程の不毛な会話で眉一つ動かさなかった和穂が、バタンッッッ、なんて盛大に音を立てながら扉を閉めたので、『時間』の現人神を含め、全員の体がビクリと揺れ動いた。

 が、その動きがまるでトリガーになったかのように。

 その場にいた一同で、盛大な愚痴大会が開催された。

「くっそー、あいつ、面倒事全部押し付けるつもりだ………」

「ほんとだよほんと………弱み持ってることをいいことにさぁ」

「貴族って本っ当に汚いよね! 戦いもしないでさぁ………滅べ!!」

「凜々お姉ちゃん、自重して」

「いや執務室の扉蹴った和穂ちゃんにだけは言われたくないよ?」

「それより悠和、怪我は?」

「全然大丈夫ですよ! おでこに瓦礫当たっただけなので!」

 額に大きなガーゼをつけた悠和は、裏表のない、それはもう純情で嬉しそうな笑顔を見せてきた。

 何が嬉しいのかは分からないが、元気そうでよかった、と胸を撫で下ろした信介の後ろで。


「あの………」


 儚い神が、声を発した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る