一、神の代理人なるもの、いつ如何なるなる時も、出雲のために尽くすことを誓わん

 なぁ、人間がどうして感情なんてものを持ってるか、知ってるか?

 生きるため? 気持ちを伝えるため? 好きなことを見つけるため? あるいは生を謳歌するため? あるいは死ぬ時に泣くため? あるいは、あるいは、あるいは―――

 いーや。全然違うと思うね、少なくとも、俺は。

 人間がどうして、感情なんて要らないものを持っているのか、それは―――


 犯罪を犯すためさ。


 何を言っているか、だって?

 おいおい。これでも、生命の現人神って讃えられるほど高貴な存在なんだぜ、俺。

 例えば、地獄に落ちる理由が、殺生とか、盗みとか………邪淫、飲酒、妄言………だったら。

 どうして人間は、こんなことをするんだろうな?

 そう! 感情があるからさっ。

 じゃあこの世界から感情が無くなれば………

「世界は平和に―――ったァ!?」

「うるさい」

 ぺしん

 なんて、可愛い音で頭を引っぱたく。

 壁にもたれかけて座っていた信介の横で、少年が両手をあげて大層なことを言い出したので、牽制も兼ねて頭に手を置こうとしていただけなのだが………行動に気持ちが乗っかってしまったみたいで、想定していたよりも勢いよく手が出てしまった。

 案の定、少年は大袈裟に声を上げ続けている。

 体を打ち付ける音、響き渡る声援、昂っている闘争心で蔓延する武道場。

 を見守る横で、黒髪長髪を半上げにし、出雲では珍しい外界の漢服を纏った少年が、馬鹿みたいな自論を吐き続けていた。

 ガラス張りに構築された神ノ座の一階、東に位置する、武道場。い草の香りが漂い、開かれた障子からは朝日が差し込む。

 清々しくて、気分の良い日だ。

 最も、隣にいる少年が口を開かなければ、の話だが。

「何が犯罪を犯すために感情が在る、だ。変な自論はやめろ」

「ってぇ………だってそう思うだろ!? 信介!」

「思わないよ」

 ―――道徳の授業かなんかか? これ。

 ―――そもそも、感情についてなんて考えたこともないんだけど。

 心の中でつぶやく声が少年に届くことは無い。

 だからこそ信介も心の中では自由に呟くし、疾風もそんなものは気にせずに話を続ける。

「いいか、信介。信者がこの世に存在している理由は、大半が代理人を『盲信』してることに限るんだよ! つまり! 感情がそうさせてる」

「だろうな。人を構築させてるものが感情なんだから」

 銃声のような音、刀を打ち付ける音、人が床に強打される音。激しい音が続くのは、今が代理人達にとって、訓練の最中だからだ。

 なのに少年の声は嫌でも響く。隣に座っているからかもしれないが、少しくらいは掻き消されてもいいんじゃないかと思うくらい、強く、大きく。

「っていうかなんだよ、急に………『生命』の現人神のくせに、そんなこと言い始めて」

「今日の朝、起きた時にふっ、と舞い降りてきたんだよ。この世の真理」

 得意げに人差し指をくるくると回す少年は、第二四代目『生命』の現人神―――鬼澤疾風きさわはやてだった。

 姿形は人間と全く変わらない。現人神は、神気こそ神域の存在だが、依代となっているのはただの人間なので、変わらないのは当たり前なのだが。

 でも、だからこそ、尚更思ってしまうのだ。

「胡散臭………」

「おぉん!? んだとこらぁ!」

 思わず心の中の声が表に出てしまった。

 先程よりもより一層、甲高い耳に響くような音で凄まれたが、信介は対して気にしていなかった。

 前方。小さく広げられた畳の上で繰り広げられる、体術を使った一騎打ち。信介の視線の先には、黄金色の青年が映っていた。

 黄金の青年と向き合っているのは、同い年くらいの青年。大勢の観衆が見守る中、対面した二人の青年は神経を研ぎ澄ませる。

 ビッ──と短くホイッスルが鳴り響いた。その瞬間、青年は黄金の青年の首を目掛けて右足を振り上げ、勢いよく打ち付ける。

 が、黄金の青年は右腕で蹴りを受けると、そのまま相手の体勢を崩すために腕で足を退けた。

 あまりの力の強さに、相手は一、二歩後ろへよろめく。その隙を、青年は見逃さない。

 相手の袖を掴んだ瞬間、手首を返しながら目の高さまで引き出し、両手を効かせて足を踏み込んだ。そして、一気に相手を背負うと、勢いに乗ったまま綺麗な背負い投げを決め込んだ。

「一本!」

 審判が声を上げたことで、一騎打ちに決着をつけた二人は一礼し、黄金の青年は踵を返す。

 毎日八時から始まる今のこの時間は、『神業』と『神器』の訓練の時間帯だった。

 神業。『神力』が一定量を超えた人間にのみ与えられ、神業を習得した証として、『神器』なるものとともに代理人、現人神と呼ばれる生き物に備えられた、異能力。火を操り、水を操り、空を操り………時には、時間、空間すらも操ってしまう、まさに神の力。人によってできることは限られ、規模も全てが異なる。そんな神業を補佐する武器として、自身の神力から作られたものが、『神器』と呼ばれる、代理人の『証』だ。

 また、神業と神器は、代理人や現人神が『信者』に狙われる根源でもあった。

 そもそも信者がなぜ、人を狙い、殺すのか。考えられる―――というより、近年の研究によりわかったことは、信者になると、他人の神力が奪いたい、という衝動が抑えられなくなるということのみ。

 つまり、神力量が多い代理人を狙うのは、極当たり前のことであり。出雲の民を付け狙うのは、代理人が出雲の民のために存在しているからである。

 民を殺せば必然的に代理人が現れる。民を殺すだけでも神力は奪える。代理人まで現れ、代理人を殺せたのなら、代理人の神秘的な神力までもが己のものとなる。

 神力を奪うには、人を殺して奪うしかない。信者が好き好んで人を殺すのは、結局は私利私欲のため他ならないのだ。

 かく言う信介にも、『神業』と『神器』なるものが存在していた。

 信介の神業と神器は室内で使えるものでは無いので、今は潔く矢筒の中に眠らせている。

 ―――後で手入れしないと。

 なんて、隣に置いていた矢筒を膝の上に移動させて、ゆっくりと線をなぞる。

 そんなことをしていると、あることに気がついた。頭上に影が覆いかぶさっている。

 きっとあいつが来たんだろうな、と顔を上げると、そこには案の定―――

「おっ、お疲れ様ー、蒼士郎」

 黄金色の整えられた短い髪を揺らしながら、曇天の瞳に疲労を浮かべる、幼馴染みの青年―――黒沼蒼士郎くろぬまそうしろうが立っていた。

 蒼士郎は、信介が班長を務めている第五班班員でもあり、先程柔術で組み合っていた青年でもある。

「おつかれ。あー、シャワー浴びたい………」

 綺麗な黄金色の髪をわしゃわしゃと掻き分けながら、蒼士郎は、信介を挟み疾風の反対側に腰を下ろした。

 用意していた手拭いを出してやれば、目線だけで礼を言われる。

 蒼士郎が手拭いで汗を拭く中、横にいた疾風はうずうずと身体を揺らしながら、信介の膝に身を乗り出して蒼士郎に問いかけた。

「蒼士郎はどー思う?」

「何が?」

「感情があるから犯罪が起きるのか、犯罪を犯すために感情が存在するのか」

 ―――まだその話してたのかよ!?

 驚きのあまり、口には出さないが顔に出しまくってしまった。

 疾風はそんな信介を気にしてはいない。が、長年付き合いの蒼士郎は気がついたようで、あっこれめんどくさいやつだ、と察したようだった。

「なにそれ。仮にも生命の現人神がそれ聞く?」

「俺は全知全能じゃないからねー」

 違う、そういうことじゃない。

 そもそもなんでこんな話を始めたんだ、と疾風を問い詰めようとした、その時―――

「あたしは感情が在るから犯罪を犯すにさんせー」

 一人の少女が、信介と蒼士郎の向かいに座った。

 信介と同じ瞳の色をした狐目、美しい大和撫子な長い黒髪に隠れないほど大きな星のピアスを耳につけて、女性用に改良された、スカートタイプの軍服をきっちりと着ている。

「おはよう、凜々」

「おはよー、信介」

 おそらく、赤の他人から見れば美人判定されるであろうこの少女は、信介の双子の姉、那須凜々なすりりだった。

 ちなみに信介ならば美人判定は押さない。この姉の、乱雑すぎる中身を熟知しているからだ。

 信者との戦闘時にはスカートのことなんて気にせずに高台から飛び降りるし、喧嘩っ早いからか所構わず男女構わず殴り合うし、言葉は途中から「ピー」という規制音が入るくらい汚いし、言葉よりも先に手が出るし。

 姉は、いわゆる無駄美人だった。

「えっ、なんでそっち?」

 信介の渋い顔を誰ひとりと気にせずに、疾風は凜々に聞き返す。

「それは今からわかるよ。あっち見てて」

 そう言いながら、凜々は親指で後方を指した。

 蒼士郎とともに少し体を傾けながら見た方向には、一人の少女と、一人の男が対立していた。

「『白狼の死神』さんよォ。今日こそ勝たせて貰うぜ」

 そう言いながら男はニヒルに笑い、持っていた骸骨の盾を頭上で回転させ、畳に突き刺した。

 神ノ座、戦闘部隊第二班に所属する男―――日下部智之くさかべともゆき

 その中でも日下部は第二班の班長として、この神ノ座に所属していた。

 日下部と対面しているのは、十代半ばの少女。

 まるで、雪原景色に溶け込んでしまうような白銀のウェーブがった髪。桜のような薄桃色の瞳は、寝起きなのか、まだ少し眠気が残っていて鋭い―――のは、信介や蒼士郎、凜々と同じく第五班に所属している、西雪和穂にしゆきかずほだ。

 凜々と同じスカート型の軍服を着こなし、腰には刀を突き刺している。

 和穂は、日下部を前にしても表情の一つも崩さず、鞘から刀すらも抜かない。まるで、水面に立っているのに波を一つも立てず、存在しているのに存在していないような、透明な気配。

 対して日下部は激しい赤色の気迫に塗れながら盾を構え、今にも和穂に突っ込んできそうだ。

 そんな日下部を見ても微動だにしない和穂に、痺れを切らした日下部が走り出した。

 一度だけ畳を蹴り、大きく跳躍。盾を振り上げたまま和穂に突っ込み、容赦なく振り下ろした。

 それと同時に巻き起こったのは、ドゴォンッ―――なんて音では表現しきれないほどの、腹に響く地響きのような音。

 日下部の神業―――『波状攻撃』。盾を振り下ろすとともに自身の神力をも周囲に振りまき、幾重もの衝撃波を繰り出す能力。

 驚くギャラリーを尻目に、日下部は再度盾を振り上げる。

 なにせ、和穂は傷一つつかず、盾を鞘ごと防いでいたのだから。

 しかも右腕一本のみ。和穂と日下部の身長差は約三〇センチ以上。そこから見る体格差では、ただの大人と子供の戦いだ。筋肉量も違えば、培ってきた経験も違う。

 なのに和穂は、日下部の攻撃に眉一つ動かさなかった。

 日下部が一度距離を取り、再度振り下ろした盾を、和穂は一歩後方へ下がるだけ、という単純な動きで躱す。

 が、狙いはその、単純な動きだった。

 日下部はまたもやニヒルに笑うと、振り下ろした盾をノーモーションで振り上げる。狙うは和穂の腹。当たりどころが悪ければ致命傷にもなる体位に、容赦なく盾をぶち当てた。

「うわぁー………」

「年下の女の子に容赦無さすぎじゃない?」

「日下部さんなんていっつもあんな感じでしょ」

 けれど、信介は、いや信介達は、和穂の心配などは微塵もしていなかった。

 盾を大人の代理人の力、で勢いよくぶつけられた和穂は、高さ十五メートルもある武道場の天井まで吹っ飛ばされていた。

 何度も回転を繰り返し、やがて天井へと足を着地させる。両手には鞘から抜かれていない刀が握りられており、鞘は少し欠けていたが、身体の負傷は見当たらない。

 天井へと着地した和穂は、真下にいる日下部を見据える。

 薄桃色の瞳に、光はない。単に日下部は和穂に、見られている、それだけだった。

 コンクリートが割れる音とともに和穂が天井を蹴りあげる。降下と蹴りで速さが増し、弾道のように和穂は日下部へと突っ込んだ。

「してやられねぇからな………白狼!」

 降下とともに鞘から刀を抜いていた和穂。

 だが、日下部はわざと和穂に刀で攻撃させると、刀を握っている右手を蹴りあげ、それと同時に盾で左手をたたき落とした。

「っ………」

 蹴られた衝撃で和穂は後方へと後ずさった。

 次の瞬間、日下部は和穂から取り上げた刀を、つかさず槍投げのように真っ直ぐと投げた。

 それも狙うは脳天。当たれば致命傷なんてものじゃない。死に至るだろう。

 ―――もし、ここが戦場だったら。

 と考えれば、容赦のない攻撃をされても仕方がない。

 けれど和穂はそれがチャンスだと言うばかりに、飛んできた刀の柄を握り、握ったと同時に鞘へと収める。

 周囲から感嘆の声が漏れた。その行動には、さすがの日下部も驚きを隠せなかったようで。そのせいで、次の攻撃の受け身を忘れていた。

 右足を一歩後ろに引き、居合の姿勢をとる、白狼の少女。

 一秒後、和穂は先程の日下部と同じく、下げた右足で畳を蹴りあげた。

「抜刀―――」

 日下部が目を見開く。だが、もう遅い。

 気がついた時には、和穂は日下部の後方にいた。抜いていたはずの刀はもう鞘にしまわれ、何が起こったのか、知り得るものはいない。

「ぐっ………て、めっ………」

「…………」

 凄まじい殺意を前にしても、少女は無情を保つ。

 日下部を襲ったのは、腹からの衝撃だった。

 勢いよく跳躍した後、通りざまに刀の峰で日下部の腹を打ち付ける。

 勢いに乗った刀は凄まじい速さと威力で腹へと当たり、鍛えられていた日下部の筋肉の壁を破ったのだ。

「―――そこまで!」

 日下部が膝をついたことにより、勝負はついた。

 それを見ていた凜々が、先程の疾風の質問に返答をする。

「犯罪を犯すために感情が在るのなら、感情の起伏が激しい日下部さんは、犯罪犯しまくりだよっ」

 片目を瞑り、可愛くウィンクっ………したつもりだろうが。

 説明された三人は、頭に点を浮かべたまま沈黙した。

 凜々が言いたかったことは多分、犯罪を犯すためだけに感情が在るということは、犯罪=感情という解釈ができてしまい、感情に左右されている日下部は、何度も犯罪を犯している。ということが言いたかったのだろうが―――

「なるほど?」

「全くわからん」

「同じく」

 三人には全くもって伝わっていない。

 特に疾風に伝わっていないということは、この話は疾風にとって、ほとんど答えのない話だったのだろう。

 こういうことはよくあることで、疾風はまるで見定めているかのように、決まって答えのない問いを出題してくる。

 それでも、姉は答えが欲しいらしい。両腕を上下に揺らして、必死に訴えている。

 そんな凜々に、信介も何かを言おうと、口を開いた。

 時と、同じ時に。

 その音に、気がついた。

「だーかーらー………」

 ざ、ざ、ざ。

 その音に、凜々も気がついたようで、今までの騒がしさが嘘みたいに口を閉ざした。

 それでも、音はまだ続く。

 ―――ざ、ざ。

 ざざ、ざ。ざざざざ、ざざ………―――

 ざ―――

「やっぱり白狼の勝ちか」「はっ。どーせ、またお得意のドーピングだろ」「ちょっと、そういうのやめなよー」「まあ仕方ないんじゃね?」「悪魔の第五だもんな」

 ざ、ざ、ざ。

 雑―――お――ざ―雑お―――雑音―――雑音雑音雑音。

「はあ………?」

 周りから聞こえてくる雑音に対し、凜々が地べたを這い蹲るような声を出す。

 自分と正反対の凜々は、仲間を侮辱されていることが許せないだろう。けれど、姉と正反対の信介は、こんな雑音を気にしてやる必要はないと、反応しながらも気に留めない。今にも暴言を撒き散らしそうな凜々の口を塞ぎながら、帰ってくる班員の和穂に向き直った。

「おつかれ、和穂」

「………すみません。私のせいで、また………」

 滑らかでむらのない、濡れたような声で、和穂は申し訳なさそうに信介に言う。

 けれど、信介も、もちろん蒼士郎も、そんなことは気にもとめていなかった。

「気にするなよ。負け犬の遠吠えだから、どうせ」

「そうそう。あいつら、実力じゃ和穂には勝てないもん」

 その言葉を聞いた和穂は、まだ表情は晴れていないものの、少し俯きながら頷いた。

 そして、タイミングを見計らったように、疾風が新たに話を切り出す。

「ってかそろそろ、元帥との時間だろ? お前ら」

「あぁ、そうだった」

 と、元帥から呼び出されたことを伝えようと振り返れば。

 凜々、蒼士郎、和穂の三人は早々と武道場を後にしていた。

 ―――あいつらほんと自由気ままだよな………

 などと落胆のため息をつく信介の代わりに、疾風が口を開く。

「厄介事押し付けられると思うけど、流れに任せろよ。決して抗うな」

「───………」

 まるで、神様のお告げのように。

 疾風は、陽の光に照らされながら、笑いかけた。

「無茶言うなよ」

「あっははっ。だよなー!」

 冗談半分、事実を半分くれてやる。

 疾風と信介にのみ理解出来る、『神をも裏切る』ような行為。

 そんな行為をして、尚現人神の疾風に許されるのは、この嵌合体の信介のみ。

 信介は疾風に手を振り返すと、すぐに踵を返して先に武道場を出た凜々達を追いかける。

 そこで目にしたのは、幼馴染みや双子の姉の姿だけではなく。

 信介と同年代の、代理人だった。


「おっ!」

 一目瞭然に、その代理人の青年は走る。

「しー」

 まるで宝物を見つけたように。

「んー」

 それはもう、活気に満ち満ちた笑顔で。

「すー」

 宙に舞った。

「けー!」

「おっ………」

 信介が、驚きの声を上げる暇もなく。

 青年はノーモーションでつかさず首に手を回し、そのまま抱きついた。

「ただいまー!」

 鉛色の髪に、八重歯の目立つ微笑。信介と似たり寄ったりの軍服は、赤に紫がった色をしていて、和様な雰囲気を漂させている。

 そんな軍服を身に纏うのは、戦闘部隊第一班に所属する青年―――仁紫陽太郎にしようたろうだった。

 陽太郎に抱きつかれ、いつもの事だなぁ、なんて平和ボケに思考する信介の顔は、徐々に桃色に染まっていく。

 もちろん、陽太郎に抱きつかれて恥じらいでいる訳では無い。どんどんと、死に向かっている兆候だ。

「お、おかえり………」

「信介の顔がどんどん可愛い色になってく………」

「やられてること全然可愛くないけどね」

 凜々の天然ボケに蒼士郎の鋭いツッコミ。

 そんなことをしてないで助けてくれ、死ぬ、の意味を込めて、信介は陽太郎の背中をバシバシと容赦なく叩いた。

 先程の疾風とは違い、優しさなど微塵も感じられないほど、それはもう強く。

 陽太郎がやっとのこと手を離し、信介がぜぇぜえと呼吸する隣で。

 凜々がきょろきょろと周りを見渡し、わざとらしく呟いた。

「あれ? ちょっとちょっと。うちの悠和ゆうわはどうしたのよ?」

 信介の心配などは一切なく、凜々が陽太郎に尋ねる。

 実の所、第五班の班員は、信介を入れて計六人いる。

 うち四人はこの場にいる信介、蒼士郎、凜々、和穂。

 残りのうち一人は、今言った悠和、という少年だ。朝から人数調整で第一班に貸し出されていたため、今はこの場に居合わせていない。

 すると、陽太郎は少しバツが悪そうに、頭を掻きむしって、口を開いた。

「あー、ちょっと怪我しちゃってさ………今、流星が付き添って、医務室で瀬田先生が見てくれてる」

 流星、とは陽太郎の幼馴染みで、陽太郎とは似ても似つかないほど、冷淡で落ち着いている、感情に左右されない性格をしている青年のことだ。

 そんな流星が着いているし、何より医務室の”瀬田先生”は、医療技術の最先端を走り抜ける、国一番の優秀な医者だ。生きてさえ帰ってくれば、どんな怪我でも治してくれる。

 陽太郎の様子からしても重い怪我ではなさそうだし、ならばひとまず安心だ、と思い至った信介の横で。

 凜々は少し不機嫌そうに、陽太郎に楯突いた。

「なに? 陽がついてて怪我したの?」

 鬼の形相………とまではいかないが、それと同等と言っても過言では無いほど、眉間に皺を寄せて、下唇を突き出しながら凜々は陽太郎を睨んでいる。

「わ………悪ぃ! 凜々ちゃん! ちょっと今回の信者、ステルスとか使ってきて戦いにくくてさぁ………! その顔やめて!」

 あせあせ、アワアワと忙しそうに手を動かしながら、顔を青くしたり耳を赤くしたりする陽太郎を見て、凜々は顔を綻ばせた。

「ふっ………うそうそ。生きて帰ってこれただけでもよかったよ」

「凜々ちゃん………!」

 凜々の傾城で魔性のような美しい笑みに、まるで子犬のように陽太郎が顔を輝かせた。

 その瞬間、和穂以外の一同が吹き出す。

 言っておくがこの陽太郎、女子に目がない。

 凜々との初対面では好きですッ! と基地内全域に響き渡るほど大声で告白していたし、和穂に至っては何故か失神した。ちなみに陽太郎はその度、幼馴染みに引き摺られて退散していた。なかには、部屋のクローゼットの中から叡智で薄い本が見つかった、などの噂もあるようで。

 とまあ、こんな具合に思春期なお年頃なのだ。

 そんなこんなで、陽太郎を含めた第一班は神ノ座の代理人の中で、信介達に厭気を出さずに接してくれる、数少ない人物でもある。

「そういえば、今日第五班って非番なのか?」

 首を傾げながら尋ねる陽太郎に、凜々と蒼士郎は目を合わせた。

「確か非番だったと思うけど」

「信介、覚えてる?」

 仲良すぎか、と言いたくなるほど、二人は揃って振り返る。

「あぁ、それなんだけど。午後の防衛任務、第十に変わって出ることになった」

 第十、という名前を出したことにより、今まで明るかった二人の顔は、みるみるうちに暗くなった。

 目尻を下げたまま、蒼士郎がぽつりと呟く。

「………あ、そうか………昨日の第十、三人も亡くなったんだっけ………」

「………その任務の引き継ぎ、私が担当しましたから」

「そうだったんだ………大変だったね」

 班員が亡くなれば当然、葬式や諸々の手続きがある。

 また、班員が亡くなり、他の班員も戦闘不可能だった場合、非番の代理人が任務を引き継ぐことになっている。

 その引き継ぎの昨夜の担当が、班員の和穂だった。

 代理人が三人も亡くなっているのに対し、傷一つ付けずに帰ってきた和穂は、一体何をどうしたのやら。

 それは、誰にもわかっていない。

「………先生? な、なん、ですか?」

「あ………いや、ごめん、なんでもない。あ、あと元帥が話したいから、今から来てくれだと」

「え゙っ!?」

 あからさまに嫌そうな声を蒼士郎が上げた。その隣で、凜々は何かを吐き出しそうなほど顔を引き攣らせているし、陽太郎なんかはか細くワァ、と口から音を零した。

「はぁ………あの元帥のことですから、どうせろくなことじゃないでしょうね」

「だよね」「絶対そう」「おん」

 唯一顔色を変えなかった和穂の発言に、皆が同意する。

 目の前にいる陽太郎は、そわそわと信介の顔色を伺って、やがて口を開いた。

「………だいじょ………あ―――」

 ───のだが。

 言いかけた陽太郎は、みんなが振り返る前に。

「………ごめん、なんでもない! 俺、報告書書いてくるな!」

 自由気まま………とは言いきれない様子の陽太郎は、踵を返して階段を駆け上がっていってしまった。

 同情を嫌う陽太郎にとっては、その行動が最善策だったのだろう。

 そんな陽太郎を見て、信介は申し訳なく思う。

 気にしなくていいのに、と。陽太郎が悪いわけでは無いのに、と。

 全部、全部、悪いのは───

「ねぇ、弦月起きてこないんだけど」

「悠和もたぶん、元帥の呼び出しについて知りません」

「あー………」

 思考の域から強制的に引き戻された信介は、ここにいない二人の班員を思い浮かべ、顔を歪ませた。

 未だに起きてこないもう一人の班員と、早朝任務で怪我をしたまま医務室で待機中の悠和。

 早く迎えに行きたいところだが、あの人を待たせるとどうなるか分からないので、信介は一つの提案をする。

「わかった。俺が弦月起こしに行ってくるから、和穂は悠和の迎え頼む。凜々と蒼士郎は先に執務室に」

「了解」

「わかりました」

「一人で大丈夫? 起こせる?」

「大丈夫。無理だったらもう置いてく」

 その言葉に凜々は頷き、蒼士郎と共に階段を駆け上がって行った。

 その後ろ姿を見送った後、信介も足を動かす。

 神ノ座は基本、三階建てで建築されている。

 まず一階。メインホールやトレーニングルーム、また特殊な装置などを兼ね揃えた作業場など、主に神ノ座の任務の準備室、と言った場所が集合している。

 二階はほぼ全域が宿舎となっていて、その他、今居た食堂や座禅室、大浴場など、とりあえず二階に行けば生活には困らないだろう。

 そして三階。執務室、司令室、会議室。任務時に使う重要な部屋が備えられ、神ノ座との中枢とも言える階。

 一応屋上というものもあるが、代理人はあまり出入りしないので、あってないようなものだろう。

 最も、屋上に誰も入らないのは、空に連れ去られぬようにするため、だけれど。

 そんなくだらないことを考えながら着いた先は、神ノ座二階の宿舎。

『Yuduki』と書かれた名札が掲げられたドアの前に立った信介は、一、二回、軽やかにドアを叩いた。

「弦月ー、起きろー」

 時刻は朝九時。

 焦げ茶色の扉からの返事は無い。

「………入るぞ」

 痺れを切らし、信介は躊躇なくドアノブを回した。

 起きろと言ってから5秒程度しか経っていないが、時間が時間だ、そもそももう朝の9時だ、起きていて当たり前の時間だ。

 なので、なにがなんでも起こす。

「起きろ、遅刻するぞ」

 朝の弱い幼馴染みのためだけの、東向きに作られた部屋。温かみのある色の家具が設置してあって、黄色や青色、緑色の差し色が少し北にある外界の国の雰囲気を作り出している、その片隅に。

 黄緑色の掛け布団を頭のてっぺんまで被っている幼馴染みを、近強く揺さぶる。

 が、全くもって起きる気配はない。

「はぁ………」

 仕方がない、みたいなわざとらしいため息を吐いて、軍服の外套をなびかさながら、黄土色のカーペットに手をつけるためにしゃがみこむ。

 なにがなんでも起こすと決め込んだ限りは、使える手は全て使い尽くす。こんなところで神業を使うのは少々気が引けるが、なにせこの幼馴染みが起きないので、仕方がないだろう。

 信介の神業は、『無機物を自由自在に操れる』というもの。

 条件としては神器を使うか、こうやって手をつけて、自身の神力を操りたいものに送り込むしかない。

 手のひらに爪が割れるほど力を入れれば、幼馴染みが寝ているベッドの下の床が、ぐにゃりと歪んだ。

 まるで、空間ごと歪んでいるような床を見て、信介はあくどい笑みを浮かべた。

 そして―――

 盛りあがった床は勢いよくベッドに衝突し、押されたベッドが音を立てて飛び跳ね、掛け布団を数メートル離れた天井まで吹き飛ばした。

「どうわぁっ!」

 さすがにこの衝撃には気がついたらしい。信介は先程と打って変わり、安心したように目尻を下げて、飛び起きた幼馴染みを見た。

 飛び起きたのは茶髪天パの青年。

 信介のもう一人の幼馴染でもある、この吉原弦月よしはらゆづきとかいう奴は、めっぽう朝に弱く、こうして起こすことは初めてじゃない。

「ちょちょちょ、いくら起きないからって能力で起こすのは反則じゃない!?」

「起きないお前が悪い。こっちは朝っぱらから朝礼やってるってのに、平和に寝やがって………」

「悪かったよ、悪かったから! 手、下ろして!?」

 全く反省の色が見られないまま、弦月は起き上がり、信介の感じの元、着替えを始める。

 着ていたものを全て脱ぎ捨てて、信介と同じ色形の軍服を羽織る。

 それと同時に、盛大な欠伸を一つ。

「ふわぁ………あと5時間は寝てたかったよ」

「そんなに寝る体力があるなら戦闘時の体力もつけたらどうだ」

「それとこれとは別だもん」

 部屋の中央にあったテーブルに置いてある、金色の煙管を手に取ったのを見て、信介は部屋のドアを開けた。

「それで? なんでこんな早く起こしたの?」

「早くって、もう九時だけど。………元帥から呼び出し。それと、防衛任務、俺達に回ってきたから」

「えっ、サイアク………!」

「お前な………」

 昨日の連絡網を見ているはずなのに、弦月は無神経な言葉を口から零した。

「でも、こんな朝から呼び出すなんて、相当面倒なこと押し付けてくるよ」

「わかってるよ」

「今度こそ言われるかなぁ。あれ」

「………死ねって?」

 三階の執務室に行くための階段を登っていた、途中だった。

 今度こそ、という言葉に、過剰に反応したのは、信介であって。弦月は、明確な言葉を発していないのに、その言葉を、楽になるための言葉として、捉えてしまって。

 それが無性に、恥ずかしくて、足を止めた。

「『神の代理人なるもの、いついかなる時も、出雲のために尽くすことを誓わん』か………ほんと、馬鹿みたいな標語だよね」

「………俺達にとって当たり前じゃなくても、それが代理人にとっては当たり前のことだからな。ある種の洗脳、みたいなものだろ」

「あっははっ、洗脳かぁ。そう考えると、この立場も利になるかもね」

「………かもな」

 いつもと変わらない、あっけらかんとした幼馴染みに救われて、その後はまっすぐ、一度も足を止めずに執務室まで直行できた。

 執務室の扉は、弦月の部屋のドアの倍はある。

 片方の扉をノックし、間髪入れずに扉を開いた。

「失礼します」

 神ノ座の基地、最上階の一室。シンプルで上品な雰囲気のインテリアスタイルの書斎。シンメトリーを意識して配置されたサイドの本棚は、過去から現在までの『代理人』について書かれた書物で埋め尽くされている。

 そんな部屋に、弦月と二人、足を踏み入れれば、すぐに声が降りかかった。

「―――やっと来たか」

 扉の向こう側にいたのは、七人の人物。

 先に執務室へと向かった、凜々、蒼士郎。

 その二人の隣にいる、少年少女。

 一人は、少しバサついた黒髪に、群青色の瞳を輝かせている少年―――先程、朝の任務にて怪我をし、医務室に向かっていた、鳥嶋悠和とりしまゆうわ

 そんな悠和を迎えに行っていた和穂。

 ちょうど和穂が立っている後方、執務室の一番奥側の窓辺に寄りかかっている、信介達よりも数個年上に見える、黒髪を低い位置で一つにまとめあげた、朝に少し話した青年。

 ―――そして。

 部屋の中央に聳え立つテーブルの前に腰掛ける、朝礼時に会った男。と、もう一人。

「では、頼みました」

 澄んだ瞳が特徴的な、茶葉のような灰みの黄色い髪をサイドテールで結んだ少女の姿が、男の隣に在った。歳は十六、七くらいといったところだろうか。

 ───綺麗な子………だな………

 そんなことを思っていると、信介達と同い年くらいの少女は、丁寧かつゆっくりと、頷いた。


「はい」


 ………は―――

 感嘆の、声が漏れる。目が、見開かれる。

 あまりにも、目の前にいる少女が、儚くて。

 まるで、陽の光に照らされて、やっとその存在を保っているような、少女に。

 呼吸が、止まってしまって。

「皆さん、初めまして。『時間』を司る現人神。名を衣桜と言います」

 目が、離せない。

 空いた口を、閉じれない。

 この世の全ての美しさと、儚さを兼ね揃えたような、可憐な少女に。

「どうぞ、よろしくお願い致します」

 邂逅したことを。

 この先青年は、何度も、後悔することになるだろう。

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