花が綻んだ朝につげる
切月
序章 ─神が在世する国、その名を、出雲
「神の代理人なるもの、いつ如何なるなる時も、出雲のために尽くすことを誓わん………」
「ん………どした? 急に」
自分でも恨んでしまうほど冷たくて、淡々とした声が響く。
そんな酷い音で、俺は隣の『生命』に聞こえるように、下らない心得を呟いた。
空が見える、外に設置された雲みたいな階段の上で。少し肌寒くて、金木犀の香りが、風と共に流れ込んでくる季節の下。
そんな秋麗な空を見上げながら、俺は再度口を開く。
「別に」
先程よりも、もっと素っ気なく。
そんな酷い態度を取る俺に、『生命』は少し気まずそうに笑いながら、明るく話しかけてくる。
「いやさ。信介がそういうこと聞いてくるの、珍しいなぁって思って。いっつも腹の底で燻ってるだけかと思ってたからぁー…………痛いっ! ごめん! 燻ってるはごめん!」
隣にいる『生命』の頬を抓れば、案の定、大袈裟に声を上げた。
俺はそんなに強く引っ張っていないし、第一餅みたいな頬っぺたのお前が悪いんだろ、とか全く相手が悪くないことをボヤきながら、手をパッと離すと、『生命』はまた明るい声で話し始める。
「信介が
「いや、そういう事じゃなくて」
ため息を吐きながら、俺は空を見つめた。
秋の空だ。羊雲が鱗のようにかさなって、風と共に落ち葉が舞い上がる。
こんなに綺麗な空なのに、どうしてこんなにも、この国は汚いのだろうか。
「あぁ〜、そっち? 心得の物理の方? まだこの前逃げたこと気にしてんのかぁ。そんなこと気にすんなって。俺はあれが最善だったと思うよ。周りの評価? そんなのも気にすんな。俺はすげぇと思ってるよ」
すごい。
「生きるためだけに、帰ってくるなんてさ」
辞書で引けば必ず、『物事の程度が甚だしく尋常でないさま』、と出てくる用語。
当たり前じゃない時に使われる、言葉。
『生命』が言ってくれた言葉にも、俺は反応出来ない。
やっぱり、この考え方は間違ってるんだと、自覚するくらいしか、できない。
国のために死ね。
民のために死ね。
名誉のために死ね。
死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね───
───そんな言葉と裏腹に、ずっと、思うんだ。
生きたい。
生きたい、生きたい。
生きたい。生きたい。生きたい。生きたい、生きたい生きたい、生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい………―――
───………死にたくない
『生命』の現人神、及び『神霊の代理人』の懺悔録より。
序章 神が在世する国、その名を、出雲
この国には、神のみが在世していた。
初めは、『生命』の神、たった一人。生命はその力を使い、自身の片割れ、『死』を造りあげた。生命と死は互いに想い合うようになり、やがて『時間』を産んだ。
時間が現れてから、生命は死と時間と共に力を使い、神以外の生き物を作り上げた。出雲には、神の恩恵を受けた人間が誕生したのだ。
だが、人間には『時間』があった。人間の時間は腐敗し、やがて、その命の灯火は死を迎えた。
人間は『死』に恐怖した。死することが、怖かった。
そんな感情から生まれたのが、『恐怖』の神だった。
『生命』、『死』、『時間』、『人間』の負の感情が生んだ神、それが、『恐怖』。
恐怖は死を恐れる人間に問いかけた。なぜ、神の力を奪おうとは考えないのか、と。
恐怖に感化されたされた人間は、死の力を奪い取るためだけに、立ち上がった。
けれど死は、自分自身を恐れることはなかった。死は、この世で四番目に信じていた人間に、自身の力を託した。その後、死は人間に成り果て、恐怖に殺された。
死を殺された生命は、憤怒に燃えた心で、死を殺した人間の心を穢に変えた。穢れた人間の心は浄化されず、神達への不満はふくらんでいった。
時間は考えた。どうすれば、この国の反乱を止められるのか、と。
時間は、自分が最も信頼している人間を七つ呼んだ。うち五つには自身の力を少量。残った二つのうち、一つに『時間』を、もう一つに『生命』を。
人間を統治するには、人間に任せるとしかないと考えた時間は、神の力の源を八つの人間に預け、残った神の力を出雲の民に残し、この世を去った。
残った生命は、神の力を神力と名付け、神力を操れる者を『代理人』。
『生命』、『死』、『時間』の力を持つ人間を『現人神』と名付けた。
生命がこの世を去った後、代理人は現人神を支え、国の統制を図った。
徐々に神への憎悪は消え去り、むしろ信仰すらも増幅され、やがて恐怖の力も消えてゆく。
だがそれでも、恐怖は諦めなかった。恐怖は最後の力を振り絞り、未だ神に対して『邪』の心を持つ者と、神を『妄信』している者の心を穢した。
穢の心を持つものを『神霊の信者』と名付けた身勝手な恐怖は、最後には何も感じなくなって、そのまま消えた。
それから、二〇〇〇年の月日が経った。
五人の代理人は人間を統治するため、出雲を五ヵ州に隔てた。五人の努力により、長きに渡り代理人はその数を増やし、今や出雲が誇る戦士と化した。
出雲も外界との交易により発展を遂げ、近大文明の栄えた。医療技術も、交通手段も、建造物も全て、二〇〇〇年前よりも発展し、信者からの奇襲に備えた装備も完成体に近づき始めていた。
それでも、恐怖が残した『神霊の信者』との戦いは続いている。ただ、二〇〇〇年経った今、その標的は神ではなく、出雲に住まう『民』へと変わり果てていた。
―――それは、何故なのか。
『生命』から生まれた原初の人間は、貴族と呼ばれる高貴な存在として、五ヵ州のうちの一つ、出雲の央霖霹靂州へと逃げ隠れた。
そんな貴族は、五人しかいない代理人に、告げた。
代理人は命じられた。命を懸け、出雲の民を守れ、と。
代理人は従った。命を懸け、名誉のために戦うと。
代理人は疑わなかった。それこそが、使命だと信じた。
代理人はかけた。己の全てをかけた。
代理人は。
代理人は。
代理人は代理人は代理人は代理人は代理人は―――
───信者が民を殺す理由。それは、民を殺せば必ず、代理人が姿を現すから。
民を殺さなければ、代理人は姿を現さないから。
それと相対するように。代理人が、出雲のため、出雲の民のため、名誉のために死ぬことは、この世の当たり前。すなわち、理と化した。
信者との戦いから逃げ果せば、罵られ、窮地に立たされ、結局は、代理人自ら首を吊る。
死ねることが救いとなった代理人には、逃げ場は無い。
もし、救いがあるとすれば。そんな『神霊の信者』と『恐怖』の現人神を討伐し、国に平穏を齎すことのみ。
貴族達は、代理人を保護・育成するため、『神ノ座』という組織を立ち上げた。
性別、年齢は関係なく、問うのは『代理人』としての証があるのかのみ。
今、この出雲と名ずけられた国では、例え女でも子供でも、戦いに身を置いていた。
そう。例え、生きることに固執した、存在そのものが忌み嫌われる青年―――
「それでは、昨夜の任務についてお知らせ致します」
出雲は二○○○年の月日の間に、大きく進化した。
まず、隔てられた五つの州。
央霖に住まいは、貴族階級と呼ばれる、代理人に選ばれなかった原初の人間の末裔。その他の地方には一般階級の人間が住まい、その他の階級はない。
つまりは、この神の代理人が住まい神ノ座も、一般階級に位置するものなのだ。
基地の東に位置するこの会議室も、左面だけがコンクリートで形成された壁で、もう右面は全てガラスで形成されている。普通の一般企業となんら変わらない、長机とホワイトボード、あとあげるならば、プロジェクターが搭載されているくらいだろうか。まぁ、目立ったものはほとんどない。
でも、長所はくらいはある。陽の光が差し込み、暗かった気持ち………否、眠気の残る気だるい気持ちを晴れ晴れとしてくれる。
それだけは、この会議室の特権だ。
「昨夜の任務では、第十班に所属する計三名が、帰らぬ人となりました」
会議室の前に位置する扉の真隣には、会議室の側面を覆うほど大きなホワイトボードがある。その前に立つ、黒い隈を目元に溜め込んだ、眼鏡の男性が話を始める。
淡々と告げられる悲惨な出来事に、誰も感情などは注ぎ込まない。
その様子に、男性は続きを綴る。
「つきまして、本日の第十班の防衛任務を、代わりに第五班にお願いしたいと思っています。異論はございますか?」
神ノ座には戦闘部隊が在る。戦闘部隊は一~十の班に分けられており、今この会議室に集まっている人物の大半が、その戦闘部隊の班長の地位を築いていた。
第五班、と言われ、会議室にいた数名の班長達が目を向けたのは、碧瞳の青年。
ごげ茶色の髪を短く切りそろえいて、歳は十代後半と言ったところだろう。平淡、という言葉がお似合いな青年は、またもやこの時代に相応しい格好をしていた。
青年が着こなすのは、いわゆる軍服。ぴしりと立てられた立襟。黄金色の飾緒が肩で美しく輝きを放ち、その飾緒の上からは純白の外套を羽織っている。外套の下から覗くのは、漆黒に染まる制服。
外套をたなびかせて司会の男性に向き直った青年―――信介は、首を横に振った。
「いえ、ありません」
「では、本日の午後三時より、今後半年間の方針をお話する会議がございますので、お忘れなきようにお願いいたします」
会議室にいた班長や、神ノ座の幹部が退出していく中、一つの影が青年に覆い被さる。
「『神霊』、少しいいか?」
声に吊られるように、碧眼の青年が宙を仰いだ。
圧をかけるように青年を見つめていたのは、眉間の皺が寄せられ、いかにも機嫌が悪いですよ、なんてオーラを醸し出している、着物を羽織っている男性。歳は四十代半ば、とでも言えばいいのだろうか。
こんな風に、『神ノ座』で威勢よく振る舞えるのは、一人しかいない。
出雲の貴族階級の人間。それが、『神ノ座』を統治している人物。
貴族以外の階級がほとんどなく、代理人と呼ばれる人物と人間が共存している中。唯一その『原初の人間』という地位を、今でも振りかざして横暴な態度を取り、信者とは戦わず尚安全地帯にいる………いわば、尊大で傲慢な人間。
この『神ノ座』を統治している男は、高慢さたっぷりに青年を見下しながら、言い放った。
「今日の防衛任務前、少し話がある。第五班全員を連れて執務室に来なさい」
中年男性の言葉に、感情の波は動かない。
薄っぺらい言葉に、薄っぺらい敬語。こちらを内心見下して、それでいて平然と言いなりになると思い込んでいる、その思考。
考えただけでも、いや、考えるだけ無駄だ。
実際、指示は聞くが所詮指示だ。そこに感情は湧かない。
だから、返事は薄くていい。
碧瞳を少し細めて、口に弧を描きながら、信介は言葉を返した。
「承知致しました」
よろしい。反撃もせず、素直に返事をしたことで機嫌が良くなったのか、男は踵を返してその場から去っていく。
朝から、既にため息を何度ついたか、分からない。
この毎日七時から始まる朝礼。連合軍の戦闘部隊に所属する各班長と幹部のみが集められ、昨夜の任務の経過報告と、今日の予定を話す。
こんな携帯のショートメールでもできるようなことを、毎日毎日。約三十分間も消費してやることなんてないのに。本当に、この組織の上に立つ人間はろくなものでは無いな、と再度ため息をつく。
「はぁ………」
「………ふふっ」
と、ほぼ同時。隣の席から吹き出すような、いや確実に吹き出した音が聞こえてきた。
「また捕まりましたね、信介」
「毎度のことなので、もう何も感じませんよ」
「あの様子だと面倒なこと頼まれますよ」
「でしょうね」
話しかけてきた幾分か年上の青年にも、少し適当に返してしまった。
年上は敬うもの。
常にそういう認識でいなければならないが、隣の青年は気がついていないのか、気にしていないのかは分からないけれど、その笑顔を少し恐ろしいくらいに絶やさない。それどころか、面白そうに再度口を開いた。
「信介はもう少し、自分に優しくしてはどうですか?」
十分、優しすぎるし、甘すぎる態度をとっていますが。
なんて思って青年から目を背けると、背後からまたもや吹き出す声とともに、嬲られるような言葉が飛んできた。
「ねぇ、『神霊の代理人』?」
隣にいる青年の、微笑んでいるけれど笑っていないその瞳に。
青年は睨みつけることしか出来なかった。
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