どこでも給食

半ノ木ゆか

*どこでも給食*

 由美ゆみは、真新しい紙パックの封を開けると、中身の牛乳をどぼどぼと廃棄缶に注ぎ込んだ。

 重い缶をふらふらしながら運ぶ。新鮮な牛乳をやっとの思いで下水に流し込み、彼女は深い溜息をついた。

 由美は、息子の通う中学校で給食の配膳員として働いている。生徒たちの食べ残しを捨てるのも、彼女たちの仕事だった。

 配膳室では、由美の同僚たちが残飯を片付けていた。まだ温かいかれいの煮付が、ごみ袋に放り込まれてゆく。

「もったいない。まだ食べられるのに……」

 皿を横に置き、新入りのたちばなが呟く。皆は悲しそうに頷き合った。

「私たちは自分の分の給食費しか払っていないから、たとえ口をつけていない料理でも、食べずに捨てなくてはいけないんですって。本当に、おかしな話ですよね」


「ただいま。テレビつけてくれる?」

 由美が、誰もいないリビングで声をかける。機械が言葉を認識し、空中に立体映像を映し出した。

 流れてきたのは、募金を呼びかける慈善団体のCMだった。映像の中で、痩せ細った男の子が泣き叫んでいる。由美の心はズキリと痛んだ。

 世界には、飢えに苦しむ人々が大勢いるというのに、この国では食べ物を必要以上に作り、買いすぎ、余らせている。

 本当はいけないのだが、余った未開封の牛乳を、こっそり持ち帰ってくることもあった。珈琲に入れてカフェオレにすると美味しくいただけたし、クリームシチューやデザートにすると、食べ盛りの息子も喜んで食べてくれた。無駄になるはずの食べ物を救えたと思うと、どこか誇らしくて、気持もすっきりした。

 だが、あの配膳室は氷山の一角だ。一体、日本には幾つの小中学校があるだろう。今日もスーパーやコンビニや食品工場で、まだ食べられる食べ物が大量に捨てられているのだ。そのことを思い返し、由美は毎度無力感に襲われるのだった。

 彼女はまた溜息をついて、洗濯物を取り込みはじめた。背後で映像が切り替る。「オットリナイフ」という、家庭用の空間移動装置のCMである。この時代、ワープ技術が開発されて、庶民でも手軽に各地を行来できるようになったのだ。

『オットリナイフで、通勤時間をゼロに――』

 聴こえてきた宣伝文句に、彼女は何気なく振り返った。

 朝の身支度中、会社員が腕時計を見た。時間がない。押取刀おつとりがたなで玄関を飛び出し、白いナイフのようなものを振り下ろす。時空の裂目に駈け込むと、そこはもう会社の目の前だった。

 由美は、洗濯物をぱさりと落してしまった。

 今度は、子供たちがナイフを握った。エジプトのピラミッド、フィンランドのオーロラ、モルディブの珊瑚礁――。世界中の観光名所を次々と巡ってゆく。

 由美は目を丸くして、美しい映像に見入っていた。CMが高らかに謳い上げる。

『――さあ、あなたも日帰りの世界旅行へ!』


「これですよ! この道具で、給食を外国の子たちに分けてあげるんです!」

 配膳室で、由美は買ったばかりのオットリナイフを掲げて見せた。同僚たちは顔を見合せて、それから口々に言い合った。

「それはいい考えですね!」

 ワープ技術は、開発されて日が浅い。急病人を運んだり、被災地に食糧を届けたりするのには当初から使われてきた。だが、飢餓と食品ロスをいっぺんに解決しようとした者は、まだ誰もいなかった。

 その時、一人が言った。

「水を差すようで申し訳ないのですが……残飯を配るのは、いくらなんでも傲慢ではないでしょうか」

 話に花を咲かせていた皆は、口をつぐんでしまった。また別の一人が言った。

「この地区で余る給食の量は、いつもおおよそ決まっていますよね。給食センターに頼んで、その分を取り置いてもらうのはどうでしょう」

 由美も橘も、笑顔で頷き合った。

「外国にも、アレルギーの子がいるかもしれません」

「万が一に備えて、お医者さんにいてきていただくと良さそうですね」

「翻訳アプリはありますけど、世界中の全ての言語や方言には対応してませんよね」

「では、通訳の人も雇いましょう」

 話が決まれば、それからは早かった。由美たちは、飢餓地域に日本の給食を届ける非営利団体、「国境なき配膳員」を立ち上げたのである。計画を実行するためのさまざまな準備を整え、ついに現地に赴く日がやってきた。

 オットリナイフを振り下ろす。食缶を載せたワゴンを押して、彼女たちは時空の裂目に飛び込んで行った。


 荒野にある村だった。彼女たちがここに来ることは前もって伝えてある。由美たちは村の人々に挨拶すると、青空の下、給食をよそりはじめた。子供も大人も、興味津々にそれを眺めている。

 由美はまず、村長に給食を差し出した。日本の学校には「検食」という仕事があり、校長が誰よりも先に給食を食べることになっている。安全に食べられるかどうかを調べるためだ。ここでは村長がその役目を果たす。

 彼は、お盆の上の料理をまじまじと見た。今日の献立は、ご飯、肉じゃが、玉子スープ、そして牛乳だ。下がって様子をうかがっていた由美は、不安気に呟いた。

「お口に合うといいんですけど……」

 仲間たちが言った。

「大丈夫。心配いりませんよ」

 村長はスプーンを使って、おそるおそる、じゃがいもを口に含んだ。味わうように、よく嚙みしめて食べ進める。牛乳を飲み干し、彼は言った。

「うまい! 本当にうまかった。皆も、早く食べなさい」

 村人も配膳員たちも、ワアッと歓声を上げた。

 皆、喜んで食べてくれた。村に笑顔があふれた。若者が肩を組んで歌い出す。久しぶりの温かい食事に涙する母もいた。食べ残した者は、誰一人としていなかった。

 その時、ある男の子が由美たちの元にやってきた。空っぽになった器を抱えて、二言三言、何かを言った。通訳者が伝える。

「おかわりが欲しいそうです」

 橘は、思わず目を潤ませた。喜んでお玉を握る。

「どうぞどうぞ、たくさん食べて。いくらでもありますからね」

「橘さん、それは違いますよ」

 橘が不思議そうに顔を上げる。彼女の目を見据えて、由美は言った。

「地球上で作れる食べ物の量は、初めから決まっています。いくらでもある物ではないんです。だからみんなで分け合って、大切にいただかなくてはいけないんですよ」

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