貴方を愛する事はありません、絶対に

ひよこ1号

絶対に


「貴方を愛する事はありません、絶対に」


初めて会った彼女、男爵令嬢のクララは氷の様に冷たい声と眼差しで、開口一番そう言った。

ダニエルは、あまりの言葉に固まり、まじまじとその紫色の瞳を見つめる。


「な……何故だ…?」

「何故、ですって?人の弱みに付け込んで、婚約も解消させて愛人にしておいて何を仰るの?」


え……とダニエルは戸惑った。

両親が言っていたのは、「お前の子供を身籠る女を用意した」という事だけだ。

妻のオリビアの性質上、同じ屋敷に留め置けば危害を加えるかもしれないから、という事で王都の中に所有している小さな別宅を与えたのだ。

男爵令嬢で、若く評判の良い娘だからお前も気に入るだろう、と父が言った。

子供が出来たら、オリビアを離縁してその娘を妻に迎えなさい、と母が言った。

だから、勝手に望んで愛人になったのかと思っていたのだ。

確かに若く美しいクララにダニエルは劣情は感じる。

でも、酷い事をして恨まれているなんて思わなかった。


「それは、知らなかった……」

「知らなかった、ですって?貴方は6年前も同じ事をして、子が産めなかった奥様を追い出して、恋人を家に引き入れた冷血漢じゃないですか」

「えっ……、そ、れはシェリーの望みでもあって……」


合意で、というよりダニエルが縋ったのに出て行ったのはシェリーの方だ。

何故そんな酷い噂になっているんだろうとは思ったが、外部から見れば間違いではない。


「望み?彼女も無理矢理婚約を壊されて、無理矢理結婚させられたのに、望んでた訳ないでしょう」

「いや、そんな、えっ……?」


シェリーは一度もそんな事は言わなかった。

無理矢理だなんて、ああ、でもだから。

彼女が頑なに離婚を貫き通したのは何故だったか、ダニエルは腑に落ちた。

だから彼女は触れさせてもくれなかったのだ、と。

それでも彼女は優しかった。

微笑を絶やさずに、父と母の相手もして、使用人達にも慕われて。

ずっと、その日が続けばいいと願うほどに。


「貴方が知っているかどうかはどうでもいいですが、わたくしの仕事は貴方の子を身籠る事。この身体を好きに出来る権利を貴方は金で手に入れたのです。でも心は絶対に差し上げません。それからもう言葉を交わすことも」


言いたい事は言い終わったのか、彼女は小瓶から何かを口に流し込んだ。

こくん、と喉が動き、彼女は目を伏せて、寝台に横になる。

ここまで拒絶を露わにされたのは初めてだった。

だが、抱かずに帰るという選択肢はダニエルには残されていない。


シェリーがいる間、定期的にオリビアは屋敷に忍んで来ていた。

全てシェリーの協力の下である。

その時から既にダニエルのオリビアへの愛情はどんどん減っていた。

金のかからない娼婦。

美しく、身体の相性はいいが、それだけだ。

寧ろ一切触れさせないシェリーの方に、どうしようもない恋情と熱情を抱えていて。

それを解消するのがオリビアになってしまっていた。

だからこそ、障害が全て取り払われてしまって、再婚をした時には既に冷め切っていたのだ。

他の結婚相手を探そうにも、評判は益々悪くなっていて、他に結婚相手も見つからない。


渋々と結婚したオリビアとの生活は散々だった。

夜会に行きたいと言われて連れて行けば、恥をかかされる。

「前の奥様は素敵な方でしたのに……ねぇ?」

と目配せしあう夫人や令嬢達。

その度に自分の不出来を棚に上げて怒り狂うオリビア。

急遽、礼儀作法の教師を両親が手配して、ある程度は矯正されたのだが、一度失墜した評判は元に戻らない。

どんなに美しいドレスに金をかけても、下品ねと言われる。

外見に中身が伴っていないからだ。


家でも散々だった。

使用人達はオリビアを嫌い、オリビアも使用人達を嫌う。

嫌な事があれば八つ当たりもするし、平気で怒鳴りつける。

シェリーと関わった事のある使用人達は、尚更オリビアを敬遠した。

使用人達は耐え切れなくなると、母に告げ口をして、母がオリビアを叱るので、両親との仲もギスギスした。

シェリーの方が良かった、と両親からも言われる。


そして飛ぶように三年近くが過ぎた。

一年目は、義務でも、オリビアの事は嫌いではなかったからそれなりに夜は共に過ごした。

二年目は、子供について親から何度も小言を言われて、仕方なく日時を決めたりして励んでみた。

三年目は、親がもう無理だと諦めたのか、若い愛人を用意したのだ。

ダニエルもオリビアも33歳である。

クララは学校を卒業したての17歳だ。

嫌われていても、子供さえ出来れば。

だが、声も出さない、目も合わせないクララに段々ダニエルの心も冷えていく。

少なくともオリビアは自分を愛してくれた。

その熱が急に懐かしくなって、久しぶりにオリビアの元へ訪れた。


「オリビア、今夜は久しぶりに一緒に過ごさないか?」

「……あら、まだ私の事を覚えてらしたんですか」


オリビアはフン、と鼻で笑う。

そして、ダニエルに向き合って、にっこりと微笑んだ。


「芽吹かない畑に種を蒔く事はありません。どうぞ新しい畑に蒔いて下さい」


淑女教育が多少は功を奏したのか、婉曲的な嫌味で拒絶されて、ダニエルは驚いた。

今まで拒否をされた事はなかったのだ。


「出て行って下さい。もう用はないでしょう?」

「え……あ、ああ」


ダニエルは愛人のクララにも妻のオリビアにも拒絶されて、一人部屋で頭を抱えた。


●●●


クララには愛する人がいた。

寄り親である伯爵家のリュークだ。

小さい頃から二人の婚約は決められていて、何時も仲良く共に過ごしてきた。

その思いは年頃になっても変わることはなく、益々深くなるばかりだ。

今でも、幼い頃に交わした草花で作った結婚指輪の押し花を大事にしている。

心を込めて贈られた誕生日や季節毎の贈り物を眺めたり、触ったりしながら幸せな日々を思いながら過ごしていた。

早く結婚して、ずっと側にいられたら、と。


でもそんな甘い夢は、突如崩される事になった。


リュークの伯爵領は6年前の災害で、川の水が増水して交通の要となる橋が流されてしまったのだ。

もっと丈夫な橋を、という事で寄り親である侯爵家から借り入れをして立派な橋を建設して、周囲の道路も整備した。

この先何年かは税収から返していく事になるが、生活が苦しくなる事は無い。

でも、その寄り親が突然クララとの婚約に待ったをかけてきたのだ。

自分の息子の愛人にしたい、と。

あまりの事に憤慨したが、今すぐ金を返すように言われれば、伯爵領の半分近くを売らなくてはならない程の大金だ。

それでも、リュークも家族も、その話は断ってくれていた。


だが、間の悪い事にクララの親にも惨事が降りかかる。

父が貿易で手に入れた商品が、嵐で船ごと沈んでしまったのだ。

売る商品がなくなってしまったのに、費用は払わなくてはいけない。

そこに付け込まれてしまった。

男爵家は小さいし財産も少ない。

領地を売って、爵位を返上したところで返せるあてもない。

それでも足りない分は、平民に落ちたクララと妹達が売られる事になるだろう。

だから、その悪魔の取引に手を伸ばすしかなかったのだ。


私が、身を差し出せば済むのだから。

父も母も妹達も止めてくれたけど、そんな家族だからこそ壊したくなかった。

私一人が幸せになるくらいなら、私一人が不幸になる方がいい。


すぐにも息子の相手をと言われたが、1ヶ月の猶予を貰った。

そして。


「どうしても、愛人になるのか」

「……嫌よ。でも、妹達が売られて不幸になるのに、私だけ幸せになんてなれないわ。だから。私の初めては貴方に捧げたいの」


何時も会う森にある伯爵家の狩猟小屋で、私はリュークを見上げた。

リュークは耐え切れない痛みを抱えたように、口を引き結んで、眉間には深い皺を刻んでいる。


「お願い、思い出が欲しいのリューク。私は一生その思い出に添い遂げるわ。心はずっと貴方の側にあるから、だから、貴方は私を忘れて、幸せになって」

「そんな事、出来るわけが……」

「お願い、リューク。大好きよ、愛しているわ」


わなわなと怒りと苦しみと悲しさに震える唇に、私は唇を押し当てた。

リュークは観念したように、私を強く抱きしめる。



そして。

あの男に慰み者にされるようになって、一年が過ぎた。

勿論、子供は宿していない。

何故なら、避妊の魔法薬を飲んでいるからだ。

あの男の家から払われた支度金で用意したのだから皮肉な話である。

三年すれば、離縁の要求が出来るのだ、お互いに。

でも理由はそれだけじゃない。

憎い男の子供なんておぞましいだけだ。

私は多分、身が二つに分かれたら、その命を手にかけてしまうだろう。

何の罪も無い、無垢な魂を犠牲にする訳にはいかない。

偶に訪ねて来てくれるのは妹達だけだ。

父と母は、侯爵家に借金を返さなくていいとはいえ、もう二度とこんな事がないようにと働きづめらしい。


鬱々と日々を過ごしていたら、ある日、天使が訪れた。

妹だと思って扉を開けると、柔らかい蜂蜜色の髪と菫のような慎ましく可憐な瞳を持つ人が立っていたのだ。


「クララさんですわね。お話はリューク様から伺っておりますの。中へ入れて頂いても?」


リューク。

もう私の事なんて忘れていると思っていた。

いえ、この方がもしかして、新しいお相手なのかもしれない。

久しぶりに聞く名前に、私は涙を堪えきれずに背を向けて、部屋へと歩き出す。


「誤解なさらないでね?リューク様は貴女を助け出したいと仰ってるの」


私は思わず、紅茶を淹れる為に沸かそうとしていた薬缶を取り落とした。

ガラ、ガランと金属音がけたたましく鳴り響く。


今、何て……リュークが、何故……。


「や……。嫌……だって、……」


あの男が来る時に服用する薬のせいか、喉から思うように言葉が出てこない。

女性はスッと近づいてきて、私を抱きしめた。


「大丈夫、大丈夫よ。力を抜いて。さあ、座って頂戴」


子供をあやす様に背中を優しく撫で、力が抜けると椅子に座らされる。


「わたくしはシェリー。この名前に聞き覚えはありまして?」

「……っ!」


6年前、同じようにあの男に嫁がされた女性である。

シェリー様は、優しく微笑むと、穏やかに言った。


「あるようですわね。無理に喋らなくていいので、聞いていてくださる?貴方の恋人はこの一年、過去の事を調べて私達夫婦を訪ねてらしたの。すぐにでも助けに行きたいと言っていたけれど、それが無理なのはお分かりよね?」


私はそんな事になっていると思わず、でも彼の愛情に涙が零れた。

そして、無理なのは私が一番分かっている。

頷くと、シェリーは悲しげに微笑んだ。


「貴方には一年我慢して貰う必要があったの。勿論それまでに、橋の修理費用や貴女の負わされた借金を返し終えるくらいに、リューク様が稼げれば一年待つ必要はなかったのだけれど。夫の下で商売を学んで、頑張っていたわ」


伯爵家の令息が、働く、なんて。

ぽろりぽろりと、涙が頬を伝う。

それだけで。

リュークのその気持ち、信念だけで、私は救われた気がした。

もういい、と、彼を解放してあげたい。


それを悟ったかのように、シェリー様は微笑んだ。


「いえ、駄目よ。一年経ったのだから、ここからは私の仕事ですもの。いい?今後もしダニエル様がいらしても、病気の振りをして相手をなさらなくていいわ。私が手を貸して差し上げます」


何故、そこまでしてくださるの?

聞きたいけれど、言葉が出てこなかった。

ただ、涙だけが、こんなに水分が身体の中にあるなんて、と驚くほど。


「真実の愛を応援して差し上げたいの」


シェリー様は楽しそうにそう言うと、私の両頬を手で挟んで、幼子に祝福を与えるように額に口付けた。


●●●


「シェリー?どうしたんだい?」


私はデイドレスというには身軽な姿のシェリーを見つけて、思わず外に走り出て声をかけた。


「まあ、ダニエル様。……今日は侯爵夫人とお約束がございますの」


明るく日差しのように温かく、彼女は笑う。

前よりもふっくらとしたけれど、輝くばかりに美しかった。


「奥様」

「シェリー様」


使用人達もわらわらと屋敷から出てきて、彼女の姿に涙している。


「いやぁね、マーサ。泣くものではなくってよ。ねえ、ほら、貴女に似合いそうな帽子を買ってきたの。ハルタという国の物で、帝国では流行っているのよ?」

「ねえ、ハンス。貴方前に眼鏡が欲しいと言ってたでしょう?」


シェリーは後ろを付いてきた従者に持たせた荷物から、それぞれの使用人へと贈り物を渡していく。

いつの間にか、屋敷の中の使用人全員が庭に出てきてしまっていた。

中には彼女がいなくなった時に辞めた使用人の代わりに、新たに雇い入れた者達も物珍しそうに周囲を囲う。

でも、シェリーは目敏くそこにも目を配った。


「あら、新しい方達ね。貴方達の趣味は分からないけれど、これを差し上げるわ。綺麗でしょう?髪留めなら皆さん使うと思って」


小さい宝石のような煌きがついた髪飾りである。

さすがに侍女長が両手を振った。


「そ、そんな高価そうな物は駄目です、シェリー様」


ふふっと笑ってシェリーは言った。


「これは色硝子よ。高くは無いから大丈夫。貴方達にも十分買える物だから。それとこの手荒れに効くクリーム。わたくしの夫の商会で手がけているものですから、使い心地を教えてね。髪留めも貴方達が宣伝してくれれば嬉しいわ」


そう言われれば侍女長も固辞はせずに、頬を染めて髪留めを手に取った。

夫、という言葉に胸は痛んだが、久しぶりに彼女の姿を見て高揚している。


「ああ、ダニエル様、オリビア様は元気にしてらして?」

「えっ、ああ、多分、元気だと思う」


しどろもどろになると、仕方ない、と子供に向ける母の瞳をしてシェリーは微笑んだ。

そして、何事かを考えて、シェリーが口にする。


「オリビア様にわたくしが訪問している事を貴方から伝えてくださる?それが一番角が立たないと思うから、お願いいたします」

「あ、ああ。分かった」


頼るように可憐な瞳に見上げられて、私はオリビアの部屋へ急いだ。


●●●


やっと行ったわね。

べったりとまとわりつくような視線が本当に気持ち悪い。


私はダニエルを見送って、やっと本題に入れるのだ。


「ねえ、ここだけの話なのだけれど、貴方達も旦那様のお噂をご存知?」

「……噂、ですか?」


不安そうにマーサが繰り返す。

身持ちが悪いとか浮気をしているとか、そういうものなら既にシェリーの代からあったのだ。


「ええ……とても言い難いのだけど、種が無いのではないか、って噂になっているらしいの」

「「「!!!」」」


その場にいた全員が衝撃を受けた。

共に、納得してしまった。


「わたくしもその事で、侯爵夫人とお話をしなくてはと思って……そろそろお帰りになるかしら?」

「……いえ、もう少しかかると思いますので、喫茶室でお待ちを……」


と誘導されかかったその時、待ち人のもう一人が、髪を振り乱して駆けて来た。


ええと?

あれから淑女教育をしたって聞いていたんだけど。


オリビア様は、私の手を両手で握ると、涙ながらに言った。


「話がありますの!」

「ええ、大丈夫。分かりましてよ。夫人が戻ってらしたら、わたくしはオリビア様とお話ししてるってお伝えしてね」


逃がすまいと強い力で手を握られて、私は安心させるように頷いた。

そして伝言を残してオリビア様と一緒に、彼女の部屋へ行く。

そこは、かつて私が改装した部屋だった。



オリビア様との話は無事終わり、侯爵夫人の元へと向かう。

何故かそこにはダニエル様も当然のような顔をして、お茶を飲んでいたのだけれど。

丁重に追い払う。

彼は餌を貰い損ねた犬のように、哀れな姿で何度も振り返りながら部屋を出て行く。

出て行くのを確認して、侯爵夫人と話し合う。


「帰っていらしたのね?お子様は元気ですかしら?」

「ええ、お陰さまで。今度は連れて参りますので、是非お義母さま……あ、いえ、侯爵夫人にも抱いて頂きとうございます」

「あら、…ええ、そうね」


お義母さまと言って、言い直されて、侯爵夫人は悲しそうに微笑んだ。


でも悲しみの本番はここからですよ。

下準備は出来てますから。

既に親類縁者や友達や、夫の知り合いなんかも含めて、噂は流してある。


「あの……お噂はご存知ですか?ダニエル様の……」

「愛人の件かしら?それは先方とも約束済みでしてね?」


言い訳をするように侯爵夫人が説明を始めようとするが、首を横に振る。

出来るだけ申し訳なさそうに。


「こんな事をわたくしの口から言うのは……いえ……でも侯爵夫人を傷つけるつもりは……ああ、どうしましょう」


大袈裟に渋って嘆いてみせると、侯爵夫人が前のめりになる。


「な、何かしら、もう噂になっているのでしょう?でしたら、教えて頂いた方が宜しいわ」

「それも……そうですね……」


必死の説得に、私も迷いつつも頷く。

迷ってはいないけど。


「実は……ダニエル様は種が、無いのではないかと……」

「んまあ!」


侯爵夫人は口を押さえて、顔を青くさせた。

でも、思い当たる節は有りすぎるくらい有るでしょう。

学生時代から結婚までの十年間、醜聞を気にしてかオリビアとダニエルに子供は出来なかった。

堕胎していたり避妊していたりするかもしれないが、知られてはいない。

そして、私との白い結婚。

これは白い結婚と知っているのは私達だけなので。

オリビアと再婚しての三年間。

私的な見解を言えば、魔法薬の影響が考えられる。

そして、愛人との一年でも未だ子供がいない。

畑を変えても種が無ければ、芽は出ないのだ。


「ど、どうしましょう……わ、わたくし……」

「侯爵夫人の責任ではございません。でも、愛人を抱えていても醜聞が増すばかりですから、彼女はもう実家に帰しましょう。そして、侯爵家のお血筋から、優秀な子供を養子にするのです」


私はずらりと書類を並べた。


「え……貴女、これは……」

「出過ぎた真似とお思いでしょう。でも一度は嫁いだ身、そして義母と慕った貴女が御自分を責めるだろうと……ですから、私に出来る事をして差し上げたかったのです」


予め用意してある養子リストである。

用意するだけして、よよっと涙を拭う振り、ハンカチで目を押さえた。

侯爵夫人も感極まって泣き出す。


「あ……貴女を追い出したようなものなのに、そんなに……ああ」


まあ、出てったんですけどね。

自分の意思です、大丈夫。

それにもう一つ重要案件。


「でも養子を受け入れるにしても、母親になる女性が必要です。愛人の方はまだお若いので、向かないと存じますし、オリビア様も難しいでしょう」

「あの女が離婚を受け入れるとは思えませんわ」

憎々しげに言う侯爵夫人に、私は微笑んで言う。

「それはお任せ下さって大丈夫です。母親役を引き受けて下さりそうな女性にも心当たりもございます。侯爵夫人もお気を落とされてますでしょう?わたくしが手伝いますので、心を安らかになさって下さい。後日侯爵様もご一緒に、お話し致しましょう」


優しく言いながら手を握ると、侯爵夫人は頷きながら泣き始めた。

かわいそうに……などとは思っていない。

だってそうでしょ?

一番泣きたいのはクララとリュークでしょうに。

人の人生踏みにじった癖に、それすらこの人達は気づかないんだもの。

私の時からそうだった。

自分達の事で必死なのは分かるけど、他人の幸せを奪って良い訳は無い。

因果応報という言葉が他国にある。

悪い事をすれば、悪い事が返ってくるのだ。

彼らの心から望んだ血は途絶える。

目の前の侯爵夫人と、ダニエルの血は後世には残らない。


●●●


シェリーが戻ってきた。

相変わらず、シェリーは可愛らしく可憐で、明るくて。

荒んでいた心が華やぐようだった。

それに、子供を産んだといっても、前よりも肉付きが良くなって、抱き心地も良さそうだ。

あの頃は慎ましやかだった胸も、大きくふんわりと膨らんでいる。

まだ23歳だ。

33歳のオリビアとは全然違う。

父と母から新たな結婚を勧められて、更に心が浮き立つ。

すんなりとオリビアは離縁に了承して、クララは実家へ返された。

新しい妻は、結婚まで伏せると言われて、直感的に感じた。

シェリーが戻ってきてくれる、と。


それに、養子を迎えるというのも、私は快く了承した。

シェリーの子供達ならば、たとえ他の男との子だったとしても、愛する自信はある。

いずれは、夫婦生活をきちんと過ごせれば、私とシェリーの間に子供も生まれるだろう。

だって、彼女は子供を産むのに問題ない身体をしているのだから。

ずっと焦がれていた彼女を、やっと我が物に出来るのだ。

養子になる子供達も侯爵家の人間になるのだから、立派な相手と結婚させよう。

私とシェリーの子が、次代の侯爵家を継ぐのだから。


私はともすれば笑みが浮かびそうになる唇を何とか押さえるのに苦労する、そんな幸せな日々を送った。

使用人達は時折、気の毒そうな、何とも言えない目線を送ってくるが、彼らにも早く教えてあげたい。

君達の愛する、私の妻シェリーがこの屋敷に戻ってくるのだ!と。

色々準備に時間がかかる、という事で結婚式は二ヵ月後になっていた。

再婚でも何度でも、シェリーとの結婚式なら盛大に催したい。

養子の手続きに、離縁と再度の婚姻の届出もある。

待ち遠しくもあったが、もう既に六年は待ったのだから、あと二ヵ月どうという事はない。

幸せな気持ちで送る二ヵ月はあっという間だった。


●●●


また、あの屑から贈り物が届いた。

最初は花や菓子だったから、まあ、気持ち悪くはあるけど、頂いておいた。

贈り物には罪が無いし、美味しかったし。


「でも流石にこれは、ねぇ……」


最近は宝飾品や、ドレスまで贈ってくるようになって、扱いに困って侯爵夫妻にお返ししようかと思ったけれど。

我が家に遊びに来て、幼い息子と触れ合った侯爵夫人は、それは目尻を下げて喜んだ。

そして、養子の件や新しい奥様の件で働いた私に、その贈り物を受け取る権利がある、と言われて。

迷ったけれど、受け取る事にした。


まあ、売ってお金にすれば、誰からのどんな贈り物だって、変わりませんものね。

そのお金はまた違うものに使わせて貰いましょう。


あれからクララ嬢とリューク様は、私達夫婦が暮らしていた国外の家で夫婦として暮らしている。

家族だけの密やかな結婚式を挙げて、旅立ったのだ。

リューク様の引き継ぐ筈だった伯爵家は弟が代わりに継ぐ事になっている。

憔悴して、でも鬼気迫るリューク様をご覧になっていた御家族は、二人の旅立ちを心から祝福した。

そしてクララ様の御家族は、二人と共に旅立ったのである。

夫のエリックが興した商会を、リューク様夫妻と共に引き継いでくれていた。

と言っても、雇っているのはあくまでエリックで、実務を任せているだけなのだが。

それでも安定した収入があれば、外国でも夫婦としての生活にも困らないだろう。

エリックはといえば、この国で商会を大きくすべく奮闘している。

友人や家族達が支えてくれて、開発した商品は飛ぶように売れているので安泰そうだ。

この件を見届ければ、また違う国へと夫婦で旅立つ予定である。


それでも二ヶ月間、贈り物攻勢は止む事がなかった。

まあ、嫌でも気づくんだけど、これは。

盛大な勘違いをなさっているのだと。

私はエリックに相談した。

報告・連絡・相談は大事な事なのである。

最終的に、結婚式の前日に旅立つ事にして、家族や友人達へは根回しを完了した。

この国での商会の仕事は、私とエリックの家族、そしてリューク様の家族で協力して回していく事に決定して、私達は後顧の憂いなくこの国を出たのである。


ああ、当然、結婚式や侯爵家の動向を見届けてくれる人は派遣しておいた。

新しい住居でその報告を受け取るのは先になるとしても。


結婚式は滞りなく行われた。

花嫁の顔にかかったヴェールを上げたとき、ダニエル様が何とも挙動不審になったそうだけど。

父の侯爵に睨まれて、渋々続行したらしい。

新しい奥様は侯爵令嬢だった御方。

子供を早くに亡くして婚家を追い出された、良妻賢母な女性なのだけど、見た目が華やかではない。

眠そうに腫れぼったい目と、大きな鼻、男性のように薄い唇。

そう、殿方の目には映るだろう。

でも瞳は理知的で賢そうだし、安心感のある優しいお顔立ちの女性だ。

養子に来た子供達に、愛情深く、それでも厳しさをもって接しておられるそう。

使用人達にも同じく、厳しくても理不尽な事は仰らないし、優しさや敬意もあるので、過ごしやすくなったと言っていた。

侯爵夫妻との相性も悪くはない。

それは事前に私を含めて何度もお会いしたので知っている。

こちらも血筋を含めて、オリビア様とは雲泥の差なので、快く受け入れられていた。


受け入れられないのは、ダニエル様だけだろう。

外見を重視して選んできたダニエル様は、失敗しても学ばない。

危惧した通り、私を探して実家やエリックの実家の男爵家にも顔を出したらしい。

でも残念、そこにはもういない。

私は遠い空の下、幾つかの手紙を読み終えて、エリックと子供達を見る。

仕事から帰ってきた後のエリックは、楽しそうにぬるま湯で子供達を順番に洗う。

時々聞こえてくる笑い声は、幸せの証だ。

私は幸せな気持ちで、明日はどんな美味しい物を食べさせてあげようか、と考えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

貴方を愛する事はありません、絶対に ひよこ1号 @hiyoko1go

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ