05 鼓動

 キャストを引退して四年が経った。家族が生きてるんだか死んでるんだか、どっちでもいいので、連絡を取ることも、捜しにいくこともしなかった。

 ぼくはといえば何の変哲もない路上生活者だ。鉛筆で書くのが面倒なのでホームレスと呼称するが、容赦願いたい。ホームレスにも縄張りとか掟とか、色々あるのだと知った。盃こそ受けなかったものの、組に厄介になって、そこそこ貢献していた時期もあった。

 入居、それから毎朝の挨拶、納税、退去の折には全てを置いていくこと、またその挨拶など。クソ下らねえが、そういうシステムがある以上、従うしかない。

 まあ、そういう訳で今――朝の四時半頃か、段ボールハウスも解体せず、私物も世話になった奴らへ分け与えていた。


「ん……?」


 気付いた時にはもう遅い。あのサイハイを枕の下に敷きっぱなしだった。


「何だこれ。お前、女装趣味もあったのか? あらやだ、あたくし存じ上げませんでしたわ、おっほっほ」

「それはぼくが夜に使っていた品だ。あまり衛生的ではないと思うが」

「ああ? そういう事はさっさと言えよ、ばっちい」


 と、嫌悪感もあらわに地面へ放り捨てられた。渋面を作りサイハイを拾おうとした時――数は、四人。いや、それ以上かもしれない――どっちみち、敵う相手じゃない――鉄パイプ、角材、あ、あ、今のは徒手空拳、口を開けば空手自慢をするあの男――。


「すまんな、お前が、ふう、ここに来る前風俗で荒稼ぎしてたって、はあ、聞いたんだ。長は、取れるものは取れとの判断で、おれたちも心が痛む、すまん、分かってほしい」


 手を、手を伸ばせ。

 その先には変化も進展も幸福もある。

 ただただうずくまっているだけでは、何の解決にもならない。


 サイハイ二足を両手に持った。まず、数を減らせ。このサイハイは伸びがきつい。そうそう千切れることもない。一番年寄りの奴の喉にサイハイを掛け、背負い投げの要領で背中に持ってくる。軽い。バルサ材を折ったような軽い音がした。まず一人。二人目もジジイだ。同じやり方で殺す。

 歌舞伎町では殺す事と殺される事が禁止されていた。だが、ここはどうだ。裕福なガキ共が連日ホームレスを狩る。火を放つなり金属バットで撲殺するなり、より苦痛の大きい方法を優先的に選んで。

 よく暴れる奴だったが、二人目のジジイも背負うだけで頚椎が折れた。次――空手バカ。奴はすっ、と左半身の構えを取った。ほう? それがあんたの構えかね。こちとらサイハイで既に二人殺した。おそらく初犯でも実刑だろうな。

 おい空手バカ、さっき見てなかったのか? 二足目のサイハイは中にボルトやナットを仕込んであり、つま先と口ゴムを持って振り回し、当たるとちょっとばかし痛いということは予想がついたはずなんだがなあ、あんたに折られた鼻の軟骨、返してくれよ、なあ。なあ!


「やめなさい! 君たち! 誰も動くな! 動くな!」


 そっか。五人いたんだっけ。そりゃ――こうなるよな。制服警官は四名。いずれも警棒を伸展させて右手に持っていた。袋のねずみってやつだ。どうしようかねえ。


「おい! そこで立ってる君。そうだよ、君が全員やったんだろ? こっちは手荒な真似はしないし、身の安全は保障するから、まず両膝をついて。持っている物は全部左に投げて。そう。両手は手のひらを見せて、そう。協力的にしてくれたらお互い痛い目には遭わないから。じゃあ、形式上だけど手錠をかけますからね。動かないように」


 一人の男性警官が警棒を構えたまま近付いてきた。この警官、まるで警戒心がないな。警察学校では点数が取れたのかもしれない。が、逮捕術の実技ではこてんぱんにされたのだろう、そんな軟弱さが所作に表れていた。身長一七五センチ、体重は――七二キロ、というところか。

 警官は手錠をかけようとする際、警棒を短縮させて警棒吊りに掛けた。一旦帽子を取って汗をぬぐった。それからぼくの方へ注意を戻し、腰の手錠嚢から黒い手錠を取り出す――その時、ぼくは右を見て声を出した。


「あっ」


 一瞬。

 警官がぼくにつられて視線が泳いだ一瞬。ぼくは彼の鼻――正確には鼻の下の溝、人中へ――猛然と拳をぶつけた――が、日本の警官なら防げるはずだ。ぼくの狙いは、この警官が自らの防御で死角となった、金的への膝蹴りである。

 どん、と倒れた警官。ぼくは手早く拳銃を奪い、彼の頭をすぐさま吹き飛ばした。残り三名の警官はそれぞれ真上へ威嚇射撃をし、ぼくへ銃口を向けた。ぼくの弾丸は残り五発。彼らもそれぞれ五発ずつ。


 やっぱりあのオッサンの話の続きをするしかないか。


「ありがとう、君が一番、その、似ていたよ」


 プレイルームのソファで、いかにも胸いっぱいという具合のオッサンに近付き、開始の時と同じく頭を下げようとしたら、オッサンが言った。


「あ、待って。できる限り、余韻というか、商売っ気がない方がいいんだけど……」


 ぼくは完全に了承した。


「あ、うん。ごめんね」


 とサイハイだけの姿でもじもじした。急にぼくはひらめいたような顔を作った。


「あ、あの、ダメだったらいいんだけど、これ、ください! 普段から穿いていれば、この姿の人が実在する、っていう事実になるよね? それって凄く素敵なことだと思う!」


 このオッサンの悲しみは、ぼくが思うよりはるかに深く、そして苦しいものだったのだろう。プレイルームを出る時も、後で監視カメラの録画を見た時も、ずっと泣いているように見えた。

 もしかしたら、この時のぼくの提案は、効果こそは確かでも、ぼくのような人間がその場の思い付きで出してもいい類のものではなかったのかもしれない。

 今、あのオッサンがどこで何をしているかなんてわからない。わからないが、今もぼくの姿を思い描いているのだとしたら、ぼくの生きざまなんて冒涜行為もいいところだった。

 仮に時を戻せるなら、あのオッサンからはサイハイを貰い受けるべきではなかったのだろう。どんなに苦しくとも、歓楽街へは堕ちるべきではなかったのだろう。

 

 と言うより、この世に性の快楽がなかったら。

 もしくは、性を否定することなくのらりくらりと生きることができたら。


 ぼくは拳銃を口に咥えることもなかったのだ。




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発露―SSR― 惣山沙樹 @saki-souyama

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