04 扇動
自分の勤める店に来るのは大体が変態だ。というか、変態じゃない奴はバカか覆面で、そういう奴らは面白いほど簡単に死んでいった。
その日は一見なのにぼくを指名してきたオッサンがいた。どうせさっき初めてクスリに浸かった金持ちみたいなものだろう。妻子持ちだったがこれで逃げられたな、と二人きりのプレイルームで冷ややかに見ていたのだが。
「持ち込み? 一点につき五千円だけど」
そのオッサンがオロビアンコのトートバックから取り出したのは、白いニーソだった。オッサンはちらちらとそのニーソをぼくの目の前に揺らしながら言った。
「そうだ、君のことを調べる内に分かったんだ、ニーソじゃなきゃ確立しないんだと……」
この手合いには慣れている。対応もだ。俺は言った。
「でもさ、これ繋がってないから二点扱いだけど、いいの?」
オッサンがゆっくりと頷いた。だめだこりゃ。ぼくが五千円、店からちょろまかすだけだってこと、理解してないな。まあ、その必要もないけど。
こういったおもちゃ類の持ち込みが一律五千円というのは確かだ。受付にも書いてある。もちろん、ニーソ――というか、この丈ならサイハイかな――や、おもちゃの電池一本一本まで五千円が課せられるわけもなく、この辺りはぼくたちキャストの裁量に委ねられているのだ。
「じゃあ、お湯ためるね。アロマやバブルの好みとかは、ある?」
オッサンはきょとんとして、か細い声で喋った。
「君が穿いてくれさえすればいいのに、そこまでしなくても……」
ま、そっちがそれでいいんならいいけど――どうせサービス終了後、唾液やローションにまみれた身体を一回は湯へと投じたい。ジジイども、ババアどものダシがきいた湯を捨て、新たに張り替える手間が省けるのなら好都合だ。
こういう「見るだけ」の客もさして少なくない数、来店する。時にはキャスト同士二人や三人の睦み合いを見る、という下品極まりない客もチラホラだ。とにかく、何が来るか分からない店に勤め、それが常識としてまかり通る地に居を構えたのが運の尽き。
いや――本当はもっと早かったのかもしれない。性への欲求に振り回されていた頃か、それともそうした性への拒絶感――両親の閨を見るという事故を起こした十四歳の姉のような――が最高潮に達した、歌舞伎町からの洗礼をまともに食らったあの転居当日か。
いずれにせよ、もはや選択権は残されていないのだ、ここに暮らす大勢の夢追い人には。
それにしても、変態だよな。
ぼくに服を脱げだのサイハイを穿けだの、それって楽しいの、と詰問したくなる奇妙奇天烈摩訶不思議、そんな類の変態だ。それでいて自分は何もせず、合皮のソファでくつろいでいやがる。店長があえてこすれる音の大きい品を選んだものだ。
このオッサン、前立腺癌にでもなっちまったんだろうか。前立腺がないと射精ができなくなるらしい。まあ、ストレスのたまるご病気だな。その憂さ晴らしに店に来るのは、体力は温存できるけど――気色悪い。
「後ろ向いとくから全部脱いでね。それ一足だけになってね」
は? もとい――お客様まことに残念ながらわたくしの菲才なる学識ではお客様の仰ったことを完全に理解する事ができずそれがわたくしには悔やまれてなりませんゆえにお悔み申し上げるから死ね!
心の中でそう吐き捨てながら、さっさと全裸になってサイハイをつまんだ。まず、つま先とかかとをきちんと合わせ、徐々に引き上げていく。膝の下まできたところで、ふくらはぎ辺りを伸ばして膝の皿を越える。太ももに到達。ぴっちり真っ直ぐにゴムを合わせて完成だ。
「凄い……これだけだと裸の時よりエロくなった気がする……」
ぼくはそう言って、背中を向けて尻を振った。これで振り返ると大抵の客はギャップ萌えによって本能に従わざるを得ない。ジジイもババアも襲い掛かってしまうのだ、ぼくに。しかし、振り向くと、オッサンはやや悲しそうな表情。これは――分かりやすい。
サイハイはといえば、かなり着圧が強い。むくみにもいいだろう。これ、買っちまおうか。もちろん店舗に売ってるやつをだよ。今穿いているものは、白一色かと思えばグラデーションがかかっており、純白のつま先から口ゴムのグレージュにかけて、水墨画か何かのような意匠だった。
「うん、ありがとう。じゃあ、そのまま普通に時間まで過ごして。メニューにない食べ物も煙草もお酒も自由に頼んでいいから」
総毛だった。
穴が二つ空いていれば生きていける。三つ空いている人種よりはるかに生きやすい。ここでの戒律といえば殺さない事と、殺されない事。この二つだ。
非常呼び出し用のボタンは各プレイルーム、三か所に隠されている。こいつ、本気の狂人か? 非常ボタンを横目に見た視線を読んだのか、オッサンは笑った。
「大丈夫、危ない事はしないから。というより性的な事は一切しない。私は……ただ、思い出しに来ただけなんだ。だから……普通にしてね」
「あのぅ……」
「ん、何だい?」
「もしかしで、誰かがし……亡くなったの?」
それは、嘔吐とか絶叫と違えそうな慟哭だった。やはりか。自分でも嫌になる勘の良さだ。
ぼくは哀れなオッサンの肩に触れた。膝をつき、オッサンの両膝に手を添わせた。そして、うやうやしく頭を垂れた。
「それでは、これよりお時間いっぱいまで無礼千万ながらわたくし、そのお方の生き写しのように振る舞わせていただきます。キャストのチェンジは一回に限り無料、その後は一旦プレイルームをご退出の上、再受付、再入室という形をお願いしております。めくるめく夢、叶えます……新宿秘湯ユーモレスク、どうぞお楽しみ下さいませ」
それが、最後の仕事になった。このオッサンの話はこれで終わりだ。
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