03 発動

 五年が経った。

 ぼくは十九、とうに家を飛び出し、歌舞伎町で汗と煙草と酒、香水と消臭スプレーと、ええと、あと他に何かあったっけ? ――ああ。


 栗の花。


 そんな匂いが全て同時に混ざった区画で身体を売って生計を立てていた。

 女でも男でも相手した。質に入れると良い値がつく物を貰うこともしばしばあった。そもそも、質屋がないと暮らしていけなかった。

 気持ちは要らない、下品な音のする高価なライターは頂戴する。それから性病科と消費者金融、あとは――産科。


「何週、ってレベルじゃねぇぞ。おい。どうして連れて来なかった、このクソガキ。下手すりゃ殺人罪だぞ」


 と、一応の示しはつけておいて、続きは別室でとなる。何人も何人も殺すのを手伝ってきた。いや、殺しの片棒を担ぎ合ってきた。ぼくもこの産科医も、どうにもならないことを知っていたし、何をどう繕ってもその行為への責任は取り得ないと悟っていた。

 その日連れて行ったフィリピーナはキュレットで掻爬して堕胎するらしい。眠っている内に終わる。幸い、あの産科医は腕も立つ。キュレットも――要するに金属製の虫歯をほじくる道具だ――歯科から流してもらうのを用いるので清潔に不安はない。


 だが、何も学ばないだろうな。


 以前まで――本当にバカげた話だが――自分のテリトリー内で堕胎する女がいたら、焼きかカッティングをして自らの戒めとしていた。言っただろ、バカげた話だって。一年もしない内に店長に注意されてやめた。誰も全身傷だらけのヤバいキャストなんて、顔は良くても二度目はないさ。


「分かってると思うが、おれたちは人は救えねえんだぞ」


 手術が終わった晩、産院の屋上で煙草を吸っていた時の産科医のセリフだ。ぼくはフェンスにもたれて立っており、産科医はデッキチェアに座っていた。ぼくはハイライトを一口吐き出してから尋ねた。


「と言うと?」

「ちっ。ったくよ、分かりやすい誘導尋問だな」

「何のこと?」

「……もういい。だが話は続けるぞ。ここはおれのクリニックだからな。お前、あの子はこんなところより国へ帰った方がマシだって一度も考えなかったのか? 堕ろせば堕ろしただけあの子は蹂躙されるんだぞ、避妊もしねぇ、少し色素のあるアジア人だからって低く見てるような奴らに」

「だがあんたは堕ろした」

「クソむかつくガキだな。そうだ。そうだよ。ご名答。おれもお前も、あの子をこの先何度もレイプしていくんだ」

「それはあの子の意志でもある」

「うるさい! それが何だってんだ! 正しいも痛いも狂ってるも幸せも、何にも知らねえ女の子が出稼ぎに来て、仕送りどころか自分の生活費もままならなくなってここに来た。とりあえず生きていける。性病科と産科と警察と組、その四つとの距離感さえよかったらな。それにしても……カネは必要だ。自分では到底稼げねえ額のカネだ。さっさと警察に行けば楽になれたものを、お前が変に気を遣うから宙ぶらりんで死んでもねえ、生きてもねえ、そういう状態で長らえてる」


 ぼくは吸い殻をコンクリートに落として踏みつけ、じろり、と産科医を睨んだ。


「そんな目で見るな。おれは、お前ほど覚悟が座っちゃいねえ。あの子がさ、分娩台に上がる時に何て言ったと思う? 元気な赤ちゃんに早く会いたいです、でも、赤ちゃんとわたし、どっちかしか救えなかったら、赤ちゃんを救ってください、だよ。お前に分かるか? 掻爬術ってのは胎児も胎盤も何もかも、ぐちゃぐちゃにして引きずり出す手技なんだぜ? おれは……もう、耐えられない」


 そう言った産科医は、ぼくを見上げて尋ねた。


「なあ、お前だったらどうする?」

「どう、って……」


 ぼくは電飾を頼りに六分儀を拡げ、死出の船出にバカ騒ぎする街を一瞥した。それから、もう一本取り出して火をつけた。


「可能であれば全員殺して……」


 ハイライトをたっぷり吸い込んだ。ハイライトはいい。省略されて呼ばれることもないし。


「……自分も殺す」


 と言い、煙を夜風に流した。

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