夢女子になんてならないで

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本文

 彩香が自殺未遂をしたと聞いたのは、ゴールデンウイークが始まる前日のことだった。


 彩香は私の高校時代の友達で、おとなしくて友人はあまりいないタイプ。時間さえあれば二次創作の小説を書いているような子だった。私はアニメや漫画は見て楽しむだけでいいと思っていたから、彩香が楽しそうに書いている姿がなんだか可愛らしくて声をかけて、そこから一緒に帰るようになって、ゲーセン行ったりカラオケ行ったりして、どっちがなろうと言ったわけでもなく友達になった。


 私は少し絵が描けたから、彩香の小説を読んで一枚絵を描いてみたりして、創作が楽しいものだと知った。今はもうほとんど描かなくなってしまったけれど、あの頃はとても幸せだった。


 高校卒業後、二人の道は分かれて私は働く為に東京へ。彩香は地元の大学に進学、連絡はそこそこ取り合っていたものの、顔を合わせるのは年末年始に実家へ帰った時くらいだった。


 彩香は世間でいうところの「夢女子」だった。自分自身がオリジナルのキャラクターになってアニメや漫画のキャラクターと友達になったり、恋愛関係になったりする創作だ。私にその感覚はあんまりわからないけれど、ゲームの主人公に自己投影するような感覚なのだと思う。多分。


 彩香はそのジャンルではちょっと名が通っていた物書きで、フォロワー数も五百を超えていた。同人誌も作っていたらしく、SNSのつぶやきを遡って見るにイベントにも積極的に参加していたようだ。boothにも作品が売り出されている。


 そんな彩香を追い詰めたのは誹謗中傷だった。匿名質問サービスで、三千字にも及ぶ長い長いお気持ち表明を受けて。内容は要約するとお前の文章は見るに堪えないほど拙い、あのキャラクターの恋人設定はいくらなんでも無理がありすぎる、検索するとお前の作品ばかり出てきて邪魔で仕方ない不愉快だ。勘違いが痛々しすぎる、夢女子は創作するなネット上に出てくるなチラシの裏にでも書いてろ。を利用規約違反にならないギリギリの範囲で、あたかも『あなたのファンです、あなたの為を思ってファンの大代表たる心優しいこの私が忠告してあげます。ありがたく思ってくださいね』という態度で送ってきていた。


 なぜ私が知っているのかというと、言葉で語るにはあまりにも毒々しい内容だったのでSNSでそれはもう派手に拡散され、その日のトレンドに入っていたからだ。私のところにも回ってきて、該当作品を読んですぐにわかった、これは彩香の作品だと。


 心無いメッセージに傷つかないでと、あなたの作品大好きですよと返信しているアカウントもいくつかあったけれど、ほとんどは送ってきた人物に対する肯定的な言葉で埋め尽くされていた。


「こればっかりは送られてる方にも非がある」


「読んだけどアイタタタな内容でした。自分も昔やってたから恥ずかしい、黒歴史を思い出す~」


「大量投下して検索の邪魔になってるのあるあるw 本当に消えてほしいわ」


「20↑でこれは正直言って痛々しい。古傷をえぐられる」


「夢小説って中学~高校くらいにやらかす人生の通過点だよね。作者さんは卒業できないまま大人になっちゃったのかな……」


 有象無象の悪意が押し寄せる中、私はとても話しかけられなかった。まずSNS上では繋がっていないし、社会人になってからそういった趣味からは離れてしまったし、心のどこかで違う人であってほしいと願っていたから。


 それで、この有様だ。私が地元に飛んで戻った時には、彩香はもう白いベッドの住人になっていた。彩香のお母さんの話では、自分の部屋で首を吊っていたらしい。ためらいがあったのか奇跡が起きたのか、ドアを開けた衝撃で紐が緩んで落ちて、幸い死に至ることはなかった。首には跡が残ってしまったが脳にも体にも異常は無い、けれど意識がずっと戻らないのだと、涙ながらに語ってくれた。


 あの時私が連絡していれば、仕事が忙しいなんて言い訳にしていなければ、彩香はこんなことをしなくて済んだかもしれないと思うと、後悔で涙が止まらなかった。私はゴールデンウイーク中、毎日彩香の元に通うと決めた。せめてもの罪滅ぼしがしたかったのだと思う。


 通い詰めたところでどうにかなるとは思っていないけれど、あっという間に二日経った。変化を拒絶するような白い南向きで日当たりのいい個室は、窓を開けると柔らかい風がふわりと優しく入ってくる。鳥の鳴き声が遠くからかすかに聞こえてくる穏やかな光景、なんて残酷な。


「あれ。これ、なんだろう」


 ベッドサイドにノートが一冊置かれていた。昨日は無かったような。手に取ってみるとそこには冒険ファンタジー漫画の、夢小説の設定が書き記されていた。彩香は主人公の後に冒険者ギルドに入ってきて、ちょっとドジだけど前向きで明るい性格で、任されたクエストをきちんとこなしていくうちにイケメンだけど過去に後ろ暗いことがあって、実は魔王側に加担していることが物語の後半で判明するライバルキャラ、アルベルトに見初められていく。というものだった。


 名前はミョウジ・ナマエ。変な名前にしているなとスマホで調べてみると、夢小説を書く際のデフォルトネームらしかった。単語変換が出来るサイトに投稿するつもりで書いていたのだろう。


 ページをめくっていくと、アルベルトとナマエの距離が少しづつ近づいていく。突然の出会いから、一緒に仕事をするようになって、お互いのことをもっと知りたいと思うようになって。読み進めていくとどんどん世界観に引き込まれていく。すごいな、独自の魔法言語とかダンジョンの構成とか、モンスターまで設定作りこんであるんだ。モンスターを使った料理のレシピまで書いてある。


 読む手が止まらなくなって進めていくと、あるページから文章が途絶えていた。ナマエがライバルキャラのアルベルトに好意を伝えるシーンで終わっている。おそらくはここで……。


「彩香……」

 

 穏やかにベッドで眠る本人は、私が読んでいることなど知りもしない。気づけば日が傾き始めていた。今日も起きる気配は無さそうだ。


「なに、これ」


 閉じようとして目をノートに戻すと、勝手に文字が浮かび上がっていく。物語の続きが書き込まれ、告白は成功し、ナマエとアルベルトはついに恋人同士になった。結ばれた二人は祝宴を上げ、ギルドだけでなく国中から人が集まってきて、盛大に祝福されている。


「これが、彩香の幸せ」

 

 寝顔がずっと穏やかな理由がわかった気がする。彩香は今現実ではなく物語の世界にいるんだ、自分を理解してくれて、認めてくれて、愛してくれてる人のいる方へ行ってしまったんだ。そこからはページをめくってもめくっても、二人の幸せな生活の日々が続くだけ。


 怖くなってノートを閉じて、逃げるように家へ帰った。布団の中で丸まって震える。このまま放っておいてあげた方がいいんだろうか? 夢の世界で幸せに生きている彩香は、生き生きと描写されていた。私は彩香に目を覚ましてほしい、でもそれは悪いことのような気がしてきた。


 翌日。私は彩香のお母さんと一緒に病室に来ていた。彩香のお母さんはあたためたタオルで彩香の体を拭きながら話しかける。今日も私が来ていること、天気がいいこと、彩香がいつ目を覚ましてもいいように部屋を掃除してあること、何もできなかったことを謝罪している。痛ましい。


「それじゃあ私は帰るから、彩香のことよろしくね」


 入院用のパジャマを畳み終えると、彩香のお母さんはお昼前に帰っていった。私は待合スペースで軽く食事を済ませてから、また部屋に戻ってきた。恐る恐るベッドサイドを見ると、やっぱりあった。あのノートが。


 深呼吸してから開くと、やっぱり二人は幸せに過ごしていた。冒険者は続けていて、ダンジョン攻略で得たもので生計を立てている。町の人からは強く優しい冒険者夫婦として慕われていて、国王からの信頼も厚くて、誰もが皆二人を愛している。主人公とヒロインは、国を離れて放浪の旅へ出ているようだ。


 この幸せを崩すことは、間違っているのかもしれない。私は、今彩香にとても酷いことをしようとしているのかもしれない。それでも、それでも。


「……彩香、遅くなってごめん。あの時声かけられなくてごめん」


 私はノートを開いたまま文章に話しかける。


「こんなのエゴだってわかってる、だけど私は彩香のいない世界なんて嫌だよ」


 我ながら馬鹿なことをしているな、と自虐気味に笑った。返事なんて返ってくるはずないのに。


「 私 の 気 持 ち な ん て 知 ら な い く せ に」 


 ノートに、赤い文字でセリフが書き込まれた。物語はそのまま進行している。これは彩香の本音だ。


「言ってくれなきゃわかんないよ! 彩香は高校の頃からずっとそうじゃん! 言いたいことがあっても途中で止めちゃうし、自分さえ我慢すればどうにかなるって思ってて! ばか! 彩香のばか!! なんで連絡してくれないの!」


 私は個室なのをいいことに、ノートに向かって叫んだ。


「 し て 変 わ る も の じ ゃ な い 。誰 も 私 の こ と な ん て 助 け て く れ な い」


「はあ!? やりもしないうちからそんなこと言わないでもらえる?」


 久しぶりの再会なのに、私は苛立ってきた。彩香は良くも悪くも内向きだ。全部抱えようとして、抱えきれずに圧し潰されて、でも誰にも相談しないで一人で沈んでいって、助けたくても手を伸ばせないようにしていたのはそっちじゃん!


「私は助けにならなかったかもしれないし、確かにそこは、彩香の行きたい世界なんだと思う。自分を肯定してくれる人に出会えるチャンスってなかなかないし。でも、でもね、だからって彩香のことを愛してくれた人を置いて行っていい理由にはならないの!」


「 そ ん な の 知 ら な い 。 知 り た く も な い 。 放 っ て お い て 私 の こ と は 」


 感情に火が付いた私は止まれなくなっていた。彩香のお母さんの後ろ姿が瞼に焼き付いて離れない。


「なんで私に言ってくれなかったの、頼ってくれなかったの。友達だって思ってたのは私だけだったってこと!? あんな毒メッセ送ってくるようなやつも、それに賛同するやつも全部私が訴えてやるから! 賠償金支払わせてやるから! 払えないっていうなら、首根っこ掴んで彩香の前に土下座させるから! だから、だから帰ってきてよ。彩香の身体、お母さんが拭いてくれているんだよ。病室には花瓶があるんだけどね、欠かさずお花生けといてくれてるんだよ。それでね……それで……」


 怒りがひとしきり出ていった私の中には、悲しさがあふれていた。涙がノートにポロポロ零れてシミになっていく。やっちゃった、怒りに任せて吐き出しちゃった。慰めようと思っていたのにうまく言葉が出てこない。どうしたら思いが通じるのだろう。


「ナマエ、お前には帰るべき場所があるのだろう」 

 

 文中のアルベルトのセリフが、変わった。さっきまでこれからもずっとにいたいって言っていたのに。


「な、なに言ってるのアルベルト! 私にはあなたしかいないの!」


 ナマエ……いや、彩香も驚いている。違う違うと首を振って否定している。


「……俺にも聞こえていた。お前を呼ぶ声が。強い想いが。戻れナマエ、ここはお前のいるべき場所じゃない」


「そ、そんな……ひどい、ひどいよアルベルト! あなたまで私を見捨てるの!?」


「本当はお前も気づいているはずだ。戻らなければならないことに。俺は、俺たちはいつだってここにいる。お前が望めばすぐ側にいる。夢のようなひと時を過ごせてよかった」


 アルベルトが彩香を抱きしめると、彩香は光に包まれたことが描写され、ノートに浮かんでいた文字はそこでピタッと止まって、ベッドで眠っていた彩香が目を覚ました。私は駆け寄って彩香を抱きしめる。


「ごめん。幸せな夢、見てたのに……」


「ううん。私の方こそごめん。自分のことを大事にしている人が現実にいるんだって、すっかり忘れてた」

 

 私と彩香はお互い泣きながら抱きしめあって、看護師さんが来るまでの間枯れるまで涙を流した。


 彩香が夢小説を書いていたノートは、その後いくら探しても見つからなかったという。

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