第3話
最悪だ……。ゼルジアはホルトンの言葉を聞いて思った。
人死にが出ていることではない。花嫁・カイネには申し訳ないが彼女の死はゼルジアにとって些末な問題だった。
問題なのは死そのものよりも、その『死因』だ。どう考えても『魔法』の仕業ではない。横を見るとアドルも青ざめていた。自分と同じ推測であることは手に取るように分かった。
考えられる原因はどちらかふたつ。
(どうか『奇跡』だなんてことだけは……)
祈るような気持ちで考える。
もし本当に最悪の事態だとするなら、こうして座って話を聞いている時点でもはや悪手である。一刻も早く、
ゼルジアは自分の心臓が早鐘のように鳴るのを聞いていた。恐慌状態の一歩手前。大量の考えが浮かんでは消えていく。
(こいつ、とんでもないところに呼び出しやがった)
もはや怒りより憎しみに近い感情で目の前のホルトンを睨む。睨まれたホルトンは怯んだのか椅子の上で少し後退した。だがその様子は自分程度に恐怖できる見当違いのお気楽さにも映る。ゼルジアの感情の炎はより強くなった。
(だいたい伝言そのものが曖昧すぎるんだ。なにが『魔法使いがいるかもしれない』だ! どうすれば、そんな内容に変わる!?)
そう思い、拳に力が入ったところで、ひとつの事実に気が付き、少しだけ理性が戻る。アドルも少し先に同じ結論にたどり着いたようだ。
「ゼルジア。多分、これは違う」
そう言ってゼルジアの腕を捕まえていた。目の前の老人を殴りかかると思ったのだろう。実際、数瞬前まではそうしてもおかしくなかった。ホルトンは目を大きく開いている。
「わかっています。いや、俺も今わかりました。そもそも伝言が無事に届く時点でそうでしょう」
「うん、そうだね。村長」そう同意してからアドルは混乱をしたままの村長に安心するように呼びかける。
「確認ですが、現在まで亡くなったのはカイネさんだけですね」
「は、はい」
「その後、おかしなこともありませんでしたか。その……例えば村に大量のネズミが押し寄せたり、山の植生が一晩で変わっていたり……」
「え? あ、はい。そのようなことはありません」
ホルトン村長はアドルの質問があまりにも想定外だったのか
首にかかった死神の鎌が遠ざかったような、命をつないだような気分だった。ホルトンは二人の様子を見て当惑したままだ。
「あの、どういうことなのでしょうか」
恐る恐るという言葉がまさに表すような様子でホルトンは尋ねる。
「そうですね。どこから話をしましょう」
アドルはそう言って一拍、整理する時間をとった。
「結論から述べさせていただくとカイネさんの死は『魔法』によるものではありません。『呪い』によるものです。」
そう告げると、ひゅっと今度はホルトンから息を吸いこむ音が聞こえた。その顔は驚愕に満たされていた。しかし、先の不安があまりにも最悪なものだったゼルジアからしてみれば、『呪い』に驚くホルトン村長はどこか
ゼルジアの耳には先ほどまでは聞こえなかった外の秋虫の声も聞こえてくる。
それとは真逆にホルトンは年老いて乾いたはずの皮膚の上に汗を流し、真剣な眼差しでアドルを見つめていた。
「の、『呪い』ですか。それは何故……。いえ、それよりも『呪い』とは、一体?」
「そうですよね。魔法使いの数は少ない。それと同じくらい呪い師も珍しいものです」
そう言ってアドルはホルトンに涼やかな笑みを向ける。彼も先ほどまでの緊張感から開放されて気が抜けているようだ。
「ご安心ください。『呪い』は対策をすれば無力な術です。少し時間はかかりますが一度、街に戻り光の神官を連れてきましょう。加護を授けてもらえば村も安全なはずです」
そう言って問題の解決策をアドルは伝える。だがホルトンの面持ちは固いままだった。
「待ってください! 対策ができることはわかりました。ありがとうございます。しかし、アドル様は先ほど呪い師と仰られました。その……カイネが亡くなったのは事故ということではなく……」
あ、とゼルジアは間抜けな声を出す。アドルもその言葉で気がついた様子だ。そうなのだ。このような情報の出入りが少ない村では『世界に不思議な事象がある』ということだけは知っていても、詳細について詳しい人間は皆無なのだろう。ふたりとも一足飛びに話を進めていたことを自覚した。
『呪い』だったのならば、犯人がいる。二人にとっては当然のことだが、ホルトンにとっては突然の情報だったはずだ。『奇跡』の存在に怯えたゼルジアたちとホルトンに温度差があったように、知識の隔たりが情報と感情の共有を難しくしている。伝言の齟齬もこうした部分から生まれたのかもしれない。まずはそれを埋めていく必要がある。
とはいえゼルジアはどこまで話すべきなのかを思案する。真実を知ったとしても恐らく村人たちの恐怖が収まることはないだろう。
ただの事故ではなく、殺人だった。
このような閉鎖的な村において殺人者の存在というのは、あまりにも重すぎる事実だ。ゼルジアは緩めていた自分の心を今一度、引き締めた。アドルの声も先ほどより少し低くなっている。
「失礼しました。まずは『呪い』というものについて少しお話をしましょう」
アドルがそう言うとホルトンは真剣な眼差しで頷いた。
「『魔法』というものが精霊との契約で行われる術ということはご存知ですか?」
ホルトンは、いえ、と否定した。
「厳密には色々と複雑なのですが、そういう術だと思ってください。自由気ままに使えるようなものではなく、それなりの才と知識、そして条件などが必要です。人だけで完結したものではありません。それと同じように『呪い』も悪霊あるいは悪魔と呼ばれる存在との契約で行使される術です」
「悪魔……」絞り出すようなホルトンの声だった。
「ただ『悪』といってもお伽噺にあるような絶対的な善悪の存在ではありません。過去の名残でそのまま呼ばれているだけです。この村では豊作の祈願などをしますか?」
アドルは少し話を身近なものに引き寄せた。
「ええ。その年の最初の収穫物の数束を祖霊に捧げます。少ないですが酒も出して、火祭りをしますね」
「それもある種の『呪い』です」
村の大切な儀式が悪魔との契約と同質だと言われ、ホルトンが反射的に口を開いた。
「我々はあくまでも『祖霊』に対して捧げているのであって!」
「もちろんです。祈願を悪だとか効果のないものだと言うつもりは毛頭ありません。大切な儀式だと思います。ただこうした儀式は『
「要素、ですか」半身前のめりになっていたホルトンが元の位置に戻る。
「願い・儀式・代価。この3つが呪いに不可欠です」
アドルが3本の指を立てる。ここまで黙っていたゼルジアも想像しやすいように具体例を補足した。
「雨を降らせてほしいと供物を奉納する。病を治してほしいと願い薬草を焚いた灰を飲む。天災を抑えてほしいと人柱をたてる。よくある話だが、これらもすべて『
「そして今回の具体的な願いは分かりませんが、結果だけを見るなら『花嫁カイネに死を』という願いが叶えられました。儀式と代償については分かりませんが……」
ホルトンも彼の言いたいことが分かったようだ。
「つまり、その儀式と代償から犯人が分かるということでしょうか」
「状況だけで見るのならば、かなり強い呪いでしょう。代償は相当なものだったはずです。こういう疑いは心苦しいとは思いますが、村人のなかに最近、おおきな怪我をしたり、なにか大切なものを失った者はいませんか?」
ホルトンが黙る。しばらくの間、沈黙が部屋の中を支配した。それでもホルトンの中には疑わしい人間はいなかったらしい。
「いえ、残念ながら思い当たる者はおりません」首をゆっくりと振る。
「そもそもカイネを殺したいほど憎んでいる村民がいるとは思えないのです。好悪はあったかもしれませんが、殺意を抱くなどと……」
「人間、なにを考えているかなんて誰にもわからないもんだ」
「それは……そのとおりですな」
ゼルジアの言葉にホルトンは暗い光を瞳に宿しながら賛同した。長として人の集団をまとめてきた経験からだろうか。その声は重々しい響きを持っていた。
「村民に危険はあるのでしょうか? 今後もこのようなことが?」
ハルトンはアドルに尋ねた。アドルは数瞬だけうつむき、考えを口にした。
「恐らくすぐの危険はないでしょう。思い当たる人物がいない、ということでしたら代価は自分の持つものではなく『贄』を使ったはずです。主に用意されるのは動物の肉や血ですが、これは簡単に準備もできませんし、儀式もより複雑なものになったはずです。すぐの発動は厳しいと思います」
「その『贄』というものを前々から準備していた場合は?」
「間が空くのは準備だけが理由ではありません。契約を行う悪霊側にも力が必要です。そのような連続しての行使は難しいでしょう」
「なるほど」
ホルトンは重々しく頷く。
「少なくとも、我々が光の神官を連れてくるまでには問題ないはずです。とはいえ、今回の下手人がどこかにいると言うのは、甚だ深刻な問題だと思います。戻ってくるまでに、可能な限り村民の様子を注意してください」
アドルは彼にそれまでに対応してもらいたいことを丁寧に説明していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます