第4話

用意された部屋は広くはなかったが、予想以上に立派な調度品で飾られていた。寝床の敷物も藁を詰めたものではなく動物の羽毛などを詰めた上等品だ。布地には丁寧な刺繍がほどこされている。


税吏などが村に泊まる際に利用される部屋とのことだったが、こうした財の匂いがする歓待は逆効果なのではないかとゼルジアは思った。もちろんそれはあくまで職務に忠実な税吏の話で、そうでないなら多少は鼻薬の代わりになるのかもしれない。


「あの村長も存外と食わせ物なのかもね」

相変わらずの細い目で部屋を見渡しながらアドルがそうこぼした。今日だけの印象で言うのならば、無知な田舎の老村長という印象だったが、平時はまた違った一面があるのかもしれない。


「しかし今日は疲れた。少し早めに休ませてもらおうか」

アドルがそう言って荷物をぞんざいに置く。旅の中で知ったことだが、物腰は柔らかく品の良い雰囲気をまとっているアドルだが、少し大雑把なところがあった。下級貴族に連なる家の出という話だったので、そうした生い立ちも多少は関係あるのかもしれない。


逆にただの庶民であるゼルジアの方が、このような部屋には気後れするものを感じる。丁寧に自分の荷物を部屋の隅に置いた。


「良かったですね。いや、良かったと言うのは不謹慎かもしれないですが、ただの『呪い』で」

荷物を解きながらゼルジアはそう言った。旅の疲れのこともあるだろうが、アドルの言うことはそうではないだろう。ホルトンの話を聞いたとき、頭の中を真っ黒な煙が満たすような絶望的な予感がした。アドルもそうだったのだろう、神妙な様子になって頷いた。


『奇跡』あるいは『神秘』と呼ばれるもの。

人には扱いきれぬ埒外の事象。


発動すれば、その場所は地獄に変わる。死で終わるのならばまだ良い。異形の姿と変わり果て、終わりのない悪夢を見続けることだってあり得る。無事に生還することは稀にあれど、まさしくそれは奇跡的な確率だ。


「そうだね。でも、だからといって今回の件も軽い問題という訳でもない」

アドルは荷物の整理はせず、室内の椅子に深く腰を降ろしたままだ。

「結局、任務はどうなるんですか。『魔法使いはいなかった』という確認はできたと思いますが」

ゼルジアは会話を続けながら旅装を脱ぎ捨てた。久方ぶりに軽い服に着替えて楽をしたかった。


「呪い師を捕まえてもねぇ。とはいえ村としては放置する訳にもいかないだろうし、ウルマス英下爵の動き方次第になるだろうね。彼が報告を受けて今回と同様に要望を伝えるはずだ。それを請けての判断は僕らにできないしね」

「あんまり良い噂は聞かない人ですよね……」

ゼルジアは今まで耳にした英下爵の噂を思い出す。主に下半身事情に関するもので、好意的なものは少ない。あまり良い趣味の人間ではないようだ。

「政治的にはそこそこ有能な人らしいよ」

アドルは乾いた笑いを浮かべる。擁護になっていないことを自覚しているのだろう。ゼルジアも皮肉げに口を歪ませて応えた。


「とりあえず街に一度戻って、そこで二手に別れよう。僕は教会に行って神官の手配をする。ゼルジアは魔法庁に戻って報告をしてくれ」

「報告書は俺が書くんですか?」

本来なら上席の役割のはずだ。面倒だと思ったがアドルが真っ当な理由を告げた。

「だって君、精霊に嫌われているだろう」

そういってアドルが今度は困ったように笑った。ゼルジアは反論のしようがなかったので、黙って上衣をかぶる。事実なのだ。


魔法の素養がないため自分で確認する方法はないのだが、知り合いの魔法使いによるとゼルジアは大層、精霊に嫌われているらしい。しかも今日話にあった悪霊あるいは悪魔と呼ばれる存在にも忌避されている。


ーーーきっと『赤沼』が原因よ。


その魔法使いの言葉を思い出してゼルジアは頭をガシガシと掻きむしる。知覚していない存在から一方的に嫌われている。もちろん気持ちの良いことではないが、それでも気にしすぎるほどでもない。ただ嫌われる原因については、どうしても自分にこびりついてくる問題だった。


魔法庁でゼルジアの体質は隠していないのだが、今回初めて仕事を一緒にするアドルでさえ知っていたということも気持ちを少し暗くさせた。体質だけでなく、それに付随する由来も知っているのだろう。むしろそちらが噂の主体だと思われる。旅の中で言及してこなかったのは、彼なりの配慮のはずだ。


「あまり気にすることないと思うけどね。魔法が使えないのはほとんどの人が同様だし、それを踏まえれば、むしろ利点はあるんだろう?」

アドルは慰めるような調子で言った。

「まぁ……今回みたいな場合は助かりますね」

魔法や魔術が効きにくい。それはこの体質がもたらした恩恵のひとつだ。だが同時にそれは加護のような利益ある術もかかりにくいということでもある。

かからない訳ではないのだが、普通の人よりも労力が必要になるらしい。


脱げない分厚い鎧のようなものだ。軽い矢など弾いてしまうほどには身を守ってくれるが、いざ怪我をしたとき治療には難儀する。

ままならないものだ。ゼルジアはため息をついた。


「とにかく報告書は頼むよ。私はあの作業嫌いなんだ」

ゼルジアが沈んでいるのを察してくれたのか、アドルは手を広げおどけながらそう言った。

「いやいや、俺も苦手ですよ」ゼルジアも笑みで返す。

一瞬、先ほどの空気を振り払い朗らかな空気になったが、アドルの声はすぐに真剣な響きに戻った。


「今回の件、どう思う?」

「ただの野良呪い師の犯行じゃないですか? それにしては、かなり強力なものだと思いますけど……」

ゼルジアは思ったことを素直に言う。


「ふむ……。ゼルジアは呪いについては、どれくらい知っている?」

「基本的なことだけは」

なるほど、とアドルが頷いた。


「呪いには『対象型』と『条件型』があるんだ」

アドルは体を横にしたまま、二本の指を立ててゼルジアに向ける。

「『ゼルジアを呪って』という願い。これが『対象型』だ。『村に来る人間をよそ者を呪って』。これが『条件型』」

「俺を例にしないでくださいよ。で、結果は一緒ですけど、何か違いはあるんですか?」

「一般的には『条件型』の方が難しいとされるね。条件を満たしているかを判断するのは悪霊だから。術者の意図通りに発動できるかは経験値が必要だとされている」

呪いの経験値。あまりぞっとしない言葉だ。ゼルジアは先ほどとはまた違う嫌な気持ちになる。


「難しいわりには使い勝手が悪そうですね」

「そうでもない」

アドルはニヤリと笑った。

「『王墓の呪い』を知っているかい?」

「砂漠の民の王墓ですか?」


ここから遠く西にある砂漠の国の王墓。『王墓』と言われて真っ先に思いつくものだろう。吟遊詩人の詩で耳にしたことはあるが、王墓に眠る不思議な道具で活躍する英雄譚だったはずだ。しかし呪いが登場する場面はあっただろうか、とゼルジアは思い返す。


「かの国の王墓にはお伽噺にあるように溢れんばかりの金銀財宝が眠っている。世界中の墓荒らし垂涎の的だ。でも盗掘はされない。どころか最初の頃は僅かな財宝しか収められていなかったらしい」

「世代を重ねて増えていった訳じゃないんですか?」

「うん。『呪い』の力によるものだ。王家は財宝が眠ることを隠さなかった。浅ましい墓荒らしたちが来ることを歓迎した」

アドルは楽しそうに語る。


「墓荒らしは当然、盗掘に行って簡単に財宝を手にした。売り払った金で遊び回ったらしい。だが、ある時から仲間が次々と死んでいく」

「まぁ、話の展開としてはそうでしょうね」

ゼルジアは予想した通りだったので特に驚きもしない。それにアドルは少し不満そうだ。

「きみは聞き手としてはいまいちだね。まぁ、そこで彼らも『呪い』を知る。そして必死に呪いの対象から外れようと財宝を返すんだ。でも財宝は売りさばいてしまった。仕方ないから盗んだ以上の価値を持つ財宝を代わりに収めることにした。そうして呪いを回避したんだよ」

「それで終わりじゃないんですか? そこからさらに宝が増えていく理由ありますか?」

「人間の浅ましさと忘れっぽさが理由だろうね。世代ごとに墓荒らしが来ては痛い目を見ていったんだろう。それに本当かどうかは分からないけど、その日の金に困った奴が呪い覚悟で盗掘に入ることもあったらしい。金が入ってから返せば間に合う、って。流石に作り話だとは思うけど……」

「王墓というより金貸しの店みたいですね」

ゼルジアの言葉に、アドルが苦笑する。


「こうした仕組みは『対象型』の呪いでは無理だ。『条件型』の良い例だろうね。『財宝を盗んだ者を呪え』と。そして悪霊は忠実に盗人を判断する。逆に『財宝を奉納した人間は墓荒らしではない』とも判断するんだ」

「真面目な悪霊ですね。気の遠くなるくらい長い期間、律儀に王墓を守るなんて」

「王家は呪いのために1000人近い生贄を捧げたんだ。今でも世代が交代する度に殉葬される人がいるらしいよ。もはや強すぎて光の精霊でも解呪できない呪いだ」

「……その話が一番怖いですね」

王墓を守るための多くの人間の命が奪われる。

「結局、怖いのは『呪い』そのものよりも『人間』なんだろうね」

アドルも珍しく細い目を開いていた。


「話がずれたけど、花嫁カイネにかけられた呪いは『対象型』だ」

「『この村の花嫁を呪う』という条件の可能性はないんですか?」

「そこまで絞ってしまうと自動的に『対象型』に切り替わるはずだよ。呪いというのは主観的な術だから、具体的な対象が術者のなかに思い浮かんでしまうと悪霊は勝手にその対象を呪うんだ。悪霊が楽をしようとしている、なんて説もあるね」

アドルがいつも通りの細い線のような目に戻る。ひょっとしたら目を閉じたのかもしれない。それほど彼の目は細い。


「つまり、これ以上呪いの被害者は出ないということですか?」

「少なくともカイネにかけられた呪いが他の村民に牙を抜くことはないと思う。怖いのは新しい呪いが発動することだね」

「十中八九、何もないと思いますけどね。事件が起きたのは10日ほど前ですよ? 次の呪いのために準備も必要なら、悪霊の回復も必要。仮に連続で呪いをかけようとしても、街までの行き帰りで十分に間に合う時間のはずです」

「そうだと良いけど、呪いとは過分に非合理な術だからねぇ」

アドルは顎に手を当てて物思いに沈む。


彼の心配も理解できる。さきほどの例は別にして、基本的に呪術は不便な術という印象が強い。理由はその非常に主観的な性質だ。願いの強弱も、代価の軽重も、その使用者と代行する悪霊によって大きく差がでる。魔法使いを雇いたいという者が多くても、呪い師を雇いたいという者は少ない。


今回の件が『魔法使いがいる可能性』ではなく『呪い師がいる可能性』だったら、ゼルジアたちは派遣されていなかったかもしれない。


誰かを呪ってほしいと他人が依頼したところで、呪い師本人が本気で敵意を持たないと術は発動はしない。さらには標的との繋がりがなくても発動しない。そして想いが強ければ強力な呪いの発動も可能になるが、その分必要な代価が重くなる。


繊細で、それでいて不正確なくせに公平な天秤の上に『想い』と『代償』を乗せる行為。それが『呪い』だ。それを第三者が意図的に利用するというのは非常に難しい話である。その上、対策も簡単にできてしまうとくれば、扱われる場面はかなり限られるだろう。


過去には政敵の暗殺に利用されたこともあったらしいが大昔のことだ。今では毒薬一瓶の方が実用性は高いかもしれない。


(仮にウルマス英下爵が放置を決めたらどうなるんだろうか……)


村に対しての思い入れもないが、必死に自分たちに助けを乞うてきた村人のことや、この部屋まで親切に案内してくれた村人のことを思うと、少しくさくさした気分になる。


「こればかりは我々がここで考えても仕方ないね。だからといって善意だけで犯人探しなんてもっての他だ。自分の身を危うくする必要はないよ」

アドルはそう言って長椅子に完全に体を倒す。旅装もそのままで調度品の上でくつろぐ姿は、どこか堂に入っている。

「現状、呪い師がいても『縁』がない。我々に呪いをかけられるとしてらせいぜいホルトンさんくらいだろうけど、今日くらいのつながりならきっと大した呪いはかけられない。安全圏から率先して出るべきじゃないね」

「とにかく明日の朝にすぐにでも街に戻りましょう。今日みたいに村人たちに囲まれでもしたら面倒なことになります」

ゼルジアは旅装を洗おうかと考えたが、もう日も沈んでしまった。出発までに乾くことはないだろう。しかたなく畳んで荷物脇においておく。


「そうだね。それじゃあ、僕はロジアの様子を見てくる。よく休むように言って置かないと。明日はすぐに出発だ」

アドルはそう言って身を起こした。

「いえ、自分が行きますよ」慌ててゼルジアも立ち上がる。

上下に厳しくない組織とはいえ、流石に上席に馬の世話をさせるほどゼルジアも頓着しない訳ではない。だがアドルはすげなく断る。


「いや、彼女は僕じゃないと拗ねるからね。それにゼルジアはもう旅装を脱いでしまっただろう? 大丈夫。君のシーウェにも飼い葉をもらっておくよ」

「そういうことではなく……」

「僕の気分転換も兼ねてるんだ。あまりこうした地方で夜を過ごすことはないからね。折角の星空を堪能させてくれよ」

アドルは本気なのか建前なのかわからないことを口にしながら、既に外出の準備を整え始めている。旅の途中で、上手いのかわからない即興詩をうたうことがあった。アドルが風情を愛しているのは嘘ではない。


「わかりました。それじゃあ、俺は明日のために準備しておきます。村長に頼んでおくものはありますか?」

ゼルジアもこれ以上食い下がるのはむしろしつこいだろうと判断して他の仕事をすることに切り替えた。水や食料は多少融通してもらった方が良いだろう。行きまでの過程を思い返して尋ねる。

「とくにはないよ。ああ、でも乾酪チーズがあればもらっておいてほしいかな」

「わかりました。伝えておきます」ゼルジアは頷く。

「頼んだよ」

そう言ってアドルはゼルジアの肩に手を置いてから部屋を後にした。


ゼルジアはアドルの出ていった扉を見ながら頭を掻く。旅装を着替えなかったことから最初からそのつもりだったのかもしれない。気にしないとは言うが、疲れているというのも事実だろう。流石に後ろめたいものがあった。


多少は自分の懐から出しても、良い乾酪があれば分けてもらおう。アドルのためだけでなく、自分も旅では干し肉ばかりだったので乳製品が恋しい。そう思ってゼルジアも部屋を出た。


しかし、この夜ゼルジアが上質な乾酪を仕入れても、アドルとその喜びを分かち合うことはできなかった。

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なにゆえ花嫁は肉塊となり果てぬ @fururi88888

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