10.別れ話とか春を迎えたこととか
ドイツの2月というのはものすごく寒かった。
手袋をちょっとはずしただけでも、すぐに冷たくなってつらかったし。
私の住んでいるところはあまり雪に馴染みがないような場所のため(もちろん、日本の話である。ドイツにいるとたとえば「私の家」を言うだけでも、その意味がホームステイ先か、日本の家かで戸惑うときが何度もあった)、雪が降る度に喜んだものだ。
たださすがに、2週間以上も雪に降られ、寒いし、足元は滑るし、だんだんうんざりしてきた。
今なら、雪が降る東北地方や北海道民たちの気持ちがわかる。
帰国間近の4週目にもなると、だんだんと暖かな気候に変わっていった。それでもコートは着ていたけれど、マフラーをしたり、手袋をしたり、とか。風をいっさい通さないくらいの、防寒対策をする必要はなくなった。
「あ、あの家」
バス停から家へ続く道を歩いていると、すぐ近くの家の屋根にあった雪が、解けていることに気が付いた。
しかもそこからソーラーパネルが見えていたのである。
どうでもいい発見だけれど、雪があると見えなかった物が見えるというのは、ちょっとばかり新鮮だった。
お腹の痛みも、腰も、風邪も、全てがだいぶ楽になった最後の週は、あまり行けなかったショッピングを楽しむことにした。おもにお土産を買った。
そして、あっという間に帰国当日になった。
みんなと待ち合わせをしていた駅で、ホストマザーと抱き合って別れた。ホストファザーは朝早く、一人暮らしをしている娘さんとシンガポールだったか、そこへ旅行しに行ったため、前日に別れを済ませておいた。
「Tschüss」
「Tschüss,danke」
ホストマザーは家に帰る方向の電車に乗って、帰っていった。最後の笑顔が印象的だった。
来たばかりの頃はあんなに早く日本に帰りたいと思っていたのに、それを過ぎてしまえば寂しいものだ。
かと言って、「もう1週いてみる?」なんて言われても、「いたい」なんて言わないけど。
「これでもしさ、飛行機墜落したら終わりだよね」
やっぱりその不安はぬぐえない。
「大丈夫だよ。もしも落ちてもみんないっしょじゃん!」
いやなんだその意味のわからない自信たっぷりな言葉……。
西和と旭川の人たちは別ルートで、成田空港に向かって帰国するため、一緒にいない。沖縄大学の生徒は、1年留学のためまだドイツにいる予定だ。
ゲートをくぐる前に、みんなで写真を撮ろうということになった。
飛行機内には楓さんもミケもついてこない。ここでお別れだ。
空港を歩いていた人に何枚か撮ってくれるよう頼んで、私たちはカメラの前に集まった。
そのとき。
「Hi,hi」
こちらに駆け寄ってきたドイツ人2人組が私たちの前に寝転がって、写真に映ってきたのだ。
これも外国ならではの光景かもしれない。私たちは見知らぬドイツ人たちと一緒に写真を撮ってもらい、そして名前もわからないまま、手を振って別れた。
ゲートをくぐる前に、楓さんたちとも分かれる。ここまで長い長い旅路だったように感じた。
きっともう二度と、こんなに長く外国にいることもないだろう。
「あーあ。日本に帰ったら日本語通じるから、愚痴吐けないじゃん」
成挨大学の子の1人がそんなことを言った。
なんのことだろう、と私は首をかしげる。
「だってドイツだったら日本語で悪口言ってもこっちの人たちはわからないでしょ? でも、日本だと日本語通じちゃうじゃん」
あぁ、そういうことか。
「あっちに戻ったら、花粉があるんだよなぁ」
「ドイツでも花粉ってあるらしいよ」
「え、そうなの」
じゃああんまり、ドイツにいても日本にいても、変わらないか。
「そんなことより、ここから12時間以上も飛行機にいるのがしんどい」
「たしかに」
私たちは、はやる気持ちをおさえながら、それぞれにこれまでの思い出を振り返りながら、日本に向けて発ったのである。
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ドイツ留学記 凪野海里 @nagiumi
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