9.不幸なことに……

 恥ずかしながら、この話をしないといけない。

 2週目だったろうか。


「うっ、おなか痛い……」


 突然の腹痛にみまわれた。

 学校に行っても、どこかへみんなとでかけても、家でも、トイレがかかせなくなってしまったのだ。

 1日に何度も下痢を繰り返して、ベッドでうずくまる日々が続いた。

 ギュルルルルル、と下腹部が変な音をたてる。それが余計に痛い。


 あぁっ! 痛い痛い痛い痛い痛い――――!


『胃腸炎じゃない?』


 母に電話をして事情を話したら、そう言われた。

 てか、胃腸炎!


『吐き気とかある?』

「ないけど。でもおなか痛いんだよね。ここ3日以上……」


 気にすると余計に痛くなってつらい……。

 家のトイレを2回も詰まらせてしまって、すごく申し訳ない……。


「なるべく重い物食べないようにね」

「重い物って……。ドイツに軽い食べ物ってあんの?」


 いや、親に聞いても仕方ないか。


 ホストマザーにお腹が痛いことを伝えて、私はその日の食事を少しで済ませて、食後のスイーツは遠慮しておいた。


 週末のノイシュバンシュタイン城の遠足でも、おなかが痛いのは変わらなかった。


「親に言ったら、もしかしたら胃腸炎じゃないかって言われたんですよね……」

「胃腸炎!?」


 楓さんに相談したら、楓さんだけじゃなく、たまたま近くで聞いていた人たちも驚いて声をあげた。

 まあ驚くでしょうね。


「大丈夫なのなの?」

「大丈夫てすよ、こんなの。3日もあれば治りますって!」


 虚勢を張ってアハハと笑って見せる。楓さんもみんなもあきれていたけれど、どうやら私は自分の言葉どおり、3日以内にその胃腸炎を治してしまったのだ。


 いや、治したというか……。


 消えたというか……。


 遠足の帰り、私は女子の日を迎えていた。





 ドイツ留学3週目になると、私たちはそれぞれ風邪を引き始めた。

 緊張状態がやっと解けて、環境に慣れてしまったせいもあったのかもしれない。マスクをしていることが多くなった。

 そしてドイツでマスクをしていると、それがやけに目立つのだ。


「風邪引いたの?」


 担任の先生に言われて、私はガラガラ声で「はい」とうなずいた。

 ドイツでは――というか外国では、風邪予防にマスクをするというのはなかなかないことらしい。

 だから風邪を引いてもいないのにマスクをしていても、「風邪?」と心配される。

 まあ日本でも言われるか、それくらいは。

 それが私の場合、面倒なことになってしまった。

 朝、学校へ行くときに家の階段を降りていると、ツルンッと足を踏み外してしまったのだ。


「あっ」


 と思った時にはすでに遅く、私は階段に強く腰を打ち付けて、さらに数段ほど落ちた。

 やばいと思って、もう手すりを無我夢中でつかんだ。つかまれる物があればなんでもよかったのだ。リュックサックに入れておいたペットボトルが落ちて、さらに下へ落ちていった。


 ……死ぬかと思った。


 2階のドアが開く気配がして顔をあげると、ホストファザーが姿を見せていた。

 彼は階段でかっこわるくこけている私を見て、「大丈夫?」と声をかけてきた。足と腰が痛んだけれど、「大丈夫です」と答えた。

 時計を見ると、もうすぐバスが来る時間だった。遅刻してしまう。

 私は痛む腰をなんとか奮い立たせて立ちあがると、「Tschüss」と言って家をでた。ホストファザーが心配そうな顔をして私を見送ってくれた。


 学校に着いても、腰の痛みは引かなかった。

 一方で風邪はますますひどくなっていて、咳は止まらなかった。今日は早めに帰って休もう。


「ゲホッ、ったぁゲホッ、うっ、ゲホッ」


 咳をするたびに、腰に痛みが響く。でも咳をしないと苦しい。でも腰も痛い。

 座っていても、歩いていても、立っていてもつらくて、ならば寝ていたらいいんじゃないか! とかそんな甘くはなかった。

 ベッドで横になりつつ、咳をするとそれが余計に腰に響いた。

 最初は仰向けに寝ていたけれど、咳をして腰が痛くなって、うつ伏せになって咳をしても腰が痛くて。

 どういう態勢でいたらいいのさっ!

 どっちか、せめてどっちか治ってほしい。このままじゃいつまで経っても咳はひどいままだし、腰も痛い!

 風邪薬、持ってくればよかった……。


「咳はひどいし、腰も痛いし、もう踏んだり蹴ったりだよ……」


「だ、大丈夫?」


「挙句、寝てたら余計に腰に響いてさ。咳すると腰にガンガンって」


「え、咳したら腰に響くの? 何それ笑う」


 ああ、私も反対の立場だったら笑っていたとも。

 友だちと先生に相談すると、ドラッグストアに痛みを和らげる薬はあると聞いた。


「ただ、ドイツには湿布がなくってね。塗る湿布ならあるんだけど」


 塗る湿布というのが、ほんとに塗る湿布だった。

 チューブから薬をだして、患部に塗る。ただそれだけ。

 ひんやりとした心地よさはあったけれど、どっちかっていうと、ウナコーワ塗ったあとみたいな感覚だった。

 ようするに、痛みが引くような感覚はまったくなかったのである。


「風邪薬だったら、専門の薬局があるのよ。行ってみる? ただ、ドイツの薬って効きがよすぎるのよね……」


 そんなの不安なだけだ。

 慌てて他の子たちに日本の風邪薬を持っていないか聞いてみたら、持っている人がいて安心した。

 もう散々お礼を言って、拝み倒して、おかげさまで多少なりとも風邪は治った。

 腰も、咳が引けば多少まともになった。

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