故人と繋がるSNS「コジッター」について

ブライアン伊乃

故人と繋がるSNS「コジッター」について

SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)なんてものは所詮、人の行為と思考の残り滓、過去の姥捨山みたいなものだ。

 であるならば、その最たるものがコジッターではないだろうか。


 故人の生前残したデジタルタトゥー(この表現が適切かは知らないが)の全てをAIに“喰わせて”、さもその本人が存命であるかのような画像やテキストを吐き出す様を見ることができるSNS。という体裁のネットサービスだ。


 Xなんかでは芸能人や歴史上の人物BOTがあるし、Youtubeでは声生成AIを使ったAIひろゆき、AI本田圭佑など、実体の偶像化、偶像の実体化がネットの波にはそこかしこに氾濫している。


 そう考えると、コジッターの登場は何ら不思議でなく、いつまでも故人をこの世界に留めていたいという懐古趣味な願望というか、良くも悪くも人間的な欲深い業の極地というか、みたいなものは分からなくはないが、正直滑稽だし、死者への冒涜だと思う。利用者は百歩譲ったとしても、一番に咎めるべきは、それを金儲けのタネに昇華する企業の資本主義加減で、「いつまでも、あの人と繋がろう」だって?反吐がでる。


 古典的手法だが、サービスの画面の隅などに貼られたアドワーズと、登録費用なんかでマネタイズしているようだ。出てくる広告は心理カウンセラーの無料診断と葬儀屋とAR墓ばかり。AR墓なんていう電脳上の空間買いなんて、月の土地を買うより無為な気もするが、コジッターの商売スキームを取り入れてるのか、有名人の墓のあるスペースに近い墓は、高値で取引されているらしい。本当にどうかしている。


 有名人だけでなく、コジッターは一般人にも開かれており、死亡届、遺族の同意書、生前のSNSログをサービス会社に提供し、登録金を払いさえすれば、コジッターにその人の“生活(イキ活)”が流れ出す仕組みだ。


 遺書に「コジッターには登録しないでくれ」と書く人間が多数だが、死人に口なし。死者を偲ぶ人々が遺族に懇願し、根負けして登録させられるパターンが後を立たないという。遺族も「故人はそんなに慕われていたんだ」と内心悪い気もしないだろうし、偲ぶ人々はコジッターで故人を感じることができて嬉しい。生者にとっては正にwin-win。しかし死者にとってはどうだろうか?


 死して尚、他者に自己を消費され続けるなんて無間地獄にも等しい仕打ちだと思う。まぁ所詮AIというと身も蓋も無いが、仮に魂というものがあったとしても、故人の抜け去った魂の在りどころは絶対にコジッターなんかでは無いだろうし、コジッターで笑うその人に干渉できるのはコメント欄に書き込むことだけで、それはディープラーニングの演算結果が表示されているだけだ。側から見れば虚しき恐怖の羅列でしかない。


 ただ、好きなアーティストがコジッター内で新作を発表したり、ライブ配信したりしていると、偽物だとは分かっていても、そのコンテンツを楽しんでしまうのは、原始時代から変わらぬ脳構造を持つ僕たちの悲しき性だし、コジッターの爆発的人気を支えるコアバリューでもある。あの世とこの世の境目が無くなりつつある今の状況が混沌すぎて、正直ついていけない時がある。


 有名人については、限りなくグレーに近いダーティーなやり口で、いまだに賛否が分かれている。数年前から騒がれている「無印有名人問題」だ。


 通常、死亡届で死が証明された故人には認証マークが名前の横に表示される。これは、合意の上でアカウントが作られた証明でもある。

 しかし、有名人のアカウントの中には、コジッター側で利用者の要望に答える形で、遺族の同意なくアカウントを生成し提供しており、その際は認証マークがつかない。

(これが初期コジッターのウリであり、客寄せパンダとして機能した。現在ではそうしなくても、人気に肖りたい遺族側が逆にコジッターに提供してもらおうとしている。そこに漏れた無名芸能人なんかは、いまだにリクエストがあればコジッター側が生成している。というのが現状。)


 これが無印有名人の正体で、なぜこれが問題なのかというと、要は金と権利の話で、故人で稼いだ金は誰の懐に入るの?という話と、無許可でなに好き放題やってくれちゃってんの?という話。


 何人かの有名人の遺族がコジッター社を訴えているが決着がつかず、数年に渡ってやり合っている。(あくまで本人を模した二次創作の範疇であり、AIによるエンタメコンテンツ提供は合法であり、法的になんの問題も無い。という主張。肖像権には引っかかりそうだが、なんで判決がつかないのかはよく分からない。詳しく知りたい人は調べてみてください。)


 そもそも論を言ってしまえば、死者で金を稼ごうとしているコジッター側も利用者も倫理的にはバグっている。皆一様に狂っているのだ。


 それでもそこに何某かの快楽を見出し、愛した相手の消失による傷に気づかないように、壊れないように、忘れないようにしている。つまり辛い現実を生きるのに皆必死なだけなのかもしれない。


 人は必ず死ぬ。という世の理を覆す、半自動的な永遠がコジッターによってもたらされた。


人生というものが、コジッターアカウント生成のための準備期間なのだとすれば、死は準備時間の終了という意味だけなのかもしれない。


 そう考えれば死の恐怖は和らぐ。死は恐れることではなくなるのだ。

 コジッターは、現代のヴァルハラであり天国なのかもしない。

 ならコジッターも悪いものではないな。と思えてしまう。


 実際、僕もよく知らない一般人の平凡でつまらない“コジト“をダラダラ眺めているのが心地良かったりする。好きだったバンドのヴォーカルがライブしているのをヘッドフォンライブで聴いたり、R-18プランに課金すればあのセクシー女優の新作も観られる。なんだかんだコジッター無しでは生きられないくらい依存してしまっているのかもしれない。


 今もダラダラとタイムラインを眺めている。すると、ふと気になるものを見つけて手を止めた。知り合いだった人の写真だ。友人らしき人たちと仲良く居酒屋で飲んでいる様子を写したものだ。何ら変哲ない、酒好きで陽キャだった彼なら想像に難くない何気ない日常の一コマだった。


 ある一点を除いては。

 目を疑った。にわかには信じられなかった。

 僕だ。僕がいる。

 僕が、その写真の中で、笑っていた。

 僕はしっかり彼にタグ付けされていた。確かにそういうのに抜かりのないマメな人だった。おそるおそるそのタグを開く。


 認証マークのついた僕のアカウントが、あった。


 よく分からない。事態がうまく飲み込めない。


 頭がおかしくなりそうだ。今これを書いてる僕は一体なんだというのだろう。


 ココハドコ、ボクハダレ……………。


写真のキャプションがぼやけていく。


「マイメ……たちと盛り……が…すぎた。…………つー…もうソウルメ…トだな。来年もこ……飲…てーな。ってどーせ来週も……うけどww…w」


 …………………


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