「らむねちゃんの来夢来人- 初恋の思い出」
神崎 小太郎
全一話
女子高では男の子を意識する必要がないので、私は恥ずかしがることなく、無邪気に丸メガネをかけていた。
バスケットの部活動に明け暮れる日々の中で、昼休みの友だちとの笑い声、教室でのとりとめのない冗談のやり取り、そして勝利した試合後の歓喜の瞬間に、心からの喜びを感じていた。
練習を終えて喉が渇くと、夏の風物詩を知らせるのぼりを立てて、学校の前で売られているラムネを飲むのが日課だった。昔ながらのガラス瓶に入ったビー玉がカランコロンと音を立てるのが、なんとも心地よかった。
けれど、ラムネの甘酸っぱさが、今では心のほろ苦さをより一層感じさせる。物心ついた頃から、男の子と知り合える機会が全くと言ってよいほどなかった。
家に帰ってもひとつ違いの騒がしい姉と妹だけ。薄着の季節になると、父はいつも私たち三姉妹を眺めては、どこを見ていいのかわからないと苦笑いしていた。
それは、いつからか高校生活を退屈なものと変えて、心の中にわだかまりまで残している。ラムネを飲むたびに、ときおり学校帰りに見かける男の子のことを考えずにはいられなくなった。友だちと連れ立って歩く爽やかな横顔の彼との未来を想像すると、ドキドキと胸が高鳴ってしまう。
私はどうしようもないほど勇気がない女の子だった。ところが、そんな自分に気づき、私は少しずつ変わり始めていた。
✽
学校の近くにある渡来橋の前で、私は立ち止まった。進むべきか、退くべきか。心地よい初夏の風が、髪を優しく撫でながら、私の心の迷いを消していく。風は、新緑の葉を揺らし、川面には光がきらめいていた。
そして、その風が運んできたのは、野球の練習をしている男の子の声。友だちとボールを投げ合っているやり取りに、彼の名前を優斗と知ることになる。
薄暗い壁一枚で隔てている隣の男子校からでも、その優しい声は私の心にじんわりと響き渡り、自分の足を前へと導いた。
初夏の陽光が、片想いとなる恋の予感を見守るように温かく照らしている。渡来橋を渡るたび、心は新しい世界へと誘われる。そこには、初恋のラムネ色が輝く扉が、私を待っている。
初恋の甘酸っぱい芽生えに胸を躍らせながら、そう、私は渡来橋をもっと進むことにした。優斗との未来へと、躊躇いながらも確かな一歩を踏み出して、渡り始めた。
✽
「
クラスで一番仲の良い
「どうやって? 門待ちしたら、また先生に怒られるよ」
私は半ば冗談めかして、自分の親指を下に向けた。それは、私たちのダメという秘密のサインだった。
「門待ち」は、隣の男子校の正門で好きな彼を待つ行為。勇気ある同級生がそれで担任の先生から「校則違反だ」と叱られたことを、私たちはよく知っている。
「そうじゃないの。今日も『ベルリンの壁』の向こうから、優斗の声が聞こえてくるでしょ。とっておきの方法を見つけたんだから」
凛香は、私たちの女子高と男子校を隔てる壁を指差した。私たちにとって、それはただの壁ではなく、遠い世界への扉だった。
「早くしないと、優斗を他の女の子に取られちゃうよ」
彼女の言葉は、私の心に小さなさざ波を立てた。
「えっ、うそ……。そんなの、許せないよ」
私の声は震えていた。涙が、ほんの少しだけ目じりを濡らした。
凛香は、私の切ない気持ちを察してくれたのか、掃除用の脚立をふたつ持ってきてくれた。私たちは転げ落ちないように脚立へと登り、壁から顔を出して、優斗と彼女の友達の健一を見つめた。
それは、長年にわたる私のわだかまりを解き放ち、心に覆い被さるもやもやも晴らす、ちょっぴり悪ふざけの戯れだった。私の初恋の味は、白くて甘酸っぱい飲み物ではなく、すっきりとしたほのかに甘いラムネのようなものだった。
ずっと心の中にしまっておいた、初めてのコンタクトレンズと、私の名前と連絡先を書いた紙飛行機をカバンから取り出した。
メガネをそっと外し、コンタクトに切り替えた。優斗が近づいてくるのを見て、私は紙飛行機に切なる想いを込め、そよ風に託して空高く放った。これは白昼夢などではない、現実の一幕。
初恋の芽生えが、ラムネのガラス玉が奏でる響きと共に泡沫の如く消えないようにと願いを風に託した。そして、その願いが彼の琴線に触れることを信じて……
✽.。.:*・゚ 。.:〈 完 〉 ..: 。.:*・゚ .:*✽
「らむねちゃんの来夢来人- 初恋の思い出」 神崎 小太郎 @yoshi1449
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